旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

萩原朔太郎記念館

2008年09月27日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市敷島町敷島公園内にある萩原朔太郎記念館を取り上げます。
 萩原朔太郎は明治19年(1886)、北曲輪町(現在の千代田町)の医師の家に生まれました。この生家を現在の敷島公園の一画に移築復元し、記念館として一般に公開しています。
 北原白秋に師事し、26歳のときに「夜汽車」などの詩で中央詩壇にデビューしたそうです。大正6年(1917)処女詩集「月に吠える」を発表しました。
 昭和49年(1974)現在地に移築された土蔵のほか、書斎が昭和53年(1978)、離れ座敷が昭和54年に移築されたそうです。
 書斎は朔太郎が29歳の独身時代だった大正3年(1914)から8年まで書斎兼音楽室として愛用したそうです。朔太郎はこの部屋をゴンドラクラブと愛称してマンドリンやギターの演奏、作曲に耽ったそうです。ゴンドラ洋楽会(のちの上毛マンドリ倶楽部)も組織し、詩人として、音楽家として暮らしたそうです。

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群馬県庁昭和庁舎

2008年09月22日 | 旅 歴史
 今日は前橋市大手町にある群馬県庁昭和庁舎を取り上げます。
 群馬県庁の昭和庁舎は群馬会館と道一つ隔てた場所にあり、設計も群馬会館と同じ佐藤功一氏です。 昭和庁舎は、昭和3年(1928)に建設され、新庁舎が完成した平成11年(1999)まで県庁本庁舎として親しまれてきました。
 昭和初期の典型的洋風建造物の昭和庁舎は平成13年(2001)11月に国民文化祭の会場と決定したため平成12年大改修が行われました。そして平成14年4月1日からは昭和庁舎としてオープンしています。
 鉄筋コンクリート造り、地上三階建て、地下1階で建築面積は2019平方メートルです。一階の外壁は石張りで、上の階はレンガ色のタイルを張ってあります。ルネサンス風の左右対称の建物と半円アーチの車寄せは重厚な感じです。
 平成8年(1996)に国の登録文化財に指定されています。関東では、最も先進的な建築技術を駆使した県庁で有名でした。現在も近代的なタワー新庁舎やドーム型庁舎と調和して群馬県の顔となっています。
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群馬会館

2008年09月18日 | 旅 歴史
 今日は群馬県前橋市大手町にある群馬会館を紹介します。
 昭和5年(1930)11月に昭和天皇の即位を記念して建設された県内最初の公会堂が群馬会館です。平成8年(1996)に国の登録有形文化財に指定されました。
 群馬県庁の昭和庁舎と道一つ隔てた場所にあり、設計も昭和庁舎と同じ佐藤功一氏です。ルネッサンス様式の鉄筋コンクリート造りで地上4階、地下1階、建築面積 1319平方メートルの豪奢な建物です。
 昭和58年(1983)あかぎ国体を契機に一年がかりの大改修が行われ外観は昔のままで内部をリフォームしたそうです。レンガとクラシックな時計が時代を感じさせます。地下には「群馬会館食堂」があり天皇家の方達も利用されるそうです。
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阿久沢家住宅

2008年09月17日 | 旅 歴史
 今日は前橋市柏倉町にある阿久沢家住宅を紹介します。
 旧宮城村の阿久沢家住宅は北関東の平地における典型的な中規模民家です。江戸時代には名主や組頭をつとめた旧家だったそうです。
 17世紀末頃の建築と伝えられ古い農家形式を残しています。昭和45年に国の重要文化財に指定されています。
 茅葺き寄棟造りで桁行8間(15.3m)、梁間4間半(8.2m)です。間取りは中央の3本の上屋柱を境にして土間と座敷が半々の広さです。
 この地方では茅葺き屋根の平側の一部を切り上げて養蚕のための通気と採光を図った「赤城型民家」が多く見受けられます。
 しかしこの阿久沢家住宅は単純な平面形で開口部が極めて少ない造りになっています。土間には独立柱が立つ等古民家特有の特色を備えています。

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山上多重塔

2008年09月13日 | 旅 歴史
 今日は群馬県桐生市山上にある山上多重塔を取り上げます。
 赤城山東南の山麓地帯の丘陵の畑などある原っぱにポツンと山上多重塔は建っています。ガラス張りの立派な建物の中に三層の石塔がありました。
 昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定された石塔です。正式の名称は、「塔婆(石造三重塔)」です。地元では歯の患いに霊験があるとされ、歯仏様として崇め立てられていたそうです。
 延暦20年(801)7月17日に建てられています。塔婆を建てた人が建てた目的を文字で刻んであるという日本ではめずらしい石製三重塔なのです。
 高さは1.85mです。下層は幅が48cmだそうです。中層と上層は「八」の字状に造られています。
 朝廷や衆生(しゅじょう)などのため、小師の道輪が法華経を安置する塔を建てたそうです。これで、無間(むげん)(八大地獄のうちの阿鼻地獄)の苦難より救われ、安楽を得て彼岸(悟りの境地)へ行けるという内容だそうです。

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桐生市水道山記念館

2008年09月08日 | 旅 歴史
 今日は桐生市堤町にある桐生市水道山記念館です。
 昭和7年(1932)に水道山記念館は「配水場事務所」として建設されました。木造平屋建て洋風建築で平成9年(1997)国の有形文化財に登録されました。
 桐生市内に水道の給水を始めたとき高区配水池の一隅にこの洋風建築の配水事務所が誕生し昭和47年(1972)までの40年間使用されました。
 昭和60年(1985)から昭和61年(1986)にかけて改修工事を行い昭和63年(1987)3月に「桐生市水道山記念館」として開館したものです。
 現在は会議や研修等に利用されています。桐生の近代化遺産として誇れる美しい建物です。
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金谷レース工業事務所及び鋸屋根工場

2008年09月04日 | 旅 歴史
 今日は群馬県桐生市東久方町にある金谷レース工業事務所及び鋸屋根工場を取り上げます。 金谷レース工業株式会社の鋸屋根工場は大正8年(1919)に8連の鋸屋根工場として建てられたそうです。レンガ造りでスクラッチタイルを貼ってあります。機械刺繍の新工場建設などで現在は4棟になっています。
 事務所の方は昭和初期に建設された洋風建物です。鋸屋根工場とともに国の有形文化財に指定されています。
 鋸屋根の織物工場は、明治中期から昭和40年(1965)の前半まで、桐生で盛んに建てられたそうです。桐生市内にもかなり見受けられますがレンガ造りのものはここだけだそうです。



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