旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

坊ちゃんカラクリ時計

2009年04月30日 | 旅 歴史
 今日は松山市にある坊ちゃんカラクリ時計を紹介します。
道後温泉駅の駅前にあります。平成6年、道後温泉本館100周年を記念して作られたそうです。8時から22時まで1時間ごとに時計がせり上がって、小説「坊ちゃん」の登場人物が現れます。
 この時計が建っている場所は昔、松山藩主によって作られた放生園です。正面方向が道後商店街、右に折れると道後温泉本館方面となっています。
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琴弾公園

2009年04月29日 | 旅 歴史
今日は香川県観音寺市有明町にある琴弾公園を紹介します。
 琴弾公園は明治30年(1897)に県立公園として開設され、昭和11年(1936)には国の名勝に指定されました。日本の桜名所100選にも選ばれています。約500本ものソメイヨシノが咲き競います。
 琴弾公園がある琴弾山々頂から有明浜や、白砂に「寛永通宝」が描かれています。東西122m、南北97mの巨大な砂絵です。寛永10年(1633)藩主、生駒高俊を歓迎するため一夜で作ったのが始めだそうです。
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琴弾八幡宮

2009年04月27日 | 旅 歴史
 琴弾八幡宮は大宝3年(703)創建の古刹です。山で修行中の日証上人が八幡大菩薩の乗った船が近くに漂着したのを見つけました。そして里人とともに船を山頂に運び祀ったということです。
 そのとき、船の中から琴の音がしていたことから「琴弾」の名がついています。そして琴を神宝として祀ったという事です。
 琴弾八幡宮は源氏の崇敬を受けました。源頼義は前九年の役に使いを立てて願文を納め、その子の義家は社殿を造営、神馬を奉納しました。義経は屋島の戦いの後に平家追討を祈願して馬と鳥居を奉納し、頼朝は1千貫文の土地を寄進したそうです。
 大同2年、四国を行脚中の空海が琴弾八幡宮に参拝し、阿弥陀如来の像を描いて本尊として、琴弾山神恵院(じんねいん)として第68番札所に定めました。
 ところが明治の神仏分離により、本尊の阿弥陀如来は観音寺にあった西金堂に移され、神恵院として独立したため68番札所としたため四国霊場唯一の珍しい1寺2霊場となっています。
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大興寺

2009年04月20日 | 旅 歴史
 今日は香川県三豊市山本町辻小松尾にある大興寺を紹介いたします。
 大興寺は、真言宗善通寺派の寺院です。
 「小松尾寺」として親しまれ、四国88箇所霊場第67番札所として多くのお遍路さんがお参りしています。
 天平14年(742)に東大寺の末寺として建立され、嵯峨天皇の勅願によって弘仁13年(822)弘法大師空海が建立したのが始まりとされています。
 天正年間に長宗我部元親の兵火によって本堂以外を焼失しました。現在の大興寺は慶長年間に再興されたそうです。
 寺宝には文永4年(1267)、平安期3蹟の一人藤原朝臣経朝が奉納した「大興寺」の扁額があります。この扁額は県最古のものだということです。
 弘法大師がこの寺での修行中に植えられたと伝えられるクスやカヤも、県の自然記念物・保存木に指定されています。
 山門(仁王門)の木造金剛力士立像は大きく、高さは2体とも3.14mもあるそうです。檜材寄せ木造で彩色されています。
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薬王寺

2009年04月19日 | 旅 歴史
 今日から四国の名所を紹介していきたいと思います。まず最初は香川県の三豊市の山本町河内にある薬王寺からです。
 薬王寺は明治までは菅生神社の別当寺だった真言宗のお寺だったそうです。
 薬王寺には250種550株のボタンがありピンク、赤、白、紫、黒、黄色など色鮮やかに咲く名所です。別名ボタン寺とも呼ばれています。
 花の開花の頃催される「ぼたんまつり」には、県内外から多くの人が訪れるそうです。


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旧黒澤家住宅

2009年04月12日 | 旅 歴史
 今日は群馬県多野郡上野村楢原にある旧黒澤家住宅を紹介します。
 上野村楢原の国道299号沿いに旧黒澤家住宅があります。上野村が徳川幕府の天領下だった山中領(奥多野)の18世紀中頃の大庄屋だったそうです。
 黒沢家はまた御林守として、御鷹狩り用の鷹を飼育する御巣鷹山の管理にもあたっていたそうです。
 大規模な切妻造りの建築です。間口22m、側面16mの総2階建、大きな玄関も2つもそなえています。屋根は板葺きで石が置かれています。
 座敷や玄関などの意匠は素晴らしく大名主としての格式を誇っています。代官を迎えるための「おしらす」があり、村の行事に利用された部分、台所も3カ所もあります。
 客座敷は4部屋あり、囲炉裏のある茶の間は31畳半もの広さがあります。上の階は昔は養蚕に使われていた所です。現在は上野村の民俗資料が展示されています。  
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鬼押出し園

2009年04月03日 | 旅 歴史
今日は群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原にある鬼押出し園を紹介します。
 イタリアのベスビオ火山、桜島と並んで世界3大奇勝に数えられている鬼押出し園です。
 天明3年(1783)、浅間山の大爆発の際に流出した溶岩流によって、1000名を超える死者が出ました。鬼押出しは、その溶岩流の名残りなのです。
 火口で鬼があばれ岩を押し出した、という当時の人々の噴火の印象が、この名前の由来となっています。噴火の激しさを今に伝える岩海と、豊かな大自然が織りなす、浅間高原随一の景観です。
 園内には、天明の浅間山の大爆発で犠牲になった霊を供養する浅間山観音堂があります。
 観音堂は上野寛永寺の別院で、厄除け観音としても人気があります。
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