旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

飛鳥寺(安居院)

2010年05月31日 | 旅 歴史
 奈良県高市郡明日香村飛鳥にある飛鳥寺(安居院)です。
 飛鳥寺(あすかでら)は596年蘇我馬子が発願して創建された日本最古のお寺です。平城遷都で奈良に移り、元興寺となりました。ここは法興寺、元興寺と呼ばれ、現在は安居院となっています。
 近年の発掘調査では、東西200m、南北300m、塔を中心に東金堂、西金堂、中金堂を配し、それらを回廊で囲み、その外に講堂を置くという独特の伽藍配置だったようです。法隆寺の3倍近い大寺院で蘇我氏の権勢を物語るお寺でした。
 江戸時代に再建された講堂(元金堂)の中には本尊の飛鳥大仏が祀られています。606年に推古天皇が中国渡来した鞍作止利仏師に造らせたそうで、東大寺の大仏よりも150年も古い日本最古の像です。
 高さと2.75mの巨大な飛鳥大仏(銅造釈迦如来座像)は2度の金堂消失と雨ざらしのためかなり破損し、顔面、左目、右手人差し指が残っていただけでしたが、発掘で見つかった様々な部分を使って修復され、国の重要文化財にも指定されました。



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岡寺

2010年05月30日 | 旅 歴史
 奈良県高市郡明日香村岡にある岡寺です。
 東光山岡寺(おかでら)は、真言宗豊山派のお寺で龍蓋寺(りゅうがいじ)とも称します。本尊は如意輪観音で西国三十三箇所第7番札所になっています。
 寺伝によると、663年、天武天皇の皇子である草壁皇子が住んだ岡宮の跡に義淵僧正が創建したと伝えられています。
 毒龍が大雨や強風を巻き起こし村民を苦しめていました。義淵は法力をもって池に封じ込め、そこに大きな石で蓋をしたそうです。これが龍蓋寺の名前の由来となっています。
 鮮やかな朱色をした桜門様式の仁王門は慶長17年(1612)に再建された建物で、国の重要文化財に指定されています。
 本尊の如意輪観音座像は塑像(土で造られた仏様)で、弘法大師の作と伝えられています。塑像としてはわが国最大の仏像で国の重要文化財に指定されています。厄除け観音としても知られ、古来より信仰を集めています。



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石舞台古墳

2010年05月29日 | 旅 歴史
 奈良県高市郡明日香村島庄にある石舞台古墳です。
 巨石を積み上げた石舞台古墳は飛鳥のシンボルになっています。6世紀の築造で、この地が蘇我馬子の庭園があったことから、馬子の墓であるという説が有力です。
 盛土を除かれた日本最大級の横穴式石室は玄室の長さ7.5m、幅3.4m、高さ7.7mです。石舞台という名前は、昔狐が女性に化けて石の上で踊って見せた話や、この地にやって来た旅芸人が舞台がなかったので仕方なくこの大石を舞台に演じたという話で名付けられたようです。



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大神神社

2010年05月28日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市三輪にある大神神社です。
 大神(おおみわ)神社は大和盆地の東南にある三輪山そのものを神体とした神社です。三輪明神ともよばれています。今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る古神道(原始神道)の形態を残しています。
 大神神社は大物主大神(おおものぬしのおおかみ)を主祭神とし大己貴神(おおなむちのかみ)、少彦名神(すくなひこなのかみ)を配祀しています。日本神話に記される創建の由諸や大和朝廷創始から存在する理由などから「日本最古の神社」と称されています。
 寛文4年(1664)、徳川家綱によって造替された拝殿と、その奥にある三ツ鳥居は国の重要文化財に指定されています。三ツ鳥居は、明神鳥居3つを1つに組み合わせた特異な形式のものです。この鳥居を通して御神体の三輪山を拝するという古代の祭祀形態を残しているのです。
 大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めています。農業・工業・商業すべての産業開発、禁厭(まじない)、製薬、交通、航海、縁結び等、世の中の幸福の守護神です。
 酒屋の商標であった杉玉は大神神社で作られ、配布されたもので、今も全国の醸造業者からの崇敬を集めています。



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安倍寺跡

2010年05月27日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市阿部にある安倍寺跡です。
 安倍文殊院の南西に文殊院の前身、安倍寺がありました。この地域一帯は、安部氏一族の本拠地であったといわれています。安倍寺は641年から685年頃の間に、左大臣の安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)によって創建されたようです。
 安倍寺は戦国時代の戦火に焼かれ、その後再建されることなく、別院であった現在の文殊院に移ったとようです。南北100m、東西92mの寺地から、法隆寺式伽藍配置の塔跡と講堂跡が出てきました。飛鳥時代の寺院跡として国の史跡に指定され、史跡公園として整備されています。



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崇峻天皇倉梯岡陵

2010年05月26日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市大字倉橋にある崇峻天皇倉梯岡陵(すしゅんてんのうくらはしのおかのみささぎ)です。
 587年、泊瀬部皇子(はつせべのみこ)は、敏達天皇の皇后・炊屋姫(かしきやひめ、後の推古天皇)や蘇我馬子らに擁立されて皇位につき、崇峻天皇となりました。物部守屋が穴穂部皇子(あなほべのみこ)を擁立させようとしたため炊屋姫は皇族の最年長皇子で蘇我馬子とともに物部氏を倒した泊瀬部皇子を天皇にしたのでした。
 しかし、592年に泊瀬部皇子は蘇我馬子の指示で東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)に暗殺されてしまいました。日本歴史史上唯一、臣下により暗殺された天皇の御陵なのです。


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聖林寺

2010年05月25日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市下にある聖林寺(しょうりんじ)です。
 聖林寺は多武峰山麓高台にある真言宗室生寺派のお寺です。藤原鎌足の長男の定慧(じょうえ)が、藤原鎌足を祀る談山神社の別院として和銅5年(712)に創建したそうです。
 創建以来再三兵火にあって衰退しましたが、建久年間(1190-1199)に慶円が再興したということです。元禄年間(1688-1704)に文春が石仏を造り聖林寺という今の寺号に改めたそうです。この時の石仏が本尊石造子安延命地蔵です。
 寺宝の天平仏の傑作・十一面観音立像は木心乾漆造で国宝です。台座の一部を除いて、造立当時のままの姿をしています。
 十一面観音立像は大神神社の神宮寺である大御輪寺(おおみわでら)に地蔵菩薩とともに安置されていた像でした。明治の廃仏毀釈の時に十一面観音は聖林寺に移されたということです。


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安倍文殊院・白山堂

2010年05月24日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市阿部にある安倍文殊院の白山堂です。
 白山堂は、加賀の国(石川県)の霊峰「白山」をご神体とする白山神社の末社です。伊邪那岐命と伊邪那美命の縁を取り持った菊理媛命(くくりひめのみこと)が祀られています。このことから白山堂は特に縁結びにご利益があると信仰を集めています。

 白山堂は安倍山の鎮守として造られた白山神社です。本殿は室町時代の末期の造立で、一間社流、向拝唐破風付、杮葺きの建物で国の重要文化財に指定されています。


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安倍文殊院・東古墳

2010年05月23日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市阿部にある安倍文殊院の東古墳です。
 文殊院東古墳は、閼伽井(あかい)の窟とも呼ばれています。智恵の水「閼伽水」が湧き出る泉があるのです。閼伽水とは仏に供える清浄かつ神聖な水のことです。

 古来より閼伽井の窟を参拝すると知恵が湧くことで知られています。
 この石室は自然石での乱石積となっています。ここは奈良県の史跡に指定されています。


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安倍文殊院・西古墳

2010年05月22日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市阿部にある安倍文殊院の西古墳です。
 文殊院西古墳は本堂東にある横穴式古墳です。全長12m、玄室の長さ5.1m、幅2.9m、高さ2.7mの石室です。古墳時代末期の築造とみられます。

 内部は良質の花崗岩が使用され、表面をきれいに削ってあります。長方形に整形し互い違いに五段に整然と積み上げられています。天井には巨大な一枚石をのせ、アーチ状に造られています。国の特別史跡に指定されています。


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安倍文殊院

2010年05月21日 | 旅 歴史
 奈良県桜井市阿部にある安倍文殊院(あべもんじゅいん)です。
 安倍文殊院は京都の天橋立切戸の文殊、山形の亀岡文殊とともに日本三大文殊の一つに数え上げられています。
 華厳宗のお寺で、本尊は文殊菩薩です。獅子に乗った木彫極彩色の文殊菩薩は快慶の作で、総高7mもあります。文殊像では日本最大で国の重要文化財に指定されています。
 大化元年(645)孝徳天皇の勅願で、左大臣の安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)が創建しています。安倍仲麻呂や平安時代の陰陽師安倍晴明ゆかりの地としても知られています。
 子院40余りを数える大寺院で寺運も隆盛しましたが、永禄6年(1563)松永久秀の兵火にあい焼失しました。
 現在の堂宇は寛文年間(1681-1673)に再建されたものです。入母屋造、桟瓦葺きの庫裏は明治6年(1873)に造られ県の文化財に指定されています。
 境内には安倍仲麻呂にちなんだ金閣浮御堂が立つ文殊池や、精巧な石室をもつ文殊院西古墳、巨石を積んだ閼伽井古墳、白山堂などがあります。


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藤原宮跡

2010年05月20日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市高殿町にある藤原宮跡です。
 藤原宮跡は694年に持統天皇が飛鳥から遷都され、和銅3年(710)に平城京に遷都されるまでの3代16年、藤原京の首都として機能していた都の跡です。
 藤原京は唐の長安を模した日本で初めての本格的な都市です。その中心の藤原宮には天皇の住まいである内裏や儀式などを行なう対極殿、役所にあたる官衙などが置かれていました。
 藤原宮は東西2.17km、南北3.27kmの規模であったようです。宮跡からは木簡、桶、板人形、土器などが多数出土しています。国の特別史跡に指定されています。


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藤原京朱雀大路跡

2010年05月19日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市上飛騨町にある藤原京朱雀大路跡です。
 694年、持統天皇は天武天皇の時代から建設中であった藤原京に遷都しました。日本史上最初の条坊制(じょうぼうせい)を布いた本格的な中国風都城でした。
 藤原京の南正門からまっすぐに南に延びる道は朱雀大路といい、藤原京の中心道路でした。昭和51年(1976)の発掘調査によって幅21mの大路が確認されました。


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本薬師寺跡

2010年05月18日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市城殿町にある本薬師寺跡です。
 本薬師寺跡(もとやくしじあと)は藤原京にあった薬師寺の跡です。奈良の薬師寺は藤原京から平城京に遷都されるときにこの地より建物が移されたとされています。移された薬師寺と区別するために本薬師寺跡と呼ばれているのです。
 680年天武天皇は後の持統天皇となる皇后の病気平癒を願い、薬師寺建立を発願しました。天武天皇はその完成を待たずに崩御、遺志を継いだ持統天皇が698年、薬師寺を完成させました。
 藤原京が和銅3年(710)に平城京へ遷都されると、薬師寺もまたその8年後の養老2年(718)、藤原京の後を追うように平城京へと移転しました。今は金堂跡と東西両塔跡に大きな礎石を残すのみです。



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橿原神宮

2010年05月17日 | 旅 歴史
 奈良県橿原市久米町にある橿原神宮(かしはらじんぐう)です。
 橿原神宮は神武天皇が即位建国した宮趾に、明治23年(1890)創建された神社です。ご神体は神武天皇とその皇后・媛蹈鞴五十鈴媛です。
 橿原神宮を含む一帯は南北に長い橿原公苑として整備されており、北側が神武天皇御陵、南側が橿原神宮となっています。神域は50万平方mにおよび、敷地内には森林遊苑や深田池などもあります。
 本殿は安政2年(1855)に建造された京都御所の賢所を移築したもので、国の重要文化財に指定されています。また文華殿は天保15年(1845)に建立された天理市柳本町にあった旧柳本織田藩主の「表向御殿」を移築し復元したものです。



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