旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

鶴ヶ城(若松城)

2013年09月30日 | 旅 歴史
 福島県会津若松市追手門にある鶴ヶ城(若松城)です。
 会津佐原氏の3代目光盛は、故郷であった相模国三浦郡蘆名から名をとり、蘆名氏を名乗りました。至徳元年(1384)、7代目直盛が会津郡門田荘黒川に黒川城を築きました。これが鶴ヶ城(若松城)の前身です。
 その後、天正17年(1589)摺上原の合戦で蘆名氏は敗れ、城は伊達政宗の居城となりました。小田原を平定した豊臣秀吉は蒲生氏郷をここに入封させ奥羽の要にしました。文禄2年(1593)蒲生氏郷は本格的な天守閣を築城しました。
 蒲生氏郷は城を石垣作りの大城郭に改築しました。5層7重の天守を造り、その名を「鶴ヶ城」と命名して城下町は若松と名付けられました。この時に積まれた石垣が現在の天守台で、400年経た現在も残っています。その後、加藤嘉明、明成、保科正之が城主となりました。
 会津藩の藩祖、保科正之は2代将軍徳川秀忠の子です。3代藩主正容(まさかた)の時に松平姓を名乗るようになり、会津松平家は「御三家」につぐ「御家門」という家格を持っていました。幕末、9代藩主松平容保(かたもり)は京都守護職についたため倒幕派から敵視されました。
 慶応4年(1868)1月、戊辰戦争が起こり、薩摩、長州藩などの倒幕勢力と会津、桑名藩などの旧幕府勢力との戦いになりました。同年8月、白虎隊は戸ノ口原で破れ、飯盛山で戦火に包まれた鶴ヶ城をみて自刃、その後会津藩は降伏しました。
 鶴ヶ城は1階から4階まであり会津歴代藩主の資料、刀剣や郷土資料などたくさん展示されてます。天守閣には、自刃した白虎隊士と松平容保の肖像画が飾られてます。天守閣から会津若松市を一望できます。

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御薬園

2013年09月29日 | 旅 歴史
 福島県会津若松市花春にある御薬園です。
 御薬園は旧会津藩主松平氏の別荘です。藩の薬園のあったことから、この名で呼ばれています。江戸時代中期の作庭手法をよく伝えています。中央に池を広くとり、中島をおき楽寿亭と称する茶亭を設けています。
 池の奥、右に男滝、左に女滝があります。後方に低い築山を設けて、東山連峯の風景を豊かにとり入れ、また、石敷路をたどって、池畔をめぐる風致も変化に富ませています。
 御薬園では現在も400種類の薬草が植えられています。松平藩2代目藩主正経が薬草を栽培し、3代目正容が朝鮮人参を試植といわれています。 
 江戸時代の大名庭の形式による山水庭として優れた庭園です。
 昭和11年(1936)には歌人・与謝野晶子も訪れ「秋風に荷葉うらがれ香を放つ おん薬園の池をめぐれば」の歌を残しています。

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会津武家屋敷

2013年09月28日 | 旅 歴史
 福島県会津若松市東山町石山院内にある会津武家屋敷です。
 会津の東端の東山のふもとに、幕末の会津藩家老「西郷頼母」の邸宅を復元した「会津武家屋敷」があります。 冠木門を入ると左手に35の部屋がある約400坪の広大な西郷屋敷があります。
 屋敷内は人形が当時の武家の暮らしを再現しています。将軍御成りの部屋や戊辰戦争の際家族が自刃した部屋、当時の武家のくらしが分かる武具・調度品などが展示されています。
 屋敷内には県の重要文化財・旧中畑陣屋、茶室麟閣を再現した茶室領南庵、藩米精米所、会津歴史資料館、心の美術館などがあり野外歴史博物館となっています。「姿三四郎」のモデルとなった西郷頼母の養子「西郷四郎」の像などもあります。

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栄螺堂

2013年09月27日 | 旅 歴史
 福島県会津若松市一箕町八幡弁天下にある栄螺堂です。
 飯盛山の自刃の地から少し下った所に、6角3層の建造物があります。螺旋通路により一方通行で上下できるという珍しい建物、「栄螺堂(さざえどう)」です。
 栄螺堂は、江戸時代後期の特異な建築様式の仏堂です。堂内は回廊となっていて、参詣路を往路と帰路とに分けています。仏教の礼法である右繞三匝(うにょうさんぞう)に基づいて、右回りに三回匝る(めぐる)ことで参拝できるようになっているのです。三匝堂(さんそうどう)というのが正式ですが、サザエに似ていることから「栄螺堂」、「サザエ堂」などといわれています。
 栄螺堂の内部には、会津藩の道徳教本にある皇朝24孝の絵額が掲げられています。道徳を重んじた会津藩の精神を感じることができます。

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白虎隊記念館

2013年09月26日 | 旅 歴史
 福島県会津若松市一箕町大字八幡字弁天下にある白虎隊記念館です。
 白虎隊記念館は白虎隊士自刃の地の飯盛山登り口にあります。昭和31年(1956)4月に、会津若松出身の弁護士であった故早川喜代次氏が白虎隊や会津藩の悲劇を後世に正しく伝えたいという思いからオープンさせたそうです。
 昭和59年(1984)には鉄筋コンクリート造り2階建ての建物に改築しています。白虎隊や会津藩、新撰組などに関する資料など約12000点が収められています。白虎隊士たちの悲劇を描いたパノラマ、当時の衣服、武器、写真、近藤勇、板垣退助ら攻防両軍の資料などを展示しています。また戦争の様子を再現したジオラマもあります。

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飯盛山

2013年09月25日 | 旅 歴史
 福島県会津若松市一箕町飯盛山にある飯盛山です。
 飯盛山は、会津若松市の北西端にあり中心街からクルマで5分で行けます。戊辰戦争の際には、白虎隊が遠く鶴ヶ城を仰ぎながら、集団自決を遂げた場所として有名です。
 江戸時代の末期、鳥羽・伏見の戦いがありました。その後、薩摩・長州を中心とする討幕派が会津に押し寄せました。これが戊辰戦争です。
 その時に、白虎隊の少年20名が、落城したと思いこみ、全員自刃しました。その場所が飯盛山でした。(1人だけ「セツ」という人に助けられ息を吹き返した人もいました。飯沼貞吉という人です。)
 飯盛山には、白虎隊のお墓があり、その墓は鶴ヶ城の方を向いています。自刃の地からは鶴ケ城を見ることができます。毎年4月24日と9月24日に、墓前で慰霊祭が開かれています。

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野口英世記念館

2013年09月23日 | 旅 歴史
 福島県耶麻郡(やまぐん)猪苗代町三ツ和前田にある野口英世記念館です。
 野口英世記念館は世界的にも名が知られている医学者、野口英世の生涯を紹介している記念館です。数々の資料があり、輝かしい功績や研究の記録に彼の努力の跡がうかがえます。また、少年時代に左手に火傷を負った囲炉裏など、生家が明治時代そのままの姿で保存されています。
 左手に火傷を負ってしまった幼い清作(野口英世の幼名)は、農業で自活出来ませんでした。そのため学問で身を立てようと勉学に励みました。高等小学校の時、清作は仲間の援助を受け、現在の会津若松市にある会陽医院という病院で左手の手術を受けました。その時、医学の素晴らしさを知り、卒業後、その病院に弟子入りしたのです。
 19歳の時、医師免許を取りに行くために上京しました。その別れ際に、「志しを得ざれば、再び此地を踏まず」という有名な言葉を残しました。そして見事、わずか20歳という若さで医師免許を取得したのです。
 その後、当時医学会で世界的に有名であった北里柴三郎を所長とする伝染病研究所の助手となりました。野口英世は、研究所内で、来日中に同所を訪れたシモン・フレキスナー博士と知りあいました。横浜の海港検疫所に派遣された時、ペスト患者を発見、隔離するなどして、世界の野口英世への足掛かりを作っていきました。
 アメリカではロックフェラー研究所で梅毒のスピロヘータの研究に成功しました。そしてドイツを始めヨーロパ各地へ講演をしました。
 海外で大成功を収めた野口英世は日本に一時、帰国しました。その後、黄熱病の研究のため、エクアドルに出張しました。野口英世は黄熱病のさらなる研究のために、さらに南米各地を回りました。
 ペルー、ブラジル、メキシコでも野口英世は黄熱病の研究を行いました。そしてアフリカのアクラへ出張しました。ところがそこで黄熱病にかかってしまい51歳の偉大な生涯を閉じてしまったのです。

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勿来の関跡

2013年09月22日 | 旅 歴史
 福島県いわき市勿来町関田にある勿来の関跡です。
 勿来の関は南下してきた蝦夷勢力の来襲を防ぐため5世紀に作られた関所です。同時代に作られた白河の関、念珠ヶ関とともに奥州三古関として有名です。
 「天下第一武勇の士」と賞讃され、源氏武士の鑑とされた源義家の銅像です。「吹く風をなこその関と思へども道もせに散る山桜かな」と詠んでいます。源義家がここで休息をとった時、一本の松に弓を掛け、隣の松に鞍を掛けたといわれています。
 名古曽とは誰かは
 言ひしいわねども
 心に寿うる関とこそ三連
     和泉式部
 「勿来」とは「来る勿(な)かれ」からきているそうです。現在も、関東と東北との境となっています。
 勿来の関の碑をはさんで、関東側に「関東宮」、 東北側に「東北宮」という小さな祠があります。関東と奥州の国境の守り神としてまつられたお宮と考えられています。
 松尾芭蕉も勿来の関を訪れています。
 「風流のはしめやおくの田植えうた」
という句碑が残されています。
 勿来関文学歴史館には源義家を中心とした資料等が展示されています。

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アクアマリンふくしま

2013年09月21日 | 旅 歴史
 福島県いわき市小名浜字辰巳町にあるアクアマリンふくしまです。
 アクアマリンふくしまは平成12年(2000)7月にオープンした小名浜港の新しいシンボルです。人気、話題ともにナンバーワンの水族館です。
この水族館は世界ではじめて、サンマの飼育に成功したことでも有名です。サンマは生態上、未だ謎に包まれている部分が多く、水槽で飼うのは困難だとされていました。
 アクアマリンふくしまに隣接した港には東海大学の海洋学部の実習船が停泊していました。

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いわきマリンタワー

2013年09月20日 | 旅 歴史
 福島県いわき市小名浜下神白大作にあるいわきマリンタワーです。
 三崎公園内に、市制施行20周年を記念して建設された高さ59.9mのタワーです。岬に立地しているので展望室は海抜106mの高さになります。マリンタワーは展望台になっています。屋上のスカイデッキからは、360度の大パノラマが楽しめます。
 マリンタワーのデザインは斬新です。展望台付近は逆三角形になっているので迫力満点です。

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三崎公園

2013年09月19日 | 旅 歴史
 福島県いわき市小名浜下神白にある三崎公園です。
 小名浜港から太平洋に突き出た小高い丘にある眺望の良い公園で、昭和46年(1971)にオープンしました。面積は約3万5千坪あるそうです。広々とした敷地には約200本のソメイヨシノが咲いています。
 園内には高さ59.99mのマリンタワーと、海に突き出した潮見台があり、海を眺められます。芝生広場及びバーベキュー広場、展望台、ピクニック広場、野外音楽堂などがあります。

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豊間海岸

2013年09月17日 | 旅 歴史
 福島県いわき市平豊間にある豊間海岸です。
 塩屋崎と合磯(かっそ)岬の間の約4kmの海岸が豊間海岸です。磐城海岸県立自然公園に指定されているところです。
 消波ブロックがなく、いわき市内の海水浴場の中でも波が強いことで知られています。広い砂浜は、今では珍しい鳴き砂として有名で1年を通じてサーファーで賑わっています。

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塩屋埼灯台

2013年09月16日 | 旅 歴史
 福島県いわき市平薄磯字宿崎にある塩屋埼灯台です・
 塩屋埼灯台は豊間(とよま)の灯台とも呼ばれ、薄磯海岸の海抜73mの断崖に立つ白亜の灯台です。
 木下惠介監督の映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった灯台としても知られています。灯台職員とその家族が転勤で地方の灯台をまわりながら、積み重ねる喜びと悲しみを描いた実話でした。
 この付近は、昔から潮の流れが激しく、暗礁も多く、海上交通の難所として知られていました。明治32年(1899)煉瓦石造で建てられ、初点灯されました。
 昭和13年(1938)福島県沖地震のため壊れ、コンクリート製に改築されましたが太平洋戦争末期に、米軍機体に破壊されてしまいました。昭和25年(1950)修復されています。
 この記念碑は海を守る灯台守の妻として幾多の苦難の道を乗り越えた田中きよさんの手記が昭和31年の婦人雑誌に「海を守る夫と共に20年」という題で掲載され心打たれた木下恵介監督により「喜びも悲しみも幾年月」として映画化された記念碑です。

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塩屋の岬

2013年09月15日 | 旅 歴史
 福島県いわき市平字薄磯字宿崎にある塩屋の岬です。
 美空ひばりの晩年の名曲 「みだれ髪」 の歌詞に登場する塩屋の岬です。

 髪のみだれに手をやれば、赤いけだしが風に舞う、憎や恋しや塩屋の岬

 ここには永遠のひばり像が建てられています。
 「みだれ髪」で昭和の歌姫美空ひばりが有名になりました。この舞台となったこの地に美空ひばり像が平成14年(2002)建立されました。
 世界に通ずる太平洋に向かって永遠に歌いつづけています。吹き込んだ曲は1200曲もあり、没後国民栄誉賞をうけています。

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薄磯海岸

2013年09月14日 | 旅 歴史
 福島県いわき市平薄磯にある薄磯海岸です。
 薄磯海岸はいわき市を代表する海水浴場の一つで夏のシーズンには多くの海水浴客で賑わいます。薄磯海岸は「日本の渚・百選」にも選ばれています。
 薄磯海水浴場の南側には美空ひばり像、さらに南には塩屋埼灯台があります。映画「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台にもなった海岸です。

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