旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

金胎寺多宝塔

2017年12月31日 | 旅 歴史
 京都府相楽郡和束町(わづかちょう)原山に金胎寺(こんたいじ)があります。
 金胎寺の多宝塔はこけら葺きの、三間多宝塔です。永仁6年(1298)、伏見天皇が金胎寺に行幸された時、勅願により建てられています。この多宝塔は奇跡的に戦乱や出火を免れ、境内で唯一被害に遭わずに現存しています。明治32年(1899)に国の重要文化財に指定されています。

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金胎寺本堂

2017年12月30日 | 旅 歴史
 京都府相楽郡和束町(わづかちょう)原山に金胎寺(こんたいじ)があります。
 総門を入って突き当りに金胎寺の本堂が建てられています。江戸時代の建築で、弥勒菩薩を安置しているので弥勒殿とも呼ばれています。

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金胎寺

2017年12月29日 | 旅 歴史
 京都府相楽郡和束町(わづかちょう)原山に金胎寺(こんたいじ)があります。
 金胎寺は標高682mの鷲峰山(じゅぶせん、じゅうぶさん)の山頂近くにあります。天武天皇の白鳳4年(676)に役小角(えんのおづぬ)の開創といわれています。その後、聖武天皇の勅願寺となりました。吉野の大峰山に対して北ノ峰と呼ばれ修験の行場・道場として栄えました。
 永仁6年(1298)には伏見天皇が金胎寺に行幸され、勅願により多宝塔が建てられました。この多宝塔は戦乱をくぐる抜け、国の重要文化財に指定されています。元弘元年(1331)、笠置へ向かう後醍醐天皇が立ち寄り、そのために北条氏から焼き討ちされ、寺は衰退したそうです。
 最盛期には「東塔」「西塔」が建立した広大な山内に58もの塔頭がある大伽藍を誇りました。しかし戦乱や出火で荒廃しました。康安元年(1361)に再建されましたが、永正15年(1518)に再び焼失しています。現在の堂宇の多くは江戸時代に再建された建物です。
 金胎寺は寺全体が国の史跡に指定されています。永仁6年(1298)建立の多宝塔、正安2年(1300)の銘がある石造宝篋印塔、鎌倉時代の木造弥勒菩薩坐像、銭弘俶八万四千塔などが国の重要文化財に指定されています。

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法泉寺十三重石塔

2017年12月28日 | 旅 歴史
 京都府京田辺市草内南垣内に法泉寺があります。
 法泉寺の十三重石塔には「弘安元年戊寅十一月廿六日 大工 猪末行 勧進僧良印」の刻銘があります。鎌倉後期の弘安元年(1278)に建てられた石塔で、大正5年(1916)に国の重要文化財に指定されています。高さ約6mの花崗岩で、笠と軸部を一石で彫り、十三重に重ねるという様式です。初重塔身の四方に四方仏を半肉彫で入れ、基礎部分に銘があります。基礎と初重軸部は非常に低く、近畿地方では異例です。銘文中に「大工」として名の見える猪末行は、宋から渡来した石工・伊行末(いのゆきすえ)の系統の石大工と思われます。

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法泉寺

2017年12月27日 | 旅 歴史
 京都府京田辺市草内南垣内に法泉寺があります。
 中島山法泉寺は真言宗智山派のお寺です。言い伝えでは草むらから5、6寸(16~20cm)の十一面観音の金像が出現し、草内の地名の起源となりました。天長年間(824-833)に日照りが続き、その観音に祈願したところ池泉が涌き出たので寺を建てて法泉寺としたそうです。
 境内には十三重石塔が建てられています。室町時代までは法泉寺は奈良興福寺の支配下にありました。奈良西大寺の叡尊が水害対策、渡しの整備をしていて、その供養祈念に宇治川の石塔より前に建てられた石塔です。旧国宝で、現在は国の重要文化財に指定されています。

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春日神社本殿

2017年12月26日 | 旅 歴史
 京都府相楽郡精華町せいかちょう)大字菱田小字宮川原に春日神社があります。
 春日神社本殿は一間社流造り、檜皮葺きで、室町時代前期(1333-1392)の建物です。奈良の春日大社の若宮社殿を拝領し、移築したといわれています。天明元年(1781)、文政7年(1824)、明治7年の修理棟札が残されています。大正10年(1921)に国の重要文化財に指定されています。

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春日神社

2017年12月25日 | 旅 歴史
 京都府相楽郡精華町せいかちょう)大字菱田小字宮川原に春日神社があります。
 近鉄狛田駅から東に300mほど行ったところに菱田の春日神社があります。静かな鎮守の森は「春日の森緑地公園」の中にあります。大同2年(807)に奈良の春日大社から勧請されたと伝えられています。
 鳥居をくぐると、近年に建てられた割拝殿があり、高い塀が本殿を囲っています。本殿東側にあるという石灯籠は南北朝時代のもので国の重要美術品です。また拝殿に掲げられているという白馬と黒馬の絵馬は元和6年(1620)に奉納されたものです。春日神社本殿は国の重要文化財に指定されています。

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三室戸寺庭園

2017年12月23日 | 旅 歴史

 京都府宇治市菟道滋賀谷に三室戸寺(みむろとじ)があります。
 三室戸寺の庭園は枯山水・池泉・広庭からなる5000坪の大庭園です。5月は2万株のツツジ、1千本のシャクナゲが咲き、6月は1万株のアジサイ、7月はハス、さらに秋は紅葉の名所になり、四季を通じて美しい花模様を楽しめます。

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十八神社本殿

2017年12月22日 | 旅 歴史
 京都府宇治市菟道滋賀谷に三室戸寺(みむろとじ)があります。
 十八神社本殿は本堂の西側奥の階段を上った上に建てられています。三室戸寺の鎮守社として建てられたもので、十八神社の所有となっています。三間社流造り、こけら葺きで、室町時代後期の長享元年(1487)の建築です。大正12年(1923)に国の重要文化財に指定されています。
 十八神社はもともと三室村の産土神として奉られ、三室(御室)神社でした。三室戸寺の創建の際、本山の鎮守神として山王信仰にまつわる十五神を合祀して、十八神社と名を改めたそうです。

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三室戸寺鐘楼

2017年12月21日 | 旅 歴史
 京都府宇治市菟道滋賀谷に三室戸寺(みむろとじ)があります。
 三室戸寺の鐘楼は元禄2年(1689)に再建された建物です。間口1間、奥行1間、一重、切妻造り、本瓦葺きで、三室戸寺では最古の建物です(十八神社は所有が別)。鐘楼は京都府の有形文化財に指定されています。

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三室戸寺三重塔

2017年12月20日 | 旅 歴史
 京都府宇治市菟道滋賀谷に三室戸寺(みむろとじ)があります。
 三室戸寺の三重塔は元禄17年(1704)に建てられた3間三重塔婆です。本瓦葺きで、高さは16mあります。明治43年(1910)に兵庫県佐用郡三日月村(現・佐用町)の高蔵寺にあったものを、買い取って移築したものです。参道西方の丘の上に建てられましたが、その後、現在地の鐘楼の東隣りに移されています。三重塔は京都府の有形文化財に指定されています。

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三室戸寺阿弥陀堂

2017年12月19日 | 旅 歴史
 京都府宇治市菟道滋賀谷に三室戸寺(みむろとじ)があります。
 三室戸寺の阿弥陀堂は延享4年(1747)に建てられています。間口正面3間、背面2間、奥行2間、単層、寄棟造り、本瓦葺きの建物です。元々ここには親鸞の父・日野有範の墓があり、親鸞の娘覚信尼が墓上に阿弥陀堂を建て、菩提を弔いました。阿弥陀堂は京都府の有形文化財に登録されています。

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三室戸寺本堂

2017年12月18日 | 旅 歴史
 京都府宇治市菟道滋賀谷に三室戸寺(みむろとじ)があります。
 三室戸寺の本堂は法如和尚によって文化11年(1814)に再建された重厚な建物で、秘仏の金銅千手観音立像が安置されています。間口5間、奥行4間、二重、入母屋造り、桟瓦葺きで、正面に軒唐破風がある3間の向拝(銅板葺き)が付いています。本堂は京都府の有形文化財に指定されています。

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三室戸寺

2017年12月17日 | 旅 歴史
 京都府宇治市菟道滋賀谷に三室戸寺(みむろとじ)があります。
 明星山三室戸寺は三室戸山(明星山)中腹にある本山修験宗の別格本山です。西国三十三所観音霊場10番札所になっています。もとは天台宗寺門派(三井寺)に属し、宝亀年間(770-781)に光仁天皇の勅願により創建されたと伝えられています。
 宮中に奇瑞があり、光仁天皇の命で藤原犬養が調査しました。そして宇治川の支流志津川の上流岩滝で黄金の仏像を発見しました。光仁天皇はこの千手観音菩薩を安置し、大安寺の行表を開山として創建したのがこのお寺の始まりで、当初は御室戸寺と称したそうです。
  のちに光仁、花山、白河三帝の離宮になったため、御の字を「三」に替え、三室戸寺と改名したそうです。康和年間(1099-1104)に園城寺の修験僧・隆明(りゅうめい)によって中興され、文明11年(1479)、日野富子が宇治明神参拝の際、路次掃除のことで宇治の橋寺と争って堂塔を焼失しています。
 長享3年(1489)に再興されましたが、天正元年(1573)の槇島合戦で織田信長に焼かれました。信長と将軍足利義昭との合戦でしたが、寺が義昭に味方したため、寺領まで没収され、衰退しました。寛永16年(1639)、道晃法親王によってようやく復興されました。
 しかし江戸の中・後期には金蔵院と鐘楼が残っていたぐらいの悲惨な状態でした。 明和年間(1764-1772)忍興和尚が復興を計画しましたが果せず、文化11年(1814)の法如和尚の時に本堂が再建されました。大正7年(1918)に書院と茶室九窓亭が横浜三渓園に移築されています。

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源頼政墓

2017年12月16日 | 旅 歴史
 京都府宇治市宇治蓮華に平等院鳳凰堂があります。
 源頼政のお墓は最勝院にあります。頼政は平安時代末期の武将・歌人です。保元の乱、平治の乱で勝ち残り、平清盛からも信頼され、晩年には武士としては破格の従三位に叙せられたことから源三位(げんざんみ)と称されました。晩年、以仁王を奉じ諸国の源氏に平氏打倒の令旨を伝えました。平氏の追討を受け宇治平等院の戦いで敗れ自害しました。享年76歳でした。

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