北海道札幌市中央区中島公園日本庭園内にある八窓庵です。
八窓庵は江戸初期(1579~1647年頃)の茶人、小堀遠州が建築した茶室といわれています。居城であった江州(現在の滋賀県)小室郷小室城内の構内にあったそうです。
この茶室が中島公園内の日本庭園にあるのは、札幌市の持田謹也氏が大正8年(1919)にこれを買い受けたことに始まります。北4条西12丁目の同氏邸内に移された八窓庵は、同時に京都の岡田英齋により修理されたそうです。
その後他の人に譲られた後、札幌市に寄贈されたそうです。昭和11年(1936)には国宝、同25年には国指定重要文化財に指定され、昭和46年(1971)に札幌市の所有となり、現在の場所に移築されました。
切妻造り屋根の平屋建ての八窓庵は8ケ所の窓を配することにより、その名のついたといわれています。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
八窓庵は江戸初期(1579~1647年頃)の茶人、小堀遠州が建築した茶室といわれています。居城であった江州(現在の滋賀県)小室郷小室城内の構内にあったそうです。
この茶室が中島公園内の日本庭園にあるのは、札幌市の持田謹也氏が大正8年(1919)にこれを買い受けたことに始まります。北4条西12丁目の同氏邸内に移された八窓庵は、同時に京都の岡田英齋により修理されたそうです。
その後他の人に譲られた後、札幌市に寄贈されたそうです。昭和11年(1936)には国宝、同25年には国指定重要文化財に指定され、昭和46年(1971)に札幌市の所有となり、現在の場所に移築されました。
切妻造り屋根の平屋建ての八窓庵は8ケ所の窓を配することにより、その名のついたといわれています。
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北海道札幌市中央区にある豊平館です。
豊平館は明治13年(1880)開拓使が北海道開拓使直属の洋風のホテルとして建築したものです。開館は明治天皇北海道行幸の行在所となった明治14年8月30日だったそうです。それ以来、皇族や貴賓の宿泊所として利用されたそうです。
創建時には、大通西1丁目にありましたが、昭和33年(1958)都市の膨張と市民会館建設の必要性に迫られて現在の中島公園に移築されました。
昭和61年(1986)には老朽化と移築などで失われた創建時の姿を復元する修復工事が完了しました。館の白い外壁を縁取る美しいウルトラマリンブルーは、創建当初を再現したものだそうです。
昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されています。豊平館という名前は、札幌が北の都として豊かで平和に発展するようにとの願いを込め、豊平川の清流にちなんで名付けられたそうです。
下記のサイトにもお立ち寄りください!
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豊平館は明治13年(1880)開拓使が北海道開拓使直属の洋風のホテルとして建築したものです。開館は明治天皇北海道行幸の行在所となった明治14年8月30日だったそうです。それ以来、皇族や貴賓の宿泊所として利用されたそうです。
創建時には、大通西1丁目にありましたが、昭和33年(1958)都市の膨張と市民会館建設の必要性に迫られて現在の中島公園に移築されました。
昭和61年(1986)には老朽化と移築などで失われた創建時の姿を復元する修復工事が完了しました。館の白い外壁を縁取る美しいウルトラマリンブルーは、創建当初を再現したものだそうです。
昭和39年(1964)に国の重要文化財に指定されています。豊平館という名前は、札幌が北の都として豊かで平和に発展するようにとの願いを込め、豊平川の清流にちなんで名付けられたそうです。
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北海道札幌市北区にあるクラーク像の看板です。
「少年よ、大志を抱け (Boys, be ambitious)」の名言を残したクラーク博士の胸像が北海道大学校内にあります。初代クラーク像は大正15年(1926)に建立されましたが昭和18年の金属回収令によって献納され、現在のは2代目で昭和23年(1948)に加藤顕清によって監修され復元されています。
クラーク博士が去った後も、彼が説いたキリスト教精神は息づき、官立学校にも関わらず学生の間で「イエスを信ずる者の誓約」が行われ、この中から新渡戸稲造、内村鑑三などの戦前の代表的なクリスチャンを輩出したのです。
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「少年よ、大志を抱け (Boys, be ambitious)」の名言を残したクラーク博士の胸像が北海道大学校内にあります。初代クラーク像は大正15年(1926)に建立されましたが昭和18年の金属回収令によって献納され、現在のは2代目で昭和23年(1948)に加藤顕清によって監修され復元されています。
クラーク博士が去った後も、彼が説いたキリスト教精神は息づき、官立学校にも関わらず学生の間で「イエスを信ずる者の誓約」が行われ、この中から新渡戸稲造、内村鑑三などの戦前の代表的なクリスチャンを輩出したのです。
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北海道札幌市北区にある北海道大学です。
明治9年(1876)設立された札幌農学校が前身の国立総合大学です。初代教頭はあの有名なマサチューセッツ農科大学前学長のクラーク博士でした。
北海道大学の札幌キャンパスの広さは約176haといわれます。東京ドームの約40倍という広大な敷地です。学生は1万人を超えます。ポプラ並木は有名です。
武士道の名著で世界に紹介した新渡戸稲造、キリスト教無教会主義の創始者である内村鑑三、日本の植物病理学の基礎を築いた植物学者宮部金吾、白樺派の作家有島武郎などを輩出しています。
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明治9年(1876)設立された札幌農学校が前身の国立総合大学です。初代教頭はあの有名なマサチューセッツ農科大学前学長のクラーク博士でした。
北海道大学の札幌キャンパスの広さは約176haといわれます。東京ドームの約40倍という広大な敷地です。学生は1万人を超えます。ポプラ並木は有名です。
武士道の名著で世界に紹介した新渡戸稲造、キリスト教無教会主義の創始者である内村鑑三、日本の植物病理学の基礎を築いた植物学者宮部金吾、白樺派の作家有島武郎などを輩出しています。
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北海道札幌市中央区にある北海道庁旧本庁舎です。
明治2年(1879)北海道開拓使の設置に伴い政治の中枢として本庁舎が建築されました。その後焼失したため明治21年(1888)再建されました。これが現在ある建物です。
中央にそびえる八角塔は、明治6年(1873)に米人開拓使顧問ケプロンの計画によって建てられ、6年後に消失した開拓使札幌本庁舎の八角塔を模したものだそうです。
この設計は、平井晴次郎を主任とした道庁の技師が担当しました。アメリカ風ネオバロック様式のれんが造りの建物です。建築資材のれんが、硬石、木材などの多くは、道産品を使用しています。
赤レンガ庁舎の名で親しまれたこの建物は代表的な明治建築の洋館として、国の重要文化財に指定されています。新庁舎完成までの80年にわたり、北海道の拠点、道の中枢としての役割を果たしてきました。
北海道百年を記念して、昭和43年(1968)に創建当時の姿に復元したものだそうです。1階には道立文書館、2階には歴代の長官、知事の執務室があります。また庭園は100種、4500本の樹木が植えられています。夜はライトアップされています。
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明治2年(1879)北海道開拓使の設置に伴い政治の中枢として本庁舎が建築されました。その後焼失したため明治21年(1888)再建されました。これが現在ある建物です。
中央にそびえる八角塔は、明治6年(1873)に米人開拓使顧問ケプロンの計画によって建てられ、6年後に消失した開拓使札幌本庁舎の八角塔を模したものだそうです。
この設計は、平井晴次郎を主任とした道庁の技師が担当しました。アメリカ風ネオバロック様式のれんが造りの建物です。建築資材のれんが、硬石、木材などの多くは、道産品を使用しています。
赤レンガ庁舎の名で親しまれたこの建物は代表的な明治建築の洋館として、国の重要文化財に指定されています。新庁舎完成までの80年にわたり、北海道の拠点、道の中枢としての役割を果たしてきました。
北海道百年を記念して、昭和43年(1968)に創建当時の姿に復元したものだそうです。1階には道立文書館、2階には歴代の長官、知事の執務室があります。また庭園は100種、4500本の樹木が植えられています。夜はライトアップされています。
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北海道札幌市中央区にある時計台です。
時計台の名で市民に親しまれている札幌市時計台は北海道大学の前身である札幌農学校の演武場として明治11(1878)年10月に建築されました。
この建物は当時アメリカ中・西部で流行したバルーンフレーム構法と呼ばれる木造建築構造様式を取り入れた飾り気のない簡素な実用建築で我が国では珍しい建造物です。
時計塔には、米国ボストン市のハワード時計会社制作の時打重錘、振り子式四方塔時計(製造番号738)が設置されています。おもりは、豊平川で採石した玉石が使われているそうです。
明治14年(1881)8月12日の運転開始から当時の姿のままで時を刻み続けています。現存する塔時計としては日本最古のものだそうです。国の重要文化財にも指定されています。
時計塔の中の2階には、当時の演武場つまり体育館の様子が再現されています。正面の「演武場」の揮毫は岩倉具視によるものだそうです。札幌の街を歩いている時、鐘の音が聞こえてきました。
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この建物は当時アメリカ中・西部で流行したバルーンフレーム構法と呼ばれる木造建築構造様式を取り入れた飾り気のない簡素な実用建築で我が国では珍しい建造物です。
時計塔には、米国ボストン市のハワード時計会社制作の時打重錘、振り子式四方塔時計(製造番号738)が設置されています。おもりは、豊平川で採石した玉石が使われているそうです。
明治14年(1881)8月12日の運転開始から当時の姿のままで時を刻み続けています。現存する塔時計としては日本最古のものだそうです。国の重要文化財にも指定されています。
時計塔の中の2階には、当時の演武場つまり体育館の様子が再現されています。正面の「演武場」の揮毫は岩倉具視によるものだそうです。札幌の街を歩いている時、鐘の音が聞こえてきました。
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北海道札幌市中央区大通にある大通公園です。
幅65m、道路も含めると105mで長さ1.5kmのグリーンベルトです。この通りを境に南の条と北の条に分かれます。もともとは「火防線」と呼ばれる防火地帯で、碁盤目状の市街を整備する基準となっていました。
街路樹が植えられ芝生が敷かれた園内には噴水や花壇、様々な記念碑や詩碑、ブロンズ像などがあります。両サイドにはオフィスビルが立ち並んでいます。
冬にはさっぽろ雪祭りのメイン会場になります。会場からのテレビ中継などは必ずここで行われます。冬の夜のホワイトイルミネーションも素敵です。
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幅65m、道路も含めると105mで長さ1.5kmのグリーンベルトです。この通りを境に南の条と北の条に分かれます。もともとは「火防線」と呼ばれる防火地帯で、碁盤目状の市街を整備する基準となっていました。
街路樹が植えられ芝生が敷かれた園内には噴水や花壇、様々な記念碑や詩碑、ブロンズ像などがあります。両サイドにはオフィスビルが立ち並んでいます。
冬にはさっぽろ雪祭りのメイン会場になります。会場からのテレビ中継などは必ずここで行われます。冬の夜のホワイトイルミネーションも素敵です。
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