旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

伊弉諾神宮

2009年08月31日 | 旅 歴史
 兵庫県淡路市多賀にある伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)を紹介します。
 伊弉諾神宮は国生み神話の主人公である、伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の2神を祀る古社です。天照御大神(あまてらすおおみかみ)の両親にあたり、日本民族の大祖先神です。
 古事記、日本書紀には、国生みに始まるすべての神功を果たされた伊弉諾大神が、天照大御神に国家統治の大業を委譲し、最初にお生みになられた島、淡路の多賀の地にかくりの宮を構えて余生を過ごされ、その住居跡に神陵 (みささぎ)が営まれ最古の神社が創始されたとあります。
 古代には、淡路島神、津名神、多賀明神などと呼ばれていました。大同元年(806)に神封13戸が充てられ、貞観元年(859)、神位一品が授けられたそうです。延喜式神名帳には「淡路国津名郡 淡路伊佐奈伎神社」と記載され、名神大社に列しています。
 平安時代末期より淡路国一宮とされるようになり、一宮大神とも呼ばれるようになりました。明治4年(1871)に国幣中社に列格し、明治18年(1885)官幣大社に昇格しています。
 本殿は、檜皮葺、三間社流造向拝付で、棟に千木・鰹木を置き、前方の幣殿と連結して一屋根に造っています。明治12年(1879)の建立で、15年に後背の御陵地を造成して移築されたそうです。次いで前方に檜皮葺(現銅葺)入母屋造、桁行5間・梁間2間の舞殿を兼ねた拝殿を建立し、次いで表神門が建立されたそうです。
 正面の大鳥居は、先の大震災で倒壊しましたが神明鳥居としては高さ27尺の日本最大規模を誇る花崗岩製の石鳥居として再建されました。境内には、樹齢800年から900年と推定される県指定天然記念物の「夫婦の大楠」のほか、香木伝来の石碑があります。

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辰鼓楼

2009年08月31日 | 旅 歴史
 今日は兵庫県豊岡市出石町内町にある辰鼓楼(しんころう)を紹介します。
 辰鼓桜は旧三の丸大手門の一隅にあり、わずかに残る内堀とともに昔をしのばせてくれます。辰の刻(午前8時)に太鼓を打ち鳴らして藩士の登城を知らせた見張りやぐらのあった場所に建っています。
 現在の鼓楼は明治4年に作られたものだそうです。当時は太鼓で時を告げていたそうですが、明治14年からは大時計が寄与され、以後時計台として親しまれるようになったそうです。
  現在では三代目の時計が時を刻んでいます。出石のシンボルとして観光客を集めています。

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経王寺

2009年08月30日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町下谷にある経王寺です。
 出石は、街道口や要衝に多くの寺院を配置しています。高櫓を設け、塀に狭間を穿った寺院が見られます。経王寺は京街道の丹波口の守りです。戦の時に砦の役割をもっているのです。
 経王寺は宝永3年(1706)に信州上田から移封された仙石氏の菩提寺でした。山門の左手にある鐘楼は城の隅櫓のような形をしており、弓や鉄砲を打ち出す挟間(ざま)があいています。
 経王寺はもとは真言宗のお寺だったそうです。約430年前に、この地を布教のために回ってきた僧の強化を受けて日蓮宗に改宗したそうです。
 4代藩主仙石久行(ひさゆき) の墓や藩士の墓があります。山門を入ると、直ぐ左手に樹齢80年程度の沙羅の木があります。初夏には花が咲き、この世の無常を伝えます。


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宗鏡寺

2009年08月30日 | 旅 歴史
 今日は兵庫県豊岡市出石町東篠にある宗鏡寺(すきょうじ)を紹介します。
 出石の町の東方にある入佐山のふもとに臨済宗大徳寺派の宗鏡寺があります。山名氏の菩提寺として明徳3年(1392)山名氏清によって創立されました。
 寺名は氏清の法号、宗鏡寺殿から名付けられたといわれています。山名氏滅亡後、寺は荒廃してしまいます。元和2年(1616)沢庵和尚が来住し、出石城主小出吉英に再興をすすめ、援助を得て再興しました。
 小出吉英は小出吉政の嫡男です。吉政とその父小出秀政は関ヶ原の合戦で西軍についてしまいました。しかし二男の小出秀家は東軍方につき活躍しました。
 その功を持って、秀政、吉政も許され、但馬出石の6万石の旧領を安堵された経緯がありました。秀政の死後、小出吉英が和泉岸和田を継ぎ、出石領は吉英の弟、小出吉親が別家として継ぐことになりました。
 その後、岸和田藩宗家の小出吉英が、但馬出石に移され、吉親は、丹波園部へ移り、園部藩を作りました。但馬出石の宗家はその後、無嗣断絶してしまいますが、園部藩の小出家は幕末まで続いたそうです。
 小出家無嗣断絶後、藤井系松平氏の松平忠周(ただちか)が入りました。忠周は将軍綱吉の側用人に抜擢され従四位に任ぜられたほどの人物でした。 

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出石町立史料館

2009年08月29日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町宵田にある出石町立史料館です。
 旧福富家という町屋を出石町が譲り受け、出石史料館として公開しています。藩政時代の資料展示および建屋内の内部を見ることができます。
 この旧福富邸は明治期における但馬の商家の風情を今に伝えています。母屋、離れ、土蔵からなり極めて高度で贅沢な造りになっています。
 土蔵には三代お家騒動である仙石騒動の関係資料なども展示されています。旧福富邸は出石町の文化財にも指定されています。

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出石家老屋敷

2009年08月29日 | 旅 歴史
 今日は兵庫県豊岡市出石町内町にある出石家老屋敷を紹介します。
 江戸時代の三大お家騒動である仙石騒動の中心人物、仙石左京の屋敷があった場所だそうです。不意の襲撃に備えるための隠し二階があります。大名行列の諸道具などを展示した資料館として公開しています。


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出石神社

2009年08月28日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町宮内にある出石神社です。
 但馬一の宮といわれ、祭神は但馬の祖神、天日槍(あめのひぼこ)命と出石八前大神だそうです。
 天日槍は新羅の王子でしたが渡来して、当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと出石神社由来記には記されているということです。
 出石神社の創立ははっきりしませんが、奈良時代には山陰地方の有数の大社であったようです。
 拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつり、正面に身舎の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建物です。
 現在の社殿は大正3年に再建され、本殿は三間社流れ造りで南に面しています。

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西宮神社

2009年08月28日 | 旅 歴史
 兵庫県西宮市社家町にある西宮神社です。
 「えべっさん」の名で親しまれている福の神、釣り竿を片手に鯛を抱えてニコニコとふくよかなお顔の恵比寿さんを奉るえびす神社の総本社です。
 毎年正月の1月9日から11日まで行われる十日戎は有名です。宵戎・本戎・残り福この3日間には、全国から100万人以上の人が商売繁盛を願って参拝に訪れるそうです。
 西宮の町はこの恵比寿さんの門前町として開け、既に室町時代には「夷三郎殿の浜の市」として知られていたそうです。


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生田神社

2009年08月28日 | 旅 歴史
 今日は神戸市中央区下山手通にある生田神社を紹介します。
 神功皇后が新羅征伐の帰途に生田に女神を祀ったと日本書紀に記されているそうです。
 古代の神社の荘園を神戸(かんべ)と言い、生田神社の神戸がそのまま地名になったといわれています。
 緑豊かな楠の森に恵まれ「生田の森」として親しまれています。境内には、平敦盛が深く愛した「敦盛の萩」、梶原景季ゆかりの「箙の梅」「梶原の井戸」、武藏坊弁慶が義経の代拝として社参した際に奉納したとされる「弁慶の竹」などの源平ゆかりの史跡があります。

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播磨町郷土資料館

2009年08月27日 | 旅 歴史
 兵庫県加古郡播磨町大中にある播磨町郷土資料館です。
 大中遺跡から出土したものが展示されています。稲作農業がようやく根づいて生活が安定し、 階級の文化がはじまり、古代国家が形づくられようとする時代の社会や暮らしの ようすを知る上で非常に重要なものです。


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大中遺跡

2009年08月27日 | 旅 歴史
 今日は兵庫県加古郡播磨町大中にある大中遺跡を紹介します。
 大中遺跡は昭和37年(1962)、地元の考古学同好グループの中学生によって発見され、発掘調査が始まりました。その結果、さまざまな住居跡や生活に使った道具などが発見され、昭和42(1967)年に国の史跡に指定されました。
 播磨地方の中心を流れる加古川周辺は、古くから文化をはぐくみ栄えさせる条件を備えており、旧石器文化を始め、多くの遺跡を残しています。


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鶴林寺

2009年08月26日 | 旅 歴史
兵庫県加古川市加古川町北在家にある鶴林寺を紹介します。
 565年に、朝鮮から恵便という高僧が仏教を広めるため我が国へ来ました。 当時の我が国では、仏教をめぐって蘇我氏と物部氏が対立していました。物部氏は、兵を出して恵便をとらえようとしましたが恵便はあちこちと逃げた末現在の鶴林寺のあたりに潜みました。 
 聖徳太子は、恵便に仏教の教えを受けようとはるばるこの地を訪れ付近の住民が建てた「木の丸殿」という丸太造りの御殿で教えを受けたということです。太子が16歳(589年)になったとき、秦川勝に命じて精舎を建立し刀田山四天王寺聖霊院と名付けられたのが「鶴林寺」の始まりであると伝えられています。
 「播磨の法隆寺」と呼ばれる刀田山鶴林寺(かただやま かくりんじ)には堂塔16棟、国宝2、重要文化財18、県指定文化財10、市指定文化財16、計46件のほか、寺宝200余点があります。古くから「刀田の太子さん」と人々に親しまれ、鬼追い(1月8日)、太子会式(3月21日~23日)は 多くの人出でにぎわうということです。
 養老2年(718)、武蔵の大目「身人部春則」が太子の遺徳を顕彰するため、七堂伽藍を建立しました。そして、天永3年(1112)に寺号を「鶴林寺」と名を改めています。太子堂はこの年に建てられたようです。太子信仰が高まり鎌倉・室町時代には、寺坊は30数ヶ坊、寺領2万5千石もあったといわれています。信長、秀吉による宗教弾圧で疲弊し、続く江戸時代の政策で8カ坊、117石に激減、明治維新の排仏棄釈で宝生院、浄心院、真光院の3カ寺だけとなっています。 

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高砂神社

2009年08月26日 | 旅 歴史
 高砂市高砂町東宮町にある高砂神社です。
 高砂神社は、社伝によれば神功皇后が外征のとき、大己貴命(おおむなちのみこと)の神助を得て敵を平らげ、帰途この地に国家鎖護のために大己貴命を祭られたのが始まりだということです。
 「高砂やーこの浦舟に帆を上げてーー」で有名なおめでたい謡曲「高砂」で知られる由緒ある神社です。境内には縁結びの象徴として有名な「相生の松」があります。
 創建まもなく境内に生え出たのがこの相生の松だと伝えられています。根は一つで雄雌の幹が左右に分かれていたのでそれを見た人々が神木霊松などと称えていたところ、ある日、「尉と姥」の二神が現われて「我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げられました。この時より人々により「相生の霊松」と呼ばれるようになりました。この松を前にして結婚式を挙げるようになったそうです。
 姫路城主本田忠政は相生の松の枯死を惜しみ三代目相生の松を継植しました。大正13年に天然記念物に指定されましたが昭和12年松食い虫に冒され、その幹だけ相生古霊松舎に名残をとどめています。

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播磨国分寺跡

2009年08月26日 | 旅 歴史
 姫路市にある播磨国分寺跡です。
 1432(永享4)年の地震で大破しましたが修理され、天正年間に焼失しました。慶長年間に再建、そして再び焼失しました。寛永16年(1639)に城主松平忠明に菩提所となる建物が与えられました。塔礎石だけが17個完全なかたちで残されています。一辺のサイズが9.3mとなっているため、そこから推測すれば高さ60m前後の七重塔が建てられていたのではないかと見られています。


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姫路市立美術館

2009年08月25日 | 旅 歴史
 姫路市立美術館です。
白い白鷺城を背景にして対照的に建っている赤レンガ作りの建物が美術館です。このアンティークな建物は、明治38年に旧陸軍第10師団の兵器庫・被服庫として建設されました。
その後は姫路市役所として利用されていましたが、市庁舎の新築移転にともない昭和58年姫路美術館として生まれ変わりました。
 芝生の前庭には、ブルーデン作のモントーバンの戦士などの彫刻があり市民の憩いの場になっています。

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