旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

東大寺・大仏殿

2010年02月28日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市雑司町にある東大寺の大仏殿です。
 東大寺は聖武天皇の発願によって創建された華厳宗の大本山です。大仏殿は東大寺の金堂で、本尊で国宝の盧舎那仏(大仏)を祀っています。
 この大仏は基壇の周囲は70m、高さ15mで世界最大の金銅仏です。天平15年(743)聖武天皇により大仏造立の詔が発せられ、天平勝宝4年(752)に天竺(インド)出身の僧・菩提僊那(せんな)を導師として開眼供養が行なわれました。
 開眼供養には聖武上皇と光明皇太后、娘の孝謙天皇(安倍内親王)、大納言藤原仲麻呂、左大臣橘諸兄を始め文武百官が従い、良弁僧正を始め参列した僧呂は1万人を越えたそうです。そこで遷那が、極太の筆で、15mもある大仏に目を入れたそうです。
 大仏は治承4年(1180)平重衝の南都焼き打ちや、永禄10年(1567)松永久秀の兵火にかかり大改修されました。奈良時代当初のもので現存するものは台座の蓮弁7葉だけだそうです。
 大仏殿が完成したのは延暦8年(789)といわれています。正面の幅57.5m 奥行き50.5m、高さ57mという世界最大の木造建築物です。一尺(30cm)四方、長さ13尺(3m90cm)の柱がなんと2万7千本以上使われているそうです。
 大仏殿前には国宝の八角大燈籠があります。東大寺創建当初のもので、高さは4.6mあります。基壇、竿、火袋、笠、宝珠から成り、天平時代の工芸技術の粋を今に良く伝えています。


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東大寺・南大門

2010年02月27日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市雑司町にある東大寺の南大門です。
 東大寺は聖武天皇の発願によって創建された華厳宗の大本山です。国宝の南大門は東大寺の正門です。創建当初の門は応和2年(962)に台風で倒れ、正治元年(1199)に東大寺中興の祖である俊乗坊重源によって復興されたものです。
 重源が宋から伝えた天竺様という建築様式でたてられています。貫と呼ばれる、柱を貫通する水平材を多用して構造を堅固にしています。天井を張らずに構造材をそのまま見せています。
 東西5間、南北3間の重層入母屋造りで本瓦葺きの門です。直径1m、高さ24mの檜の円柱18本を立てた大楼門です。門内左右には国宝の金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重文)を安置しています。
 大仏殿に向かって左が口を開けた阿(あ)形の密迹金剛(みっしゃこんごう)で快慶の作、右が口を閉じた吽(うん)形の那羅延金剛(ならえんこんごう)で運慶の作です。建仁3年(1203)弟子9人と69日で完成させたそうです。



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東大寺

2010年02月26日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市雑司町にある東大寺です。
 東大寺は聖武天皇の発願によって創建された華厳宗の大本山です。天平13年(741)聖武天皇は国分寺建立の詔(みことのり)を発しました。
 若草山麓に創建された金鐘寺が東大寺の起源であるといわれています。東大寺は全国の総国分寺(大和の国分寺も兼ねました)として「金光明四天王護国之寺」(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)と称しました。
 12万坪という広大な寺域には国宝や国の重要文化財に指定されている建物が24棟点在しています。当時の建物は正倉院、転害門、手向山八幡宮だけで、多くは鎌倉時代や江戸時代に再建されたものです。
 「大仏さん」の寺として、古代から現代に至るまで広い信仰を集め、日本の文化に多大な影響を与えてきたお寺です。
 この奈良の大仏は天平15年(743)聖武天皇により大仏造立の詔は発せられ、天平勝宝4年(752)に天竺(インド)出身の僧・菩提僊那を導師として開眼供養が行なわれました。大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは延暦8年(789)といわれています。
 治承4年(1180)平重衝の南都焼き打ちで大半の堂塔を焼失、すぐに重源の勧進で復興しました。しかし永禄10年(1567)松永久秀の兵火にかかり再び伽藍が焼失しました。現在の伽藍は宝永6年(1709)に再建されたものが主になっています。
 東大寺では大仏創建に力のあった良弁、聖武天皇、行基、菩提僊那を「四聖(ししょう)」と呼んでいます。またこの東大寺は平成10年(1998)古都奈良の文化財の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されています。



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奈良公園シルクロード交流館

2010年02月25日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市雑司町にある奈良公園シルクロード交流館です。
 奈良公園シルクロード交流館は昭和63年に奈良公園および平城宮跡で開催されたなら・シルクロード博を記念して建てられた「奈良公園館」が前身です。平成16年(2004)一新して「奈良公園シルクロード交流館」になりました。
 仏教文化が花開いた奈良にふさわしい資料館です。シルクロードの歴史と文化に関する資料を展示しています。



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奈良県新公会堂

2010年02月24日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市春日野町にある奈良県新公会堂です。
 奈良県新公会堂は奈良県置県100年を記念して、昭和62年(1987)に建設されました。日本最大級の屋根面積をもつことから、ビッグルーフという愛称がついています。
 国際会議開催にも対応する4カ国語の同時通訳設備を備えた会議室やレセプションホール、能楽ホールなどを有しています。



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称名寺

2010年02月23日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市菖蒲池町にある称名寺です。
 称名寺はもともとは興福寺の別院で興北院と呼ばれていたそうです。文永2年(1265)興福寺の僧、專英と琳英、京都西山三鈷寺(さんこじ)の澄忍(ちょうにん)上人の三僧が、浄土宗の念仏の道場として創建したそうです。
 この寺は茶道の祖とされる村田珠光(じゅこう)ゆかりの寺として有名です。珠光は「独盧庵」(俗称珠光庵)を建て「陀び茶」の境地を開いたといわれ、今も多くの人が訪れています。
 本堂に安置されている本尊の木造釈迦如来坐像や木造阿弥陀如来坐像、薬師堂に安置されていた木造薬師如来立像(奈良国立博物館寄託)は平安時代の造立で国の重要文化財に指定されています。


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法華寺・本堂

2010年02月22日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市法華寺町にある法華寺・本堂です。
 秀頼と淀殿の寄進で再建された法華寺・本堂は寄棟造りで、本瓦葺きです。再建の際、地震で倒れた前身堂の部材を再利用しているそうです。堂内厨子には国宝の本尊・木造十一面観音像を安置しています。


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法華寺・「から風呂」

2010年02月21日 | 旅 歴史
奈良県奈良市法華寺町にある法華寺・「から風呂」です。
 重要有形民俗文化財に指定されている「から風呂」は光明皇后が千人の垢を自ら流したという伝説のある蒸し風呂です。千人目の病人の膿を皇后が吸うと患者は荘厳な阿しょく仏となって姿を消したそうです。


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法華寺

2010年02月21日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市法華寺町にある法華寺です。
 法華寺は光明宗の寺院で、大和三門跡に数えられる品格ある尼寺です。東大寺が全国の総国分寺であったのに対し、法華寺は総国分尼寺であり、正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といわれました。
 この地は、もとは藤原不比等の邸宅でした。不比等の没後、娘の光明子、すなわち光明皇后がここを皇后宮としたのでした。天平17年(745)この皇后宮を宮寺としたことから法華寺が生まれたのです。
 奈良時代の法華寺は東西両塔をもつ大寺院であったようです。平安京遷都以後は次第に衰微し、治承4年(1180)の平重衡の兵火などでかなり荒廃しました。
 鎌倉時代、東大寺大仏の再興を果たした僧・俊乗坊重源(しゅんじょうぼうちょうげん)によって、建仁3年(1203)、法華寺の堂宇、仏像が再建されました。そして鎌倉時代中期には真言律宗の僧・叡尊(えいそん)によって本格的な復興がなされたのです。
 しかし明応8年(1499)、永正3年(1506)の兵火や慶長元年(1596)の地震で東塔以外の建物を失いました。(東塔は宝永4年(1707年)の地震で倒壊したそうです)
 慶長6年(1601)、豊臣秀頼と淀殿が片桐且元を奉行として現在の本堂、鐘楼、南門を再建させました。これらは国の重要文化財に指定されています。


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平城宮跡

2010年02月20日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市佐紀町にある平城宮跡です。
 平城宮は平城京の中枢で天皇の住まいである内裏や、国家儀式を行なう大極殿、官庁街の朝堂院(ちょうどいん)などが広がっていました。
 平成9年(1997)、平城宮跡に朱雀門が復元されました。二重の屋根に朱色の柱、白壁といった装いの壮大な門です。これは、奈良国立文化財研究所によって当時の姿を忠実に再現したものです。
 元明天皇が藤原京から平城京へ遷都した和銅3年(710)から延暦3年(784)に桓武天皇が長岡京に遷都するまでの74年間が奈良時代です。
 唐の長安の都にならって造られたといわれ、大路を基盤の目のように整然と配し、東西4.3km南北4.8kmの広大な都を造り上げました。


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西大寺・四王堂

2010年02月19日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市西大寺芝町にある西大寺・四王堂です。
 四王堂は延宝2年(1674)に再建された堂宇です。四天王立像(重文)は称徳天皇発願の四天王像で足下の邪鬼のみ創建当時の物です。また平安時代後期の十一面観音立像(重文)も安置しています。


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西大寺・愛染堂

2010年02月16日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市西大寺芝町にある西大寺・愛染堂です。
 西大寺・愛染堂は、本堂の南西に立つ寝殿造の建築です。京都の近衛政所の御殿を宝暦12年(1762)に移築したものだそうです。秘仏の愛染明王坐像(重文)は宝治2年(1247)、仏師善円が作り、日本の愛染明王像の代表作になっています。


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西大寺・本堂

2010年02月15日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市西大寺芝町にある西大寺・本堂です。
 本堂は寄棟造、本瓦葺で、文化5年(1808)に再建されました。土壁を一切用いないで、装飾性の少ない伝統的な様式です。江戸時代後期の大規模仏堂建築の代表作として、国の重要文化財に指定されています。


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西大寺

2010年02月14日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市西大寺芝町にある西大寺です。
 西大寺は天平神護元年(765)、称徳天皇の勅願により東大寺に対する西の大寺として、常騰(じょうとう)を開山とし創建されました。
 称徳天皇は藤原仲麻呂の反乱の鎮圧や鎮護国家と平和祈願のため、7尺の金銅四天王像の造立を発願されました。この像は西大寺四王堂に今も安置されていますが創建当時のものは足元に踏みつけている邪鬼だけだということです。
 創建時の西大寺は薬師、弥勒の両金堂をはじめ東西両塔、四王堂院、十一面堂院など、実に百十数宇の堂舎が建ち並ぶ壮大な伽藍を持ち、南都七大寺の1つに数えられる大寺院だったそうです。
 承和13年(846)以後何度も火災にあい、創建当時の建物はほとんど焼失しました。鎌倉時代に興正菩薩叡尊(こうしょうぼさつえいそん)によって復興され、密・律兼修の根本道場として伽藍が整備されました。
 平安時代には、火災や台風で多くの堂塔が失われ、寺は興福寺の支配下に入っていました。文亀2年(1502)の火災で最も大きな被害を受け、現在の伽藍はすべて江戸時代以降建てられたものです。
 

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秋篠寺

2010年02月13日 | 旅 歴史
 奈良県奈良市秋篠町にある秋篠寺です。
 秋篠寺は宝亀11年(780)、光仁天皇の勅願によって善珠僧正が創建しました。秋篠宮家の名の由来ともなったこの寺は、奈良時代最後の勅願寺でもあります。
 創建当時は金堂、講堂、東西両塔をもつ大寺院でしたが、保延元年(1135)戦火のため伽藍の大部分を焼失しました。国宝の本堂は鎌倉時代にもとの講堂の跡に再興されました。
 本堂は屋根は寄棟造、本瓦葺きです。堂の周囲には縁などを設けず、内部は床を張らずに土間になっています。正面の柱間5間には格子戸や窓になっています。全体に簡素な構成で、鎌倉時代の再建でありながら奈良時代建築を思わせる様式の建物です。
 本堂には本尊薬師三尊像(重文)を中心に、十二神将像、地蔵菩薩立像(重文)、帝釈天立像(重文)、伎芸天立像(重文)などを安置しています。
 本堂に25体安置されている仏像の中でも特に著名なのが伎芸天立像です。諸技諸芸の守護神として多くの芸術家や芸能人らに慕われ、堀辰雄や会津八一などが足しげく通ったそうです。


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