京都府京都市南区九条町に東寺(教王護国寺)があります。
東寺は東寺真言宗の総本山のお寺で、現在の宗教法人名は教王護国寺です。延暦13年(794)、桓武天皇は平安京遷都を行い、都を鎮護する官立寺院として平安京の正門にあたる羅城門の東西に東寺と西寺という2つのお寺を配置しました。
2年後の延暦15年(796)、朱雀大路の羅城門の東に東寺が建立されました。西には西寺が建てられましたが、西寺は戦国時代の中頃に廃寺になったようです。東寺は弘仁14年(823)、嵯峨天皇から空海(弘法大師)に下賜され、真言密教の根本道場として現在に至っています。
空海は、入定後87年目の延喜21年(921)に醍醐天皇から「弘法大師」の称号が贈られています。天福元年(1233)には弘法大師像が完成しました。像の完成により、町の人々も供養に集まるようになり、「お大師様の寺」として皇族から庶民まで広く信仰を集めるようになりました。空海に深く帰依した後白河法皇の皇女・宣陽門院などは東寺に莫大な荘園を寄進しました。
空海が今も生きているがごとく、毎朝食事を捧げる儀式の「生身供」(しょうじんく)や、毎月21日の空海の命日に供養を行う「御影供」(みえく)などの儀式を創り上げたのも宣陽門院でした。これらの儀式は今日も御影堂などで行われています。中世以後、東寺は後宇多天皇や後醍醐天皇により援助を受け繁栄しました。
足利尊氏は東寺に本陣を置き新田義貞軍を防ぎ、室町時代の幕を開けました。織田信長も足利尊氏にならい本陣を置き、安土桃山時代が始まりました。信長の跡を継いだ豊臣秀吉は永禄6年(1563)の落雷で焼失した五重塔の再建に尽力しました。
豊臣秀頼は金堂の再建に援助し、徳川家光は寛永12年(1635)の落雷で焼失した五重塔を再建しています。長い歴史を経た現在でも、南大門・金堂・講堂・食堂が南から北へ一直線に整然と並ぶ伽藍配置や、各建物の規模は平安時代のまま現存しています。
東寺は昭和9年(1934)に国の史跡に指定され、金堂、講堂、五重塔、御影堂、蓮花門、観智院客殿は国宝に指定され、宝蔵、南大門、東大門、慶賀門、北大門、北総門、灌頂院、灌頂院北門と東門、五重小塔などは国の重要文化財に指定されています。
東寺の仏像・宝物類は、たび重なる兵火や災害を免れ、平安時代以降の彫刻・絵画・工芸。書跡にいたる各時代の名品を蔵し、密教美術の一大宝庫となっていて、日本美術史上重要な位置を占めています。東寺は平成6年(1994)には「古都京都の文化財」として世界遺産にも登録されています。
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