旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

行永家道具蔵

2017年07月31日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市小倉に行永家(ゆきながけ)住宅があります。
 行永家の道具蔵は江戸時代末期(1751-1829)に建てられています。土蔵造りで、間口5.9m、奥行3.9m、2階建て、切妻造り、東面に庇があり、桟瓦葺きです。主屋の南西、米蔵と味噌蔵の間にあります。平成15年(2003)に国の重要文化財に指定されています。

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http://www.ueda.ne.jp/~ogino/japan/


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行永家主屋

2017年07月30日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市小倉に行永家(ゆきながけ)住宅があります。
 行永家の主屋は文政8年(1825)に建てられています。間口18m、奥行9.9m、一部2階建て、入母屋造りで、四面に庇が付いています。西面の一部は葺きおろし、桟瓦葺きです。表門を入ってすぐの所にあります。昭和50年(1975)に国の重要文化財に指定されています。

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行永家住宅

2017年07月29日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市小倉に行永家(ゆきながけ)住宅があります。
 行永家住宅は舞鶴市の東、小倉川の谷筋に集落が散在する小倉地区にあります。行永家は元和年間(1615-1623)ここで農業を始め、天明年間(1781-1788)から旧小倉村の庄屋を務め、江戸時代末期には大庄屋になった家柄です。
 主屋は文政8年(1825)の建築で、丹後地方の江戸後期の民家として質が高く、平面形式の発展過程を知る上で貴重な建物です。庄屋という身分から武家との交流があるため、多くの部屋があり、格式が高い意匠が施されています。
 主屋を囲むように道具蔵、新蔵、味噌蔵、米蔵、木屋(離れ)などが建ち並んでおり、敷地も含めて国の重要文化財に指定されています。当主の行永氏は京都市に在住のため、昭和の日と勤労感謝の日の年に2日だけ一般公開をしています。

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松尾寺のイチョウ

2017年07月28日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 松尾寺のイチョウは昭和52年(1977)に舞鶴市の指定文化財にになっています。胸高囲5.2m、根廻り6mで、樹齢870年と推定されています。元永2年(1119)に鳥羽天皇のお手植えと伝えられています。

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松尾寺経蔵

2017年07月27日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 本堂前の石段を上がってすぐ左手に松尾寺の経蔵があります。享和2年(1802)に建てられた建物で、京都府指定文化財です。土蔵造りで、間口5.9m、奥行5.9mの宝形造り、桟瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。

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2017年07月27日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 本堂前の石段を上がってすぐ左手に松尾寺の経蔵があります。享和2年(1802)に建てられた建物で、京都府指定文化財です。土蔵造りで、間口5.9m、奥行5.9mの宝形造り、桟瓦葺きで、正面に1間の向拝が付けられています。

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松尾寺仁王門

2017年07月26日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 松尾寺の仁王門は江戸時代中期の享保15年から享和2年(1730-1802)の間に建てられたものといわれ、風格のあるどっしりとした建物です。三間一戸の八脚門で、入母屋造り、銅瓦葺きの建物です。「青葉山」の山号が掲げられています。仁王門は京都府指定文化財で、2体の金剛力士像は舞鶴市指定文化財です。

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松尾寺本堂

2017年07月25日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 松尾寺の本堂は享保15年(1730)、田辺藩主・牧野秀成が再建した建物です。天正9年(1581)に細川藤孝によって再建され、慶長7年(1602)には京極高知により修復されました。その後寛永7年(1630)、正徳6年(1716)の火災で被災しています。
 間口5間(9m)、奥行5間(9m)の二重の宝形造りで、正面に1間の向拝があり、軒唐破風(のきからはふ)が付いています。屋根は檜皮葺きの上を銅板で覆っています。堂内には凹形の外陣と、凸形の内陣があります。本堂は京都府指定文化財に指定されています。

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松尾寺

2017年07月24日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市松尾に松尾寺(まつのおでら)があります。
 青葉山(あおばさん)松尾寺は、真言宗醍醐派のお寺で、舞鶴市と福井県大飯郡高浜町との境にある青葉山の山腹に位置しています。西国33所観音霊場第29番札所で、本尊は秘仏・馬頭観音坐像です。
 唐の僧・威光上人が青葉山の松の大木の下で馬頭観音を感得し草庵に安置したそうです。和銅元年(708)元明天皇の勅願により青葉山山頂に奥の院が建てら、これが松尾寺の始まりと伝えられています。鳥羽天皇や、皇后の美福門院の帰依を受け、元永2年(1119)には行幸されています。
 七堂伽藍が整備され、盛時には末寺は65に及んだそうです。戦国時代、織田信長の丹後平定の際、兵火で全山灰燼に帰し、荒廃しました。天正9年(1581)に細川藤孝(幽斉)によってが再興されましたが、戦乱や火災のため再び荒廃します。
 慶長7年(1602)に田辺藩主・京極高知により修復され、以後、歴代藩主の京極家や牧野家から庇護されました。寛永7年(1630)、正徳6年(1716)の火災で被災しましたが、享保15年(1730)に牧野秀成により再興されています。
 松尾寺では毎年5月8日に行われる国重要無形民俗文化財の仏舞(ほとけまい)が有名です。大日如来・釈迦如来・阿弥陀如来の面をつけた舞は、奈良時代に唐から伝わり、宮廷舞楽が松尾寺に定着したものと思われます。当日は正午頃に舞が披露され近隣からの参詣者で賑わいます。
 松尾寺には藤原時代に造られた国宝の普賢延命菩薩像をはじめ多くの寺宝を所蔵しています。 木造孔雀明王像、阿弥陀如来坐像、絹本著色法華曼荼羅、絹本著色如意輪観音像、絹本著色終南山曼荼羅はいずれも鎌倉時代のもので国の重要文化財に指定されています。

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金剛院本堂

2017年07月23日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市鹿原に金剛院があります。
 金剛院の現在の本堂は天保11年(1840)に再建された建物です。間口5間、奥行4間、寄棟造り、鉄板葺きで、正面に唐破風がついた1間の向拝があります。京都府指定文化財に指定されています。石段から本堂に向かって左に懸崖造の拝殿の雲山閣があります。右には本堂の附指定の京都府指定文化財・鐘楼が建てられています。
 三島由紀夫の「金閣寺」の本堂の記述です。「石段の上には金剛院の本殿があり、そこから左へ斜めに渡殿が架せられ、神楽殿のような空御堂に通じている。その空御堂は空中にせり出し、清水の舞台を模して、組み合わされた多くの柱と横木が、崖の下からそれを支えているのである。」

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金剛院三重塔

2017年07月22日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市鹿原に金剛院があります。
 金剛院にある三重塔は室町時代後期(1467-1572)に再建された建物と推察されています。昭和25年(1950)に解体修理され、当初の姿に完全復元されました。方3間、こけら葺きの三重の塔婆です。
 三重塔の初重の内部は太い四天柱があり、来迎壁には室町風の花頭窓がついています。2、3層は三手先(みてさき)、二重繁垂木(しげだるき)の和様の造りです。軒の出が深く、趣があります。金剛院塔婆として大正6年(1917)に国の重要文化財に指定されています。

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金剛院

2017年07月21日 | 旅 歴史
 京都府舞鶴市鹿原に金剛院があります。
 鹿原山金剛院は真言宗東寺派のお寺で、寺号は慈恩寺です。舞鶴市の東部、志楽川支流・鹿原川の奥にあり、三島由紀夫の小説「金閣寺」の舞台となっています。寺伝によると天長6年(829)、平城天皇の第3皇子・高岳親王(たかおかしんのう)の創建と記されています。
 親王は嵯峨天皇の皇太子となりましたが、弘仁元年(810)薬子(くすこ)の変に連座して皇太子位を廃されました。空海の弟子となり、真如(しんにょ)法親王とも呼ばれました。貞観4年(862)、83歳の高齢で唐に渡り、さらにインドに向かう途中で客死したそうです。金剛院は親王がいなくなってからは荒廃しました。
 永保2年(1081)、白河天皇の勅願で、慈恩寺の名で、境内が整備され三重塔などが建立され再興されました。その時に、比叡山無動寺の相応和尚が造ったという不動明王像を勧請し、本尊が阿弥陀如来から波切不動尊になったそうです。
 久安2年(1146)鳥羽天皇の皇后・美福門院得子が御願寺として復興させました。室町時代には現在ある三重塔が再建され、田辺藩主でもあった細川藤孝(幽斎)・忠興などが庇護しました。藤孝は鶴亀の庭を作庭し「もみぢ葉の色をしかへて流るれば 浅くも見えず谷川の水」と詠んでいます。
 江戸時代に入ると歴代藩主である京極氏や牧野氏から庇護され寺領22石が安堵されました。現在は山腹に本堂、鐘楼、懸崖造の拝殿の雲山閣があり、山裾に室町期の国の重要文化財に指定されている三重塔があります。
 寺宝も多く所蔵しています。南北朝時代の絹本著色薬師十二神将像、平安時代の木造増長・多聞天立像、平安時代の木造阿弥陀如来座像、鎌倉時代の快慶が造った木造執金剛神立像と木造深沙(じんじゃ)大将立像、鎌倉時代の木造金剛力士立像(2体)など国の重要文化財に指定されています。

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田辺城跡井戸跡

2017年07月20日 | 旅 歴史
京都府舞鶴市南田辺に田辺城跡(舞鶴公園)があります。
 復元された本丸の井戸跡があります。背後の本丸石垣に半円形の凹みがあった場所を発掘調査によって見つけたもので、直径1.5m、深さ約0.9mの桶を転用した井戸でした。

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田辺城跡(舞鶴公園)

2017年07月19日 | 旅 歴史
京都府舞鶴市南田辺に田辺城跡(舞鶴公園)があります。
 田辺城は明治6年(1873)に廃城となり、本丸跡地が舞鶴公園として石垣と天守台を中心として整備されています。舞鶴の地名は、田辺城の別称である舞鶴城(ぶがくじょう)に由来しています。明治2年(1869)版籍奉還の際、紀伊田辺藩と同じ藩名解消のため太政官より指示があり舞鶴城に因んで舞鶴藩と改称したそうです。
 天正6年(1578)、織田信長の命によって細川藤孝(幽斎)は守護大名の一色義道を滅ぼし、丹後を制圧しました。宮津城を居城としましたが、交通の要所であったこの地に天正8年(1580)に田辺城を築きました。旧丹後守護所の八田という地名でしたが田辺と改めたのでした。
 本能寺の変の際は旧知の仲で親戚にもなっていた明智光秀に応じませんでした。その後、藤孝は忠興に家督を譲り、田辺城に隠居しました。慶長5年(1600)、徳川家康側の忠興は石田三成方の上杉討伐のため会津に向けて兵を動かしていました。留守を預った藤孝は、宮津城はじめ田辺以外の城をすへて自焼して田辺城に籠城しました。
 関ヶ原前哨戦であるこの戦いは田辺城籠城戦として有名です。田辺城に籠るわずか500の兵は、福知山城主小野木重勝や前田茂勝ら西軍・1万5千人に包囲されました。藤孝は古今相伝の箱に「古も今もかはらぬ世の中に心の種をのこす言の葉」と詠んで八条宮智仁親王の使者に献上しました。
 藤孝は古今和歌集の秘伝の唯一の継承者であったのです。2ヵ月後、後陽成天皇の勅命で和議が成立しました。田辺城は開城され、藤孝は前田茂勝の丹波亀山城に幽閉されました。関ヶ原の戦いで家康が勝利をおさめると藤孝は解放され、忠興は豊前中津39万9千石で転封となりました。
 田辺城には京極高知が12万3千石で入封。宮津城が再築され、本拠地が移り、慶長20年(1615)の一国一城令により田辺城は一時廃城となりました。高知は丹後国を宮津藩、田辺藩、峰山藩と3分割し、子供達に与えたため、次男・高三は3万5千石で田辺城に入り、城が復活しました。
 3代京極高盛が豊岡藩に移封になると牧野氏が攝津より3万5千石で入封しました。この時、田辺城も城門や石垣などを改修しています。以後、牧野家が10代、藩主を世襲し明治維新まで治めました。昭和15年(1940)に造られた二層櫓の彰古館、平成9年(1997)に復興された城門には田辺城資料館、天守台石塁などがあります。

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大村邸跡長屋門

2017年07月18日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字柳縄手に大村邸跡の長屋門があります。
 宮津市の柳縄手付近は慶長までは柳町といわれ藩政時代の武家屋敷があったところだそうです。大村邸はもと藩医小谷仙庵が住んだという邸宅です。
 仙庵の次男謙次郎は明治13年(1880)に帰郷開業して立憲政党に加盟したそうです。その後旧藩士大村政智が住んだようです。昭和61年(1986)100年間維持されてきた邸宅が焼失しましたがこの長屋門だけが免れたということです。


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