旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

大石神社

2014年12月31日 | 旅 歴史
  兵庫県赤穂市上仮屋に大石神社があります。
 大石神社は 大正元年(1912)、大石内蔵助良雄はじめ四十七義士と萱野三平を合祀して創建されました。
 境内には国指定史跡の大石良雄宅跡長屋門や庭園、義士ゆかりの武具・書画などを展示している義士宝物殿があります。大石内蔵助の愛刀「備前長船清光」(太刀)と「備前長船康光」(脇差)などがあります。
 義士木像奉安殿は、昭和28年(1953)、義士切腹から満250年の大祭記念に設立されています。
 大鳥居のある参道には、赤穂義士47士の石造が並んでいます。
 大石神社の境内には、国指定文化財でもある大石内蔵助邸の正門「大石邸長屋門」もあります。
  社殿は、忠臣蔵三百年祭事業の一環として、建て替えられています。
 また神門(義芳門)は、楠木正成を祀る神戸の湊川神社から昭和17年(1942)に移築したものだそうです。

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花岳寺梵鐘

2014年12月30日 | 旅 歴史
兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
 花岳寺の梵鐘は、2代藩主浅野長友が父長直のために鋳造したものです。義士切腹で大勢の人が梵鐘をつきまくったことから梵鐘からは音が出なくなり、「鳴らずの鐘」になったといわれています。

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大石なごりの松

2014年12月29日 | 旅 歴史
兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
 花岳寺の本堂の正面にある大きな松は、大石内蔵助が母親の松樹院が亡くなったときに相生村の裏山から移植したものです。浅野家断絶後、赤穂を発つときに、この松の下でなごりを惜しんだことから「大石なごりの松」といわれています。残念なことに、昭和2年(1927)に松喰い虫のため枯れ、現在の松は2代目です。

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花岳寺山門

2014年12月28日 | 旅 歴史
兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
 花岳寺の山門は、明治6年(1873)に廃城として撤去が決まった赤穂城の塩屋惣門だったものです。花岳寺第21代仙珪和尚が金6両で購入し移築したものであり、平成3年(1989)に赤穂市の文化財に指定されています。

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花岳寺

2014年12月27日 | 旅 歴史
 兵庫県赤穂市加里屋に花岳寺があります。
 台雲山花岳寺は曹洞宗のお寺です。赤穂藩祖浅野長直が常陸笠間藩から赤穂藩へ転封になった正保2年(1645)に父華嶽院と母台雲院の菩提寺として建立し、その法名から台雲山華嶽寺と称し浅野家の菩提寺としました。
 浅野長直のあとは長友、長矩(ながのり)が藩主になりました。元禄14年(1701)、長矩は、江戸城松の廊下で高家の吉良義央(よしなか)を切りつけ、即日切腹させられました。赤穂浅野家は取り潰しとなり、元禄15年(1702)12月14日、大石内蔵助ら赤穂浪士47士が主君の仇を討ちました。
 元禄16年(1703)2月4日、赤穂義士たちが切腹したとの報が赤穂に届くと、大勢の人が死を悼み悲しんで花岳寺に押し寄せました。そして寺の鐘をつきまくったといわれています。
  浅野家断絶の後、花岳寺は永井、森氏ら歴代藩主の菩提寺となりました。寺運は隆盛し、新西国33ヶ所霊場の第31番札所にもなり参拝客でにぎわいました。

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赤穂城

2014年12月26日 | 旅 歴史
 兵庫県赤穂市上仮屋に赤穂城があります。
 赤穂城になる前は室町時代に赤松満祐の一族岡豊前守が、天正年間には宇喜多秀家が陣屋を築いていました。刈谷城(加里屋城)と呼ばれていたそうです。関ヶ原合戦後は、姫路藩池田輝政の所領となりました。赤穂藩の始まりは元和元年(1615)池田輝政の5男池田政綱が2万5千石を与えられて入城してからです。しかし、正保2年(1645)政綱の後を継いだ池田輝興が発狂して妻女を殺害したため、赤穂池田氏は2代31年間で廃絶となりました。
 常陸笠間から浅野長直が5万3千5百石で入封し、慶安元年(1648)から13年間を費やして新城を築きました。築城に当たっては甲州流軍学者の近藤正純、山鹿流の兵法者として有名な大石蔵内助の師匠、山鹿素行も関わったそうです。
 浅野長直・長友・長矩(ながのり)と続き、元禄14年(1701)に浅野長矩は、江戸城松の廊下で高家の吉良義央(よしなか)に刃傷に及び、即日切腹させられました。そして赤穂浅野家は取り潰しとなったのです。元禄15年(1702)12月14日、大石内蔵助を首領とする赤穂浪士四十七士が吉良邸に討ち入り、主君の仇を討ちました。これは単なる仇討ちだけではなく、幕府の政道を問う歴史的大事件でもありました。
 討ち入りから浪士の人数である47年目に仮名手本忠臣蔵が大坂の竹本座で初演されました。以後、赤穂浪士事件は「忠臣蔵」と呼ばれるようになったそうです。
 浅野家取り潰し後の赤穂城は下野国烏山(栃木県)から永井直敬が3万3000石で入封しました。4年後森長直と替わり以後代々森氏2万石の居城となり11代で明治維新を迎えたということです。

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永富家籾納屋

2014年12月25日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 永富家の籾納屋(もみなや)は長屋門の西に接しています。西端は入母屋造り、東端は切妻造りの本瓦葺きです。収穫した稲は籾(もみ)のついたままこの納屋に入れ、脱穀のあと米蔵に運んだそうです。現在は道具館として、かって農村で使われていた生活用具を陳列しています。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家大蔵

2014年12月24日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 敷地の南西にある永富家の大蔵は文久元年(1861)に建てられています。間口9.6m、奥行5.8mの2階建ての土蔵造りで、屋根は切妻造りの妻入で本瓦葺きです。建築面積は55.68平方m(16.87坪)で、待蔵、西蔵とも呼ばれたそうです。花嫁の嫁入り道具を格納するために建てられたそうです。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家味噌蔵

2014年12月23日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 永富家の味噌蔵は北側にあり内蔵の隣にあります。内蔵とともに敷地内では一番古い蔵で、文化3年(1806)以前に完成しています。建築面積は20平方m(6.06坪)の2階建て土蔵造りです。屋根は切妻造り、本瓦葺きです。味噌、醤油、漬物などの貯蔵蔵だったそうです。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家内蔵

2014年12月22日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 永富家の内蔵は北側の味噌蔵の隣にあります。文化3年(1806)以前に建てられていて、敷地内では味噌蔵とともに一番古い蔵です。間口6m、奥行き4m、建築面積24平方m(7.27坪)の2階建て土蔵造りです。屋根は切妻造り、本瓦葺きです。金銀、装飾品、絵画、軸など高価なものを収蔵していた蔵であったようです。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家乾蔵

2014年12月21日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 北東の角にある永富家の乾蔵は道具などをしまっておいた蔵だったようです。建築年代ははっきりしませんが文化14年(1817)という説もあります。間口7m、奥行4.1m、建築面積は28.7平方m(8.7坪)の2階建てで、土蔵造りです。屋根は切妻造り、本瓦葺きです。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家東蔵

2014年12月20日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 主屋の東側に東蔵があります。建築年代ははっきりしませんが江戸後期(1751-1829)に建てられたと推察されています。間口5m、奥行き4m、建築面積は20平方m(6.06坪)の2階建てで、土蔵造りです。屋根は切妻造りで、本瓦葺きです。穀物の貯蔵蔵だったそうです。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家長屋門

2014年12月19日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 永富家の長屋門は江戸後期の文化5年(1808)に建てられました。間口13.3m、奥行4.0m、東端入母屋造りで、西端は籾納屋に接続しています。本瓦葺きで建築面積は134.62平方mと立派な門です。門の両脇には供待部屋が設けられています。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家住宅主屋

2014年12月18日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 永富家の主屋は江戸後期の文政2年(1819)から文政5年(1822)にかけて建立されました。間口26.1m奥行18.1m、一部2階で、入母屋造りの、本瓦葺きです。2階建ての西北突出部も入母屋造りの本瓦葺きです。播州平野における江戸末期豪農の家を現在まで伝えている建物です。
 正面の大戸口は家人の使う入口です。左側入った沓脱ぎ石のあるところが主人と来客の玄関です。そして式台がある大玄関もあります。代々の藩主が領内視察の際に立ち寄るために、格式ある式台がつけられているのです。中には上段の間、上中下座敷、鞘(さや)の間、仏間、台所など23もの部屋と土間があります。
 昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されています。

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永富家住宅

2014年12月17日 | 旅 歴史
 兵庫県たつの市揖保川町新在家に永富家住宅があります。
 永富家住宅は揖保川下流域西部の、たつの市揖保川町新在家にあります。広い屋敷の敷地面積は2670平方m(807坪)で、主屋、長屋門、籾納屋(もみなや)、大蔵、乾蔵、内蔵、味噌蔵、東蔵の8棟が建てられています。
 これらの全ての建物が昭和39年(1964)に兵庫県の重要文化財に指定され、昭和42年(1967)には国の重要文化財に指定されました。また、文政3年(1820)の建築当時の板絵図と永富家住宅普請帳13冊も当時の建築を知る上で貴重な資料として、昭和46年(1971)に国の重要文化財に追加指定されています。
 永富家は龍野藩内にあった揖保川町付近の大地主で、藩から在郷家臣の待遇を与えられていました。伊賀の武士の出といわれ、関ヶ原の戦い頃の慶長5年(1600)には、この地に居住していたそうです。
 寛文12年(1672)龍野藩主に脇坂家がなると、信頼重用され、寛保2年(1742)には庄屋を務め、文化9年(1812)には龍野藩の御用金の用立てに尽力したことから、苗字帯刀を許されています。
 永富家は藩から家臣並の特別待遇を受け、殿様が立ち寄ることもあったため、建物には身分の高い武家屋敷のように上段の間や玄関がついています。
 かつては、脇坂家より拝領した不紊庵および夕可庵という茶室や、米蔵、厩舎、納屋、離れ座敷などもあったそうですが、老朽化のために昭和37年(1962年)に壊されたそうです。
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