旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

宗鏡寺

2014年10月31日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町東篠に宗鏡寺があります。
 出石の町の東方にある入佐山のふもとに臨済宗大徳寺派の宗鏡寺(すきょうじ)があります。山名氏の菩提寺として明徳3年(1392)山名氏清によって創立されました。寺名は氏清の法号、宗鏡寺殿から名付けられたといわれています。
 山名氏滅亡後、寺は荒廃してしまいます。元和2年(1616)沢庵和尚が来住し、出石城主小出吉英に再興をすすめ、援助を得て再興しました。吉英は小出吉政の嫡男です。吉政とその父小出秀政は関ヶ原の合戦で西軍についてしまいました。
 しかし二男の小出秀家は東軍方につき活躍しました。その功を持って、秀政、吉政も許され、但馬出石の6万石の旧領を安堵された経緯がありました。秀政の死後、小出吉英が和泉岸和田を継ぎ、出石領は吉英の弟、小出吉親が別家として継ぐことになりました。
 その後、岸和田藩宗家の小出吉英が、但馬出石に移され、吉親は、丹波園部へ移り、園部藩を作りました。但馬出石の宗家はその後、無嗣断絶してしまいますが、園部藩の小出家は幕末まで続いたそうです。小出家無嗣断絶後、藤井系松平氏の松平忠周(ただちか)が入りました。
 忠周は将軍綱吉の側用人に抜擢され従四位に任ぜられたほどの人物でした。宝永3年(1706)正月28日、松平忠周は信濃上田5万8千石の上田藩へ転封を命ぜられました。忠周は享保2年(1717)には京都所司代、同9年(1724)には老中に任ぜられた有用な人物でした。
 出石へは上田藩の仙石政明が入りました。松平氏と仙石氏は、その領地を交換したわけです。松平氏は明治まで続きましたが仙石氏は幕末近くに仙石騒動を起こしてしまいました。
 藩財政の逼迫で筆頭家老の仙石左京は改革産業振興策を、もう一人の家老仙石造酒は、質素倹約の保守政策をと対立しました。6代藩主仙石政美(まさみつ)は左京の政策を支持し左京は強引な改革を推進したのです。
 政美が嗣子なくして没すると 仙石久利が跡継ぎに決しました。反左京派は左京の行動が穏当を欠くとして糾弾、左京は失脚、仙石造酒が政権につきました。しかし派内で自滅し、再び左京が政権に返り咲きます。 
 反左京派はおさまらず、左京が自分の子を藩主にさせるため、藩主久利の暗殺を計画しているなどと誹謗中傷を繰り返したため幕府の耳に入ってしまいます。仙石左京は獄門、出石藩も3万石にさせられてしまったのです。

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辰鼓楼

2014年10月30日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町内町に辰鼓楼があります。
 辰鼓桜は旧三の丸大手門の一隅にあり、わずかに残る内堀とともに昔をしのばせてくれます。辰の刻(午前8時)に太鼓を打ち鳴らして藩士の登城を知らせた見張りやぐらのあった場所に建っています。
 現在の鼓楼は明治4年に作られたものだそうです。当時は太鼓で時を告げていたそうですが、明治14年からは大時計が寄与され、以後時計台として親しまれるようになったそうです。
  現在では三代目の時計が時を刻んでいます。出石のシンボルとして観光客を集めています。

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経王寺

2014年10月29日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町下谷に経王寺があります。
 出石は、街道口や要衝に多くの寺院を配置しています。高櫓を設け、塀に狭間を穿った寺院が見られます。経王寺は京街道の丹波口の守りです。戦の時に砦の役割をもっているのです。
 経王寺は宝永3年(1706)に信州上田から移封された仙石氏の菩提寺でした。山門の左手にある鐘楼は城の隅櫓のような形をしており、弓や鉄砲を打ち出す挟間(ざま)があいています。
 経王寺はもとは真言宗のお寺だったそうです。約430年前に、この地を布教のために回ってきた僧の強化を受けて日蓮宗に改宗したそうです。
 4代藩主仙石久行(ひさゆき) の墓や藩士の墓があります。山門を入ると、直ぐ左手に樹齢80年程度の沙羅の木があります。初夏には花が咲き、この世の無常を伝えます。

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出石城

2014年10月28日 | 旅 歴史
兵庫県豊岡市出石町内町に出石城があります。
 出石城は、慶長4年(1604)に小出吉英が町の南側にある有子山(ありこやま)の山すそに築きました。山名氏城跡の一部で国の文化財に指定されています。
 出石城の登城門です。本丸跡の角櫓も復元されたものです。旧本丸、二の丸、三の丸の石垣が当時を偲ばせます。
 有子山の山頂には天正2年(1574)山名氏政が築城した高城跡があり、山麓には小出吉英が築いた平山城が明治まで存続していたそうです。
 山名祐豊(すけとよ)は織田方の羽柴秀吉軍に攻められ此隅山城は落城しました。城を移して「有子」と名付けたそうです。「子盗」(此隅)という名を嫌って縁起を担いだようです。
 天正8年(1580)秀吉の弟秀長により有子山城も落城し因幡に敗走し、織田方の管理になり、ふもとに出石城が築城され有子山城は廃城になったようです。
 城址には昭和43年に再建された東西隅櫓や157段の石段を上ったところにある有子山稲荷神社、仙石氏の藩祖で石川五右衛門を捕らえた豪傑として知られる仙石権兵衛秀久を祀る感応殿などがあります。
 仙石秀久は秀吉の四国征伐の際には秀吉軍の総大将羽柴秀長と共に数々の城を攻略し、讃岐10万石を拝領しました。九州征伐で失策し真っ先に逃げた為、秀吉の怒りを買い、所領を没収され高野山に謹慎させられました。
 小田原の役の時に徳川家康を頼って参陣、甲冑に鈴をつけて走り回り秀吉の許しを得、信濃小諸城5万石となり、名誉を回復したそうです。

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出石神社拝殿

2014年10月26日 | 旅 歴史
 兵庫県豊岡市出石町宮内に出石神社があります。
 出石神社の拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸をつっています。正面に身舎の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建物です。

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出石神社

2014年10月22日 | 旅 歴史
兵庫県豊岡市出石町宮内に出石神社があります。
 出石神社は但馬一の宮といわれ、祭神に但馬の祖神、天日槍(あめのひぼこ)命と出石八前大神を祀っています。天日槍は新羅の王子でしたが渡来して、当時入江湖であった但馬地方を瀬戸の岩戸を切り開いて耕地にしたと出石神社由来記に記されています。
 出石神社の創立ははっきりしませんが、奈良時代には山陰地方の有数の大社であったようです。貞観3年(861)には神階正五位上を賜り、延喜式では名神大社に列しています。
 正平6年(1351)には後村上天皇の勅願所となりました。歴代出石藩主から崇敬され、小出、仙石家は社殿を造営しました。神域は2万平方mもあり、社格にふさわしい荘厳な雰囲気を漂わせています。

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豊岡市立出石史料館

2014年10月22日 | 旅 歴史
兵庫県豊岡市出石町宵田に豊岡市立出石史料館があります。
 旧福富家という町屋を出石町が譲り受け、出石史料館として公開しています。藩政時代の資料展示および建屋内の内部を見ることができます。
 この旧福富邸は明治期における但馬の商家の風情を今に伝えています。母屋、離れ、土蔵からなり極めて高度で贅沢な造りになっています。
 土蔵には三代お家騒動である仙石騒動の関係資料なども展示されています。旧福富邸は豊岡市の文化財にも指定されています。

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出石家老屋敷

2014年10月21日 | 旅 歴史
兵庫県豊岡市出石町内町に出石家老屋敷があります。
 江戸時代の三大お家騒動である仙石騒動の中心人物、仙石左京の屋敷があった場所だそうです。不意の襲撃に備えるための隠し二階があります。大名行列の諸道具などを展示した資料館として公開しています。

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対面所跡

2014年10月20日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市丸の内に林原美術館があります。
 林原美術館には岡山藩主が家臣などを引見した対面所の跡が残されています。文政13年(1830)、建物は除かれてあらたに御殿が作られたそうです。


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林原美術館

2014年10月19日 | 旅 歴史
  岡山県岡山市丸の内に林原美術館があります。
 昭和39年(1964)地元企業、林原の前社長で東洋古美術の熱心な収集家でもあった故林原一郎氏の意志を継いで林原美術館は開館しました。
 所蔵作品は備前藩主池田家伝来の武具甲冑や蒔絵、能装束や刀剣、陶磁など約1万点もあり、国宝・重要文化財も含まれています。
 美術館入口になっているこの長屋門は江戸末期に建てられた生坂支藩の岡山屋敷の門で明治以降に移築されたものです。

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岡山県立博物館

2014年10月18日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市天神町にある岡山県立博物館です。
 岡山のカルチャーゾーンの中心、後楽園の入城口の反対側に岡山城をイメージしたモダンな建物が建っています。ここが岡山県立美術館です。
 建物の外観には万成石と有田焼が使われているそうです。館内には宮本武蔵の書画がありました。
 雪舟や小野竹喬、浦上玉堂、平櫛田中ら郷土ゆかりの芸術家の作品、約2000点を収蔵しているそうです。
 入口近くには児島半島北東部の八幡大塚から出土した石棺や山陽町の朱千駄古墳から出土した石棺が展示されています。

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岡山市立オリエント美術館

2014年10月17日 | 旅 歴史
 岡山県岡山市天神町に岡山市立オリエント美術館があります。
 岡山市立オリエント美術館は古代イラクの神殿を思わせる白亜の建物です。新石器時代から中世にかけてのイラン・イラク・シリアなどの出土品・美術品4200点を収蔵しています。
 学校法人岡山学園から、オリエントの美術品1947点が寄贈されたのを機に建設されたそうです。
 平成16年(2004)、開館25周年記念事業の一環としてアッシリア・レリーフ「有翼鷲頭精霊像」を収蔵したそうです。メソポタミアを初めて統一したアッシリアの芸術の名品です。
 館内には巨大なロゼッタ・ストーンのレプリカなどもあります。学術的に系統だった収集がなされているのが特徴です。メソポタミア文明に源を発し、イスラム帝国に至るオリエント文化に浸れます。

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西大寺牛玉所殿

2014年10月16日 | 旅 歴史
 西大寺の牛玉所殿(ごおうしょでん) は吉井川沿いにあります。拝殿・本殿・奥殿と分かれる神仏習合の鎮守堂で、明治13年(1880)に再建され平成22年(2010)に大修復を終えています。複合社殿で、本殿には楼閣を乗せ、軒垂木部分では国内でも唯一の構造を持つなど、極めて珍しいお堂です。奥殿には一山の守護神である牛玉所(ごおうしょ)大権現が祀られています。
 ここのある不動明王と毘沙門天は、四国・讃岐の 金毘羅(こんぴら) さんに祀られていた仏像です。明治の廃仏毀釈による打ち壊しを逃れここに祀られています。会陽の時、垢離取場で身を清め、本堂で祈願した後、ここ牛玉所権現に参拝します。

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西大寺垢離取場

2014年10月15日 | 旅 歴史
 西大寺の垢離取場(こりとりば)は石門の南にあります。正面には石で造った観音像を置き、そこから噴水が出るようになっています。観音像の前には浄水を溜める池があり、会陽に参加する裸群は宝木の争奪戦に参加する前、必ずこの浄水に入って身を清めます。垢離をとって斎戒沐浴し、大願成就を念じるのです。

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西大寺観音院石門

2014年10月14日 | 旅 歴史
岡山県岡山市西大寺中に西大寺観音院があります。
 西大寺の石門は文政2年(1819)に建立されました。門の下半分が石で造られているので石門というそうです。会陽の時に身を清める垢離取場にかかる門で、礎の内側には寄進者の名が刻まれています。これは頼山陽が筆で書いたものを彫ったものだそうです。扁額には「龍鐘楼」と書かれています。開山した安隆上人が竜宮の龍神から授かった鐘を置いてあるという意味があります。

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