旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

西光寺

2022年07月31日 | 旅 歴史


 長野県上田市富士山(ふじやま)に西光寺(さいこうじ)があります。
 松本山西光寺は真言宗智山派のお寺です。真言宗の開祖である空海(弘法大師)が大日如来と阿弥陀如来の仏像を彫って、小堂を建てたのが始まりといわれています。塩田城主となった北条国時が崇高な光が、この2体の仏像を祀った小祠から出ている事を突きとめました。
 そして、正応4年(1291)に北条氏が開基となり、足利市の足利鶏足(けいそく)寺の実勝和尚を招き、開山したそうです。そして小祠の大日如来を移し西光寺の本尊にしました。武田信玄の庇護を受け繁栄しました。その後、江戸時代の延宝6年(1678)、西光寺は前山寺の末寺となりました。
 享保元年(1716)に本堂が再建され、宝暦6年(1756)には山門である鐘楼門が建てられています。弘化3年(1846)、本堂と庫裡などが火災のため焼失してしまいました。阿弥陀堂と山門は幸い難を逃れたそうです。
 寺宝の紙本墨書武田信玄朱印状が残されています。元亀元年(1570)、西光寺が武田信玄に鎖張(仏具)を進上したことに対し、信玄の家臣・三枝勘解由左衛門尉が西光寺に信玄からの褒美を与えた事が記されています。この朱印状は昭和55年(1980)に上田市の指定文化財になっています。

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寒松院の墓

2022年07月30日 | 旅 歴史

 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 大輪寺の東側の高台に寒松院の墓が建てられています。真田昌幸の夫人で、長男信之(のぶゆき)、次男の幸村こと信繁(のぶしけ)の生母になります。信濃守護小笠原家家臣・宇多頼忠の娘とか、武田家家臣・遠山右馬助の娘とか、公卿の今出川春季の養女とか、公家の正親町氏の関係する娘とか、諸説あります。
 永禄7年(1564)頃、武田信玄の養女となり、武藤喜兵衛(後の真田昌幸)に嫁ぎました。その後、長男信幸(後の信之)と共に武田家に送られ、天正10年(1582)の頃は甲斐の新府城、関ヶ原の戦い直前には大阪城に人質と送られました。慶長18年(1613)に死去、戒名は「寒松院殿宝月妙鑑大姉」です。

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大輪寺本堂

2022年07月29日 | 旅 歴史

 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 大輪寺の本堂は宝永2年(1705)に再建された大きな堂宇です。間口9間、入母屋造り、桟瓦葺きで、山門と同様に真田家が善光寺を修復した際の木材を使って建てられたといわれています。大棟には真田家の六文銭が飾られています。

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大輪寺山門

2022年07月28日 | 旅 歴史

 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 大輪寺の立派な山門は上田では最大です。入母屋造り、桟瓦葺きの、一間一戸の楼門形式です。楼門上には十六羅漢が安置されているそうです。松代に移封された真田家が善光寺修理の際に一緒に材料調達し、建てたものといわれています。
 山門を中心に手前には左右に大きな池があり、山門の左右は回廊がめぐらされています。上田城の支城としての機能も有し、いざという時には城郭として守れる造りになっているのです。

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大輪寺中門

2022年07月27日 | 旅 歴史

 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 老杉の間に200年前に造営されたという大輪寺の中門があります。「天照山」という山号額は松代藩8代の真田幸貫藩主が書いたものだそうです。

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大輪寺

2022年07月26日 | 旅 歴史

 長野県上田市中央北に大輪寺(だいりんじ)があります。
 天照山大輪寺は曹洞宗のお寺です。創建ははっきりしませんが、昔は真田方面にある戸石城のふもとの畑山にあったといわれています。
 真田昌幸が上田築城の時、夫人の寒松院(法号)の発願により、上田城の鬼門にあたる現在地に再建されました。生前の寒松院は山手殿とか京の御前と呼ばれ、昌幸の3回忌に自害したと伝えられています。大輪寺には寒松院の墓があります。
 真田家が松代に移封されたあとは一時衰退したようです。仙石上田藩3代藩主・仙石政明が貞享元年(1684)、仙石忠政(法光院殿天庵宗智大禅定門神儀)の位牌を収めた事で位牌所となり、毎年籾を10俵支給され再興したそうです。

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毘沙門堂

2022年07月25日 | 旅 歴史

長野県上田市常田に毘沙門堂があります。
 四天王の1神多聞天は独尊として信仰されると毘沙門天となるそうです。毘沙門天が祀られている所が毘沙門堂です。
 信州大学繊維学部付近にこの小さな毘沙門堂があります。ここを有名にした人は活文(かつもん)禅師です。
 活文禅師は松代藩士の子として生まれ、10才の時、長和町の信定寺に入り得度したそうです。25才の時に長崎へ遊学し書や清の言葉などを習得したそうです。
  江戸に出た後、文化4年(1805)信定寺に戻り、住職になったそうです。14年後、上田の龍洞院の住職になりました。文政12年(1829)住職をやめていた禅師はこの毘沙門堂に移りました。
 門下生の中には佐久間象山、赤松小三郎など多くの進取の若者がいました。象山、小布施の豪商・高井鴻山、山寺常山は活文門下の三山とうたわれたそうです。

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八幡社拝殿

2022年07月24日 | 旅 歴史

 長野県上田市中央西(紺屋町)に八幡社があります。
 八幡社の拝殿には高さ102cm、横160cmの白黒一対の鷹の大絵馬が奉納されています。これは上田藩主であった仙石政明が献上した絵馬で東信地方では最も大きいものといわれています。
 黒鷹の絵馬は滝を背景に岩上から獲物を狙っており、白鷹の絵馬は松の大樹の枝に舞い降りてあたりを警戒しつつ翼を納めようとする様子が描かれているとのことです。
 貞享5年(1668)の頃の作ということで、東信地方では最古の絵馬だといわれ、雪舟の流れを汲む長谷川信舟が描いたといわれています。この絵馬は昭和60年(1985)に上田市の有形文化財に指定されています。

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八幡社

2022年07月23日 | 旅 歴史

 長野県上田市中央西(紺屋町)に八幡社があります。
 八幡社は上田城鎮護のため、真田昌幸が海野郷(東御市)から移して建立した神社だといわれています。
 真田氏のあとも仙石氏、松平氏の崇敬篤く、藩主自ら参拝したようです。弓矢の神を崇めて毎年正月3日に射初式が行われました。
 見事、的に当てた者は14日の宵祭りと翌15日未明にその的と矢を奉納したそうです。この儀式を幕末まで続けられました。
 干ばつの年には科野大宮社、大星神社を含めた3社合同で雨乞い祈願をしたそうです。

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科野大宮社御神木

2022年07月22日 | 旅 歴史

 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 御神木のケヤキの木は江戸時代の旅行案内絵図で上田を描いた場面には必ず登場したそうです。枯れた御神木を惜しんで元禄5年(1692)仙石氏が屋根を掛け、宝永7年(1710)には松平氏が掛け直したそうです。記録によると、樹の勢いが盛んな頃は朝日が昇る時、木の影は千曲川の川原まで達し、夕日が沈む時には国分寺にまで及んだという伝説があるそうです。

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科野大宮社本殿

2022年07月21日 | 旅 歴史

 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社の本殿は万延元年(1860)に藩主の松平忠礼が拝殿とともに再建したといわれています。

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科野大宮社六所明神社

2022年07月20日 | 旅 歴史

 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社の六所明神社は天正年間中(1573-1590)上田城築城の際、この地に遷座されたそうです。信濃国分寺と、この神社の修理だけは直接上田藩の手によって行われたそうです。

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科野大宮社稲荷社

2022年07月19日 | 旅 歴史

 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社にある稲荷社は上田城内にあった稲荷社です。祭神は保食神(うけもちのかみ)、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)だそうです。五穀豊穣の農耕の神様で殖産、商工業の繁栄の守護神だそうです。
 松平氏が慶安年間(1648-1651)、丹波亀山城在城の際、創設され、宝永元年(1704)に上田城に移封された時、三の丸に遷座されました。廃藩の明治4年(1871)に子安社とともに科野大宮社に移されたのでした。

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科野大宮社子安社

2022年07月18日 | 旅 歴史

 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社境内に子安社があります。 嘉永5年(1853)に上田藩主松平氏が佐久郡三塚子安社を勧請し、上田城の三の丸に社殿を創建し鎮座された社殿です。
 明治4年(1871)、藩が廃止された時、矢出沢川より南の鎮守であった科野大宮社に遷座されました。

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科野大宮社

2022年07月17日 | 旅 歴史

 長野県上田市常田に科野大宮社(しなのおおみやしゃ)があります。
 科野大宮社は延喜式以前からこの地にある古い神社です。地元の人からはおおみやさんと親しみを込めて呼ばれています。
 崇神天皇の御代、建五百建命を科野国(信濃国)の国造に任命しました。上田に国府を置き、国魂の神である科野大宮社を創祀して住民の安全を祈願したのです。信濃国総社でもあったようです。
 天慶元年(938)、平将門の乱が起こりました。平定するために送られた平貞盛の軍と戦になりました。国分寺と千曲常田河原が戦場になり、信濃国分寺諸堂と科野大宮社の社殿楼門神庫は焼失してしまいました。付近の民家数百戸も焼け出されたそうです。
 天正13年(1585)、徳川家康は鳥居元忠、大久保忠世らを将とし、信濃・甲斐などの軍勢もあわせ総勢7千の大軍を真田昌幸の居城上田城攻撃に向かわせました。これが第一次上田合戦です。
 この時期、家康は羽柴秀吉と対立していました。天正12年(1584)に小牧・長久手の戦いがあり北条氏と講和する必要がありました。その講和の文書の中に、真田昌幸が治めていた沼田を北条に渡すという一項がありました。
 この時点まで、昌幸は徳川に臣従していましたが、「沼田は弓矢に問うて切り取った土地 徳川殿からの頂戴した土地ではない」と沼田の引渡しを拒絶し、敵対したのでした。そのため徳川は上田を攻撃することになったのです。
 昌幸は徳川軍を城下に入れ、町屋に火を放ちました。折からの風にあおられ、火は徳川軍を襲いました。随所に設けた柵で動きが取れない大軍に一斉に鉄砲が撃たれました。徳川軍は総崩れとなり撤退することになったのです。この一帯はその戦いの激戦地になり再び焼失したのです。

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