上田市中央西にある八幡社です。八幡社は上田城鎮護のため、真田昌幸が海野郷(東御市)から移して建立した神社だといわれています。
真田氏の跡も仙石氏、松平氏の崇敬篤く、藩主自ら参拝したようです。弓矢の神を崇めて毎年正月3日に射初式が行なわれました。 見事、的に当てた者は14日の宵祭りと翌15日未明にその的と矢を奉納する儀式を幕末まで続けていたそうです。
かんばつの年には科野大宮社、大星神社を含めた3社合同で雨乞い祈願をしたそうです。拝殿には高さ102cm、横160cmの白黒一対の鷹の大絵馬が奉納されています。これは上田藩主であった仙石政明が献上した絵馬で東信地方では最大だそうです。黒鷹の絵馬は滝を背景に岩上から獲物を狙っているそうです。白鷹の絵馬は松の大樹の枝に舞い降りてあたりを警戒しつつ翼を納めようとしているそうです。貞享5年(1668)の頃の作ということで、東信地方では最古の絵馬だといわれています。雪舟の流れを汲む長谷川信舟の作だそうです。この絵馬は昭和60年に上田市の有形文化財に指定されています。
真田氏の跡も仙石氏、松平氏の崇敬篤く、藩主自ら参拝したようです。弓矢の神を崇めて毎年正月3日に射初式が行なわれました。 見事、的に当てた者は14日の宵祭りと翌15日未明にその的と矢を奉納する儀式を幕末まで続けていたそうです。
かんばつの年には科野大宮社、大星神社を含めた3社合同で雨乞い祈願をしたそうです。拝殿には高さ102cm、横160cmの白黒一対の鷹の大絵馬が奉納されています。これは上田藩主であった仙石政明が献上した絵馬で東信地方では最大だそうです。黒鷹の絵馬は滝を背景に岩上から獲物を狙っているそうです。白鷹の絵馬は松の大樹の枝に舞い降りてあたりを警戒しつつ翼を納めようとしているそうです。貞享5年(1668)の頃の作ということで、東信地方では最古の絵馬だといわれています。雪舟の流れを汲む長谷川信舟の作だそうです。この絵馬は昭和60年に上田市の有形文化財に指定されています。