旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

雲仙岳災害記念館

2011年08月31日 | 旅 歴史
 長崎県島原市平成町にある雲仙岳災害記念館です。
 島原半島の火山観光の拠点となる「雲仙岳災害記念館」通称「がまだすドーム」が平成14年7月1日オープンしました。
 平成2年11月に始まった平成の噴火。そして、平成8年6月の噴火終息宣言まで、この地で何が起き、何が残ったのか。火山のすべてを体験できる、世界で唯一の場所として、自然の脅威と、災害の教訓を、風化させることなく正確に後世に伝えるための施設です。 

 記念館では普賢岳の火山活動のしくみや歴史、復興対策が最新の装置や模型を駆使して分かりやすく紹介されています。
中でも「平成噴火シアター」で、火砕流や土石流を疑似体験した入場者は一様に緊張した面持ちで退場してきます。
 火砕流のスピードを、光の流れによって見ることが できる「火砕流の道」や、大火砕流で消失した北上木場地区の風景を再現したコーナーも入館者の関心を集めています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島原武家屋敷

2011年08月30日 | 旅 歴史
 長崎県島原市下の丁にある武家屋敷跡です。
 島原城の北西の鉄砲丁に保存されている扶持(ふち)取り70石以下の下級武士の屋敷跡です。山本邸、篠塚邸、島田邸などが一般公開されていて無料で中を垣間見ることができます。
 苔むした土塀と石塀が続き、約400mに渡って家並みが続いています。道路中央にある水路はかつて飲料水用に造られた用水路で、当時の名残りを残した熊野神社を水源とする清流が今も流れています。
 島原城ができた当時から一軒一軒の屋敷には境界の塀がなく、隣の家の奥まで丸見えになっていたそうです。鉄砲の筒の中を覗いたようだというので「鉄砲丁「という名前ができとといわれています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

観光復興記念館

2011年08月29日 | 旅 歴史
 長崎県島原市城内にある観光復興記念館です。
 観光復興記念館は島原城に併設されています。平成2年11月に始まった雲仙普賢岳の火山活動の経過を中心に、島原の歴史や文化を紹介する資料館です。
 展示ホールでは普賢岳の噴火年表や火砕流のしくみをシミュレーションで紹介しています。火砕流で焼けた電柱やバイク、ガードレールの一部なども展示されています。映像ホールでは200インチのワイドスクリーンで、噴火活動の経緯などを上映しています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北村西望記念館

2011年08月28日 | 旅 歴史
 長崎県島原市城内にある北村西望記念館です。
 日本彫塑界の巨匠で、文化勲章を受賞した郷土出身の芸術家、北村西望氏の米寿を祝して、代表作60点を展示した他に類のない彫塑芸術の施設です。
 明治17年12月16日、旧名家であった北村家の四男として本町の白木野に生まれました。京都市立美術学校(現在の京都市立芸術大学)、東京美術学校(現在の東京芸術大学)を主席で卒業後、建畠大夢・池田勇八らと彫刻の研究会「八手会」を結成して彫刻の道を歩みました。大正6年文展に出品した「光にうたれる悪魔」で知られるようになり、昭和13年は国会議事堂内に設置してある「板垣退助翁」像も制作しました。

 「長崎平和祈念像」の作者として有名です。その平和祈念像の制作原形をはじめ、代表作約60点あまりの作品が展示されています。3階の展示室には愛用の諸道具をはじめ、硯や筆なども展示しています。
 昭和51年には、宮中に「天馬」を献納するなど、数々の作品を制作した。
 昭和62年3月4日他界しました。104才の大往生でした。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島原城

2011年08月27日 | 旅 歴史
 長崎県島原市城内にある島原城です。
 元和2年(1616)大和(奈良県)五条から島原に移封した松倉豊後守重政によって元和4年(1618)から7年の歳月を費やして築かれた城です。本丸には安土桃山様式建築の粋を集めた総塗り込め白壁の美しい五層の天守閣がそびえます。三層櫓が3カ所ある豪壮堅固な城構えです。

 南北に連なる連郭式平城で、外郭は周囲約4kmの長方形で塀をめぐらし、城門が7か所、平櫓が33か所あったそうです。内郭は堀にかこまれた本丸・二の丸を設け、その北に藩主の居館である三の丸が造られていました。別名を森岳城、高来城ともいわれていたそうです。

 城主は譜代の高力、松平、戸田と代わりましたが安永3年(1774)松平(深溝)忠恕が7万4千石で入封して以降世襲して明治に至りました。その間、延宝2年(1674)の殿舎の焼失、安永6年(1777)の台風による三重櫓・平櫓の倒壊、寛政4年(1792)の眉山爆発による被害など何度も損害を受けてきました。

 現在の天守閣は1964年に再建され、資料館として利用されています。天守閣は360度見渡せる展望所になっていて、遠く普賢岳なども一望できます。この景色からキリシタンの悲しい歴史があったことなど思うことができません。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

島原市

2011年08月26日 | 旅 歴史
 長崎県の島原市です。
 長崎県の南東部に島原半島はあります。島原市の海の玄関、島原港には、熊本から高速フェリーで30分でいけます。島原市は、目の前に有明海、後ろに「雲仙天草国立公園」を有する風光明媚なところです。
 島原市の人口は約40,000人です。日本名水百選に選ばれた湧き水で泳ぐ鯉は、人々の心を和ませます。雲仙普賢岳や天草四郎の島原の乱が有名です。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ハウステンボス

2011年08月25日 | 旅 歴史
 長崎県佐世保市ハウステンボス町にあるハウステンボスです。
 大村湾に面した152ヘクタールという広大な敷地に水と緑と花に包まれた、巨大リゾートパーク「ハウステンボス」があります。様々なイベントが四季を通じて開催され、毎日場内のあちこちで多彩なイベントが繰り広げられています。
 場内は「人と自然が共存する街」をテーマに、城や宮殿、教会など17世紀のオランダの建物や街並み、田園風景が再現され、全長6kmの運河によって分けられた10街区は、それぞれに異国情緒たっぷりです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎伝統芸能館

2011年08月24日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市南山手町にある長崎伝統芸能館です。
 グラバー園出口に長崎伝統芸能館があります。長崎の秋の大祭「長崎くんち」に使われる豪華絢爛な踊り龍、龍船、唐人船、傘鉾などを展示し、伝統的な祭りを紹介しています。
 長崎くんちは、長崎市民の氏神、鎮西大社諏訪神社の祭礼で、10月7日から3日間町を挙げて開催されます。寛永11年(1634)に神前に謡曲「小舞」を奉納したのが始まりといわれ、旧暦の9月9日(くんち)に行われました。


下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎出島

2011年08月23日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市出島町にある長崎出島です。
 長崎の出島は大正11年(1922)「出島和蘭商館跡」として国指定史跡となりました。出島は寛永11年(1634)江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された1.5haの扇型の人工の島です。
 最初はポルトガル人を管理する目的で造られましたが、キリスト教の布教と植民地化を避けるため国外追放としたため、寛永8年(1641)平戸にあったオランダの東インド会社の商館が移され、オランダ人が居住するようになりました。
 以後2百年以上、この出島でオランダ貿易が続けられました。日本とヨーロッパを結ぶ経済・文化・学術の交流が行われ、日本の近代文化に大きな役割を果たしました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎水辺の森公園

2011年08月22日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市出島町にある長崎水辺の森公園です。
 長崎水辺の森公園は平成16年(2004)3月に全面オープンしました。長崎県美術館や長崎港周辺の再開発事業の一環として港内を埋め立てて造成された公園です。長崎港に面した公園には芝生公園、野外劇場、水の庭園、散策路、レストランなどがあります。
 全長900mの運河がのびる6.5haの敷地は3つのエリアに分かれています。都市に面する「水辺のプロムナード」、海に面した芝生広場と森の「大地の広場」、山からの湧水を利用した「水の庭園」です。そしてそれぞれのエリアを橋で繋げています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長崎県美術館

2011年08月21日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市出島町にある長崎県美術館です。
 長崎県美術館は、平成17年(2005)長崎県立美術博物館を引き継ぐかたちでオープンしました。外交官須磨彌吉郎の寄贈したコレクションを基に、ピカソやダリなどスペイン美術コレクション千点以上を収蔵し、アジアでも有数の規模を誇っています。
 建物はグッドデザイン賞や多くの賞を受けています。運河を挟んで2つの建物が建てられています。スペイン美術や長崎ゆかりの美術を展示する美術館棟、ミュージアムショップや情報コーナーなどがあるギャラリー棟です。建物を結ぶ空中回廊でカフェも楽しめます。「呼吸する美術館」をコンセプトに日本設計と建築家の隈研吾が設計を手がけました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

亀山社中跡

2011年08月20日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市伊良林町にある亀山社中跡です。
 亀山社中跡は坂本龍馬が日本初の商社「亀山社中」を設立した所です。亀山とは当時のこの辺りの地名で、社中とは仲間を意味します。時に慶応元年(1865)5月のことでした。
 亀山社中の事業は、航海・海運・貿易などでした。グラバー商会などから仕入れた銃器などを藩に売却し、薩長同盟の締結にも大きな役割を果たしました。慶応3年(1867)亀山社中は土佐藩直属の「海援隊」となり、坂本龍馬は隊長になりました。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

崇福寺媽姐堂

2011年08月19日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市鍛冶屋町にある崇福寺の媽姐堂です。
 媽姐堂は寛政6年(1794)、唐船主らが白砂糖1万斤(きん)の代銀12貫目を寄進し、大改修を加えて再建されたものといわれています。媽姐(まそ)とは海の航海の守護神で、唐船には必ず祀られていました。
 基壇上の勾欄(こうらん)・前廊の黄檗(おうばく)天井・半扉などは中国様式で細部は日本様式です。媽姐像を中心に安置し、右側に順風耳の立像、左側に千里眼の立像があります。堂と門の間の石畳は、寛文11年(1671)に造られたもので長崎でも最も古い時代のものです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

崇福寺大釜

2011年08月18日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市鍛冶屋町にある崇福寺の大釜です。
 大釜は天和2年(1682)に2代目住職千凱(千呆)が鍛冶屋町の阿山家二代目鋳物師安山(あやま)弥兵衛に造らせたものです。 大飢饉に襲われた多くの人々を救うため、この大釜で粥を炊き命を救ったということです。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

崇福寺媽姐門

2011年08月17日 | 旅 歴史
 長崎県長崎市鍛冶屋町にある崇福寺の媽姐門です。
 媽祖門は、文政10年(1827)に再建された建物です。媽姐堂の門として、また大雄宝殿と方丈(僧堂)を結ぶ渡り廊下としての役割も兼ねています。媽祖門を構えた媽祖堂は、全国で唯一、ここ崇福寺のみで国の重要文化財に指定されています。
 8脚門3間3戸形式で日本様式が基調となっていますが、扉の前部は黄檗宗特有の黄檗天井で造られ、後部は山形(船底)天井で中国様式も取り入れられています。

下記のサイトにもお立ち寄りください!
http://ogino.okoshi-yasu.com/
日記@BlogRanking
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする