旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

旧富沢家住宅

2008年05月30日 | 旅 歴史
 群馬県中之条町大字大道にある旧富沢家住宅です。江戸時代から25代受け継がれた新田村の名主の家です。
 大型養蚕農業の代表的な建物で、国の重要文化財に指定されています。
 茅葺き屋根で重厚な雰囲気がある入母屋造りです。
 1階には広い土間があり、2階は養蚕用の部屋があります。
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日向見薬師堂

2008年05月17日 | 旅 歴史
 今日は群馬県中之条町四万にある日向見薬師堂を紹介します。
 日向見にある薬師堂は国の重要文化財です。慶長3年(1598)に建立された、室町時代の建築様式を残す建物です。
 美しい茅ぶき屋根の薬師堂は、全国でも珍しい和洋と禅宗様式の折衷建築です。一重の寄せ棟造りで屋根を茅葺きとしています。
 方一間の鏡天井を支える内部架構の出組や桝の形、木鼻の絵文様、渦巻きの形などが室町時代の特徴を表しています。
 薬師堂の前にあるお籠堂は町指定の重要文化財で慶長19年(1614)に建てられたそうです。湯治客が病気を治すために定められた日数をここで籠もってお祈りなどしたそうです。
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薬王寺

2008年05月11日 | 旅 歴史
今日は群馬県中之条町四万にある薬王寺を紹介します。
 青麻山薬王寺にある諸天善神薬大菩薩は法華の守護で病を治癒してくれる良医として崇められています。
 薬王寺は昔から中風除けの寺としても知られています。境内に引かれた湧水は薬王水とよばれています。
 昔からこの薬王水を飲むことによって中風にならないと信じられていたそうです。
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四万の甌穴

2008年05月10日 | 旅 歴史
 今日は群馬県中之条町大字四万にある四万の甌穴を紹介します。
 四万温泉の少し手前、国道353号沿いの四万川にに架かる「秋鹿橋」から下流の約130mの間に大小8個の甌穴が見られます。
 甌穴とは、川の渦巻き状の流れにより、石や砂が同じところを回り、川底の岩盤と接触して侵食されてできた丸い穴です。
 四万川の強い水の力が川底の転石を回し、岩盤(凝灰岩)の接触部に凹みを生じ数万年という長い年月にわたって浸食したものです。
 大きいものでは直径約3m・深さ4mを越える甌穴もあります。これらは昭和46年(1971)12月22日県の天然記念物に指定されました。
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積善館本館

2008年05月08日 | 旅 歴史
 今日は群馬県吾妻郡中之条町四万にある老舗旅館、積善館本館を紹介します。
 赤い橋の向こうは積善館本館です。日本最古の温泉宿建築物で四万温泉の共同浴場「河原の湯」のすぐそばに位置しています。
 本館は県重要文化財に指定されています。元禄時代の創業で300年の歴史を持っているそうです。この奥に山荘、佳松亭(かしょうてい)の3つの時代の建物が建っています。
 積善館は新湯川と四万川の合流点にあって、宿の正面は新湯川を渡る橋になっています。数多くの映画のロケにも使われたところです。

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名胡桃(なぐるみ)城

2008年05月04日 | 旅 歴史
 今日は群馬県みなかみ町下津にある名胡桃(なぐるみ)城を紹介します。
 名胡桃(なぐるみ)城は、天正6年(1578)沼田城は北条氏の手に落ちました。当時武田氏の家臣であった真田昌幸は沼田城奪取のための要塞としてこの名胡桃城を築いたのです。昭和24年(1949)県指定史跡になっています。本丸跡には石碑が立っています。
天正10年(1582)豊臣秀吉と対立した徳川家康は次女の督姫を北条氏直に嫁がせ、北条氏と和議を結びました。その際、真田の上州沼田領を北条氏に渡し、北条領の都留、佐久を手放すというものでした。
 武田滅亡後、徳川家康に組みしていた真田昌幸は反旗を翻し、沼田領を北条氏に渡さず上杉景勝を頼りました。激怒した家康は、天正11年(1583)上田を攻めました。これが上田城・神川の戦い です。
 その後、豊臣秀吉の支配下に入った真田昌幸は秀吉の仲裁の裁定を受け入れ沼田城を北条氏に明け渡したのです。小牧・長久手の戦いで家康に敗北した秀吉を見て北条氏は名胡桃を含めて沼田領のすべてを手に入れようとしました。
 沼田城代猪俣邦憲は真田昌幸の偽書状を作り名胡桃城主の鈴木主水重則を上田に向かわせました。そしてまんまと名胡桃城を奪取したのでした。昌幸はこのことを秀吉に訴えました。
 これを聞いた秀吉は激怒しました。そして北条の不信をなじり小田原征伐の軍を起こしたのです。名胡桃城は北条氏滅亡のきっかけとなった城なのです。

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猿ヶ京関所

2008年05月02日 | 旅 歴史
 群馬県みなかみ町猿ヶ京温泉にある猿ヶ京関所は徳川三代将軍家光の時代の寛永8年(1631)4月に設置されたそうです。群馬県の史跡に指定されています。
 三国街道は佐渡街道とも呼ばれ佐渡の金を江戸に運ぶ5街道に継ぐ重要な街道でした。
 天和元年(1681)先に支配していた真田氏が改易になり幕府直轄の支配になりました。後高野、片野、木村、戸部の4氏が代々世襲で関守の役を務めたそうです。
 明治2年(1869)正月、明治新政府の命により関所廃止が発せられこの猿ヶ京の関所も廃止されたそうです。
 旧庭園には樹齢350年と推察される高野槇(こうやまき)が育っています。悠仁(ひさひと)様のお印に決まったばかりでした。

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泰寧寺

2008年05月01日 | 旅 歴史
 群馬県みなかみ町須川にある泰寧寺です。
 写経とあじさいで有名な泰寧寺は延慶2年(1309)真改(しんかい)によって開基されたそうです。最初は臨済宗として開創されましたが、のちに曹洞宗になりました。開基は細川伊予守源綱利という説もあるそうです。
 中世の動乱期の中で一時衰退しましたが、月夜野の玉泉寺8世洞庵文曹(とうあんぶんそう)によって天文6年(1537)中興されたそうです。池に架かる風情のある石の橋を渡ると長い石段が続きます。
 石段の上には県の重要文化財に指定されている山門が堂々と建てられています。間口3間、奥行2間の楼門(ろうもん)で、入母屋造の禅宗様式の山門です。
 円柱12本のうち11本は1本の大ケヤキから取られたと言い伝えられているそうです。上層内部には釈迦三尊像、迦葉・阿難の二大弟子、十六羅漢像が安置されています。
 泰寧寺本堂も群馬県の重要文化財に指定されている立派な建物です。欄間は本堂正面の須弥壇の左右に2面あります。寛永7年(1795)再建されたものです。

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