旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

今八幡宮

2009年06月30日 | 旅 歴史
 山口県山口市八幡馬場にある今八幡宮を取り上げてみます。
 今八幡宮の創建年代は不明ですが、室町時代に記された「二十二社註式」によれば、初め宇治皇子一座を祀り今八幡宮と称しとあることから守護大名大内氏の山口入府以前からあったようです。
 文亀3年(1503)30代大内義興が、下宇野令の朝倉八幡宮を今八幡宮の地に移し、二社を合併して造建したのが現在の社殿であると伝えられています。
 楼門、拝殿、本殿が一直線に配置されていて、楼門と拝殿を兼ねた作り方は山口地方独特の形式です。明との交易で得た莫大な財力を象徴する荘厳な建物で、国の重要文化財に指定されています。
 大内氏滅亡後も、毛利氏により篤く保護され、神領が寄進されました。幕末には、社務所において堀真五郎、久坂玄瑞らが密談を重ね、八幡隊が結成され、屯所にもなったそうです。

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龍福寺

2009年06月30日 | 旅 歴史
 今日は山口県山口市下堅小路にある龍福寺を紹介します。
 瑞雲山龍福寺は弘治3年(1667)、毛利隆元が大内義隆の菩提寺として建立したものです。一帯は大内氏の居館(大内館)跡で、国の史跡に指定されています。
 本堂は弘治3年(1557)に建立されましたが、明治14年に焼失してしまいました。そこで、大永元年(1521)、大内義興が建立した興隆寺釈迦堂を移築して本堂にしたそうです。
 文明11年(1479)に建立されたとみられるこの龍福寺本堂は国の重要文化財に指定されています。
 大内氏館は、大内氏24代の弘世が南北朝期に築いたといわれています。その後8代、約200年に渡って大内氏の居館になり、大内文化の中心地でした。
 龍福寺境内にある龍福寺史料館には、大内氏館跡から出土した品々、大内義隆画像などが展示されています。

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山口県政資料館

2009年06月29日 | 旅 歴史
 山口県山口市滝町にある山口県政資料館を取り上げてみます。
 山口県政資料館は大正5年(1916)に建てられた、旧山口県庁舎と旧県会議事堂を公開した施設です。レンガ組で銅滓(どうし)瓦葺きの堂々とした建物です。
 後期ルネッサンス様式の西洋の建築様式と伝統的な和様式が融合しています。大正建築の粋を集めた貴重な建築物として、2棟とも国の重要文化財に指定されています。
 設計は後に国会議事堂を手がけた妻木頼黄部長以下、武田五一、大熊喜邦の二人が担当したそうです。
 昭和59年(1984)現在の山口県庁舎が完成後は資料館として当時の知事室等の展示や県の概要に関する展示が行われています。
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旧山口藩庁門

2009年06月29日 | 旅 歴史
 今日は山口県山口市滝町(山口県庁)にある旧山口藩庁門です。
 旧山口藩庁門は山口県庁の敷地内にある脇門付薬医門です。文久3年(1863)、毛利敬親(たかちか)は、今の県庁の位置に藩庁の移転を計画し、慶応3年(1867)に竣工しました。この門はその藩庁の正門でした。
 一間一戸脇門付薬医門で、切妻造り、本瓦葺です。桁行10.28m、梁間2.86m、棟高6.84mで堂々とした城門らしい風格があります。

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山口県立美術館

2009年06月28日 | 旅 歴史
 山口県山口市亀山町にある山口県立美術館です。
 山口県庁のそばに1979年に開館した山口県立美術館があります。山口県出身の画家、香月泰男の作品が遺族により山口県に寄贈されたのをきっかけにして建てられたものだそうです。
 香月画伯のシベリアシリーズはシベリアの抑留体験を描いた作品です。ここには長州藩とゆかりの深い雪舟や、狩野芳崖の作品も収蔵されています。

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山口サビエル記念聖堂

2009年06月28日 | 旅 歴史
 今日は山口県山口市亀山町にある山口サビエル記念聖堂を紹介します。
 山口サビエル記念聖堂は、昭和27年(1952)にフランシスコ・サビエルが山口を訪れてから400年になるのを記念して建てられた聖堂です。
 ステンドグラスの美しかった聖堂は平成3年(1991)に焼失してしまいました。。平成10年(1998)に高さ53mの2本の塔が印象的な白亜の新聖堂が完成しました。
 サビエルは大内義隆を頼り、天文20年(1551)に山口に2ヶ月滞在して布教活動をしました。その時に500名に洗礼を施したそうです。
 ザビエルの生家のあったスペインのナバラ州パンプローナ市と山口市は姉妹都市提携を結んでいます。


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閼伽井坊塔婆

2009年06月27日 | 旅 歴史
 山口県下松市花岡戎町にある閼伽井坊塔婆です。
 花岡八幡宮の境内には国の重要文化財の閼伽井坊塔婆多宝塔があります。
日本十六塔の一つに数えられ国の重要文化財に指定されています。
 この多宝塔は元は花岡八幡宮の坊である地蔵院に属していましたが、地蔵院が廃寺になった為に今では唯一残っている閼伽井坊(あかいぼう)に属しています。建立は室町時代と思われますが、地蔵院の火災で古文書が消失し詳しい事が分らなくなっています。
閼伽とは仏教用語で仏様に供える水の事をさし、閼伽井はその水を汲む井戸の事で、閼伽井坊の中にあります。

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花岡八幡宮

2009年06月27日 | 旅 歴史
 山口県下松市花岡にある花岡八幡宮です。
 花岡八幡宮は和同2年(709)に、豊前国(大分県)宇佐八幡宮の分霊を歓請して創建された由緒ある神社です。
 慶長4年(1599)には地蔵院・楊林坊・常福坊・千手院・閼伽井坊・香禅寺・惣持坊・長福寺・関善坊の9坊を擁していたことが確認されているそうです。
 江戸末期には地蔵院と閼伽井坊の2坊だけとなったそうです。地蔵院は明治2年に住僧の還俗により廃院となり、現在は閼伽井坊のみが現存しています。
 花岡八幡の楼門から本殿の参道右に坊舎で唯一残った閼伽井坊の管理(所有)とされている多宝塔があります。
 日本16塔の1つに数えられ国の重要文化財の閼伽井坊塔婆(多宝塔)です。高さ13.5mの二重の塔は優美な姿を見せてくれます。
 伝来する室町時代末期から安土桃山時代までの花岡八幡宮文書は60通をかぞえ、豊臣秀次朱印状のほか大内義隆、陶隆房(晴賢)、毛利元就等の判物等を含んでいます。
 拝殿には、従一位近衛忠熈卿の筆による「永受嘉福」の扁額や、江戸時代の風俗がよくわかる御神幸絵図などが奉納されています。
 花岡八幡宮は桜の名所としても知られ、開運厄除や交通安全の神として信仰を集めています。

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種田山頭火 生家

2009年06月27日 | 旅 歴史
 今日は山口県防府市大道にある種田山頭火生家を取り上げます。
 種田山頭火は山口県西佐波令村(現在の山口県防府市大道)の大地主の家に生まれました。昭和の芭蕉とも呼ばれ、自由律俳句の代表として、同じ荻原井泉水門下の尾崎放哉と並び称されています。
 生活苦から自殺未遂をおこし報恩禅寺住職に助けられ寺男となりました。大正15年(1925)寺を出て雲水姿で西日本を中心に旅をして句作を行ないます。昭和7年(1932)郷里の山口の小郡町(現在の山口市小郡)に「其中庵」を結庵。昭和14年(1938)松山市に移住し「一草庵」を結庵。翌年、そこで客死したそうです。

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毛利氏庭園

2009年06月26日 | 旅 歴史
今日は山口県防府市多々良にある毛利氏庭園を紹介します。
 明治4年(1871)の廃藩置県で藩主たちは東京に集められましたが、後に元いた領地に戻って住んでもよいことになりました。
そこで明治25年(1892)、井上馨が旧萩藩主邸を建設する責任者となり、本宅の構想が練られ、ここ多々良(たたら)山の南麓の地が選び工事を始めました。
 日清・日露戦争のため工事が大幅に遅れ、大正5年(1916)にようやく完成したそうです。
 毛利氏庭園は平成8年(1996)に国の名勝に指定されています。
 この庭園は、約8万4千平方mの広大な敷地に、約4千平方mの豪壮な邸宅がある回遊式庭園です。中雀門(ちゅうじゃくもん)から内庭に入ると、瓢箪池を中心とした広大な庭に圧倒されます。
庭園は本邸にいたるまでのクロマツの並木を配した路傍庭園で、邸内の平庭と林泉(りんせん)と呼ばれる木立や泉水がある庭から構成されています。平庭は各建造物に調和するように各所に配置されていて、客殿の書院の南側にある平庭が最も豪華です。



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毛利博物館

2009年06月26日 | 旅 歴史
今日は山口県防府市多々良にある毛利博物館を紹介します。
 毛利博物館は、毛利氏庭園の中にある博物館です。公爵の地位にあった旧萩(長州)藩主毛利氏の本邸を博物館として公開しています。
 大正5年(1916)に建てられたこの邸宅は総ヒノキ造りの壮大な建築です。明治25年(1892)、井上馨によって構想が練られ、ここ多々良(たたら)山の南麓の地が選ばれました。
 日清・日露戦争のため工事が大幅に遅れ、大正5年(1916)にようやく完成したそうです。本邸は広さ約4,000m2におよぶ豪邸です。
 御殿造りの様式を取り入れた近代建築で木曾のヒノキ、屋久島のスギ、台湾のケヤキなど当時の最良の用材が使われています。明治、大正の建築・造園の技術の粋がつくされています。
 ここには毛利元就ゆかりの品をはじめ、雪舟筆「紙本墨画淡彩四季山水図(国宝)、「古今和歌集第八」(国宝)など国宝4件7点、「紙本著色毛利元就像」をはじめ「毛利家文書」など9件の重要文化財など2万点にも及ぶ資料や文化財が収蔵されています。

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防府天満宮

2009年06月25日 | 旅 歴史
 今日は山口県防府市松崎町にある防府天満宮です。
 防府天満宮は京都の北野天満宮、福岡の太宰府天満宮と並んで、「三天神」といわれています。「松崎天満宮」「松崎神社」などともいわれましたが、昭和28年(1953)防府天満宮に戻されたそうです。
 菅原道真を学問の神様として祭った天満宮で、道真が亡くなった翌年の延喜2年(904)に出来た歴史のある天満宮です。
 菅原道真が藤原時平の讒言によって左遷させられ時、しばらくこの松崎に滞在したそうです。防府市は天満宮を中心に栄え、天満宮の行事での来訪者が多い所です。
 建久6年(1195)、俊乗房重源(しゅんじょうぼうちょうげん)が東大寺再建の礼として朱塗りの本殿回廊楼門を建立しました。
 現在の社殿は昭和38年(1963)に再建されたものだそうです。拝殿の脇に春風楼があります。萩藩10代藩主毛利斉煕(なりひろ)が五重塔を建てようとしましたが資金の調達ができず重層の楼閣に変更されたそうです。


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呉市立美術館

2009年06月25日 | 旅 歴史
 今日は広島県呉市幸町にある呉市立美術館を紹介します。
 呉市立美術館は昭和57年(1982)市政80周年を記念して開館しました。入船山公園にある美術館への緩やかな坂道には彫刻が点在し、「日本の道100選」に選ばれています。
 ロダン,マイヨールとともに近代彫刻の巨匠として名を馳せたエミール・アントワーヌ・ブールデルの「弓をひくヘラクレス」の彫刻や、オーギュスト・ルノワール「麦わら帽子の少女」があります。
 奥田元宋や平山郁夫などの郷土画家を中心に国内外の秀作約900点を所蔵しています


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広島護国神社

2009年06月24日 | 旅 歴史
 今日は広島県広島市中区基町にある広島護国神社を紹介します。
 「廣島護國神社」は明治元年(1868)戊辰戦争で命を落とした浅野藩士78柱を祀ったのがはじまりです。以前は広島市民球場付近にありましたが、原爆により一瞬にしてすべてが焼失しました。昭和31年(1956)に現在の広島城跡の場所に再建されました。


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林家住宅

2009年06月23日 | 旅 歴史
 今日は広島県廿日市市宮島町滝町にある林家住宅を紹介します。
 厳島神社には棚守(たなもり)・上卿(しょうけい)・祝師(ものもうし)という宮島三家があります。林家は代々上卿職を継ぐ家で、土地の人は、林家住宅のことを上卿屋敷と呼んでいます。上卿は、朝廷から遣わされる奉幣使の代参を役目とする神職だそうです。
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