旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

戸田氏鉄像

2024年09月29日 | 旅 歴史

 岐阜県大垣市郭町に大垣城があります。
 戸田氏鉄は戸田一西の子です。一西は家康に従って武功をあげ、関東入りに際して武蔵で5千石、関ヶ原後、近江膳所で3万石を与えられた武将です。氏鉄は元和2年(1616)膳所から尼崎に、寛永12年(1635)尼崎から大垣に移封。大坂城修築に功があり、島原の乱にも出陣しました。新田開発・治山・治水などの業績があります。
 氏鉄は、寛永13年(1636)に川口、外渕村境に門樋を造りました。水門川は、下流で揖斐川に合流するので、揖斐川が増水すると下流からの洪水が逆流して輪中内に浸水して被害が増えたのでした。川口水門樋は逆水を防ぐ働きをするものでした。

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大垣城跡

2024年09月28日 | 旅 歴史

 岐阜県大垣市郭町に大垣城があります。
 明治6年(1873)に大垣城は廃城となり多くの建物が破却、払い下げられました。天守閣は残され、昭和11年(1936)には国宝に指定されました。しかし昭和20年(1945)7月に太平洋戦争の空襲により焼失してしまいました。
 昭和34年(1959)、4層4階の天守閣が再建され、資料館にもなっています。城門、櫓なども整備され、本丸と二の丸は大垣公園として整備されています。「大垣城跡」として大垣市指定史跡に指定されています。

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大垣城

2024年09月26日 | 旅 歴史
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 岐阜県大垣市郭町に大垣城があります。
 大垣城は麋城(びじょう)、または巨鹿城(きょろくじょう)と呼ばれる連郭輪郭複合式の平城です。最初の城は美濃守護・土岐一族の宮川吉左衛門尉安定により、天文4年(1535)に築かれたといわれています。
 永禄3年(1560)、氏家直元が城主となり、堀や土塁に手を加え、総囲いなどが整備されました。織田、斎藤と城主が移った後、天正11年(1583)に豊臣秀吉の家臣、池田恒興が城主となりました。天正16年(1588)には一柳直末によって天守が築かれたといわれています。慶長元年(1596)頃、伊藤祐盛が城主の時という説もあります。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には、当時城主であった伊藤盛宗は西軍であったので、西軍・石田三成の本拠地となりました。西軍本隊は関ヶ原に移動し、大垣城は福原長堯らが残りましたが、関ヶ原の本戦で西軍が敗北すると東軍に攻囲され落城しました。
 寛永12年(1635)、戸田氏鉄(うじかね)が城主となり、戸田氏により本丸と二ノ丸を並べた並郭式になり、その周囲を三ノ丸で囲んでいました。本丸には北西隅に4重4階の複合式層塔型天守が築かれました。氏鉄入城以後、戸田家11代の長きにわたり善政がしかれ明治まで続きました。

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仙樽の滝

2024年09月25日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市付知町下浦に付知峡(つけちきょう)があります。
仙樽の滝の方面に向かうと、小さな吊橋があります。仙樽の滝の前には大きな淵があり、大きな石がゴロゴロしています。仙樽の滝は落差15mほどで、幅は5,6mほどあります。堂々とした重量感のある迫力ある滝です。

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不動滝

2024年09月24日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市付知町下浦に付知峡(つけちきょう)があります。
付知峡で見られるさまざまな滝の中でも、特に有名なのがこの不動滝です。目もくらみそうなほど深い滝壺に大迫力で水が流れ出ます。そして、この滝には不動滝伝説が残されています。
 保元・平治の乱の頃、この辺りには都を逃れた落ち武者が40戸あまりの集落をなして隠れ住んでいました。その集落の寺の住職、智証和尚は74歳の時、寺の財産に目を付けた農民に殺されてしまいました。付知峡に投げ捨てられた和尚の屍は、不思議なことにまるで生き物のように皮を遡り、不動滝に流れ着いた袈裟は滝壷でいつまでも渦を巻いていたそうです。

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付知峡

2024年09月23日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市付知町下浦に付知峡(つけちきょう)があります。
 付知峡(つけちきょう)は木曽川支流である付知川の源流に位置しています。付知川は青川とも呼ばれるほど澄み切った清流です。御嶽山の南麓に源流を持ち、たくさんの滝があります。
 春はツツジや山吹などに彩られ、秋は紅葉で朱に染まる付知峡は、春夏秋冬それぞれに美しい姿をみせ「森林浴の森・日本百選」、「岐阜の名水・50選」、「飛騨・美濃効用33選」に選ばれています。
 一帯は裏木曽県立自然公園に属し、手付かずの原生林が残されています。攻橋や木谷橋から眼下に広がる景色も素晴らしく、「不動の滝」「観音滝」「仙樽の滝」などに心が洗われます。
 遊歩道を「不動滝へ」の案内表示に従って進んでいくと、はじめに現れるのが落差20mの観音滝です。切り立った巨大な断崖から水がまっすぐに滑り落ちてきます。宮崎県の高千穂渓谷を思い出させます。透き通ったエメラルドグリーンの滝壺が印象的でした。

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馬籠宿枡形

2024年09月21日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。
 馬籠宿の南に「枡形」があります。枡形は城郭の枡形を模したもので、宿場の防衛上設けたものです。坂の下部分に枡形があり、視察に訪れた岩倉具視の乗った人力車が曲がりきれずに、民家に突っ込んだといわれています。

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大黒屋茶房

2024年09月20日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。
 大黒屋は島崎藤村の「夜明け前」に伏見屋金兵衛として登場します。この家の10代目が文政9年(1826)から明治3年(1870)まで書き続けた「大黒屋日記」が藤村の目にとまり「夜明け前」の基になったといわれています。現在は大黒屋茶房となり「栗強わ飯(くりこわめし)」が有名です。

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清水屋資料館

2024年09月19日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。
 清水屋資料館の「清水屋」は島崎藤村の作品「嵐」にでてくる「森さん」こと原一平の家です。藤村の書簡、掛軸、写真、江戸時代の文書、書画、陶磁器、漆器類などの数々の遺品が2階の資料館に展示してあります。

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馬籠脇本陣史料館

2024年09月18日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。
 馬籠脇本陣史料館は馬籠宿の脇本陣で、屋号を「八幡屋」といい、馬籠宿の年寄役も兼ねていました。上段の間を復元し、当時使用していた家財や什器を展示し、江戸時代の木曽路独特の文化や制度を紹介しています。

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藤村記念館

2024年09月16日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。
 藤村記念館は島崎藤村の生家であり、馬籠宿本陣で、昭和22年(1947)に完成されました。館内には藤村像や「夜明け前」などの作品や原稿、遺愛品、明治大正詩書稀覯本コレクションなど約6千点を所蔵展示されています。

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馬籠宿

2024年09月16日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市馬籠に馬籠宿があります。
 「馬籠宿」は木曽11宿の最南端で美濃との国境にあり、中山道69次の43番目の宿場町です。文豪・島崎藤村のふるさとであり、藤村の生家である馬籠宿本陣跡には「藤村記念館」、「清水屋資料館」「馬籠脇本陣資料館」など、小説「夜明け前」にも登場する家も多いところです、
 馬籠は長野県の山口村でしたが平成17年(2005)に岐阜県中津川市に県を超えた合併をしました。中世までは美濃国、信濃国に編入され、江戸時代は名古屋藩の領地となって廃藩置県を迎えました。名古屋県、筑摩県、長野県、岐阜県と変わりました。
 馬籠宿は木曽路はすべて山の中の通りに山の斜面に沿った全長600m余りの「坂に開けた宿場」です。明治28年(1895)と大正4年(1915)の二度の火災によって宿場のほとんどが焼失しました。通りの中央に敷き詰められた石畳と、枡形が往時の姿をとどめ、格子のある江戸時代を彷彿とさせる家並みが再建されました。妻籠宿とともに全国で最初の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

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熊谷守一記念館

2024年09月15日 | 旅 歴史

 岐阜県中津川市付知町に熊谷守一記念館があります。
 熊谷守一記念館は中津川市(旧恵那郡付知町)出身の洋画家熊谷守一の偉業を記念し、昭和51年(1976)に開館、平成8年(1996)アートピア付知交芸プラザの中にオープンしました。熊谷画伯の書画など30点あまりを展示しています。
 東京の池袋郊外にあった木々がおいしげった自宅兼アトリエから、晩年はほとんど一歩も外に出ずに、身のまわりの虫や猫やチョウなどを描きました。金や名声には全く興味がなく、文化勲章の内定も辞退し、97歳まで現役を続け「画壇の仙人」と呼ばれました。

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吉島家住宅

2024年09月14日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市大新町に吉島家住宅があります。
 吉島家住宅は、飛騨の匠の誉れ高かった西田伊三郎によって明治40年(1907)に建てられました。明治38年(1908)に表側を残し類焼し、再建されたのが現在の建物です。隣には親類の日下部家の立派な住宅が並んでいます。吉島家の初代は文政6年(1823)に没した休兵衛でした。
 代々生糸、繭の売買、金融、酒造業を高山で営んだ豪商で、大名にもお金を貸していたそうです。主屋は木造平屋建(1部2階建)、桁行16.7m、梁間13.6m、切妻造り、平入、桟瓦葺きです。全体に立ちが比較的低く細部の表現も穏やかで、洗練された町家の手法をみせています。
 大黒柱を中心に、梁と束(梁に垂直の短い柱)によって構成される吹き抜けは、高窓からの光線をたくみに屋内に取り入れています。日下部家住宅が男性的な建物に対し、この吉島家住宅は建物のすみずみまで神経のゆきとどいた、繊細さと女性的な美しさのある建物といわれています。
 昭和52年(1977)来日したアメリカ現代建築界の巨匠・チャールズ・ムーアは「庭園では京都の苔寺(西芳寺)、建築では吉島家」をあげて絶賛したそうです。吉島家住宅は昭和41年(1966)に国の重要文化財に指定されています。
 吉島家住宅には、防火用の「火垣」が設けられています。火垣は板塀上部に立ち上がっている袖壁です。敷地の北側面に北西側からの延焼を防ぐ為設けられたもので延長21.7m、桟瓦葺きです。

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旧吉真家住宅

2024年09月13日 | 旅 歴史

 岐阜県高山市上岡本町に飛騨民俗村・飛騨の里があります。
 旧吉真(よしざね)家住宅は、桁行13.9m、梁間9.4m、入母屋造り、茅葺きの2階建です。飛騨市河合町角川にあったものを移築しています。安政5年(1858)の角川地震(飛越地震)にも耐えた頑丈な造りになっています。マグニチュード7をこえた角川地震は全壊家屋378軒、半壊497軒、死者207名という大規模なものでした。
 豪雪地帯ならではのどっしりとした土台や太い柱や梁、桁などで組まれています。なかでも左右側面の四隅などに立つ柱は、上部が二股になった「むかい柱(のぞき柱)」と呼ばれ、全国でも飛騨の一部だけに見られる地域色の強いものです。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定されています。

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