京都府宮津市文珠に天橋立があります。
松島、宮島と並んで日本三景の一つである天橋立は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が立てかけた天と地とを行き来していたはしごが、眠っている間に倒れてしまって天橋立になったと「丹後国風土記」には記されています。
天橋立は、別名「天に通う神秘の橋」と言われ、この地に残る伝説には、様々な神が登場してきます。全長3.6kmにも及ぶ「海の回廊」には8千本もの松が生い茂っています。
伊邪那岐命が天上に通うための道であった天橋立。そしてその子孫が投げた宝珠が天へと通じる御橋となり、そこを天女たちが降りてきたという神話も残っています。
現実には宮津湾奥の野田川や天橋立北側の川から流出する土砂が、南への海流で運ばれて堆積し、氷河期と間氷期に海水面が上下した作用で現在のような珍しい地形が出来たと考えられています。まさに数千年の歳月を経てできたものなのです。
宮津湾北岸の江尻から南西にのびる全長約3.6km、幅20mから70mの細長い砂嘴(沿岸流によって運ばれた砂礫が湾口の一方の端から海中に細長く堆積したもの)です。
砂嘴の白砂は美しいクロマツにおおわれています。古来よりこの風景が神秘的であったため数多くの神話や伝説を生み出しています。
「大江山 いくのの道は 遠ければ
まだ ふみもみず 天の橋立」
有名な小式部内侍の歌です。
明治20年(1887)頃になると、地域の海路、陸路の整備が進むにつれ、観光資源として本格的に意識されはじめました。明治38年(1905)には内務省の地盤国有公園、大正10年(1921)には国の名勝に指定されました。
大正13年(1924)の舞鶴・宮津間の鉄道開通が、観光客の急激な増加をもたらし、観光地としての天橋立を確立することとなりました。大正13年4月舞鶴・宮津間が開通し、翌年7月に天橋立駅が設置されたのです。
椋平虹伝説というのがあります。虹を見た時から3日のうちにどこかで地震がおきるというのです。椋平廣吉が17歳の時、対岸の黒崎という岬の上に虹のきれはしのような雲を見つけ不思議な虹の観測をはじめたのです。彼の予知的中は全国に伝わり、以後「椋平虹」論争が繰り広げられたのです。
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