旅と歴史

全国各地の史跡を取り上げて紹介しています。

智源寺本堂

2017年06月30日 | 旅 歴史
 京都府宮津市京街道に智源寺(ちげんじ)があります。
 智源寺の本堂は寛政9年(1797)の火災で被災し、文化元年(1804)に再建された建物です。本堂の天井には20の枠に美しい花鳥図が描かれています。円山応挙十哲である円山四條派と土佐派20人による傑作といわれ、京都府指定文化財に指定されています。

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智源寺

2017年06月29日 | 旅 歴史
 京都府宮津市京街道に智源寺(ちげんじ)があります。
 赤い山門が目に鮮やかな松渓山智源寺は曹洞宗の丹後地方随一の名刹です。寛永2年(1625)、宮津藩主・京極高広が母親の菩提を弔うため、心庵盛悦善師を懇請して開山したのが始まりです。
 山号の松渓山と寺号の智源寺は戒名の「惣持院殿松渓智源大禅定尼」に由来しています。寛文元年(1661)大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、中本山として丹後曹洞宗の諸寺を統率し、末寺67ヵ寺を擁しました。
 智源寺は京街道の要所に位置しているため、宮津城城下町の防衛も兼ねていたようです。京極家が寛文6年(1666)に改易になった後も歴代宮津藩主から庇護され、文化8年(1811)には当時の藩主・本庄宗発より聖観音菩薩立像が奉納されています。
 この本尊の聖観世音菩薩立像は黄金の立像で、飛鳥期末、元興寺の道昭が造ったものといわれています。安永元年(1772)に宮津吉原の畑より出土し、40年間宮津城中に祀られていたものです。

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智恩寺石造地蔵菩薩立像

2017年06月28日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字文珠に智恩寺があります。
 智恩寺には石造地蔵菩薩立像が3つあります。応永34年(1427)のものは、大江越中守の発願により造立された一千体地蔵の内の一つ、永享4年(1432)のものは三上因幡守の発願により造立されています。この2つの石像は宮津市指定文化財に指定されています。

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智恩寺石造宝篋印塔

2017年06月27日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字文珠に智恩寺があります。
 智恩寺にある石造宝篋印塔(ほうきょういんとう)は和泉式部の歌塚といわれています。丹後守藤原公基が日置金剛心院で式部が書き捨てた和歌を持ち帰り、なみだの磯(涙が磯)に埋めて鶏塚としたそうです。その一首が
  「いつしかと待ちける人に一声も
         聞せる鶏のうき別れかな」
 その後、明応年間(1492-1501)の頃、砂に埋まった塚を掘り出して文殊堂に建てたそうです。鎌倉時代のもので、宮津市指定文化財です。

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智恩寺鉄湯船

2017年06月26日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字文珠に智恩寺があります。
 智恩寺にある鉄湯船は鎌倉時代の正応3年(1290)に河内国の鋳物師・山川貞清により造られています。現在は手水鉢として使われていますが、昔はお寺の風呂の湯船として使われていました。成相寺にも同じ鋳物師が造った鉄湯船が残されています。

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智恩寺文殊堂

2017年06月25日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字文珠に智恩寺があります。
 智恩寺の文殊堂は本堂になります。間口5間の宝形造り、銅板葺きの建物で、一部に室町時代の古材を残していますが、明暦3年(1657)の改修により現在の姿になったと思われます。平成9年(1997)から平成11年(1999)まで大修理を施しています。前面2間を吹放しの外陣とし、四囲は吹放しの化粧軒天井です。
 堂内には本尊の木造文殊菩薩と、善財童子、優てん王の3体を安置しています。いずれも鎌倉時代後期に造られた国指定重要文化財です。文殊像は、如意を持って獅子の上の蓮華座上に安坐し、善財童子は経箱を捧げて立っています。

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智恩寺多宝塔

2017年06月24日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字文珠に智恩寺があります。
 智恩寺の多宝塔は室町時代後期の明応10年(1501)、丹後国の守護代で府中城主であった延永修理之進春信(のぶながしゅりのじょうはるのぶ)が、病気全快を感謝して、一宮別当大聖院の僧、智海(ちかい)に建てさせました。多宝塔は明治37年(1904)に国の重要文化財に指定されています。
 智恩寺の多宝塔はこけら葺きの、三間多宝塔です。上重は円形で亀腹を付け、宝形の屋根を載せて、その上には相輪があります。下重は周囲に方形の裳階を付け、内部には来迎柱が立ち、前方の須弥壇に大日如来が安置されています。来迎壁の背面には智海により片足を上げた不動明王が描かれています。

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智恩寺山門

2017年06月23日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字文珠に智恩寺があります。
 智恩寺山門は茶屋通りに面し、「黄金閣」とも呼ばれています。朝廷より黄金を下賜されたことからこの名がついたそうです。丹後地方最大の山門で、宮津市指定文化財です。三間三戸の二重門で、本格的な唐様(禅宗様)建築です。上層には釈迦如来を中央に両脇士・十六羅漢を安置し、下層の柱間に建具は無く開放的です。

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智恩寺

2017年06月22日 | 旅 歴史
 京都府宮津市字文珠に智恩寺があります。
 天橋山(てんきょうざん)智恩寺は臨済宗妙心寺派のお寺です。「切戸の文殊」、「九世戸(くせど)の文殊」、「知恵の文殊」とも呼ばれ、日本3文殊の一つに数え上げられています(他の2つは奈良県桜井市の安倍文殊院の安倍文殊、山形県高畠町の大聖寺の亀岡文殊です)。
 本尊の文殊菩薩は智恵を授かる文殊さんとして有名で「知恵の文殊」とも呼ばれています。善財童子(ぜんざいどうじ)・優てん王(うてんおう)を従えた文殊騎獅像で秘仏とされ、正月三ヶ日、1月10日、7月24日の年5日だけ開帳されます。
 大同3年(808)、平城天皇の勅願寺として開かれたのが始まりと伝えられ、延喜年間(901-923)には醍醐天皇から寺号と勅額を下賜され繁栄しました。当初は密教(真言宗)のお寺でしたが、南北朝時代以降に禅宗のお寺になったようです。
 中世では足利氏、細川氏、京極氏に庇護され、足利義満は6回も訪れています。永正3年(1506)に雪舟の国宝・「天橋立図」には広大な境内を有する智恩寺が描かれています。 智恩寺多宝塔、木造文殊菩薩、脇侍善財童子、優てん王像、金鼓、鉄湯船は国の重要文化財に指定されています。

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天橋立

2017年06月21日 | 旅 歴史
 京都府宮津市文珠に天橋立があります。
 松島、宮島と並んで日本三景の一つである天橋立は、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)が立てかけた天と地とを行き来していたはしごが、眠っている間に倒れてしまって天橋立になったと「丹後国風土記」には記されています。
 天橋立は、別名「天に通う神秘の橋」と言われ、この地に残る伝説には、様々な神が登場してきます。全長3.6kmにも及ぶ「海の回廊」には8千本もの松が生い茂っています。
 伊邪那岐命が天上に通うための道であった天橋立。そしてその子孫が投げた宝珠が天へと通じる御橋となり、そこを天女たちが降りてきたという神話も残っています。
 現実には宮津湾奥の野田川や天橋立北側の川から流出する土砂が、南への海流で運ばれて堆積し、氷河期と間氷期に海水面が上下した作用で現在のような珍しい地形が出来たと考えられています。まさに数千年の歳月を経てできたものなのです。
 宮津湾北岸の江尻から南西にのびる全長約3.6km、幅20mから70mの細長い砂嘴(沿岸流によって運ばれた砂礫が湾口の一方の端から海中に細長く堆積したもの)です。
 砂嘴の白砂は美しいクロマツにおおわれています。古来よりこの風景が神秘的であったため数多くの神話や伝説を生み出しています。

 「大江山 いくのの道は 遠ければ
    まだ ふみもみず 天の橋立」

 有名な小式部内侍の歌です。
 明治20年(1887)頃になると、地域の海路、陸路の整備が進むにつれ、観光資源として本格的に意識されはじめました。明治38年(1905)には内務省の地盤国有公園、大正10年(1921)には国の名勝に指定されました。
 大正13年(1924)の舞鶴・宮津間の鉄道開通が、観光客の急激な増加をもたらし、観光地としての天橋立を確立することとなりました。大正13年4月舞鶴・宮津間が開通し、翌年7月に天橋立駅が設置されたのです。
 椋平虹伝説というのがあります。虹を見た時から3日のうちにどこかで地震がおきるというのです。椋平廣吉が17歳の時、対岸の黒崎という岬の上に虹のきれはしのような雲を見つけ不思議な虹の観測をはじめたのです。彼の予知的中は全国に伝わり、以後「椋平虹」論争が繰り広げられたのです。

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伊根の舟屋

2017年06月20日 | 旅 歴史
 京都府与謝郡伊根町に伊根の舟屋があります。
 全国的にも有名な舟屋の街並みです。伊根湾の5kmにも及ぶ周囲に、昔ながらの約230軒の舟屋が建ち並んでいます。映画「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」の舞台となり一躍有名になりました。
 舟屋とは民家の一階海側に船倉等が付いた家屋のことです。古くから漁業を営んできた伊根の人々の生活の知恵です。伊根は京都府で一番の漁獲高を誇っています。ここでとれる伊根ブリは特に有名です。
 NHKドラマ「ええにょぼ」でも舞台となりました。阪東英二の素人っぽさが印象に残っています。戸田菜穂の初々しさも覚えています。
 漁民は海岸線より20mほど上の山際に住んでいたようですが、漁業を営む上で便利な海岸近くをおりてきて、山ぞいに母屋を建て、海岸に舟小屋をつくり、すぐに海に出られるようにと考えたそうです。
 潮の干満の差は年間を通して5、60cmと少なく、海が急に深くなっているので、舟の出し入れに便利だったようです。舟屋の集落ができた要因です。

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屏風岩

2017年06月19日 | 旅 歴史
 京都府京丹後市丹後町筆石に屏風岩があります。
 国道178号を東に走ると筆石の海岸に屏風岩が見えます。打ち寄せる日本海の荒波に削られて海中から屏風のように立ち上がっています。屏風岩は高さ13mもあるそうです。悠々とそびえ立つ姿は力強くとても美しく圧巻です。
  屏風岩は海食崖を形成する網野累層の白っぽい凝灰岩堆積後、中新世末に貫入した堅固な石英安山岩の岩脈が、選択的な海食により削り残され陸地から離れて岩として残されたものだそうです。

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丹後松島

2017年06月18日 | 旅 歴史
 京都府京丹後市丹後町此代(このしろ)に丹後松島があります。
 平海水浴場一帯の海岸線は、日本三景松島に非常に似ていることから、丹後松島と呼ばれています。
 青い海面に点々と松の緑に包まれた大小の島々が連なっています。一幅の絵のように見事な景観を示しています。
 ここから1km北には犬ヶ岬の奇勝があります。岬の形が犬に似ているところから名づけられたそうです。
 丹後には浦嶋伝説があります。海岸に立っているとわかる気がします。浦嶋子つまり浦嶋太郎は丹後の人だと、日本最古の記述である「日本書紀」には記されています。
 浦嶋子は亀の化身である女性と蓬莱山へ行き3年の結婚生活後故郷に戻ってきます。そして玉手箱を開いてしまうという記述は「丹後国風土記」にもあるそうです。

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琴引浜鳴き砂文化館

2017年06月17日 | 旅 歴史
京都府京丹後市網野町掛津に琴引浜鳴き砂文化館があります。
 ここは世界で初めての鳴き砂をテーマにした体験学習施設だそうです。財団法人日本ナショナルトラストが整備を進めている全国6番目のヘリテイジセンターとして建設されました。
 設計は、和風建築の第一人者である吉田桂二氏によるものです。鳴き砂で有名な琴引浜のすぐ近くにあります。鳴き砂の体験コーナーがあり、浜辺ではできない珍しい装置を使った鳴き砂も体験できます。

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琴引浜

2017年06月16日 | 旅 歴史


 京都府京丹後市丹後町網野町に琴引浜があります。
 琴引浜は、全長が約1800mあり、そのすべてが鳴き砂の浜です。歩くとキュッキュッと音が鳴るので「鳴き砂」といわれるのです。日本の白砂青松百選、京都府の自然二百選、残したい日本の音風景百選、日本の渚百選にも選ばれています。
 鳴き砂の音が琴を弾いているように聴こえることから琴引浜という名が付いたそうです。丹後田辺城主であった細川幽斎や、その息子忠興の妻細川ガラシャが琴引浜や太鼓浜を和歌に詠んでいます。

細川幽斎
「根上りの 松に五色の 糸かけ津
 琴引き遊ぶ 三津の浦浜」

細川ガラシャ
「名に高き 太鼓の浜に 聞く秋の
 遠にも渡る 秋の夕さめ」

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