3.1(土)
博士論文研究会(それにしてもストレートなネーミングだ)の第2回。今回の報告者は沢口恵一氏(大正大学講師)で、組織生態学の理論的研究が彼のテーマである。組織生態学というのは・・・・、まぁ、なんです、学問の世界にはいろいろなテーマがあるということです。会の後、高田馬場の「天天飯店」で食事。
3.2(日)
日曜日であるが、午前中、大学で会議。入試シーズンは土曜も日曜もありません。会議の後、研究室で早稲田青空古本市で買った沢木耕太郎『深夜特急 第一便』を読む。この本は北杜夫『どくとるマンボウ航海記』(1960年)、小田実『何でも見てやろう』(1961)と並ぶ三大青春放浪記といってもよいのではないだろうか。残念なことは、私は若い頃にこの本を読むことができなかったことだ。『深夜特急 第一便』が出版されたのは1986年の5月だったが、私はそのとき32歳で、5ヶ月になる娘がいた。できればもっと身軽な時期にこの本を読みたかった。この年の7月、私たち一家は市川市に転居し、私は娘をベビーカーに乗せて公園デビューを果たすことになる。
3.3(月)
午前、大学院の科目履修生の面接。午後、教授会。教授会はいつものように長かったが、今日は『深夜特急』を携えていったので大丈夫。「第二章 黄金宮殿」を読む。教授会の最中に本なんか読めるのかというと、もちろん読めるのである。それは学生が授業中に(もちろん大きな教室でないと無理だが)本が読めるのと同じである。教室に居眠りや私語があるように、会議室にも居眠りや私語はある。ときにはたんなる私語ではなく、専修の会議をやっているところもある(会議中に会議!)。さすがに携帯でメールをやっている人はまだ見たことありませんけどね。今日の教授会で入試関連の仕事はすべて終了。夕方から文学部カフェテリアで慰労会(立食パーティー)。みなさん、おつかれさまでした。
3.4(火)
bk1の新着書籍情報メルマガが届いたので見ていたら、『平民社百年コレクション第3巻 安部磯雄』(論創社刊 6,800円)というのがあった。既刊の巻は誰だろうと調べてみると、第1巻が幸徳秋水で、第2巻が堺利彦だった。堺利彦の巻なら購入してもいいかなと思い、その前に「日本の古本屋」で彼の本を検索してみたところ、『堺利彦全集』全6巻(法律文化社、1970年)がいくつかの古本屋から出品されていた。一番高いのは蟻屋書房の35,000円、一番安いのは共立書院の12,000円(ただし、共立書院のものは「2巻函かなりシミあり」と注記されている)、その次に安いのは五山堂書店(ほか数店)の15,000円。『平民社百年コレクション第2巻 堺利彦』の2倍ちょっとの値段で『堺利彦全集』全6巻が購入できるのならその方が得であると判断し、五山堂書房にメールで購入を申し込む。しかし、先日の『清水幾太郎著作集』のときのように、すでに売却済なんてことも十分に考えられる。けれどそれは杞憂に終わり、ほどなくして五山書房から「このたびはご注文を誠にありがとうございました。本書は在庫致しております。保存状態は良好でございます。ただし各巻の扉に個人蔵書印(志賀蔵書)が押されております」とのメールが届いた。蔵書印が押されていることなどまったくかまわない。むしろちゃんとした蔵書家の所有していたものであることがわかって嬉しいくらいである(まさか「志賀」って「志賀直哉」じゃないでしょうね)。すぐに銀行に行き、指定された口座に代金を振り込む(夜、「日本の古本屋」で再び『堺利彦全集』を検索したら五山堂書店のものがリストから消えていた。五山堂書店は対応が迅速なしっかりした古本屋であることがわかった)。
外出したついでに「書林大国」の店先の100円本コーナーをのぞいて6冊購入。「シャノアール」でパラパラ読む。
(1)山根基世『であいの旅』(毎日新聞社、1988年)
山根さんはNHKのアナウンサーで、早稲田大学文学部の英文専修のOG(私が入学する2年前に卒業された)。38歳のときに13歳年上の男性と結婚されたのだが、そのときの気持ちを正直に書かれたエッセーが興味深かった。
(2)『尾崎豊Say good-by to the sky way』(リム出版、1992年)
尾崎豊は1992年4月25日に死んだ。本書はその3ヵ月後に出版された追悼本。400頁というボリューム、上質の紙、多数の彼の写真、全作品の歌詞、これが100円で入手できるとはとても信じがたい。
(3)山崎正和『不機嫌の時代』(新潮社、1976年)
「ひとつの名伏しがたい未知の気分が、そのころ、やうやく生まれたばかりの日本の中産階級の家庭を侵し始めてゐた。/それは、捉えどころのない漠然とした気配ではあったが、しかし、人びとはそれがこれでの経験のなかにない、ひとつのえたいの知れない鬱屈であることには気づいてゐた。明治四十年代の初頭、すなわち、日露戦争の戦後がしだいに「戦後」として意識されるやうになったころ、人びとはにはかにまざまざと、それが自分の日常を浸していることを自覚し初めてやうであった。」・・・・魅力的な書き出しだ。もしかしたら林真理子はこの山崎正和の本のタイトルから『不機嫌な果実』という彼女の小説のタイトルを思いついたのではなかろうか。
(4)高橋源一郎『さようなら、ギャングたち』(講談社、1982年)
もちろん高橋源一郎の出世作(群像新人長編小説賞優秀作)にして代表作であるこの小説はすでに読んでいる。ただし文庫本で。今日、購入したのは単行本、それも初版本である。これがたった100円とは!
(5)富岡多恵子『丘に向かってひとは並ぶ』(中央公論社、1971年)
魅力的なタイトルの短篇(中篇?)小説集。冒頭の表題作の書き出しは、「ヤマトの国からきたといっても、ヤマトの国というのはどこなのかだれも知らない」。次の作品「希望という標的」の書き出しは、「去年の九月の終わりごろ、私はニューヨークから汽車で二時間ほどのトレントンという駅についた」。そして最後の作品「イバラの燃える音」の書き出しは、「荒物屋のおスマさんは一日中じっと坐っていることはなかった」。物語の時代的・空間的・階層的設定は自由自在。プロの小説家だ。
(6)源氏鶏太『若い仲間』(集英社、1960年)
1960年と言えば「60年安保」である。とくに私のように「清水幾太郎」に関心のある人間ならばなおのことそうである。しかし、忘れてはならないことは、市井の人びとは「安保」にそれほどの関心はなかったということである。私が源氏鶏太の往年のサラリーマン小説を読むのは、そういう当たり前のことを忘れないためである。
3.5(水)
Bunkamuraザ・ミュージアムで開催されている「メトロポリタン美術館展」を妻と見に行く。9日で終了なのでたぶん混んでいるだろうと思って行ったらやはり混んでいたが、文学部の同僚のK先生も奥様(ですよね?)といらしていたのには驚いた。世間は狭いです。75点の作品が展示されていたが、やっぱりピカソは群を抜いている。「いいな」と思う作品があるとたいていピカソの(私の知らなかった)作品である。モディリアーニやルオーやユトリロやローランサンの作品は、一目見て彼らの作品であることがわかるが、ピカソの場合は時期によって題材や画風が大きく変化する。しかし、その空間の処理や色使いの確かさは一貫していて、他の追従を許さない。会場を出る前に、もう一度、入口の方に戻って、彼の「盲人の食事」を目に焼き付ける。この作品は数種類の画集で見て知っていたが、実物はそのどれよりも美しい色彩と繊細な陰影を帯びていた。
東急本店8階のレストラン街の蕎麦屋で昼食をとり、ル・シネマの『小さな中国のお針子』の2回目の回の予約をしてから、東急本店向かいのブックファーストで上映開始時刻までの時間をつぶす。3冊の本を購入。
(1)和田誠・村上春樹『ポートレイト・イン・ジャズ2』(新潮社、2001年)
まったく迂闊な話なのだが、『ポートレイト・イン・ジャズ』の「2」が出ていたことに今日始めて気がついた。たぶん新聞の広告は見ていたはずだが、『ポートレイト・イン・ジャズ』の宣伝をまたやっているものと思い込んでいたのだ。2冊が棚に並んでいるのを見て自分の勘違いに気がついたしだい。村上春樹の小説の主人公じゃないが、「やれやれ」だ。
(2)『できる一太郎13』(インプレス、2003年)
最近買った「一太郎13」のガイドブック。ワードのガイドブックは腐るほど店頭に並んでいるのに、一太郎のものはめったに見かけない。ようやくここで(しかも本棚の片隅で)見つけました。
(3)MICHAEL J. FOX, Lucky Man: a memoir, Ebury Press, 2003(paperback edition)
すでに翻訳で読んでいるが、ペイパーバックが出たので。
『小さな中国のお針子』はいい映画だった。文化大革命の最中の1971年、2人の青年が反動的知識青年として再教育のため四川省の山奥の村に送られてくるところから物語は始まる。その村で2人は「小さなお針子」と呼ばれる美しい娘(永作博美に似ていると思ったのは私だけでしょうか)と出会う。2人は禁書とされている外国小説(バルザック、スタンダール、フローベル、ドストエフスキー、デュマ・・・・)を盗み読んでは、字の読めない娘に朗読して聞かせてやる。バルザックの影響を受けた娘は、ある日、一人で村を出て行く。新しい人生を自分の力で切り開いて行くために。それから30年の歳月が流れる。青年の1人はヴァイオリニストとなりフランスで暮らしている。あの山奥の村がダムの建設のために水の底に沈むというニュースを知り、初恋の娘へのお土産の香水を買って、その村を訪ねる。しかし、娘はそこにはいない。なつかしい村の風景や村人を撮ったビデオを携えて、彼はもう一人の青年(上海で高名な歯科医になっている)のところへ行き、一緒にそのビデオを見る。もう一人の青年も20年ほど前にその娘の行方を捜したかことがあるが、わからなかったということを話す。かつて娘が住んでいた家に残されていたミシンの上に置いてきた香水の壜が水の底に沈んでいく・・・・。というふうに物語の荒筋を紹介すると、悲しい話のように聞こえるかもしれないが、確かに切なくはあるが、随所にユーモアがちりばめられていて、いわゆる「文化大革命の裏の真実を暴く」映画ではない。どんなに辛い時代にあっても、人は笑うし、恋をするし、そして一冊の本が人生を変えることがある。つまり、そういう映画だ。
3.6(木)
『山の郵便配達』(フォ・ジェンチイ監督、1999年)をビデオで観る。気になっていた映画だったが、「岩波ホールで上映された映画だから、どうせしみじみとしたいい映画なのだろう」と観る前から内容が予想できてしまって、いままで放っておいた。それを観る気になったのは、『小さな中国のお針子』のプログラムを読んでいたら、マー(ヴァイオリンを弾く青年)役のリィウ・イエは『山の郵便配達』の息子役で映画デビューしたと書いてあったからである。リィウ・イエは、日本で言えば、デビューした頃の筒井道隆のようなピュアでナイーヴな雰囲気をもった、これまでの中国映画には見られなかったタイプのスターだ。というわけで、リィウ・イエ目当てで観た『山の郵便配達』だったが、期待したとおり、リィウ・イエはよかった。険しい山岳地帯の村々をゆく郵便配達の父とその後継者の息子の物語で、息子が小さい頃、父が転勤で3ヶ月に1度しか家に帰って来なかったため、2人の間には薄い膜のようなものがいまだにあって、息子は父のことを「お父さん」と呼ぶことができずに「あなた」と呼んでいる。その2人が郵便配達の仕事の引継ぎのために、「次男坊」という名前の犬と一緒に、2泊3日の山行に出る。そして、途中の村の人びととの交流や父との対話を通じて、息子の中に、郵便配達という仕事を自分の一生の仕事とする決意と、父との「和解」が生まれる。やはり「しみじみとしたいい映画」だったが、「しみじみしなさい」という押し付けがましいところがなかったので、素直な気持ちでしみじみできた。ひとつだけ違和感があったのは「次男坊」という字幕で、日本語の字幕で犬の名前なんだからやっぱり「ジロー」でしょ。
3.7(金)
川本三郎『郊外の文学誌』(新潮社、2003年)を読む。『新潮』に連載していたものが単行本となったものだが、同じ著者が『大航海』に連載していた「林芙美子と昭和」がつい最近『林芙美子の昭和』(新書館、2003年)として単行本になったばかりで、300頁(前者)、400頁(後者)の本を立て続けに出すというのは、凄い。『郊外の文学誌』は「東京の郊外」の歴史を、田山花袋から庄野潤三まで(日露戦争後から太平洋戦争後まで)の「郊外」を舞台とした小説を素材にして、論じたものである。序に曰く、「日本の近代は、郊外住宅抜きには語れない。大正から昭和にかけて『ノンちゃん雲に乗る』のお父さんのような都市中間層が生まれ、社会に中核になったとき、その居住地として郊外が選ばれていった。そして、そこに生きる小市民の暮しが、日本人の典型的なライフスタイルになっていった。世田谷に住んだ長谷川町子の『サザエさん』や、子供時代、中目黒に住んだ向田邦子の作品で繰返し描かれるのは、郊外生活する小市民の慎ましい幸福である。・・・・この「理想としての郊外」が現実でもなおあるべき故郷として人々に懐かしくイメージされていることは、一九八八年に公開されて大ヒットした宮崎駿のアニメ『となりのトトロ』が、まだ「武蔵野」の面影を残す昭和三十年代の埼玉県所沢の郊外を舞台にしたことでもわかる。」また、最後の章に曰く、「思えば、日本の近代文学は「家族の不幸」をこそ描き続けていた。私小説は、繰返し、家という制度の重さ、父への反抗、夫婦関係の息苦しさを描き続けてきた。家庭小説を描いた作家の早い例に、夏目漱石がいるが、漱石の描く家庭には、どこか冷たい風が吹いていた。・・・・/しかも、多くの作家にとって、国家や社会という大状況に比べると、家族や家庭は、小さな日常として軽んじられてきた。大の男が、家族愛や夫婦愛など語るべきではないと考えられた。それは、戦前の家父長制的な家族制度が崩壊したあとも変わらない。「家庭の幸福」という、考えてみれば、生活者にとってもっともかけがえのない基本が、「小市民的」と切り捨てられた。「小市民」とか「プチブル」といった言葉は、戦後の日本社会で長く否定の言葉として使われてきたことを忘れてはならない。/戦後、そういう風潮が強かった昭和二十年代のなかばに、庄野潤三は、「家庭の幸福」「小市民の幸福」という、それまで近代文学が関わろうとしなかった世界に身を寄せていこうとした。これは実に新鮮で、大仰にいえば、日本の近代文学史上、画期的なことといってよかった。コロンブスの卵といってもいいだろう。」・・・・なるほど、庄野潤三はそういうふうに位置づけられるのか。私は、「家庭の幸福」が日本の近代文学で脚光を浴びたのは、メーテルリンクの「青い鳥」が大正期に誤読的に(「あなたのおうちの幸福」を「真の幸福」と誤解して)受容されたときのことであると思うが、それはあくまでも児童文学という「おんな・こどもの文学」の世界のことで、「おとこの文学」の世界ではたしかに庄野潤三の登場をまってのことかもしれない。これは、もう、さっそく彼の『夕べの雲』を読まなくちゃ。
3.8(土)
大隈会館で社会学専修の97年度卒業生の同期会があった。120名の同期生の40%にあたる48名が集まった。女性が6割以上を占めていたように思う。地方から駆けつけた人や、お腹の大きな人もいた。一人一人がマイクの前で近況報告をした。彼らが3年生のとき、私は社会学研究Ⅲという授業をもっていて、その授業では一人一人が教卓のマイクの前でクラスメートの書いたレポートを読んだ感想を述べるということを何度かやった。今日、目の前で近況報告をする彼らの姿と7年前の教室での彼らの姿が重なって見えた。7年前は「日常」を相対化し分析の対象とすることに彼らは熱心であったが、今日は自分たちが置かれている「日常」がいかに多忙であるかを語ることに彼らは熱心であった。そこにはたんなる事実だけではなく、自負や、自嘲や、諦念といった気分も含まれていたように思う。5年という歳月を淡々と語ることは難しい。夕方、社会学専修の出身で卒業3年目のMさんが研究室を訪ねてくる。たくさんの卒業生と一堂に会するのも楽しいが、一人の卒業生と喫茶店の小さなテーブルで話し込むのもいい。教師の人生の楽しみは教え子が増えていくことである。
3.14(金)
1週間ぶりの「フィールドノート」である。この1週間、だらだらと「春休みの日々」を送っていた。午前10時頃に起き(「起き」と書くと主体的な印象を与えるが、実際は飼猫に顔を舐められて目が覚めるのである)、遅い朝食をとりながら食卓の上のノートパソコンで新聞各社のホームページを見てまわり、午後はあれこれ本を拾い読みし、夕方近くに散歩に出て本屋(新刊本屋と古本屋)を数軒のぞき、夜はTVドラマを見たり、本を読んだり、ぼんやりしていたりで、気づくと午前3時頃になっている・・・・そういう日々である。
「或る人は、生活というものに、一度も出会わないで死んでゆく。」昨日買って、今日、電車のシートで読んだ秋山駿のエッセー集『舗石の思想』(講談社文芸文庫)の冒頭の一篇「ノートの声」の冒頭の一文である。「こういう人の一日は、つまり、昨日という一日とまったく同じものなのだ。その昨日はというと、そのまた前の一日とまったく同じ内容を繰り返したものに過ぎないのだ。そして、明日は?・・・・いや、そんなふうに考えるはずはない。考えれば否応なく、新しい生活というものが始まってしまう。それでは、昨日もなく明日もなく、ただ一日の内部のなかに、自分の生を石化させておくことができなくなってしまう。」まったく評論家というのは辛辣なことを平然と書くものである。しかしその批判の矛先は当然すぐに筆者自身にも向けられる。「それなら、私は確かに生活をしているのか、と思えば、恐ろしいほどだ。(中略)私がこの三日ばかりを、まったくの無為の中で過ごした。つまり、ただ寝て、食べて、テレビを見て、そんなことだけで一日を過ごした。まったく何もしないで消費してしまった。そして、その時間はもう還ってはこない。と取るに足らぬ三日間というものが、そこで封印され、その形で完了してしまったのだ。」筆者の自戒は読者である私にも反省の念を生じさせる。なんとかしなくては。「毎日毎日の歩行が小さな冒険旅行であった、あの少年時の光景を私の内部に再生しよう。あの道この道の至る処で、私は見た。現実を構成する繊維と、人間の切れ切れの姿とが、生存の不思議に深い光景の中で交錯するところを。/ーいろんな発見を力いっぱい持って帰っては、その探検報告をノートに記した。そのノートは、いまもそのために開かれていなければならぬ。/(中略)このノート決して手放すな。白い紙を前に、ただ緊張して待っているその時間を失ってから、お前の堕落はひどいものになった。」・・・・というわけで(苦笑)、一週間ぶりの「フィールドノート」です。
今日は午前10時から第一文学部の科目履修生(聴講生)の面接があって大学に来た。JRの定期券はもう有効期限が切れているが、4月中旬に授業が始まるまでは平均して週2回程度の登校なので、定期を継続するには及ばない。面接は11時頃には終わり、大学が用意してくれたお弁当(京樽のちらし寿司)を研究室で食べる。育ち盛りの中年にはもの足らない分量で、戸山図書館で借りた『定本花袋全集』第一巻を携えて(川本三郎が『郊外の文学誌』の中で紹介していた「本邦初の通勤小説」である「少女病」を読むため)、「カフェ・ゴトー」にチーズケーキを食べに行く。「カフェ・ゴトー」は卒業生(と言っても私が文学部で教えるようになってからの話だから、ここ10年くらいの卒業生、とくに女性)にとても人気のある喫茶店で、先日の同期会のときも、会の後で何組ものグループが「カフェ・ゴトー」でおしゃべりを楽しんだらしい。地下鉄の駅から文学部までの道沿いには、マクドナルド、モスバーガー、ケンタッキー、サブウェイ、シャノアール、松屋、てんや、銀だこ、といったチープな店が林立しているが、それだけに「カフェ・ゴトー」のようなクラシックな雰囲気の喫茶店は貴重だ。もっとも私はたまにしか来ない。それも人と話をするために来るのがほとんどで、今日のように一人で来ることはめったにない。私が一人で喫茶店に入るのは本を読むためだが、「カフェ・ゴトー」の落ち着いた照明は本を読むためにはいささか暗いのである(唯一読書に適した入って左手の窓際の大きなテーブルはいつもたいてい先客がいて、今日もやはりそうだった)。「少女病」は面白い小説だった。明治40年の4月、つまり彼の出世作『蒲団』の出る5ヶ月前に、雑誌『太陽』に発表された短編だが、そこで描かれている主人公の姿は『蒲団』の主人公のそれと瓜二つといってよい。「少女病」は『蒲団』のための習作、あるいは『蒲団』の副産物だと言ってよい。ベイクド・チーズケーキは美味しかった。紅茶はポットでもってきれくれ、カップで三杯は飲めるのが長っ尻にはうれしい(レモンのスライスも2枚付いてくる)。会計のときマスターに確認したところ、店を始めたのは12年前とのことで、確かその前は「ルプティニ」という名前の喫茶店でしたよねと聞くと、その店はいまは池袋の方にあるとのことだった。
「カフェ・ゴトー」を出て古本屋街を散歩する。最初に文房具屋で紙袋を買い、買った本を次々に入れていく。「西北書房」で坪内祐三編『明治文学遊学案内』(筑摩書房、2000年)。これはすでにもっているかもしれにないのだが、先日、読もうと思ってあちこち探したがないので、もっている気がしていただけなのかもしれない。「安藤書店」で清水将之『青い鳥症候群』(弘文堂、1983年)。ここはどんな安価な本でもきちんとビニールのカバーをして、売値を記入した腰帯を付けてある。神田でもこういう古本屋は少ない。「岸書店」で『オーウェル評論集』(岩波文庫、1982年)と『ワーズワース詩集』(岩波文庫、1957年)。ここは仏教関係専門の店であることを入ってから思い出した。すぐに出るのも失礼なので、入口近くの文庫本コーナーを眺めていたら、つい購入。「二朗書房」で大隈秀夫『大宅壮一における人間の研究』(山手書房、1977年)。レジの青年は、不慣れなのか生真面目なのか(あるいは不慣れで且つ生真面目なのか)、本を紙で包むのにえらく時間がかかった。あともう一軒、名前を思い出せない古本屋で清水幾太郎『現代思想』上下(岩波書店、1966年)と『現代日本文学大系88 阿川弘之・曾野綾子・庄野潤三・北杜夫集』(筑摩書房、1970年)。『現代思想』はハードカバー・箱入りのときのもので、しかも初版。これが2冊で300円とは感嘆してしまう。『現代日本文学大系』の方は庄野潤三の作品(芥川賞受賞作の「プールサイド小景」が入っている)を読みたくて。300円だから文庫を買うよりも安い。
ずっしりと重くなった紙袋を下げて、久しぶりに中央図書館へ行く。雑誌のバックナンバー書庫で、『簡易生活』という明治40年頃に上司小剣らが出していた月刊誌について調べる。「簡易生活」は「シンプルライフ」の訳語で、日露戦争後の「金の世」の中で「シンプルライフ」という生き方が脚光を浴びたのである。バックナンバー書庫は何時間いても、いや、何日通っても飽きることがない。「宝庫」という言葉がぴったりする。記事を読みつつコピーをとり、コピーをとりつつ記事を読んでいたら、空が暗くなっていた。
昨日読んだ久野昌之原作・谷口ジロー絵『孤独のグルメ』(芙蓉社文庫、2000年)というコミックの主人公を気取って、大隈通り商店街にある初めての洋食屋にふらりと入り、オムライスを注文する。750円という値段は学生街の洋食屋にしては少し高いと思うが、卵を3つくらい使っているのではないかと思われるボリューム(カップスープとサラダも付く)は確かに男子学生も満足するだろう。私はトマトケチャップが卵にかかっているものを想像していたのだが(高田牧舎のオムライスがそうだ)、ここのはデミグラスソースだった。そういえば竹内結子主演のTVドラマ「ランチの女王」に出てきたオムライスもデミグラスソースだった。オムライスといえばこちらの方が主流なのかもしれない。私はどちらも好きだが、生憎、昨日の晩ご飯がハヤシライスだったので、デミグラスソースが二晩続くことになってしまった。まあ、美味しかったからいいけど。食後にコーヒー(250円)を頼んでちょうど1000円なり。研究室に戻る途中で「ルネッサンス」に立ち寄り、いいだもも・伊藤誠・平田清明編『いまマルクスが面白い』(有斐閣新書、1988年)を購入。昭和の終焉、ベルリンの壁の崩壊、ソ連邦の解体、そうした歴史の大きな転換点の「手前」でこういう本が出版されたところが「面白い」。ルネッサンスはとても古本屋とは思えない小綺麗な内装で、正直、大丈夫なのか、頑張ってほしいと、店の前を通るたびに思う。
ただいまの時間、午後11時。研究室でこの「フィールドノート」を書いている。まもなく警備員さんが見回りに来るだろう。さて、今日の分をホームぺージにアップして、帰るとしましょう。