フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2003年5月(前半)

2003-05-14 23:59:59 | Weblog

7限の「社会・人間系基礎演習4」を今日は早めに切り上げて、金城庵でコンパ。参加者34名(37名中)。金城庵の2階はわれわれで貸切。コンパというと居酒屋が多く、周囲が騒がしいのだが、今日は落ち着いて話ができてよかったと思う。偶然なのだが、ここ金城庵の2階は、ちょうど30年前、私が第一文学部に入学して、最初のクラス・コンパをやった場所である。そのときの集合写真が一枚手元に残っていて、19歳の私が澄ました顔で写っている。アルコールを好まず、初対面に等しい人間に内面を吐露するという行為を好まず、「俺は将来小説家になって芥川賞をとる」などと臆面もなく宣言するクラスメートにやれやれと思い、目の前の料理は早々に平らげてしまい、後はコンパがお開きになるのを手持ち無沙汰にただ待っている、そういう顔である。私がコンパに参加したのはそれが最初で最後であったと思う。あきれるほど社交性のない学生であった。私が大学生活に求めたものは、本を読み、考える時間、したがって一人の時間だった。サークルには所属せず、積極的に友人を作ろうという気持ちもなかった。それで孤独の病に陥らずにいられたのは、大学の外部にいまで言う「居場所」をもっていたからである(週に数回、出身高校のバドミントン部のコーチに通っていた)。今日のコンパの最中、ときどき、30年前の私のような学生がいるだろうかと見渡してみたが、それらしい学生はいなかった。

 

5.2(金)

 目が覚めたら居間のテレビで「笑っていいとも」がかかっていた。昼食(池波正太郎風に言えば第一食)は、妻に断って、近所のラーメン屋「風屋」(かざや)に食べに行く。先日、初めて行った新規開店の店だ(「フィールドノート」4.28を参照)。そのときのチャーシューメンの評価はいまひとつだったので、店の名前は書かなかったが、今日の塩ラーメンは美味しかったので名前を載せることにした。前回との一番の違いは、チャーシューが冷たくなかったこと(したがてスープも熱々のままだった)。「風屋」は四つ角に位地する小さな店で、換気のため、入り口の引戸と勝手口のドアを開けたままにしてあるので、風が店内を吹き抜けていく。まさに「風屋」だ。

 蒲田から多摩川線(旧・目蒲線)で一つ目の矢口渡の駅前商店街の中にある古本屋「ドリーム書房」に初めて行ってみる。少し前に地元のミニコミ誌でこの古本屋のことが紹介されていて、頑張っている感じの古本屋という印象をもっていた(まるでやる気のない古本屋というものがこの世にはあるのだ)。実際、「ドリーム書房」は中年のご夫婦2人が元気に仲良く頑張っている店であった。コミックと文庫本が中心で、単行本は自己啓発本の類が多く、私の好みの本は少なかったが、岩波文庫がまとまって何冊かある中にディケンズの『オリヴァ・ツウィスト』を見つけて、冒頭の主人公が救貧院で生まれる場面を立ち読みしていたら、続きが読みたくなって購入。上下巻揃いで600円。ずっと昔、名子役と言われたマーク・レスター主演の映画『オリバー・ツイスト』を観たことを思い出した。

 夜、「社会学研究9」の2回目の講義記録を作成し、ホームページにアップロードした。明日は、人間の尊厳を保つために、午前中に起きなければ。

 

5.3(土)

 大学院時代からお世話になっているF先生のお母様(享年88歳)のお通夜に出席。そこで岩上真珠さん(聖心女子大学教授)に久しぶりでお会いする。岩上さんは大学院時代の私の先輩で、一緒に本を読んだり、フィールドワークをしたり、ボーリングをしたり、麻雀をした間柄である。しかし、それぞれに就職をしてからは、たまに学会で顔を合わせるだけになってしまった。献花をすませてから、同僚の嶋崎先生も誘って3人で、近くのファミリーレストランで食事をする。おのずと話題はこの2月に亡くなった大学院時代の仲間のH君のことになり、懐かしがったり、しんみりしたりした。

 

5.4(日)

 京都の同志社新島会館で行われたKさんの結婚式に出席。Kさんは同志社大学(神学部)の卒業生だが、2年生のとき、同志社大学と早稲田大学との交換留学生として私の演習で1年間勉強された。今日はそのときのクラスメートだったAさんとOさんも東京から駆けつけていた。お相手のU氏は若き(29歳)社会学者で、現在、北海道教育大学函館校で専任講師をしている。私も結婚は29歳のときだったが、まだ博士課程の4年生で、看護学校の非常勤講師をしていた。20代で専任講師というのは大したものである。結婚式の牧師さんはなかなか面白い人だったが、そのS氏が披露宴のとき私の隣に座っていたのにはびっくりした。実はこのS氏、同志社大学助教授で、Kさんの恩師なのであった。卒業生の結婚式の牧師をよく務めるのですかと質問したら、今回が初めてとのことだった。S氏は披露宴でも大活躍で、ステージでフォークギターを弾きながらスピッツの「青い車」を熱唱された。さて、藤圭子の歌に「京都から博多まで」というのがあるけれど、Kさんの場合は京都から函館に嫁ぐ。子供の頃にお父様を亡くされ、母ひとり子ひとりで育ってきたKさんにとって、お母様をひとり京都に残していくことは心配でもあるだろう。U氏も大阪の出身ということで、将来は2人して関西に戻って来ることを希望している。そのためにはU氏がすぐれた業績を上げることだと、U氏の恩師・友人がスピーチで盛んにU氏にハッパをかけていた。これはかなりのプレッシャーだと、私はU氏に同情してしまった。

 

5.5(月)

 ホテルを10時にチェックアウト。地下鉄東西線(京都にも東西線があるのだ)の東山駅で下車。小さな川に沿って歩いていたら平安神宮の前に出たので参拝することにした。平安神宮は初めて来たが、既視感があるのは映画『陰陽師』で安部晴明(野村萬斎)と名前を忘れてしまったが真田広之演じる悪い術師の闘いの場所がここだったからである。休憩所でサービスの新茶を飲みながら『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読む。今日のテーマは京都散策と『キャッチャー・イン・ザ・ライ』である。次に平安神宮のすぐ側の東山動物園に行く。動物園のよいところは日陰とベンチがたくさんあるところだ。シマウマの厩の裏のベンチで第3章を読み、北極グマの檻の横のベンチで第4章を読んだ。動物園を出て、近くにあるうどん屋「うどん村」で牛スジ肉の煮込みの入ったスタミナうどんというのを食べながら第5章を読む。続いて動物園と平安神宮の間にある京都市美術館でちょうと開館70周年の展覧会をやっていたので見物する。お土産に絵葉書を10枚購入。ずっと立ち通しで足が疲れたので観世会館の側の「和蘭豆」という喫茶店で休憩。第6章を読む。その後、東大路通を北にずっと歩いて京大まで行く。京大の付近には古本屋が何軒かあると聞いていたからだが、途中で一軒見かけた古本屋は閉まっていた。祝日は休みなのかもしれない。それで古本屋探しはやめにして吉田神社に参拝した。社務所横の休憩所のベンチは気持ちのいい風が吹いていたので、ここで第7章、第8章、第9章を読む。第7章の最後のところで、ようやく主人公のホールデン・コールフィールドがペンシー・プレップスクールの寮を飛び出し、にわかに物語が動き始めた。吉田神社のベンチには午後5時過ぎまでいた。京大前のバス停の学生たちの長い列にげんなりして、タクシーに乗って京都駅まで行くことにした。しかし、新幹線の発車時刻(18:43)まではまだ時間があったので、四条烏丸の交差点でタクシーを降り、安上がりな地下鉄に乗る。地下鉄京都駅のホームのベンチで第10章を読む。新幹線に乗る前に駅構内のパン屋で夕食用にカツサンドを買った。新幹線の車内で第11章から第16章までを読む(なぜこの小説のタイトルが『キャッチャー・イン・ザ・ライ』なのかがようやく第16章でわかった)。予定ではもう少し読み進むはずだったのだが、カツサンド(とても美味しいカツサンドだった)を食べてお腹がよくなったら眠くなり、30分ほど居眠りをしてしまった。21:00ちょうどに東京着。帰宅して、風呂に入り、第17章と第18章を読む。今日はここまで。残り(第26章まである)は明日のお楽しみだ。

 

5.6(火)

 午後、帝京大学講師の加藤彰彦氏の博士論文「家族変動の社会学的研究 現代日本家族の持続と変容」の公開審査会に審査員として出席。

 早稲田大学文学部社会学専修の卒業生(私が最初に調査実習を担当したときの学生)で、現在、厚生労働省のリサーチレジデンスとして桜美林大学に所属している原田謙君から、彼が最近書いた論文の載った雑誌(東京都立大学都市研究所『総合都市研究』78号)が送られてくる。論文のタイトルは「ネットワーク特性と家族意識 -伝統的規範と非通念的な結婚観に対する許容度に関連する要因」。背が高く、バンドをやっていたことが印象に残っているが、もう一人前の研究者である。

 Sさんから退院を知らせる葉書が届く。Sさんが体調を崩して入院されたのはもう3年近く前になるだろうか。私がお願いした仕事が一因であった。当初、短期間の入院と思われていたものが、半年、1年、そして2年を過ぎても退院の目途は立たなかった。いつもSさんのことを考えていたわけではないが、季節の移ろいの折々に、海辺の町の病院のベットに横になっているSさんのことを想った。お見舞いに伺うことはSさんが固辞されるので、葉書のやりとりで病状を知るほかはなかったが、いつも決まって「波はありますが、少しずつ調子は上向いています」と書かれており、しかし、「少しずつ」という言葉が何ごとにも慎重なSさんの口癖であることを知っている私は、退院の目途はまだ立っていないのだなと溜息をついていた。だから今日、帰宅して机上のSさんからの葉書を見たときも、また同じ文面を予想しており、「退院しました!」の文字が目に飛び込んできたときは驚いた。本当に長い入院生活でしたね。そして、本当によかった。

 夜、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読み終える。

 

5.7(水)

 夜、社会学演習ⅢDのコンパ(高田馬場の「和民」にて)。6限の授業を休めないM君を除いて全員が参加。5限の授業のときグループ発表の班分けなどをしてだいぶ馴染んだ感じになってきた。私はアルコールはいけない口で、ビールをコップに2杯も飲んだら後はウーロン茶というのがお決まりのパターンなのだが、今日は、隣に座った女子学生に勧められてカシスソーダとオレンジカシスというのを一杯ずつ飲んでみた。どちらもジュースのような口当たりで、美味しく飲めた。しかし、やはりアルコールには違いなく、帰りの東西線の中でウトウトと居眠りをしてしまい、乗換えで降りるべき大手町を通り過ぎ、4つ先の木場まで行ってしまった。帰宅して明日が〆切の原稿を仕上げるつもりであったが、脳からアルコールが抜けず、断念する。はたして許してもらえるだろうか・・・・。

 

5.8(木)

 「社会・人間系基礎演習4」は今日からグループ報告が始まる。グループ報告は2つの意味において相互作用でなくてはならない。第一に、発表当日までにグループ内で十分なディスカッション(=相互作用)が行われなくてはならない。機械的に分担を決めて、各自が自分の担当箇所だけを調べて、相互の調整のないままに、それらをただつなぎ合わせただけの報告はグループ報告とはいわない。第二に、報告者たちと聞き手(他の学生たち)との間に活発な質疑応答(=相互作用)が展開されなくてはならない。グループ報告は報告者の話が終わった時点で終わるのではない。それは前半の終了であり、後半の開始である。前半は報告者がテキストを読んで考えたことを話す段階であり、後半は報告された内容をテキストにして報告者と聞き手とが討論する段階である。つまりグループ報告とは報告者と聞き手との間の共同制作物なのである。いくら報告内容がよくても、質疑応答が活発に行われなければ、グループ報告としては失敗である。報告者は聞き手の質問・意見を喚起するような報告をしなければならず、他方、聞き手は質問・意見が言えるような仕方で報告者の話に耳を傾けていなくてはならない。・・・・という話を教室でしたので、ここにも載せておきます。ちなみに、今回、報告した1班は、「最初にしては」という限定なしで、なかなかよい報告であったと思う。

 

5.9(金)

 「社会学研究9」の講義記録(3)を作成し、ホームページにアップロードする。現在、午前3時。明日は1限の「社会学基礎講義A」がある。なかなか土曜日の睡眠不足状態は解消されそうにない。

 

5.10(土)

 帰りがけに生協文学部店を覗いたら、社会学の本のコーナーにギデンズ『社会学』(而立書房)と『社会学小辞典』(有斐閣)のが突出してうずたかく平積みになっていた。2冊とも私が最近、社会学の授業(社会学基礎講義A、社会学研究9、社会・人間系基礎演習4)で学生に紹介した本である。熱心な学生が何人か生協で注文をして、「売れ筋」本ということでこうなったのであろうか。ギデンズの『社会学』は定評のあるハンドブックで、私は第一版と第二版をもっているが、目の前に詰まれている第三版は買っていなかったので、自宅用に購入。700頁の大著が3600円というのは割安感がある。

 「社会学基礎講義A」の講義記録(2)―今日やった授業の分―を作成し、ホームページにアップロードする。鉄は熱いうちに打て。講義の記憶が鮮明なその日のうちに講義記録を作ってしまうと、気が楽になる。さて、今夜も例によって午前3時。昨日は4時間しか寝ていないのだから、早く寝ればいいものを。

 

5.11(日)

 睡眠不足のつけが回って、昼まで寝ている。食事をとらずに散歩に出る。蒲田東急プラザ6階の栄松堂書店で文庫本を5冊購入。

 (1)谷崎潤一郎『痴人の愛』(新潮文庫)

 何で今頃と私だって思うのだが、昨日、今週の大学院の演習の課題文献の1つである川本三郎「モダン都市の変貌の中で」(岩波書店『近代日本文化論』第5巻所収)を読んでいたら、モダニズム小説の例として漱石の『三四郎』と並んでこの小説が取り上げられていた。『三四郎』は昔読んだことがあるが、『痴人の愛』は未読である。それで「この機会に読んでみよう」と思ったのである。

 (2)長部日出雄『辻音楽師の唄 もう一つの太宰治伝』(文春文庫)。

 「もう一つの」とは、長部はすでに『桜桃とキリスト』で大佛次郎賞と和辻哲郎文化賞を受賞しているからである。辻音楽師の添田唖蝉坊の自伝を読んだばかりだったので、「辻音楽師」という言葉にひかれたということもあって購入。

 (3)サリンジャー『フラニーとゾーイ』(新潮文庫)

 もちろん『キャッチャー・イン・ザ・ライ』を読んだ直後だから。

 (4)坂崎千春『回文の世界へようこそ』(中公文庫)

 子供の頃、回文というものに魅了された。「私、負けましたわ(わたしまけましたわ)」というのがことのほか気に入っていた。この本は著者のオリジナルの回文と絵本作家である著者のイラストがセットになっているところが趣向である。たとえば、桜の花の散る下で徳利をもったほろ酔い加減のイカが「また買っちゃった・・・・」と呟いているイラストには、「桜だ! イカ、今朝も酒買い、堕落さ」という回文が添えられている。なんか、しみじみ、おかしい。

 (5)アダム・スミス『道徳感情論』下(岩波文庫)

 すでに「上」を買ってあるので。

 5冊の文庫本を抱えて、4階の喫茶店「シビタス」に入る。ここは神田須田町の「万惣フルーツバーラー」の姉妹店で、ホットケーキが名物。ほとんどの客がホットケーキを食べている。私も「スタンダード」(450円)を注文する。ホットケーキという食べ物は、これは私の年代だけではないと思うが、幸福感と結びついている。こんがりきつね色に焼けた熱々のホットケーキにバターを塗り、メイプルシロップをかけて、ナイフとフォークを使って食べるという工程は、いかにもハイカラで、心躍るものがある。ところで、私の横のテーブルに座った常連客とおぼしき年配の紳士が、「いつものやつを」といってホットケーキとミルクティーを注文したのだが、そのホットケーキというのが2枚ではなく1枚なのである。通常、ホットケーキというのは2枚重ねである。しかし、ちょっとお茶受けに食べたいというときは、2枚は重いだろう。それで1枚を注文ということなのであろうが、いかにも常連さんならではの注文で、何回通ったらこういう注文に応じてもらえるようになるのだろう。ちなみに、私はこの人よりも先に店を出たので、ホットケーキ1枚のお代がいくらなのかはわからない。

 夜、小津安二郎の最初のトーキー作品『一人息子』(1931年)を観る。これも「モダン都市の変貌の中で」に出てくるのである。資料を調べる気分で、それほど期待しないで観始めたのだが、実に面白かった。東京の大学に進んだ息子の成功した姿を一目見ようと、信州の片田舎から上京してくる母親が東京で見たものは・・・・という話で、名作『東京物語』(1953年)と構図がよく似ている。母親が孫をあやしながら、「大きくなったら何になる?」と問いかける場面も共通で、これにはびっくりした。

 

5.12(月)

 『痴人の愛』の主人公、河合譲治は28歳の電気会社の技師。8年前、浅草のカフェの女給として働く、数え歳でやっと15歳の少女にひかれて同棲を始めたのだが、なぜその少女にひかれたのか、その理由(の1つ)が面白かった。

 「多分最初は、その児の名前が気に入ったからなのでしょう。彼女はみんなから「直ちゃん」と呼ばれていましたけれど、或るとき私が聞いて見ると、本名は奈緒美というのでした。この「奈緒美」という名前が、大変私の好奇心に投じました。「奈緒美」は素敵だ、NAOMIと書くとまるで西洋人のようだ、と、そう思ったのが始まりで、それから次第に彼女に注意し出したのです。不思議なもので名前がハイカラだとなると、顔だちなども何処か西洋人臭く、そうして大そう悧巧そうに見え、「こんなところの女給にして置くのは惜しいもんだ」と考えるようになったのです。実際ナオミの顔だちは、(断って置きますが、私はこれから彼女の名前を片仮名で書くことにします。どうもそうしないと感じがでないのです。)活動女優のメリー・ピクフォードに似たところがあって、確かに西洋人じみていました。」

 なるほどねぇ、『痴人の愛』の愛人の名前が「ナオミ」であることは、文学史的事実として、『痴人の愛』を読んでいない私も知っていたが、主人公がその名前にそんなにひかれたとは知らなかった。『痴人の愛』は関東大震災の直後の1924~25年にかけて発表された作品である。明治生命のデータによれば、1924年生まれの女性の名前ベスト10は、文子、千代子、幸子、清子、久子、美千代、愛子、光子、静子、貞子、である。すべて「○○子」であり、「○○」の部分に入る文字はプラスの意味(そういう女性になって欲しいという親の願い)を帯びた文字である。そういう文脈で考えると、「奈緒美」という名前は確かに目新しい。「子」ではなく「美」で終わり、「美」の前の部分の文字「奈緒」は、万葉仮名のように音を表示して特別のプラスの意味は帯びてはいない。主人公が「奈緒美」と書かず「ナオミ」と書いたのは、漢字のもつ意味を消去して音のみを残したということである。「NAOMI」と書くと西洋人のようだといったのはもっとなことで、Naomiは聖書にも登場する女性の名前である。昔、世界歌謡祭というのがあったが、その初回のグランプリ曲がヘドバとダビデという男女2人組が歌った「ナオミの夢」だったことを覚えている。なお(洒落ではないが)、「ナオミ」がベスト10に初めて登場するのは東京オリンピックの翌年、1965年のことである。ただし、その表記は「奈緒美」ではなく「直美」であった。『痴人の愛』は巷にナオミズムという流行語を生んだが、世の親たちは自分たちの娘が自由奔放な女ではなく、素直な女に育つことを望んだのであろう。「直美」は1969~71年まで3年連続でトップを占めたが、オイルショックのあった1973年にベスト10から消え、その後、再び浮上することはなかった。そして時は流れて、2002年生まれの女の子の名前ベスト10は、美咲、葵、七海、美羽、莉子、美優、萌、美月、愛、優花、である。もはや「奈緒美」は古風な女に見えてくる。

 社会学専修の卒業生で、東急電鉄の広報課長をしているY君から「ル・シネマ」で上映中の映画の切符をいただく。「北京ヴァイオリン」と「春の惑い」。ともに中国映画である。「ル・シネマ」は中国映画をよく上映する。「初恋の来た道」や「あの子を探して」。フランス映画だが中国を舞台に中国人の俳優を使った「小さな中国のお針子」。どれも心に残る作品だ。〆切を過ぎた原稿3本と〆切の迫った原稿1本、そして週5コマの授業の準備に追われる日々だが、忙中に閑あり、映画を観る時間くらいその気になればひねり出せるものである。

 

5.13(火)

 社会学演習ⅢDの合宿を7月の最後の週に予定していて、場所は7月にオープンする鴨川セミナーハウスを希望している。大学のホームページからセミナーハウスの申込用紙をダウンロードしようとしたら、鴨川セミナーハウスの欄のない古い申込用紙のままだった。文学部事務所にもやはり古い申込用紙しか置いていなかった。しかたがないので、学生会館の学生部のカウンターに直接申込用紙を取りに行く。セミナーハウスの利用は抽選なので、抽選に落ちたときのために、追分セミナーハウスを第二希望、本庄セミナーハウスを第三希望にしたい旨を告げると、では、申込用紙を3枚書いて提出して下さいと言われる。なるほど、申込用紙には第一希望から第三希望までの欄があるのだが、それは特定のセミナーハウスを指定した上で、利用期間を第三希望まで書けるようになっているもので、今回のわれわれのように期間の方が決まっていてセミナーハウスを第三希望まで指定したい場合には、申込用紙そのものを3枚書いて、それぞれの用紙の欄外に第何希望であるかを明記し、セットで提出しないとならないと言われた。しかし、セミナーハウスをゼミで利用する場合(セミナーハウスとはそもそもそういうものだと思うが)、まず期間の方が先に決まって(全員が参加できる期間を設定するのは大変だ)、次に、ではどこのセミナーハウスを利用するかという順番で物事が進んでいくのではなかろうか。まず、利用したいセミナーハウスがあって、期間がその次に来る(第一希望の期間がとれなければ第二希望の期間で)という発想は、サークルなどの合宿、それもレクリエーションの色彩の強い合宿の発想ではなかろうか。いまの申込用紙のフォームを廃せとは言わないけれど、馬券に枠番と馬番があるように(?)、セミナーハウスの利用申込用紙にもセミナーハウス優先用と期間優先用の2通りがあってもよいのではなかろうか。また、抽選にあたって、ゼミでの利用とサークルでの利用を同等に扱うというのも、「セミナーハウス」という名称に照らして、私には理解しがたいことである。

 

5.14(水)

 梅雨入りが近づいているらしい。この時期、教員の心は弾まない。ゴールデンウィークはすでに終わり、しかし、夏休みはまだ地平線上に姿を現していない。周囲は一面の砂漠である。こういうときこそ講義は元気にやらねばならないと、沈む心に鞭打って、3限の「社会学研究9」の教室に入ってみると、いつもより学生の数が少ない。時計を見ると、まだ開始時間の数分前である。いけない、開始時間前に教室に入るなんて、新米教師みたいじゃないか。教壇の椅子に座ってうなだれていると、学生たちがぼちぼち教室に入ってくる。しかし、前の方の席が埋まらない。私はこの空虚なスペースが苦手である。草も生えない空き地の前に立っているような殺伐とした気分になる。講義中も川の向こう側にいる学生たちに向かって話をしているような感じがする。私は一方向的な講義というのが嫌いで、授業中にときどき学生に質問をして、その回答を素材にして授業を進めるというやり方を好む。しかし、前の方に座る学生がいないとこれがやりにくい。それでもやるのであるが、どうも調子がでない。しまいに話すことだけさっさと話して帰りたくなってしまう。「メーヤウ」でいつもより★印の多いカリーを食べ、「カフェ・ゴトー」で温かなココアを飲みたくなってしまう。そして研究室に戻って『痴人の愛』の続きをデカダンスな気分に浸りながら読みたくなってしまう。・・・・これ、すべて梅雨入りが近づいているせいである。(受講生でこれを読まれた方は、次回、前の方に座って下さい)。