11.1(土)
去年の11月1日から始めた「フィールドノート」が今日で1周年を迎えた。われながらよく続いたものである。いまでは1日の終わりに(あるいは1日の始まりに)、今日という日を(あるいは昨日という日を)、振り返ることが生活の一部になっている。「今日はこのような1日だった」あるいは「昨日はこのような1日だった」と、連続的に過ぎ去っていく日々の1つ1つに明確な輪郭を与えること、それが日記をつけるという行為であろう。もちろん「今日は昨日と同じような1日だった」あるいは「今日は先週の今日と同じような1日だった」という一行の記述で済んでしまうようなところがわれわれの生活にはある。単調さこそは日常生活の特徴であろう。しかし、「フィールドノート」となると、そういうわけにはいかない。おのずから昨日とは違う今日、先週の今日とは違う今日に目を向けるようになる。今日という1日が人生を構成するたくさんの他の1日のどれとも違う1日であることを意識するようになる。1日の生活のあらすじではなく、生活の細部に観察の目が行くようになる。神は細部に宿るというが、人生の意味もまた生活の細部に宿るのではなかろうか。これが「フィールドノート」の思想である。
11.2(日)
8月4日の「フィールドノート」で私の中学校時代の同級生のH君の話をした。6月に25年間勤めて会社を辞めて、再就職先を探しているH君だが、49歳の男性の再就職は容易でない。そこでH君、つい最近、シンガポールに語学留学をすることを思い立ったのである。私、感動しましたね。詳しくはH君のホームページの「note」をご覧あれ。
9月20日の「フィールドノート」で拝郷メイコという歌手の話をした。その彼女が、明日(11月3日)の14:00から、私の自宅の近所の日本工学院の学園祭(かまた祭)でライブを行う。3号館前の水上ステージでのライブで、無料である。もちろん私は聴きにいくつもりだ。でも、明日は雨が降るらしい。川崎のチネチッタでのフリーライブのときも雨だったが、彼女、雨女なのだろうか。
11.3(月)
日本工学院の学園祭(蒲田祭)で拝郷メイコのライブを楽しむ。「あめふり」、「トマトスープ」、「ソイトゲヨウ」、「メロディー」、「ゆうぐれ」の5曲。生憎、雨が降ったり止んだりの空模様であったが、彼女が歌い始めると、誰もがその場所にたたずんで、その中低音部は甘くハスキーで、高音部は切ないほどに透明感のある声にじっと聴き入る。彼女の魅力の最大のものがこの中低音部から高音部への声の切り替わりで、聴き手はその瞬間、落葉が風に巻かれて空に吸い込まれるように、彼女の歌の世界の中心に入っていく。この吸引力はすごい。
11.4(火)
昨日、雨の中、ライブを聴いていたせいだろうか、ちょっと寒気がする。以前、風邪のときに医者からもらって残っていた薬を飲む。『社会学年誌』の原稿、はかどらず。いや、枚数はいっているのだが、清水が内灘闘争にたどりつくまでの話のところで全体の枚数の半分以上をすでに使ってしまっているのだ。どうやら設定したテーマが60枚では収まらないものであることが次第に明らかになってきている。テーマを縮小せずに全体の記述を簡略にするか、記述の精度を落とさずにテーマを縮小するか、決めねばならない。
11.5(水)
3限の「社会学研究10」では、1960年代における「若者文化」の変容を映画と歌を素材に論じた。映画は1961年の加山雄三主演の『大学の若大将』で、1971年の『若大将対青大将』まで続く全17本の「若大将シリーズ」(1981年に加山の芸能生活20周年を記念して作られた『帰ってきた若大将』を加えると18本になる)の第一作である。内容は、「恋」「スポーツ」「音楽」の3要素から構成され(これはシリーズ全体を通して変ることがなかった)、主人公は明るくさわやかな好青年である(照れるときに頭を掻くのが好青年であることを印象付ける身体所作であった)。当時、大学進学率は男子で20%弱、女子では(短大を入れても)5%程度であった。つまり映画の中に登場する大学生たちは少数派の有閑階級(レジャークラス)であった。60年代を通して高学歴化が進行していくが、「若大将シリーズ」は高学歴化の結果ではなく、むしろ促進要因の1つであったといえるだろう。怪獣映画との2本立てで上映されることの多かった「若大将シリーズ」を見た当時の少年少女たちは、そこに「楽しいキャンパスライフ」を見た。かくいう私もその一人で、加山雄三の人気のピークであった1966年(「君といつまでも」の大ヒット)に12歳であった私は、自分も加山雄三のようになろうと決意し(!)、中学に入るや、モーリス社製のフォークギターを購入し、自分で作詞・作曲した歌を自室の窓辺で空を見上げながら歌ったのであった。
11.6(木)
木曜は7限の授業(社会・人間系基礎演習4)があるのだが、夕食を授業の前にするか後にするかが微妙な問題である。通常、自宅で夕食をとるとき(週のうち5日はそうです)は午後7時から7時半のあたりなので、午後7時40分から始まる7限の授業の前にとればいいようにもみえるが、夕食の直後に授業というのは消化に悪いし、眠くもなる。かといって、何もとらずに授業に臨むと腹に力が入らない。だから、授業前に軽く食べて、授業後にまた軽く食べるというパターンになることが多い。今日もそのパターンで、授業前に「シャノアール」でハムトーストと珈琲、帰宅してから玉子かけご飯。ところで、二文の学生たちはどうしているのだろう? 7限の授業を終えて地下鉄の駅に向かう途中の飲食店(ごんべえ・オトボケ・松屋など)は学生たちで賑わっているから、「授業後派」がけっこう多いのかもしれない。ちなみに私の7限の授業で「授業中派」をみかけたことは一度もない。飲み物はOKでも食べ物はNGというのが教室内での暗黙の規範のようである。今日のグループ発表で、空いている電車内(りんかい線)で宴会(酒盛り)を始めてみたら、それを見ていた他の乗客たちも、それに非難のまなざしを浴びせるのではなく、自分たちも飲食や化粧やらの「逸脱行為」を始めたという興味深い報告があった。これが混んでいる山手線であれば、同じ現象は起きなかったであろう。「空いている」(一車両に10名以下の乗客)ことで逸脱者たちがマイノリティーにならずにすんだこと、「りんかい線」には行楽列車的性質が内在していること、この2つの要因が効いているのであろう。一方、別のグループの発表では、東西線の車内で4人の実験者が「かえるの歌」を輪唱し、5人目に一般乗客へ輪唱への参加を促すという実験の報告がなされたが、実験はわずか3回しか行えず、しかもそのうち一般乗客へ参加を促す段階まで行けたのは1回だけであったそうだ(後の2回は4人目までのところでいたたまれなくなり電車を降りてしまった)。実験としては明らかに失敗であるが、車内という空間がいかに「規範の檻」であるか、自分がいかに「規範の鎧」を身にまとっているかを実感できたことは実験の成果である。
11.7(金)
『東海林さだお自選 なんたって「ショージ君」 東海林さだお入門』が文春文庫の今月の新刊として発売された。1340頁、厚さ5センチ、豆腐のような形の文庫本である(定価1238円)。東海林さだおは漫画界のアーウィン・ゴフマンであると私は常々学生たちに言っている。個人が他者の視線を意識しながら行為するときのその微妙な心理を彼ほど巧みに描写できる者はいない。私は彼の文章を教材として何度か用いた。そして東海林さだおの文章をもっと読みたい学生には迷わず本書を薦めてきた。ただし、2500円はちょっと高いかなと思っていた。今回、文庫化されたことで、価格は半分になった。これで買わなかったら、社会学の学生とはいえない。
卒論ゼミは本日で終了。これからは必要に応じての個人指導となる。提出締切日の12月19日まで、寝ても起きても、電車に乗っているときも街を歩いているときも、幸せなときも病めるときも、卒論のことを考えることです。
母、退院し、帰宅。元気なり。
11.8(土)
終日、『社会学年誌』の原稿(清水幾太郎の「内灘」)を書く。A4判印字(40字×33行)で18頁になるはずの原稿の13頁目にさしかかっている。しかし、清水はまだ「内灘」に到着していない。当初の構想とは少々違うものになってきているので、タイトルも再考せねばならないだろう。清水と内灘闘争のかかわりを示した年表(縮小コピーにして2頁分相当)は、手間暇をかけて作成したものだが、紙幅を考えると割愛せねばなるまい。そういうものである。それと「トリビアの泉」のような「注」の多くも削除することになるだろう。面白いんだけどね。何処かに、「枚数のことは気にしないで、書きたいだけ書いて下さい」と言ってくれる出版社はないものだろうか。
11.9(日)
投票に出かけ、帰りに床屋に寄る。隣のシートの女性客(女性も高齢になると床屋に来るのだ)と女性の理髪師が最高裁判所判事の信任投票について話しているのが耳に入る。どの裁判官がダメかなんて自分にはわからないから、棄権をしたと女性客は話しているのだが、白紙のまま投票箱に入れたことを「棄権」と勘違いしているようだったので、それは「全員信任」という意味だと注意してさしあげようかどうしようか迷ったが、いまさら言ってみてもしかたがないのでやめた。なんでも、棄権したいと係りの人に言ったら、では何も書かずに箱に入れてくださいと言われたらしく、それが本当だとしたら問題である。もっとも信任投票で罷免された判事はこれまでに1人もいないのだから、信任投票という制度自体がナンセンスなものになっているわけだけれども。夜、開票速報番組を見る。各党の獲得議席のことよりも、あいかわらず低い投票率が気になった。年金の掛け金を納めていない者は投票率も低いのではないかと推測する。
11.10(月)
遅い昼食を近所の蕎麦屋「やぶ久」でとっていたら、息子と彼の友人のN君が入ってきた。「やぶ久」はN君のおじさんがやっている店で、N君の母親はここで働いている。N君は中学校からの帰り途、必ずここに立ち寄り、暑い日などはコップ一杯の冷水をぐいと飲み干すことを習慣にしている。息子はN君とクラスが同じで、家が近所ということもあり、登校も下校も2人はいつも一緒で、息子も冷水のご相伴に与っている。天ぷらうどん(きしめん)を食べている私に気づいたN君は、西郷隆盛が驚いたときのような顔になり、息子もそれにつられてちょっと困ったように驚いてみせ、私が「おまえも何か食べていくか」と聞くと、「いや、いいです」と答えた。彼らもあと3ヶ月で高校受験である。腹ごなしに「有隣堂」に寄って、土屋賢二『ツチヤ学部長の弁明』(講談社)、安藤寛『「唱歌」という奇跡 十二の物語』(文春新書)、丹治愛編『批判理論』(講談社選書メチエ)、『小林秀雄全作品13 歴史と文学』(新潮社)を購入。
11.11(火)
寒い雨の降る一日。専攻・専修主任会があり、午後から大学へ出る。会議を終えて、研究室であれこれの雑用を片付けていたらいつのまにか夜になる。帰りがけに生協文学部店に寄って、金子勇編著『高田保馬リカバリー』(ミネルヴァ書房)を購入。清水幾太郎は81年の生涯に96冊の著作を出版したが、高田保馬は88年の生涯に100冊を越える著作を出版した。いやはや、上には上がいるものである。
11.12(水)
昼間は暖かかったが、夕方から急速に冷える。こういうのが一番困る。3限の「社会学研究10」では、60年代後半のフォークソングと70年代前半のフォークソング及びニューミュージックを比較して、ベビーブーマーが大人の社会に参入していくのに伴って生じた若者の歌の変容を論じた。学生たちはけっこう当時の歌を知っていて、しかも好きらしい。知っているのは彼らの親がベビーブーマーであるためで、好きなのは喪失感を漂わせた回顧調の歌詞とシンプルで美しい旋律のためである。その一方で、彼らはいま流行している歌が30年後の若者たちの共感を呼ぶかどうかについては懐疑的である。ヒットチャートにあっという間に現れて、あっという間に消えていく歌には、「愛唱歌」として結晶するために必要な時間が不足しているのであろう。5限の「社会学演習Ⅲ」は各班の報告書の構想が今日から始まった。最初は定位家族班。16時半から始めて休憩なしで19時近くまでかかった(途中でちょっとした地震があった)。しかし、長いと感じなかったのは、報告内容がよく準備された密度の濃いものだったからである。次回以降の班のよい刺激になったに違いない。授業を終わり、研究室で帰り支度をしていると、3週間先に報告の生殖家族班の面々が相談にやってきた。どうやら方向性が見出せずにいるようす。アポなしではあるが、まさか追い返すわけにもいかないので、そのまま研究室で小一時間ほど相談に応じる。夕食は「ごんべえ」のカツ丼。最近、メニューに「辛口カツ丼」というのが加わったが、通常の甘口のカツ丼を注文。22時、帰宅。
11.13(木)
財布を家に忘れて大学に来てしまった。銀行のカードは財布の中だ。こういうこときのためにいつもは定期入れの中に千円札を数枚入れてあるのだが、それも切らしている。幸い(というべきかどうか・・・・)研究室の机の引き出しの中に50円玉がたくさんあった。それで昼食(早稲田軒のワンタンメン)と夕食(文カフェの鶏の竜田揚丼)の支払いは50円玉ですることになった。600円の代金を1万円札で支払うのもいやだが、600円の代金を50円玉12個で支払うのもつらいものである。50円玉がたくさん混じっているというのではなくて、全部50円玉というところが異様である。早稲田軒のおばさんは「小銭が不足しているのでかえって助かります」とお愛想を言ってくれたが、文カフェのレジの女の子は不思議なものを見るような目をした。プロとアマチュアの差というべきだろう。
6限の「社会・人間系基礎演習4」の授業中に、男女の学生が口喧嘩を始めた。私が「どうしたんだい?」と尋ねると、男子学生は、先生には関係のないことです、みたいな感じで私を睨む。そのうち激昂した彼が何か捨て台詞を吐いて、ドアの音も荒々しく教室を出て行ってしまった。一同、唖然。・・・・というところで、その男子学生、ニヤリとしながら教室のドアを開け、「すいみませんでした」と言いながら戻る。私、「はい、ここまで」。教室という空間の暗黙の規範(授業中に騒いではいけない)を破ってみせ、そのときのみんなの反応を観察するという寸劇に私も付き合わされたのである。私としては、「ヤンキー母校に帰る」の竹野内豊のように、熱いカラミ(机を拳で叩き、「人の話を聞け!」と唸り、顔と顔との距離が10センチくらいまで接近するとか・・・・)がしたかったのだが、ごくごく普通のカラミを要求されていたので、そのとおりにしたのである。いまや、このゼミは、映像演劇専修のゼミのようになっている。
11.14(金)
夜、竹橋の如水会館で行われた生命保険文化センター主催の中学生作文コンクールの表彰式に出席。審査委員を代表して講評を述べる。中学に入学してすぐにオーダーメードの制服のズボンに穴を開けて母親に叱られたと書いていたM君には、母親は子供を叱るものであり、妻は夫をなじるものである、と諭してあげた。家中の無駄に点いている電気のスイッチを消して歩くと書いていたTさんには、節約は結構だが夫がトイレに入っているのにトイレのスイッチを消すような妻になってはいけない、と忠告してあげた。表彰式の後のパーティーでは、中年男性たちが次々に私のところにやってきては、「すばらしいお話でした」と言ってくれた。パーティーの後、主催者がタクシーを手配してくれた。私はタクシーが苦手なので、本当は電車で帰りたいのだが(時間も同じくらいなのだ)、せっかく手配してくれたタクシーを断るのは失礼かと思い、乗って帰ることにした。案の定、ちょっと気分が悪くなる。家の少し手前で降ろしてもらい、冷たい夜気を吸い込みながら、歩いて帰宅。女子バレーの日本対キューバの第4・第5セットを見てから、、風呂を浴び、「ヤンキー母校に帰る」を見る。結局、今期は「白い巨塔」と「ヤンキー母校に帰る」の2本が残った。