フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2004年1月(前半)

2004-01-14 23:59:59 | Weblog

1.1(木)

 薄曇の穏やかな元旦。おせち料理を食べ、年賀状の返信を書き、居眠りをし、TVの正月番組(たとえば「欽ちゃんの仮装大賞」)を見、原稿の校正をし、・・・・こうして一年の最初の一日が終わった。「元日の心失せつつ午後になる」(今井つる女)

 

1.2(金)

 鷺沼の妻の実家を一家で訪問。蒲田―(多摩川線)―多摩川園―(東横線)―自由が丘―(大井町線)―二子玉川―(田園都市線)―鷺沼―(バス)―すみれが丘、という頻繁に乗換えをする1時間ほどの道のりであるが、今年高校受験の長男は乗り物酔いをしやすい体質で(遺伝ですね)、最初の乗換えの多摩川園のホームですでに乗り物酔いの前兆である生あくびが出始め、田園都市線の車内で気分が悪くなり、バスに乗り込むときにはかなり切羽詰った状態になっていた。いたしかたないので、途中の停留所でバスを降りて、歩くことにした。コートのいらない暖かな日差し。田園都市線沿線の昔からの住宅街は、起伏に富み(開発前は栗山だったと聞く)、道幅が広く、どの家にも庭があり、三階建て住宅が建てられないためもあって、見上げる空が蒲田よりもずっと広いので、歩いていてゆったりした気分になる。これが郊外というものだ。「二日の光坂広ければ低きかに」(中村草田男)

 

1.3(土)

 今日もコートのいらない陽気である。去年の今日は小雪の降る中を箱根駅伝(復路)の選手たちは走っていたが、今日はどの選手もこの陽気を考量して前半を押さえ気味で走っていた(結果は、駒大3連覇、わが早大は来年もまた予選会からの出直しである)。「武蔵野の鏡の空の三日かな」(広瀬一郎)

アメリカの大学院を受験する卒業生のKさんに推薦状を郵送しようとして、封筒を切らしていることに気づき、有隣堂に行って購入。ついでに社会学の棚をのぞいて、伊藤公雄・橋本満編『はじめて出会う社会学』(有斐閣)を購入。これを来年度の二文の基礎演習のテキストにしようと思う。

 年末から読み始めた塩野七生『コンスタンティノープルの陥落』を読了。1453年5月29日のビザンチン帝国(東ローマ帝国)の帝都コンスタンティノープルの陥落に至る経緯を、その前年の夏から、次の9人の人物の視点から描いた歴史物語。

ヴェネツィア共和国艦隊の医師ニコロ。

フィレンツェ商人テラルディ。

セルビアの騎兵隊長ミハイロヴィッチ。

ビザンチン帝国を救うためギリシャ正教会とカトリック教会の合同を画策するイシドロス枢機卿。

コンスタンティノープルの修道士で合同反対派のゲオルギオス。

ゲオルギオスの弟子のイタリア人留学生ウベルティーノ。

コンスタンティノープルとは金角湾を挟んで対岸にあるガラダのジェノヴァ居留区の代官ロメリーノ。

ビザンチン皇帝、コンスタンティヌス11世の側近フランゼス。

トルコ帝国のスルタン、マモメッド二世の小姓トルサン。

 これだけの数の視点を設定して、求心力を失わず、スリリングな物語として構成した力量は見事というほかはない。もし、NHKの大河TVドラマが日本史以外に素材を求める日が来るとしたら(来ないとは思うが)、『コンスタンティノープルの陥落』は間違いなく候補作の一つにあがるだろう。

 

1.4(日)

 午前中に短い原稿を一本書き上げ、近所のポストに投函して戻ってくると、郵便受けに年賀状が届いていた。日曜日でも年賀状の配達はあるのだと知る。今日届く年賀状は大晦日近くに出されたもののようで、卒業生からのものが大分混じっている。高校教師になって6年目のS君によると、早稲田の文学部を目指している生徒も多いとのこと。そうすると教え子の教え子を教えることになるのだろうか。NTTデータに勤めて5年目のFさんは、今年は少しスローライフを心がけ、自分を見つめ直す一年にしたいと思っている。彼女、いかにもバリバリ仕事をやっている感じだものなぁ。電通マンのF君は卒業3年目にしてすでに一児の父親になった。卒論は2年かかったくせに、家族形成はスピーディーである。ゼロックスの営業ウーマンになって2年目のAさんは、支店での成績が一番で、白井総長にも研究室用のコピー機を買ってもらったそうだ。やるじゃありませんか。さっそく返信を書いて、再び近所のポストまで出かける。昨日よりも、少し雲が多く、少しだけ寒い。「夕鴉午後に二た声四日かな」(阿部みどり女)

 

1.5(月)

 短篇小説というのは余韻がすべてである。「しみじみとした」余韻、「さわやかな」余韻、「切ない」余韻、・・・・いろいろな余韻があるが、とにかく、読み終わってしばらくそれに浸っていたいような何かしらの余韻がそこに残るかどうか、そこに短篇小説の成否がかかっている。そして、そうした余韻をかもしだせるかどうかは、ひとえに作家の才能にかかっている(もちろん読者にもそれなりの感受性が必要だが、それについてはひとまず措く)。長篇小説を書くために必要な才能が「構想力」であるとすれば、短篇小説を書くために必要な才能は「観察力」である。日常生活の中で、凡人が見過ごしているもの、見てはいてもありきたりの視線で見ているもの、そうしたもの(外部のものとは限らない)に焦点を当て、くっきりと、クローズアップし、読者の目をそこに釘付けにする力、それが「観察力」である。・・・・というようなことを、江國香織の最新短篇集『号泣する準備はできていた』(新潮社)を読みながら思った。たとえば、「煙草配りガール」という作品は、「私」と「夫」と「百合」(私の幼なじみ)と「明彦さん」(百合の夫)が薄暗いバーのテーブルで交わす会話で成り立っている。「私」は再婚で、「夫」は初婚だが「私」と結婚する前に12年間付き合っていた女性がいた。「百合」も初婚だが結婚を考えた男性が少なくとも過去に二人おり、「明彦さん」は再婚である。そういう4人が交わす会話だから、大学生がキャンパスの芝生の上で交わす会話とは違って、親密な険悪さとでもいおうか、撤去し忘れた地雷をいつ踏むかわからない雰囲気がある。そんな雰囲気の中で、「私」はふとこんなことを思う。

 「急に、いまここで百合の横にすわっているのがあの男でないということが奇妙に思えた。あるいはいっそ、学生時代に百合がまるまる四年間つきあい、「将来絶対結婚する」と宣言していた男ではないことが奇妙に思えた。いまトイレにいっている男がかつての夫と別人であることも、明彦さんの隣にいるのが彼の一人目の妻―百合は二人目だーではないことも、そしてここに坐っている私が、夫と十二年間つきあって別れたという京都出身のーそういう女がいたそうだなのだがー女でないことも。」

 この感覚は、多かれ少なかれ、誰もが経験したことのあるものではなかろうか。自分の周囲の世界から、現実感が薄らぐ感覚。周囲の世界を構成する個々の事物と自分との関係が必然的なものではなくて、他の関係と置き換え可能な、偶然的なものに過ぎないという感覚。精神科医ならば「離人症的感覚」というかもしれないし、哲学者ならば「実存的不安」というかもしれない。われわれは、家庭の居間で、職場で、通勤電車の中で、こういう感覚とたまに遭遇する。そしてそれを「疲れ」のせいにして、やりすごす。しかし、江國香織はやりすごさない。読者は、彼女に連れられて、日常ののっぺりとした空間に一瞬生じた裂け目の中に入っていく。彼女の短篇を読むことはとてもスリリングだ。そして読み終わった後には、「何ともいえない」余韻が残る。「何時となく常に戻りて五日かな」(和田うた江)

 

1.6(火)

 川崎チネチッタで『ブルース・オールマイティ』を観た。40歳を前にして仕事に行き詰まりを感じている男(ジム・キャリー)の前に神様(モーガン・フリーマン)が現れ、全能の力を与えるから自分の代わりをしばらく務めるように言う。ただし、自分が神様であることを人に言ってはいけない、人の意志を操ることはできないと、釘を刺す。しかし、男はやりたい放題、自分の出世のためにその力をフル活用する。もちろんそれで話が終わろうはずはなく、やがて愛する女性は彼の許を去り、彼の仕業が原因で街の秩序は大混乱に陥る。男は本物の神様に助けを求める。神様は男にアドバイスをする。「君のやってきたことは手品に過ぎない。奇跡というのは額に汗をして成し遂げるものだ」。男はまず飼い犬のトイレの躾と、ずっと放っておいた彼と彼女のアルバムの整理に着手する。そして・・・・、という映画である。まあ、お正月向きの映画ですね。

 あおい書店の映画本のコーナーで『大友柳太郎快伝』(ワイズ出版、1998年)という本を見つける。大友柳太郎は年配のファンには「むっつり右門」や「丹下左膳」や「快傑黒頭巾」といった1950年代の時代劇映画の当たり役でお馴染みの俳優だが、私にとっては、TVドラマ『北の国から』(1982年)の笠松杵次(蛍と結婚することになる笠松正吉の祖父)であり、映画『タンポポ』(1985年)の冒頭に登場するラーメンの正しい食べ方の先生である。たぶん不器用な役者だったのだろうが、その立派な面構えと、存在感は格別のものがあった。TVドラマ『外科医城戸修平』で大友と共演した中村雅俊へのインタビューが最初に載っていたので読んでいたら、「大友さんが自殺されたときは」という質問が出てきて吃驚した。そうだった、すっかり忘れていたが、大友は『タンポポ』の撮影直後、老人性の鬱病が原因で(「ダメだ、台詞が覚えられない」と連日嘆いていたという)、自宅のマンションから投身自殺をしたのであった。『タンポポ』は彼の遺作になった。400頁近い本だが、彼と縁のある人たちへのインタビューから構成されている本なので、30分ほど立ち読みしたら、読みたいところはほぼ読めてしまった。しかし、これだけ読んでおいて、棚に戻すというのは仁義に反するような気がして、結局、購入(3800円)。一緒に、嶽本野ばらの一番最近の小説『カルプス・アルピス』(小学館)も購入。田仲容子という画家が描いた装画がなんとも魅力的。

 夜、草彅剛主演のTVドラマ『僕と彼女と彼女の生きる道』の第1回を観る。脚本は『僕の生きる道』と同じ橋部敦子。草彅の相手役は小雪。私は矢田亜希子のファンだが、小雪のファンでもあるので、よしとする。矢田には『白い巨塔』(後編)で頑張ってもらおう。『僕の生きる道』で医者の役をやった小日向文世が今回は銀行の上司の役で出ているが、医者のときのようないい人役ではなさそうだ。草彅の娘(7歳)役の美山加恋の目一杯の演技は実に切ない。ところで、タイトルの『僕と彼女と彼女の生きる道』の「彼女と彼女」とは、小雪とりょう(草彅の妻)のことなのか。であるとすると、娘も入れて、『僕と彼女と彼女と彼女の生きる道』とすべきじゃないのか。あんなに健気に生きているのだから。

 

1.7(水)

 本来の冬の寒さに戻る。散歩にもコートとマフラーが必要だ。20年使っている腕時計を分解掃除に出す。ムーブメントだけでなく、文字盤の錆も落としてもらうことにする。4、5万かかりますと言われたが、婚約のとき妻から(指輪のお返しに)もらった時計で、愛着がある。セイコーの「クレドール」という最上位モデルで、当時で20万くらいした。電池を街の時計屋で交換してもらうたびに、主人から「いい時計ですね」と言われるので気分がよかった。4、5万出せばそこそこの新品が買えるが、気に入ったものを修理しながら長く使い続ける方がいい。

 栄松堂でひさしぶりに雑誌『将棋世界』を買う。米長邦雄(60)の現役引退の特集記事が載っていたので。米長はプロ棋士の中で一番好きな棋士だった。米長より強い棋士は何人かいたが(大山、中原、谷川、羽生・・・・)、米長ほど魅力のある棋士はほかにはいなかった。男の私がそう思うのだから、女性ならなおのことで、彼の周りにはいつも美しい女性たちがいた。彼が己の勝負哲学を書いた『人間における勝負の研究』を私は何度読んだかわからない。彼がいまの私と同じ年のとき、生涯のライバル中原誠を破って念願の名人のタイトルを手に入れたときは、喝采をあげたものだった。彼が羽生に名人位を奪われ、やがてA級を陥落してからは、私も将棋への情熱、将棋界への関心を失った。

 「書林大黒」の閉店セールは年が明けても続いていて(いつ閉店なんだ?)、しかも、2割引が5割引になった。5割引ですよ、5割引! もちろん全品! 次の4冊を購入。合計で1500円。

(1)北杜夫『消えさりゆく物語』(新潮社、2000年)*500円×0.5

 私の世代の人間には北杜夫のファンが多いはずだ。私は、中学生時代、彼の「ドクトルマンボウ」シリーズに夢中になった。大学3年のとき、はじめての外国旅行に向かう飛行機の中で、彼の小説『木霊』を読んで感動し、予定を変更して、小説の舞台であるドイツのチュービンゲンを訪ねたりした。

(2)安岡章太郎『志賀直哉私論』(文芸春秋、1968年)*500円×0.5

 高校生の頃、志賀直哉の短篇は全部読んだ(といっても寡作の作家だから、全部といっても高が知れているのだが)。いつくかの作品(「網走まで」とか「豊年虫」とか「真鶴」とか)は繰り返し読んだ。ジャコメッティの彫刻のように贅肉を極限まで削ぎ落とした彼の文体にひたすら憧れた。

(3)江藤淳『崩壊からの創造』(勁草書房)*500円×0.5

 戦後日本には、進歩的知識人はたくさんいるが、保守的知識人となると、福田恆存がまっさきに浮かぶが、あとがなかなか続かない。江藤淳は福田より若い世代の保守的文化人の代表格といえよう。

(4)外山滋比古『お山の大将』(みすず書房、2002年)*1500円×0.5

  英文学者のエッセー集。

 「シャノアール」に入って、『将棋世界』を読む。本を読むには、ここが一番だ。

 

1.8(木)

大学に出る。仕事始。葉っぱを落としたメタセコイアの巨木を通して見上げる冬の青空が美しい(文学部のホームページのキャンパス・フラッシュに写真が載っています)。でも、思い切り寒い。

文学部生協店で本を7冊購入。ここでの買い初めなり。

 (1)森岡正博『無痛文明論』(トランスビュー)

 (2)ジル・リポヴェツキー『空虚の時代』(法政大学出版局)

 (3)ケネス・ルオフ『国民の天皇 戦後日本の民主主義と天皇制』(共同通信社)

 (4)ジョージ・リッツア、丸山哲央編著『マクドナルド化と日本』(ミネルヴァ書房)

 (5)ランドル・ケネス『ダーウィンと家族の絆』(白日社)

 (6)東谷護『ポピュラー音楽へのまなざし』(勁草書房)

 (7)『村上春樹全作品 1990-2000 6 アンダーグラウンド』(講談社)

 教員ロビーで7限の基礎演習の授業で使う教材をコピーしていたら、英文学の安藤先生に声を掛けられ、「もう来年度の講義要綱の原稿は出しましたか」と聞かれる。「明日が〆切ですよね」と聞き返すと、「いいえ、今日が〆切です」と言われる。「僕は紙の原稿ではなくて、ネット上で入力作業を行うから、〆切は多少遅いはずでしょ」と重ねて聞き返すと、「ええ、去年は確かにそうだったんですが、今年は一律に8日〆切です。私もそれはおかしいじゃないかと思うんですけどね」との答え。あわてて事務所からの書類(ちゃんと読んでいなかった)で確認すると、確かに安藤先生の言われる通りである。7限の授業が終わったら入力作業をしなければ・・・・。7限の授業はいつも時間が押し気味だから、研究室に戻るのが午後9時半として、「ごんべえ」で夕食を食べて、帰宅するのは11時近く。それからひと風呂浴びてから、パソコンの前に座って・・・・と段取りを考えていたら、安藤先生が恐ろしいことを言った。「今夜の12時がリミットですね。それ以降はネット上での編集作業ができなくなります」。う、嘘でしょ。まさかそんなに厳格ではないでしょ。私はこれまでも各種の書類の提出を締切日の翌日の午前中に事務所に提出してことなきを得てきたのだ(全然えばることじゃないが)。しかし、相手は人間じゃなくて、コンピューターだからな。8日の24時をもって編集回路へのアクセスが遮断されるようにあらかじめプログラミングされているとしたら・・・・。しかし、それは杞憂であった。24時を過ぎてもアクセスは遮断されることはなかったし(ホッ)、このフィールドノートを書いている9日午前9時現在も、編集作業は可能な状態にある。こういうアバウトさは大切ですよ。そうでないと息が詰まってしまう。それにしても安藤先生、よくも脅かしてくれましたね。来年度の私の講義要綱は今年のものと大きく違わないが、それは多分に安藤先生のせいなのである。

 

1.9(金)

 大学院の演習は残すところ3回だが、この3回でダニエル・ベルトー『ライフストーリー:エスノ社会学的パースペクティブ』(ミネルヴァ書房、2003年)を読む。付録の論文「パン屋のライフストーリー」の中でベルトーはこう言っている。

「私たちのアプローチは断固として構造主義的である。つまり私たちの究極の目的は、結局、パンの塊で終わる日常のプロセスの根底にある社会構造的パターンを明らかにすることである。つまりこれらのパターンの構造と理論を理解し、それらの矛盾を指摘し、そして歴史時間をつらぬくダイナミクスをあとづけることを意味している」。

彼がマルクス(階級論)とミルズ(社会学的想像力)から大きな影響を受けていることは明らかだ。彼にとって「すべては一九六八年五月にはじまった」のだそうだ。いうまでもなくパリの「五月革命」のことを彼は言っている。そのときベルトーは29歳だった。

「霧の日に突然、一筋の日の光が射すように、一九六八年五月は大衆消費社会の思い覆いを短い間に引きちぎった。九〇〇万の労働者が街頭に出て、国中すべてがストップした後、階級構造はいまだ深くしみこんだままの現実であり、階級の矛盾はいまだフランス社会の中核にあることが突然あきらかになった。数日間続いただけだったが、そのあいだに社会の風景全体が照らし出され、主要な構造的特徴が明白に見えるようになった。それで一般のストライキと社会運動は終わり、ものごとは『ふつう』にもどった」。

しかし、「ふつう」に戻らなかった人々もいる。一瞬、垣間見えた社会の仕掛け(罠)の正体をよりはっきりと見定め、それに異議申し立てを行いたいと考えた若者たちだ。ベルトーもその一人だった。

「一九六〇年代にはたくさんの国の数千の学生が社会学にたどりついた。なぜなら人びとがいかに生き、社会生活が具体的にどのようなものであるかをみいだしたかったからである。しかし、彼らは、期待したことではなくて、アカデミックな社会学をみいだした。さらなるコメントをする必要があるだろうか? 幻滅は期待とおなじくらい大きかった」。

この種の幻滅は、自分が生きている社会に対して疑問や不信や憤りを抱き、批判的分析(=異議申し立て)のツールとしての社会学を学ぼうとする者が、多かれ少なかれ経験するものであろう。問題は、幻滅に順応して「社会学学者」になっていくか、幻滅を乗り越えて「社会学者」であろうとするかだ。ベルトーはオスカー・ルイスの『サンチェスの子どもたち』を読むことで幻滅を乗り越えることができた。人々のライスストーリーを収集、分析して、全体社会の構造や変動に迫るというアイデアを得たのである。しかし、そのアイデアを現実のものにするのは簡単ではなかった。

「一九七〇年代初めのアカデミックな世界ではこのようなアプローチに対して敵意が向けられたので、パン屋業界におけるライフストーリーの収集は、パートタイムの活動としておこなった」。

現在、ライフストーリー研究はアカデミックな社会学の中で一定の地位を得ているように見える。アカデミックな社会学へのライフストーリー研究の組み込まれは、方法論への過度の関心という形で現れている。方法論への関心は、それがある水準を越えると、神学論争のようになってしまい、鑑賞するだけで、実際の使用には耐えない代物ばかりが並ぶことになる。初心忘るべからず。

 

1.10(土)

 テアトル蒲田で『半落ち』を観た。地元の映画館(自宅から徒歩10分)なので、封切りの日の初回でも楽に観ることができる。前評判どおりのいい映画である。今年観た映画の中で一番である(・・・・といっても『ブルース・オールマイティ』に続いて2本目なのだが)。アルツハイマー病にかかった妻(原田美枝子)を殺した警察学校の教官(寺尾聰)が自首をした。白血病で亡くなった息子のことを自分がまだ覚えているうちに殺してほしいと妻に頼まれての嘱託殺人だった。しかし犯行から自首までの2日間の行動については黙秘を続ける。その「空白の2日間」をめぐって、刑事(柴田恭平)、検事(伊原剛志)、新聞記者(鶴田真由)、弁護士(國村隼)、判事(吉岡秀隆)が容疑者と対峙する。同時に、彼らは容疑者と対峙することを通して、自分自身の人生の問題と対峙する。このことによって、この映画はたんなるサスペンス映画以上のものになった。形式上の主人公は妻殺しの警察官だが(寺尾聰は日本アカデミー賞の主演男優賞に間違いなくノミネートされるだろう)、この映画は群像劇なのである。一人一人に見せ場がある。いや、彼らだけでなく、彼らとかかわりのある人々、容疑者の義姉(樹木希林)、刑事の上司(石橋蓮司)、検事付きの事務官(田山涼成)、新聞記者の上司(田辺誠一)、弁護士の妻(高島礼子)、判事の妻(奥貫薫)にもちゃんと見せ場が用意されている。森山直太郎の歌うエンディングテーマ「声」も秀逸。

 映画館を出て、鈴木ベーカリーで昼食用のサンドイッチを買い、南天堂で古本を8冊購入。

 (1)『はばたけ!わが革命的左翼 革マル派結成四〇周年記念論集』上下巻(解放社、2003年)*2冊で10000円→6000円

 へぇ、こんな本が出たんだ(80へぇ)。学生担当教務主任を経験した者としては買わない訳にはいきません。昨日の敵は今日の友(笑)。

 (2)ヤスパース『精神病理学研究』1・2(みすず書房、1969)*2冊で13200円→7900円

 学部の学生のとき相場均教授(故人)の心理学の授業をとっていた。相場先生は北杜夫の友人で、哲学や文学にも通じていて、たんなる心理学者とは一味違う雰囲気があり、おそらくご自身もそのことを意識されていたと思う。あるとき、先生が学生たちに言った。「ヤスパースの『精神病理学研究』を探しています。古本屋で見つけたら買っておいていただけませんか。『精神病理学総論』ではなく『精神病理学研究』の方です。お間違えのないように」。先生のファンであった私は、さっそく早稲田の古本屋街を探して廻ったが、『総論』は何冊も見かけたが、『研究』の方は見つからなかった。相場先生には私の卒論の指導教授になっていただいたが、その年の夏休み、先生は心臓の発作で急逝されてしまった。昨年の10月、みすず書房の「基本図書限定復刊」の企画によって、本書が復刊された。相場先生、30年目にして、ようやく『研究』を古本屋で見つけました。冒頭の論文「懐郷と犯罪」は社会学の道に進んだ私にも興味深いです。

 (3)E.J.ホブズホーム『資本の時代1848-1875』1・2(みすず書房、1981-2年)*2冊で9200円→5400円

 これも「基本図書限定復刊」もの。

 (4)E.J.ホブズホーム『帝国の時代1875-1914』1・2(みすず書房、1993年、1998年)*2冊で9600円→5600円

 これも「基本図書限定復刊」もの。あと『革命の時代』が手に入るとホブズホームの19世紀三部作が全部揃うのだが、それは棚にはなかった。[後記:『革命の時代』はみすず書房ではなく、1968年に『市民革命と産業革命』というタイトルで岩波書店から刊行されていることがわかったので、「日本の古本屋」で調べて八王子の「まつおか書店」から4500円で購入した。]

 

1.11(日)

 NHK将棋トーナメントの3回戦、中原誠(16世名人)対中井広恵(女流名人)の対局を観る。中井は1回戦で畠山鎮6段を、2回戦で青野照一9段を破っての3回戦進出である。これがいかに快挙であるかを将棋界の事情に通じていない人に説明するのは難しい。もし、今日、中原にも勝ったら、数年前、中原と林葉直子(元女流名人)のスキャンダルが発覚したときくらいの衝撃が再び将棋界に走ることになる。固唾を呑んで見守った。しかし、大番狂わせは起きなかった。中原は、変則的な序盤から、右玉に組み、中井の攻めに乗じて反撃し、銀捨てから飛車を成り込み、中井の意図する飛車交換を封じて、飛車角交換を余儀なくさせ、以後、二枚飛車で一気に寄せ切った。畠山と青野はテレビ対局で女流棋士に負けるわけにはいかないというプレッシャーに負けたが、中原は稽古将棋の上手のような指し回しで、中井を一蹴した。

 夕方、散歩に出る。新年の新鮮さはすでに薄れているが、あいかわらず快晴の日々が続いている。復活書房で片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)を購入。気恥ずかしいタイトルだが、ミリオンセラーなので資料として購入。帯に、「泣きながら一気に読みました。私もこれからこんな恋愛をしてみたいなって思いました」という柴咲コウのコメントが載っている。作者は若い人かと思ったが、私と5つしか違わないと知って吃驚。

 

1.12(月)

 年末にやろうと思っていてできなかった書庫の整理。書斎の床の上に積まれている本や、書架に二重に並べられている本を書庫に移動する。書斎は2階、書庫は1階なので、本を詰め込んだ紙袋を両手に提げて階段を何度も往復する。同じジャンルの本は同じ場所に並べておく必要があるので、若干の配置替えも行う。書庫には暖房がないので、長くいると体が冷えてくる。可動式の書架15面のうちの12面がすでに埋まってしまった。文庫本は棚に段を作って前後二列に並べるとか、将棋雑誌のバックナンバーや百科事典の古い版は廃棄するとか、妻所有のコミック本には退去願うとか、何らかの対処をしなければならない。

 夕方、散歩に出る。昨日と同じく復活書房に行って、江國滋『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋闘病日記』(新潮社、1997年)と岡田恵和・丹後達臣『ビーチボーイズ』(フジテレビ出版、1997年)を購入。江國滋は江國香織の父親で、『俳句とあそぶ法』や『日本語八ツ当たり』などで知られる随筆家。1997年2月6日に食道癌の告知を受け(医師の第一声は「高見順です」だった)、同年8月10日に亡くなった(辞世の句が書名になった)。「療養俳句」の金字塔と言われる石田波郷の『惜命』の向こうを張って、著者は闘病生活の中で句作に励む。著者曰く、「この重大事に、よく俳句など詠めるものだ、と人さまは感心してくれるかもしれないが、自分の本心は自分でわかっている。現実と相対する勇気がない上、何か考えはじめたら、どうしたって『死』に行きつく、それが怖いために、現実逃避のために、俳句を選んだというだけのことだと自覚している」。照れではなく、本心であろう。高見順は詩を作り、江國滋は句を作った。「残寒やこの俺がこの俺が癌」。復活書房を出ると、細かい雨が降り始めていた。

 

1.13(火)

 昼過ぎから始まった会議は1時間ほどで終わり、早稲田軒に昼食(ワンタンメン)を食べに出る。帰りに「ルネサンス」に立ち寄ると、床の上にかなり本が積まれている。最近、どこかの新聞で紹介されたらしく、本を売りに来る客が増えたらしい。9冊購入。全部で8000円。そのまま「シャノアール」に行って、買ったばかりの本にひとわたり目を通す。

(1)        塩野七生『ローマ人の物語Ⅰ ローマは一日にしてならず』(新潮社、1992年)

(2)        塩野七生『ローマ人の物語Ⅱ ハンニバル戦記』(新潮社、1993年)

このシリーズは、「一年一冊」のペースを守って、現在、12巻まで出ている。第7巻までは文庫化されているが、やはりこのシリーズは単行本でゆったりと読みたい。

(3)        須賀敦子『トリエステの坂道』(みすず書房、1995年)

本書は新潮文庫にも、白水社のUブックスにも入っており、Uブックスのものはもっているのだが、装丁の美しさはやはり単行本が一番だ。カラヴァッジョの「果物籠」という絵が表紙を飾っている。

(4)        マーク・ゲイン『ニッポン日記』(筑摩書房、1963年)

著者は「シカゴ・サン」の特派員。1945年12月から1年余日本に滞在して記事を書いた。本書はそのときの体験を日記風にまとめたもの。

(5)        リースマン夫妻『日本日記』(みすず書房、1969年)

『孤独の群集』の著者の2ヶ月間(1961年10月4日から12月2日まで)の日本滞在記。

(6)        安岡章太郎『自叙伝旅行(文藝春秋、1973年)

転々と移り住んだ土地を再訪しながら語る自叙伝。最初の章は5、6歳の頃まで住んでいた「市川」の話。私はついこの間まで、13年間、総武線で市川の2つ隣の下総中山に住んでいて、ときどき市川にも散歩の足を延ばしていたので、親しみが湧く。

(7)        越沢明『東京都市計画物語』(日本経済新聞社、1991年)

同じ著者が同じ年に出した『東京の都市計画』(岩波新書、1991年)は面白い本だった。著者に言わせると、両書は相互補完的な関係にあるそうなので、こっちも読んでおこうと。

(8)        『伝記・自叙伝の名著』(自由国民社、1993年)

海外の代表的な伝記と自叙伝の紹介本。欧米では伝記は人気のあるジャンルだが、日本ではそうではない。思うに、子供の頃に「偉人伝」を読まされる(おまけに感想文まで書かされる)せいで、伝記は子供が読むものというイメージがあるためではなかろうか。

(9)        早稲田の杜の会編『60年安保と早大学生運動』(KKベストブック、2003年)

学生運動の本は全学連主流派(=反日本共産党系)の立場で書かれたものが多いが、本書は反主流派(=日本共産党系)の立場から書かれている。60年前後の早稲田大学の一政、教育、一文など自治会は反主流派が掌握していたのである。

 研究室に戻り、明日の「社会学研究10」の試験問題を作成し、印刷する。今回は難問である。きっと単位を落とす学生が続出するであろう(嘘です)。

 

1.14(水)

 3限の「社会学研究10」は教場試験。いつもより学生の数が2割くらい多い。問題は決して難しくないが、それは授業にちゃんと出ていればの話で、そうでない学生が試験だけ受けに来て及第点を取るのは難しいのだが・・・・。さっそく答案用紙と問題用紙を配る。問題用紙は裏にしたままと指示したが、裏からでも問題文は透けて読めていた。試験開始。とりあえず教室の中を巡回する。昔、非常勤で教えていたある大学では、カンニングが横行しており(机の中に開いたままのノートを入れておくとか、カンニングペーパーを答案用紙の下に潜ませておくとか、隣同士で答案用紙を交換するとか・・・・)、「達磨さんが転んだ」ではないが、巡回しながら、急に後ろを振り返ると(私が通り過ぎたので油断したのであろう)、カンニングをしている学生を発見することがよくあった。しかし、わが文学部の学生たちは品行方正で、あるいはカンニングをしてまでよい成績を取ろうという世俗的欲求に乏しいため、巡回をしていても張り合いがない。しかし、教壇で黙って坐っているのも退屈なので、散歩のつもりで何度か巡回をする。試験終了。答案を研究室に持ち帰って、さて、昼食に出ようかと思っていると、ドアをノックする音がした。おそらくいまの試験を受けた4年生(以上)の誰かが、「自分は卒業のためには1つも単位を落とせない状況にありまして、つきましては・・・・」という話をしに来たのだろうと思ったら、本当にそうだったので、自分の勘のよさに驚いた。試験の出来はどうだったのかと尋ねると、小問は5題中ちゃんと書けたのは2題、大問の方は3題中2題しか書けなかったという。おいおい、大問は1題選択ってアンダーラインを引いてあったの読まなかったのかい? 彼、悲鳴に似た声を上げる。「4年生以上は再試験(8単位まで)という制度がありますから、もし落としたら、再試験を申請して下さい」と言ってお引取り願う。