2.1(日)
一昨日Amazonに注文したポール・オースターの本(ORACLE NIGHTとTHE RED NOTEBOOK)が宅配便で届いた。オースターは『ムーンパレス』を読んでファンになり、翻訳されている作品(ほとんどが柴田元幸訳)は全部もっているのだが、翻訳されるのを待っているのもじれったいので、思い切って原書を購入することにした。ORACLE NIGHTは小説、THE RED NOTEBOOKは自伝的エッセー。後者の方が読みやすそうなので、まずはそちらから。
復活書房をのぞいたら、『杯(カップ)』と同時発売された沢木耕太郎『冠(コロナ)』(朝日新聞社、2004年)が棚に並んでいたので「ラッキー!」と呟きながら購入(定価1600円が900円)。アトランタ・オリンピックを取材して書いた作品。村上春樹『Sydney!』(文藝春秋、2001年)と比較しながら読むと面白いかもしれない。ついでに星新一の晩年のエッセー集『きまぐれ遊歩道』(新潮社、1990年)と、嶽本野ばらの短篇・中篇小説集『エミリー』(集英社、2002年)も購入。
それから熊沢書店に寄って、関川夏央『女優男優』(双葉社、2003年)とヘンリー・ペトロスキー『本棚の歴史』(白水社、2004年)を購入。「本の歴史」ならクセジュ文庫のエリクロ・デ・グロリエ『書物の歴史』が有名だ。「図書館の歴史」についても同じくクセジュ文庫にアンドレ・マソンらが書いた『図書館』という本がある。「書斎の歴史」については海野弘が『書斎の文化史』(TBSブリタニカ)という本を書いている。しかし、「本棚の歴史」についての本(原題はThe Book on the Bookshelf)は初めて見た。
2.2(月)
東京の1月の降水量は3.5ミリで、1981年以来23年ぶりの少雨だったそうだが、今日は朝から久しぶりの雨である。右手に傘、左手に自宅に持ち帰って読んでいた12本の卒論の入ったトートバッグを提げて、朝9時に自宅を出る。10時から14時まで卒論口述試験(一人平均20分かかった)。引き続き14時から卒論の評価の調整のための教室会議。わが社会学専修は伝統的に卒論の評価が辛い。めったなことでは90点以上(A評価)を出さない。今回、A評価は全体(約100名)で2名。残りのほとんどの学生はB評価かC評価である。おそらく学生の感覚ではB評価はあまり喜べないものなのであろうが、こと卒論に関しては、B評価は満足すべきものと考えていただきたい。会議を終えて、助手のS君、Sさんを誘って高田牧舎に遅い昼飯を食べに出る。食事を済ませ、「ここは私が・・・・」とレシートを持って席を立ったまではよかったが、財布の中には千円札が4枚しかなかった。係の女性がレジを叩くのを固唾を呑んで見守る。「はい、合計で3990円になります」・・・・ギリギリのセーフであった。夕方から、二文の卒論口述試験。担当学生は4名。研究室に全員を呼んで、ゼミ形式で行う(各人に自分の卒論の要旨を簡単に説明してもらって、質疑応答)。2時間半ほどかかる。終わってから、焼肉屋「ホドリ」で打ち上げ。お疲れ様の一日だった。
2.3(火)
今日は教室会議、専攻・専修主任会、教授会の三連荘。教授会は途中で「一度しか」抜け出さずに最後までいた。しかも手を挙げて発言までしてしまった。早稲田祭2004の休講問題についてだ。早稲田祭2004は11月6日(土)、7日(日)に予定されているが、6日の土曜日の授業を休講にするかどうかがいま問題になっている。その決定は学部ごとに行われるのだが、文学部はまだ決定に至っていない。休講か否かは、たんにその日一日の問題でなく、早稲田祭2004を大学の公式行事とみなすか否か、つまり学園祭として公認するか否かという重要な問題と密接にかかわっている。私は賛成派の立場で発言をした。従来の早稲田祭が中止になったのは1997年である(中止に至った経緯については早稲田ウィークリーのバックナンバーに詳しい)。以来、早稲田大学は学園祭のない大学となった。外部の政治セクトと関係のない学生たちの手によって新しい学園祭を開催しようとする動きはあったが、そしてそうした動きは基本的に大学の期待するものではあったが、大学はいまだ時期尚早と判断してその動きに待ったをかけてきた。外部の政治セクトによる妨害や、乗っ取りを懸念してのことであり、その時期のその判断は適切であったと私は思う。しかし、2002年秋、早稲田祭2002という名前のサークル等成果発表会が、学生部の支援の下、学生たちの手によって見事に行われた(早稲田祭2002公式ウェッブサイト参照)。その成果は翌年に引き継がれ(早稲田祭2003公式ウェッブサイト参照)、学生たちは新しい学園祭の担い手として大学の承認を得るために必要な実績を積み重ねた。こうした学生たちの努力に対して、大学はそろそろ応えるべきであろう。早稲田祭2002・2003の運営スタッフたちが一番望んだもの、それは自分たちの活動を大学が公認してくれることであった。それだけであった。自分たちの年度にそれが実現されなくても、自分たちがきちんとした実績をあげ、それを駅伝の襷のように次年度のスタッフに手渡していった。おそらく大学の対応に不満を持つことは多かったはずだ。外部の政治セクトの妨害や嫌がらせもあったはずだ。しかし、彼らは不満を爆発させたり、挑発に乗ったりすることなく、きちんと自分たちのやるべきことをやりとげた。もちろん完全などということはありえない。あらさがしをしようと思えばできるであろう。しかし、学園祭を担うべき新しい学生の動きの台頭を期待するという大学の声明が虚言でないのであれば、大学は彼らに応えるべきである。
大学からの帰り、日比谷の「シャンテシネ」で『イン・アメリカ 三つの小さな願いごと』を観る。ふだんは最終回の上映を観ることはあまりないのだが、今日のような会議漬の一日は、気分転換を必要とする。新しい生活を求めて、アイルランドからニューヨークにやってきた4人家族の物語。カナダとアメリカの国境の検問で、「お子さんは何人?」と聞かれたとき、妻のサラは「3人」と答え、夫のジョニーは「2人」と答えた。夫婦には2人の娘(クリスティーとアリエス)のほかに息子(フランキー)がいたのだが、脳腫瘍で亡くなっていたのだ。フランキーは脳腫瘍になる前、誤って自宅の階段から落ちて頭を打ったことがある。医学的には打撲と脳腫瘍は無関係だが、妻はフランキーが死んだのは自分の不注意のせいだと思っている。いや、自分のせいだと夫に思われていると思っている。でも、妻は心の底でフランキーが階段から落ちたのは本当は夫のせいだと思っている。要するに二人は息子の死を乗り越えられずにいる。そうした葛藤を抱えながらも、一家はニューヨークのぼろアパートで新しい生活をスタートさせる。そのアパートの住人たちは怪しげな人間ばかりだで、なかでも「叫ぶ男」と呼ばれる黒人のアーティスト、マテオの不気味さは際立っている。しかし、小さな二人の娘はハロウィンの日、物怖じすることなく、マテオの部屋のドアを叩いた。それが「奇跡」の始まりだった。・・・・この映画でアカデミー助演男優賞にノミネートされたジャイモン・フンスーが演じるマテオは、映画の中では『E.T.』の主人公になぞらえられているが、むしろ『グリーンマイル』の黒人の大男コーフィと役所が似ていると思う。しかし、マテオが行ったのはコーフィのような正真正銘の奇跡ではない。それは奇跡のように見えて、その実、一家の(夫婦のではなく、娘たちも含めて家族全員の)願いと決意によってもたらされたものである。クリスティーが学芸会で独唱するイーグルスの「デスペラート」が胸にしみた。
2.4(水)
調査実習の報告書作成へ向けての第2ラウンド(4日、5日、6日、10日)の開始。初日の今日は定位家族班(6名)の報告。午後1時から始めて午後7時までかかった。教授会より長い。しかし、私自身はすべての報告にコメントをする立場にあったので、退屈するということはなかった(疲れはしましたけどね)。12月に行った第1ラウンドでは原稿の構想について話してもらった。今回の第2ラウンドでは完成原稿のイメージが見える形(レジュメと原稿の中間段階)での報告が期待されている。そして3月上旬に予定している第3ラウンドでは原稿の読み合わせが行われる。したがって、原稿の内容についての踏み込んだ議論は今回がピークである(第3ラウンドではもう大きな修正は時間的に不可能)。個々の原稿の水準、そして報告書全体の水準を決定する重要なラウンドである。当然、議論にも熱が入り、最初の2人(H君とM君)の報告だけで3時間近くかかってしまった。ここで休憩。ふと、次の報告者のKさんを見ると、泣きそうな顔をしている。その横のHYさん、S君、HMさんも極度に緊張している。ちょっとやりすぎたか・・・・と反省し、再開後は、コメントのモードのスイッチを「辛口」から「やや辛口」に切り替えた。
2.5(木)
昨日に引き続いて調査実習の中間報告会。今日は学校班。書式についての細かい約束事も1つ1つ確認し合いながらやっているので、今日も午後7時過ぎまでかかった。しかし、こういうことをきちんと詰めておかないと、最後の編集作業に呆れるほど時間がかかってしまうのだ。先憂後楽の思想で行かなくては。
いや、それにしても、今夜の『白い巨塔』には呆れた。ドラマの内容のことを言っているのではない。新聞のTV欄に書いてある今回のタイトルである。「判決」・・・・ですと。里見助教授が原告側の証人として証言台に立ったところで今日は終わりではないか。一体どこが「判決」なのだ! これは立派な詐欺である。まさか「次回のタイトルを間違って一回早く出してしまいました。申し訳ありませんでした」なんて言うんじゃないだろうな。訴えてやろうかしら。
2.6(金)
昨夜、『どっちの料理ショー』という番組で肉豆腐とブリ大根の対決をやっていて、それを見ていたら、肉豆腐が食べたくなった。というわけで、今日の昼食は、「たかはし」の肉豆腐。きっと私と同じ理由で肉豆腐を注文する客が今日は多いのでないか、だとするとちょっと恥ずかしいなと思いつつ店に入ったのだが、それは私の勝手な思い込みであったらしく、私のほかに肉豆腐を注文した客はいなかった。『どっちの料理ショー』はそれほど視聴率の高い番組ではないのかもしれない。あるいは、私のように刺激と反応の回路が単純な人間は少ないのだろうか。
さて、調査実習の中間報告会も3日目である。今日は職業班。さすがに3日目ともなると、書式の確認などはテキパキとできるようになり、一昨日、昨日よりも早いペースで進行し、これはもしかしたら予定通り午後6時頃に終わるのではないかという期待をもたせたが、終盤でペースダウンし、いつものように7時ごろまでかかった。おまけに報告会が終わってから個別の相談が数人あり、最後の一人が終わったら8時を回っていた。なんのことはない、3日間で今日が一番長くかかったのだった。腹ペコで「ごんべえ」に行き、忍者うどんを食べる。
2.7(土)
渋谷方面の某大学を受験する娘と、朝、一緒に家を出る。不案内な地下鉄の改札口まで案内してやるつもりだったが、結局、校門まで一緒に行くことになった(過保護だろうか)。娘を見送った後、所沢キャンパスに向かう。昼から人間総合研究センターの助手候補者の審査会があるのだ。小手指(こてさし)駅を降りると、ちょうど学バスが停まっていたので乗り込むと、運転手が「これは学生専用のバスです。1番乗場へ行ってください」と言う。そうでしたかと、頭を掻きながら、1番乗場へ向かう。1番乗場へ行ってみると、確かに早稲田大学行きのバスが停まっていたが、どうみても一般のバスである。早稲田大学の関係者であることを運転手に告げると、さきほどの学生専用バスを指差して、「大学の関係者なら無料で乗れますよ」と言う。そうか、さきほどの運転手は、一般人が間違って学バスに乗り込んで来たと思ったわけか。再び、学バスの停留所へ向かったが、バスはもう発車していて、次のバスをベンチに座って待つことになった(バスのパネルの表示を「学生専用」ではなく、「学生・教職員専用」としてくれると間違えずにすんだのだが)。所沢キャンパスに来ることは1年に1度くらいしかない。人間科学部の先生方は小手指駅からキャンパスまでのバスが不便だとぼやくが、私はバスに揺られながら見る雑木林の多い風景が好きである。国木田独歩が『武蔵野』で描写したような、明治時代の東京の郊外はこんな感じだったのではないかと思ったりする。昼過ぎから始まった審査会は夜までかかった。審査が終わって、用意された夕食を食べていると、上着のポケットの携帯電話が振動した。出ると、娘からで、センター試験を利用して受験した某大学に合格したことの連絡であった。そこはいわゆる滑り止めではなく、行きたい大学の一つであったので、これで浪人の可能性はなくなったわけだ。娘の声が弾んでいる。「おめでとう。よかったな」と答える。
2.8(日)
東急蒲田店6階の文房具店で「ロットリング」(ドイツ製)の多機能ペン(一本に黒・赤ボールペンとシャープペンが組み合わさってもの)を購入。3000円也。ボールペンの書き味が気に入って購入したのだが、家に帰って使ってみたら、ノック式でペンの種類が規則的に替わるはずなのに、そうならない。試しにいま10回ノックしてみたところ、「黒」→「赤」→「黒」→「シャープ」→「黒」→「黒」→「黒」→「黒」→「赤」→「」シャープ」という順に出た。ここには何の規則性も見られない。つまりノックして次にどのペンが出てくるか予測がつかないのだ。これではまるでお御籤ではないか。それはそれで面白くはあるが、実用には耐えない。たぶん不良品なのだろう。明日、返品に行かねば。
TVドラマ『砂の器』を観ているとイライラしてくる。中居と松雪のからみの場面が多すぎるのだ。中居の独白も説明的で余分なものに感じられる。本来、『砂の器』の主人公は渡辺謙演じる今西刑事である。彼が事件の謎に徐々に迫っていく過程を描いた小説なのだ。それが上記の余分な場面がしばしば挿入されることで寸断されてしまい、それを繋ぐために、場面が切り替わるたびに、たとえば「今西たちは夕方まで聞き込みを行ったが何の成果もなかった」なんていう字幕を挿入したりする始末である。物語を刑事と犯人それぞれの視点の二元中継で見ていこうという試みは明らかに失敗だと思う。なぜドラマの脚本がそういうことをしたのかといえば、今西刑事だけに焦点をおいて事件解明の過程を追っていけば、5話ないし6話でドラマが終わってしまうからである。つまり水増しによる引き伸ばしである。もちろん原作にない話を付け加えることで作品に厚みや奥行きをもたせることができないわけではない。それが成功した例はたくさんある。しかし、今回は(少なくともいまのところは)、そういう効果はまったくない。中居と松雪との間で展開するドラマは、『砂の器』というドラマ全体を弛緩させてしまっている。
2.9(月)
私はいま深く恥じ入っている。ものを知らないというのは情けないものである。昨日のフィールドノートで、購入したロットリング社製の多機能ペンが不良品であったという話を書いた。しかし、それは私のまったくの勘違いであった。ペンの軸に印されている「黒ボールペン」「赤ボールペン」「シャープペン」の記号が上に来るようにしてノックすると、それぞれのペンが出てくる仕掛けになっているのである。私はこのことを店員さんに教えてもらったときに(今日、返品するつもりで昨日の文房具店に行ったのである)、思わず「なるほど!」と感嘆の声を上げてしまった。私がこれまで使っていた多機能ペンは軸をひねってペンの種類を替えるタイプ(右にひねるとシャープペン、左にひねると黒ボールペン、中間は赤ボールペン)で、ノック式、それも軸の種類と同じ数のレバーがある安物ではなく、レバーが一本のタイプのものは初めてだったので、一回ノックをするごとに、「黒」→「赤」→「シャープ」→「黒」・・・・と順繰りに違うペンが出てくるのだとばかり思い込んでいた(このローテーション方式には、一度のノックでお目当てのペンを出せないという欠点があるが、最多でも2回ノックすればいいのだから、その辺は多めに見ようと思っていた)。それが使ってみると、昨日のフィールドノートに書いたように、まるでお御籤の箱を振るように次にどのペンが出てくるのか予想がつかない代物だったので、てっきり不良品だと思い込んでしまったのである。そうか、軸に印されたペンの種類の記号を上にしてノックするのか・・・・。誰が考えたのか知らないが、素晴らしい仕掛けである。私は心底感心して帰宅し、夕食の席でこの話を家族に聞かせた。すると驚いたことに妻も娘も「えっ、そんなことも知らなかったの?」という反応をするではないか(ちなみに息子は知らなかった)。そ、そうなの? これってみんな知っていることなの? とすると、昨日のフィールドノートは世間のとんだ笑いものではないか。いや、私のことはよい。ロットリング社や東急プラザ蒲田店6階の文房具店には申し訳ないことをした。ここでお詫びをするとともに、ロットリング社のボールペンの書き味が素晴らしいことと(インクが違うのであろう)、文房具店の店員さんの対応が誠実この上なかったことを特記しておきたい。それにしても、妻がここぞとばかりに、「それで昨日の夜はずっとカチャカチャやっていたわけね。一体何をやっているのかしらと思ったら・・・・」と言ったのには、カチンと来ましたね。昨日のフィールドノートには10回試行をしたように書いたが、実は、何十回もやって、あたかも素数の一般式を発見しようとする数学者のように、ランダムな現象の背後にある規則性を発見しようと空しい努力を続けていたのである。
2.10(火)
調査実習の中間報告会の最終日(生殖家族班の報告)。これで全員の発表を聞いた。水準にデコボコはあるものの、一応、全員最低水準はクリアーしている。次は3月第一週の最終報告会(4日間)で全部の原稿の通し読みを行う予定。それまでの3週間が原稿執筆の期間となるが、私もこの期間は実習最優先で、入試や教授会のある日以外は、個人・グループ単位での相談に随時応じる態勢をとる(学生にはロックアウト期間中も構内に入れる証明書を配布してある)。4月から始まった調査実習もようやくゴールを見下ろせる峠の地点までたどりついた感じである。
2.11(水)
今日は建国記念日であるが、国民の祝日は2つのタイプに分類できる。
Aタイプ |
Bタイプ |
みどりの日 憲法記念日 こどもの日 文化の日 勤労感謝の日 |
元旦 成人の日 建国記念の日 春分の日 海の日 敬老の日 秋分の日 体育の日 天皇誕生日 |
意味はおわかりだろうか。Aタイプは「うれしい祝日」で、Bタイプは「(さほど)うれしくない祝日」である。なぜかというと、Bタイプの祝日は、冬休み、春休み、夏休みといった長期休暇中の祝日や、月曜日(私が授業をもっていない曜日)の祝日であるからだ。つまりせっかくの祝日が私のもともとの休日と重なってしまって、ありがたみに欠けるのである。「映画の日」に映画の割引券をもらうようなものである。昼に外でカレーライスを食べたら、その日の夕食もカレーライスだったみたいなものである。すでに購入した本を著者から献本していただいたようなものである。・・・・たとえはいくらでも思いつくが、サラリーマンやOLの方を敵に回しそうなのでこの辺でやめておきます。
2.12(木)
池袋方面の某大学を受験する娘と、朝、一緒に家を出る。これまでのところ娘は、私がついていった大学は合格し、ついていかなかった大学は不合格(正しくは第一希望の学科が不合格で第二希望の学科に合格)だったので、縁起をかついで、今日はついていってやることにした(過保護だろうか、やっぱり)。ラッシュアワーの山手線に乗るのはひさしぶりだったが、山手線は乗ってくる人も多いが降りる人も多いので、車内の中ほどにいればギューギュー詰めという感じはなく、恵比寿あたりで坐ることができた(以前、原木中山に住んでいたときの地下鉄東西線のラッシュには参った。門前仲町あたりまでは混む一方なのだ)。娘を送り届けた後、11時からの会議にはだいぶ時間があったので、高田馬場から大学まで歩く。この時間帯はまだ古本屋が店を開けておらず、したがって道草を喰うこともなく、運動のつもりでひたすら歩く。途中、「いなほ製菓」で「ぜんざい最中」を40個ほど購入。文学部事務所に差し入れる(試験の採点が例によって遅れたお詫びである)。注意していないと見過ごしてしまいそうな小さくて古い佇まいの店で、扱っているのは「ぜんざい最中」ただ一品なのだが、これが絶品なのだ。差し入れ用とは別に自分用に2個買って、研究室に着くなり、お湯が沸くのも待ちきれず頬張った。う、うまい。
2.13(金)
寝不足が蓄積したのであろう、昨日の午後から、風邪の初期症状である喉の痛みと首・肩の筋肉痛と寒気がする(私の場合はたいていこのパターンである)。朝食後、再び蒲団にもぐり、午後、大事をとって近所の内科に行って抗生物質と鎮痛剤を処方してもらう。外出したついでに、今月で閉店の「書林大黒」を覗いて、9冊購入。
(1) 柄谷行人『マルクスその可能性の中心』(講談社、1978年)*800円×0.5
(2) 柄谷行人『日本近代文学の起源』(講談社、1980年)*750円×0.5
(3) 柄谷行人『終焉をめぐって』(福武書店、1990年)*800円×0.5
(4) 柄谷行人『ダイアローグ』(冬樹社、1979年)*800円×0.5
最後のものを除いて文庫でもっているが、引用するときのために単行本でもっていようと思って購入。きっと同じ人物(あるいはその家族)がまとめて売ったに違いない。
(5) 小泉信三『私の履歴書』(日本経済新聞社、1966年)*500円×0.5
「私の履歴書」シリーズは自伝研究者にとって貴重な資料だ。圧倒的に男性が多いのが玉に瑕だが。
(6) 明坂英二『卵を割らなければオムレツはできない』(青土社、1996年)*1000円×0.5
タイトルが素晴らしい。どうしたって手に取ってしまう。そうしないと何の本だが気になってしかたない。「卵」をめぐるエッセーで、「もし卵が卵型でなかったら?」なんて問題について書かれている。
(7) 宮内勝典『海亀通信』(岩波書店、2001年)*800円×0.5
2000年2月にホームページ「海亀通信」を立ち上げた作家(早稲田大学文学部の客員教授でもある)のエッセー集。半年分のウェッブ日記が収められている。ときどきホームページへのアクセス数とそれへの感謝の気持ちが書かれている。ふ~む、やっぱりアクセス数が多いと励みになるのだろうな。私は自分のホームページにどれだけの人がアクセスしてくれているのかまったく知らない。ときどき昔の知り合いや、見知らぬ方からメールを頂戴するので、ある程度の読者は存在するらしいという推測のもので書いている。知らぬが仏ということもあろう。
(8) 山崎正和『近代の擁護』(PHP出版、1994年)*800円×0.5
「近代の擁護」ね・・・・。彼のことだ、単純に「擁護」しているわけはないと思う。
(9)『一冊の講座 志賀直哉』(有精堂、1983年)*1800円×0.5
巻末の「主要文献目録」に価値がある。
2.14(土)
大学院の博士課程の二次試験(面接)。今年は一次試験の受験者がいつになく少なく、今日の面接に臨んだのはわずかに2名。そのためもあって、一人当たりの面接時間はいつもより長めだった。ずらりと並んだ9名の教員を目の前にして、受験生はさぞかし緊張したであろう。
夕方から、調査実習の報告書原稿の相談で、Kさんが研究室に来る。草稿は昨日メールで送られてきて目を通しているので、さっそく具体的な手直しの相談に入る。原稿の分量は40字×40行で10頁を標準と考えているが、Kさんの原稿は15頁あり、しかも検討をしていくうちに、減るどころかむしろ増えることになった。しかし、無理に削る必要はないと言っておく。あることを例証するのに1つのケースの引用だけですますよりも、2つのケースを引用した方が説得力があるからだ。Kさんは来週の土曜日からボランティア活動で海外に行くので、この1週間(他の学生の半分の期間)で原稿を完成させなければならないが、「書ける気がする」そうだ。つい10日ほど前、「書けそうもありません」と半ベソがかいていたのが嘘のようである。何事も気持ちのもちよう一つである。いまの彼女なら、スピッツの歌ではないが、空も飛べるはずだ。