9.1(水)
午後、大学。採点した試験の結果(成績)を事務所に提出し、研究室でいくつか雑用を片付けてから、「メルシー」に遅い昼食を食べに出る。チャーシューメンのスープの味がいつもより濃い目で、チャーシューもいつもより厚味があった。夏バージョンなのだろうか。「シャノアール」で食後の珈琲を飲みながら、持参した本、一昨日購入した渡辺治編『高度成長と企業社会』(吉川弘文堂)を読む。戦後という時代を考えるとき、「高度成長期」(1950年代後半から1970年代前半まで)は考察の中心に置かれるべき時期である。それは、渡辺も言っているように、「私たちが、いわば当たり前のこととみなしている、現代日本のさまざまな政治や社会の特徴が形づくられた時代」である。現代史であると同時に一種の考古学的な面白さを感じさせる時代なのである。研究室に戻って、後期から社会学専修の主任を長谷先生にバトンタッチするための書類の整理。思いのほか時間がかかる。書類というやつは困ったもので、ふだんは机上を占領して邪魔くさいくせに、必要なときに行方不明になるのである。しかし、過去の書類というのは、この4年間(二文の学生担当教務主任+社会学専修主任)の経験から言うのだが、そのほとんどは見返すことはありませんね。見返す必要があるのはごく一部だけ。ただし、その一部がどれであるかは、そのときになってみないとわからないので、結局、必要になるかもしれない書類は全部保管しておくことになるのである。ご苦労なことです。帰宅すると、あじさい書房(刈谷市)から田村泰次郎『肉体の門』(風雪社、1947)が届いていた。表紙にはカストリ雑誌を思わせる裸婦の絵が描かれている。
9.7(火)
大学病院の9階の部屋の窓が台風18号の接近を知らせる強い風でカタカタと音を立てている。日射しは強く、眼下の交差点を日傘を差した婦人たちが歩いている。しかし、空模様は不安定で、灰色の雲が足早に頭上を通過したかと思うと、驟雨が日射しを浴びながらキラキラと降り注いできたりした。
今日は週に一度の教授回診のある日で、昼頃、I教授が医師や研究医を引き連れて病室にやってきた。私の担当チームの一人であるD医師が、「内視鏡による尿管結石の破砕・除去と尿管狭窄の拡張手術を受けて、今日ご退院の方です」と説明すると、I教授は「お腹を切らずにすんでよかったね」と私に言った。私は「ありがとうございます」と答えて、お辞儀をした。TVドラマ『白い巨塔』の一場面のようであった。
昼過ぎ、病室に妻がやってきた。自宅から自転車を漕いで来たのだが、途中で雨に降られて、髪が濡れている。同室の方たちに挨拶をして部屋を出る。パン職人のAさんは、「これでまた退屈な毎日になっちゃうな」と言ってくれた。Aさんとは食事のときにいつもご一緒させてもらって、ダニエル・ベルトーの論文「パン屋のライフストーリー」をどこかで意識しながら、Aさんのライフストーリー(1960年に高校を卒業して、今回の入院で休職するまで、無遅刻無欠勤で、あの酒種アンパンで有名な木村屋のパン工場で働いてきた)に耳を傾けていたのだった。
担当のK医師と看護婦がエレベーターのところまで見送りに来てくれた。K医師は私の担当チームの中で一番若い医師で、研修医から医師に昇格してそれほど間のない方のように見えた。入院中、看護婦の一人にK医師の年齢を尋ねたところ彼女はそれを知らなかったが、「先輩の先生からは、東京に修学旅行でやってきた高校生みたいに見えるっていわれています」とのことだった。言い得て妙だが、私の質問に一番丁寧に答えてくれたのがK医師だった。
会計(手術と5泊の入院で12万円)を済ませて建物の外に出ると、空調の効いた館内とは違って、ハノイの街のように高温多湿である。妻の乗ってきた自転車に私が乗り、妻は途中のスーパーマーケットで買い物をしながら歩いて帰る。自転車の前と後ろの篭に入院中の衣服や身の回りの物を詰めたバッグと紙袋を入れて走ると、ハンドルがいささか不自由で危なっかしい。呑川にかかる橋を渡るあたりで驟雨に見舞われた。あわてて傘を差して橋を渡る。安藤広重の江戸百景の中に夕立の大橋を渡る人々を描いた作品があったことを思い出す。帰宅して、父母に退院の報告をしてから、2階に上がる。居間のテーブルの上には、午前中に妻に頼んで買っておいてもらった今日発売の村上春樹の新作『アフターダーク』(講談社)が置かれていた。
9.8(水)
台風一過の晴天の一日、『アフターダーク』を読んだ。18の章から構成される小説だが、15章に入る手前では、あと残り4章でどうやって物語を終わらせるのだろう、このままだともっと大きな小説の予告編みたいな作品になってしまうのではないかと心配したが、杞憂であった。以前、河合隼雄との対談『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(岩波書店、1996)の中で、村上はこんなことを言っている。
「書きはじめのときに全体の見取り図があるわけではぜんぜんなくて、とにかく書くという行為の中に入り込んで行って、それで最後に結末がよく来ますね、と言われますが、ぼくはいちおうプロのもの書きだから結末は必ず来るのです。そしてある種のカタルシスがそこにあるわけです。」
『アフターダーク』の結末がもたらすカタルシスは、唐突なことを承知で言えば、川端康成の『伊豆の踊子』のそれに似ている。『伊豆の踊子』は、自らの歪んだ性格に悩む主人公の一高生が旅先で旅芸人の一座と知り合い、彼ら彼女らから「いい人」と思ってもらえたことで精神的に快癒する物語だ。『アフターダーク』もまた、子どもの頃からいつも2つ年上の美しい姉と比較されながら育った19歳の大学生マリが、深夜(午後11時56分)から朝(午前6時52分)までの時間帯の大都会の片隅でいろいろな人間と出会い、彼ら彼女らからプラスの言葉とまなざしを受けたことで、マイナスの自己イメージから抜け出して姉との関係の修復に向かおうと決意する物語だ。
ただし、物語のすべての場面がマリを中心としたものであるわけではない。むしろ『アフターダーク』は夜の街に棲息するいろいろな人間たちの群像劇として構成されており、同時進行する複数の物語がリンクする結節点にマリが位置している。映画化すれば、たぶん行定勲監督の『きょうのできごと』のようなスタイルの作品になるであろう。もっとも『きょうのできごと』はどの物語もハートウォーミングなものだったが、村上春樹の世界にはあくまでもエネルギー保存の法則が存在していて、マリの物語が暖かなエンディングを迎える一方で、白川というシステムエンジニアの孤独で冷たい物語は残酷な結末に向かっていく。小説の技法として面白かったのは、すべての物語が、遠くの星から円盤に乗って地球にやってきた宇宙人の視点(あくまでも私の受けた印象)から語られていることだ。
「ゆっくり歩け、たくさん水を飲め」―これは『アフターダーク』の登場人物の一人、高橋テツヤの人生のモットーで、『アフターダーク』のポスターに印字されている。私も同じことを医者や看護婦から言われている。
9.9(木)
退院はしたもののまだ全快したわけではない。左の尿管の狭窄箇所を切開して拡張したため、その部分が修復するときに再び狭窄が生じないように左の腎臓から膀胱まで人工の管を通してある。これが抜けるまでにあと一週間かかる。こうした異物が体内にあるため、どこかしらで炎症が生じているのであろう、血尿と腹部に鈍い痛み(確信をもって言うことはできないが、生理痛に似ているのではなかろうか)がある。痛みの方は鎮痛剤で散らしているが、血尿の方はいかんともしがたく、馴れるしかないようだ。しかし、そう簡単に馴れるものではなく、トイレに行くには決意がいる。その上、医者からは水分をたくさんとるように言われているので、ふだんよりもトイレに行く回数が多いのでいやになる。退院後、まだ公衆トイレで小用を足してはいないが、もし連れションなどをして、友人や同僚が私の血尿を見たらきっと吃驚するであろう。「この秋の流行色、ワインレッドでいってみました」と言っても笑ってはもらえまい。「あっ、とうとう見られてしまいましたか。私の本名はヨハン・リーベルト。これまで隠してきましたが、実は、私は地球人ではないのです」と(インパルスの板倉俊之の口調で)言ってもダメであろう。大小にかかわらず、個室で用を足すしかあるまい。
TVドラマ『人間の証明』は今日で最終回。第10話が最終回というのは早すぎないか? 初めからその予定だったのだろうか。それとも視聴率が取れなかったので1週早く終わるのだろうか。エンディングは、主たる登場人物のその後をテロップで表示して、青春映画の名作『アメリカン・グラフィティ』風だった。「物語は終わった。しかし、それぞれの人生は続く」と。原作では(そして映画版も)、ケン・シュフタン刑事がハーレムで黒人に刺殺される場面がエンディングである。すなわち因果応報。今回のTV版でも彼は死ぬのだが、黒人少年をかばっての殉職となっていた。周囲から「立派な人間」として記憶される死であり、意味は全然違ってくる。ヒューマンタッチの脚本だ。しかし、これはこれでいいかもしれない。
9.10(金)
午後、リハビリを兼ねて大学へ。「五郎八」で昼食。久しぶりに食べる揚げ茄子のみぞれおろし蕎麦はとっても美味。後からお稲荷さんを1つ追加。研究室で持参した本、鈴木正仁・中道實編『高度成長の社会学』(世界思想社、1997)を読む。生協文学部店で、後藤道夫編『日本の時代史28 岐路に立つ日本』(吉川弘文館、2004)、森鴎外『渋江抽斎』(中公文庫)、城山三郎『部長の大晩年』(新潮文庫)を購入。帰りの電車の中で『渋江抽斎』の最初の数章を読む。きびきびとした文体が心地よい。途中、閉店間近の日本橋丸善に立ち寄る。モールスキンの来年の日記帳がもう出ているのではないかと思ったのだが、閉店に伴う全品20%引きセールとかで、店内は草食獣の群れに食い荒らされた草原のような状況であった。かろうじて残っていたロディア・アドバンスドのクリック・ブロック(3冊)とリバーシブル(2冊)を購入。帰宅すると、土井隆義さんから新著『「個性」を煽られる子どもたち 親密圏の変容を考える』(岩波ブックレット)が届いていた。明日は日大文理学部で日本家族社会学会の大会がある。下高井戸までの電車の中で読むことにしよう。夕刊(読売)の一面に「働かぬ若者52万人」という見出しで、今日発表された2004年版「労働経済白書」の「無業者(NEET)」についての集計が紹介されていた。ここでいう「無業者」とは「非労働力人口」のうち、年齢が15歳から34歳で、未婚で、職業訓練も含めて学校に通っておらず、家業や家事の手伝いもしていない者と定義されている。それでどうして生活ができるのかといえば、要するに、親がかりである。ただし、ここには労働力調査が実施された時期にたまたまアルバイトをしていなかったフリーターもカウントされているはずだから、52万人全員が学校からも職場からも切り離された空き地のような場所にポツンといるというイメージで考えない方がよいが、それにしても、「無業者」が一年間で約4万人も増えた(増加率8%)というのは注目すべき事態である。後期の「社会学研究10」の中で取り上げてみたいテーマの1つである。
9.11(土)
下高井戸駅から日本大学文理学部まで「日大通り」という名前の商店街を歩く。昔ながらの雰囲気のある商店街で、わが早稲田大学と同様、大学が地域社会に溶け込んでいる感じがとてもよい。いくらキャンパスが広くて校舎がきれいでも、駅前からスクールバスでキャンパスまで運ばれてしまうような郊外の大学は、味気ない。食堂と喫茶店とコンビニと新刊本屋と古本屋と雀荘と映画館と銭湯、最低でもこれだけのものが大学の周辺には必要だ(個人的には、これに加えて将棋・碁会所と境内を散歩できる神社仏閣があればいうことはない)。
今日と明日の2日間、日本家族社会学会の大会がここである。ただし、私の今日の目的は研究報告を聞くことではなくて、昼休みの時間に開かれる「戦後日本の家族の歩み」調査(NFRJ-S01)の第二次報告書の打合会に出席することである。受付に行くと大会実行委員長の清水浩昭先生がいらしたのでご挨拶する。清水先生が受付業務をしている女子学生に「T先生は大久保先生のお弟子さんなんだ」と言った。「T先生」とは10年前に私が早稲田大学で教え始めたときの最初の学生の一人で、私が卒論指導を担当し、学部卒業後は東大の大学院(教育社会学)へ進んで、いまは日大や法大で非常勤講師をしているT君のことである。その女子学生が私にペコリと頭を下げたので、「彼は熱血先生でしょ」と聞くと、ニッコリしながら「はい」と返事をした。
会合は一時間ほどで終わり、他の出席者は仕出し弁当を食べながらの参加であったが、私は司会役だったので、何も口にせず、終わってから日大通り商店街にある「鳥ぎん」で五目釜飯を食べた(来るときに昼飯はここにしようと目星をつけておいたのである)。釜飯は注文があってから炊き始めるので30分ほど時間がかかる。こういうときビールとお新香で時間をつなげたらいいのだが、生憎と私はアルコールを嗜まない。お茶とお新香と店内に置いてあるスポーツ新聞で時間をつなぐ。プロ野球のストライキが中止(延期?)になったという記事が一面に載っていた。プロ野球にはまったく関心がないので、どうでもいいといえばいいのだが、労働組合が衰退の一途を辿るこの時代だからこそストライキをやって見せてほしかったという気持ちがある。私が子どもの頃は、一般企業はもとより、国鉄や教職員のストライキは日常茶飯で、子ども心にもわくわくするものがあった。やがてストライキという行動は世間から消えていったが、大学のキャンパスではしばらく生き長らえていた。しかし、やがてそれも消滅した。「戦争を知らない子どもたち」ならぬ「ストライキを知らない子どもたち」がこれから大人になろうとしている。彼らは自分の置かれた環境に不満が生じた場合、同じ環境にいる者たちと連帯して異議申立の集合行動をとるよりも、その環境から個人単位で抜け出すことを第一に考えるのではなかろうか。
9.12(日)
妻が「お昼はインスタントラーメンでいい?」と聞いてきたので、それはパスして、散歩がてら「喜多方ラーメン」に葱ラーメンを食べに行く。入院中は、消化器系の病気ではなかったので、手術の当日を除いて、三度三度の食事は美味しくいただいたが(病院の食事はまずいというイメージがあるが、私の入院した大学病院はそんなことはなく、みんな食事の時間を楽しみにしていた)、しかし、「アツアツ」とか「ジュージュー」といった類の献立はさすがに期待できなかった。長期の入院患者で病状の安定している人は、申請すれば外出・外泊が許されるのだが、そのとき彼らは必ずといってよいほど熱々のラーメンやうどんをフーフーしながら食べる。そして戻ってきてからその話をする。外出許可の下りない患者は、ベットの上で天井を見つめながら、「ああ、中華蕎麦が喰いてえなあ」と呟くのである。そういう人たちの気持ちを考えると、退院して最初に食べるラーメンはインスタントラーメンなんかではなく、ちゃんとしたラーメンでなくてはならない、と私は思ったのである。
南天堂書店で乾正雄『夜は暗くてはいけないか 暗さの文化論』(朝日選書、1998)を購入。1300円が500円。有名なブリューゲルの「雪中の狩人たち」を題材にして、ヨーロッパの冬空の暗さについて論じている。
「読者は実際にこんな暗い空を見たことがあるだろうか。黒雲がわき出たのとはちがう。空が一様にべったりと暗いのである。アルプスの北側の冬空には、雲が厚くてどこにもムラがない、こんな曇天空がよく現れる。太陽の位置がわからないことはいうまでもないが、雲の形もまったく読めない。明暗もなければ濃淡もない。これを専門語で完全曇天空という。」
「完全曇天空」という言葉を初めて知った。なんだか凄い。ちよだ鮨をのぞいたら秋刀魚の握りがあったので、4ヶ入りのパック(280円)を買って帰って、熱いお茶を入れて食べた。脂がのって美味。
9.13(月)
大学に出る。長谷先生に社会学専攻・専修の主任の仕事の引き継ぎを行う。5キロほど身軽になった感じ。スロープの下で大学院のN君と出くわし、村上春樹の新作についての感想を述べ合う。「うまいけれども、感動はいまいち」というのが『アフターダーク』に対する世間一般の評価のようだが、それは出版社がこの本を「作家デビュー25周年の書き下ろし長編小説」として宣伝したために生じた過剰な期待に主たる原因がある。
村上は自分の作品を3種類に分類している(『村上春樹全作品1990~2000』第二巻「解題」)。
(1) 長いめの長編小説。
(2) 中編小説、あるいは短めの長編小説。
(3) 短編小説。
この分類に従えば、『アフターダーク』は『国境の南 太陽の西』や『スプートニクの恋人』と同様、(2)に該当する。決して『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』、『ノルウェーの森』、『ねじまき鳥クロニクル』、『海辺のカフカ』のような(1)に属する作品ではない。作品の長短は村上にとって重要な意味をもっている。『国境の南 太陽の西』について彼は次のように語っている。
「ごく客観的に言って、『国境の南 太陽の西』を僕の代表作と呼びことはかなりむずかしいだろう(たとえば、例にひくにはいささかおそれ多いが、ベートヴェンの八番のシンフォニーを彼の代表作と呼ぶことがかなり難しいのと同じように)。この作品は一般的な見地からいえば、それほど柄の大きな作品ではない。どちらかというと、パーソナルな色彩の濃い作品である。僕は「この作品が一番好きです」という読者に少なからず会ったし、同時に「私はこの作品をまったく買わない」という読者にも少なからず会った。それは悪くないことだと思う。パーソナルな作品に対してあくまでパーソナルな反応が返ってくるわけだから、筋は通っている。しかしこの作品にとっていささか不幸だったのは、これが『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』以来「四年ぶりの待望の書き下ろし長編小説」と銘打って出版されたことだった。だから少なからざる読者が、そのパーソナルな作風に対して肩すかしを食ったような感じをもったかもしれないし、「文学的後退」とも言われた。・・・(中略)・・・僕自身はこの『国境の南 太陽の西』という作品を「文学的後退」であるとはもちろん思っていない。僕は『ねじまき鳥クロニクル』という長大な小説を登頂しているあいだのひとつのインターリュード(間奏曲)としてこの作品を書いたわけだし、これを書くことによって自分の心の在処のようなものをひとつひとつ確認していくことができた。そのへんの決着をつけて、それから新たに『ねじまき鳥クロニクル』の登頂の続きを始めることができたのだ。そういう意味ではこの作品は僕の人生において(偉そうな言い方をさせていただくなら僕の文学的人生の中で)それなりに意味のある、固有の意味を持つ作品である。」
おそらく『アフターダーク』についても同じことが言えるはずだ。ただし、村上の文学的人生の中での『アフターダーク』の正確な位置づけは、まだ誰もそのタイトルを知らない「次なる長いめの長編小説」の出版をまって初めて可能になることだけれども。
9.14(火)
息子の高校(都立小山台高校)の運動会を妻と見物に行く。ここは私と妻の母校でもある。卒業して30年、校庭の片隅のコンクリート2階建ての建物(かつて運動班の班室として使われていたが、いまでは物置になっている)以外、校舎に当時の面影は残っていない。しかし全校生徒が赤青白黄の4つの団に分かれて競い合う伝統の運動会は健在だ。在学生の父母だけでなく、卒業生もたくさん見物に来る。若者たちが目の前のトラックを全速力で走る姿は躍動感がある。私が最後に全速力で走ったのはいつのことだろう。いま、はたして私は100メートルを何秒で走れるだろう。そして全速力で走った後に動悸と呼吸が平常に戻るまでに一体どのくらいの時間を必要とするだろう(駅の階段を駆け上がって電車に飛び乗った場合、へたをすると大学へ着くまでずっと気分が悪いことがある)。私は躍動する若者たちの身体に憧憬と嫉妬を感じつつ拍手を送った。優勝したのは白組だった。
栄松堂で、岩城宏之『音の影』(文藝春秋)、山口瞳『私の読書作法』(河出書房新社)、伊坂幸太郎『チルドレン』(講談社)を購入。今日は昼食の時間がゆっくりとれなくて(運動会の午後の部の最初の応援合戦からちゃんと見たかった)、武蔵小山商店街の回転寿司屋で白身魚を中心に5、6皿つまんだだけだったので、小腹が空いた。シビタスでホットケーキと珈琲を注文して、購入したばかりの本に目を通す。
帰宅すると、史録書房から井上安治の『東京真画名所図解』が届いていた。平凡社が1968年に500セット限定で復刻した132枚のハガキ版の浮世絵(安治の師である小林清親が確立した「光線画」と呼ばれる近代浮世絵)である。たとえば「浅草蔵前通」と題された一枚。どうです、実にいいでしょ。95,000円はちょっとした買い物だが、復刻でなく明治20年前後に刷られたオリジナルであれば、1枚15,000円から20,000円はする。仮に全部をオリジナルで収集したとすると(それ自体が難しいと思うが)優に200万円は超える金額になる。日本文学専修のK先生は百万円単位の掛け軸なんかをボーナスでポンと買われるそうだが、それは夫婦共稼ぎだからこそできることで(奥様も大学の先生)、我が家の場合は夫が妻に事後報告で買い物ができる金額は10万円がいいところである。人間はそれぞれ自分の身の丈に合った生き方をしなくてはならない。
妻が今日は朝が早かったから疲れたわねと言ったので、夕食はみんなで外に食べに行く。東急プラザ7階の五右衛門でスパゲッティーを食べ、お隣のサンカマタの5階に最近オープンした無印良品を覗き、6階の有隣堂で『村上春樹全作品 1990-2000』第7巻(第二期最終刊)を購入。