10.1(金)
昼休み、学生会館1階の学生生活課のカウンターに出向いて、調査実習の合宿(12月19日~21日)のための鴨川セミナーハウスの利用申請を行う。今回は抽選ではなく、その場でOKとなる。これで一安心。合宿ではこれから始まるインタビュー調査のケース報告会を行う予定。3限の大学院の演習は全員(5+1名)が顔を揃える。前期に消化できなかったAさんの文献報告。4限の時間帯は、昼食を兼ねて、二文のT君の卒論相談を「フェニックス」で行う。最初、客はわれわれだけだったが、心理学のI先生がたくさんの学生を引き連れてやってきて真ん中の大きなテーブルで演習を始めたのをきっかけに、どんどん客が入ってきて、われわれが店を出るときには満席状態になっていた。こんな「フェニックス」は初めて見た。5限の一文の卒論演習までまだ時間があったので、穴八幡神社の境内で今日から始まった古本市をのぞく。以下の本を購入。
(1) 出久根達郎『佃島ふたり書房』(講談社、1992)*500円
山口瞳がこんなことを書いていた。「一言一句が粒だっているとか、活字が立ち上がってくるとかいう言い方があるが、そういう文章に久し振りにお目にかかったような気がする。実際、読み進むのが惜しくなって、この余韻を一晩寝かせておきたいと思ってみたりもした。出久根達郎さんの『佃島ふたり書房』は、そんな小説だった。」(「出久根さんの文章」、『私の読書作法』所収)。
(2) 吉行淳之介『暗室』(講談社、1970)*300円
川西正明『小説の終焉』によれば、近代日本の小説の主要テーマは、「私」と「家」と「性」と「神」である。このうち「性」を女性の側から本格的に描いた最初の作家は田村俊子で、男性の側から本格的に描いた最初の作家は永井荷風である。荷風の跡を継いだのが吉行淳之介で、『暗室』は彼の到達点である。
(3) 石川達三『四十八歳の抵抗』(新潮社、1956)*200円
日本文学史上、「中年の危機」を最初に描いた小説は田山花袋の『蒲団』であるが、『蒲団』の主人公はまだ30代の半ばであった。それから約50年後、石川達三が「中年の危機」を描いたこの新聞小説がベストセラーになるわけだが、主人公の年齢は大きく上昇していた。中年期とは青年期と老年期の中間地帯であり、青年期の延長(大人になれない)と老年期の先延ばし(老人になりたくない)によって、時代が下るとともに上方に移動してきたのである。ただし、主人公が思いを寄せる相手の女性の年齢は、どちらも19歳である。若い女性を好む男の心理は50年程度では変わらないようである。
(4) 赤坂憲雄『新編 排除の現象学』(筑摩書房、1991)*700円
今日の大学院の演習の報告の中でAさんが赤坂憲雄の仕事に言及したのだが、あいにくと私は彼の本を読んでいなかった。聞くとそれなりに話題になった本のようである。その直後のことなので、これも巡り合わせと思い、購入。
(5) 大森英『労農派の昭和史 大森義太郎の生涯』(三樹書房、1989)*500円
(6) 松浦総三『戦後ジャーナリズム史論』(出版ニュース社、1975)*500円
(7) 杉森久英『大政翼賛会前後』(文藝春秋、1988)*500円
上記3冊は清水幾太郎研究の参考文献として購入。もう1冊、山口正之『忍者の生活』(雄山閣、1963)という本を買おうかどうしようか迷ったのだが、雑学もほどほどにしないと本の置き場に困ることになると思い直して、元に戻す(動物のもの真似の術について書かれた章が面白かった)。今日はなかなかいい本が買えた。この7冊を鞄に入れて1週間ほど温泉旅行に行けたら楽しいだろう。
5限の卒論演習は12名中8名が出席(今日は内定式というものをやる会社が多いようである)。全員に章立て案を提示してもらった上で、夏休み中の進捗状況を報告してもらう。サクサク済ますつもりでいたら、結局、一人平均30分、8時過ぎまでかかった。卒論提出まであと2ヶ月半。インプットからアウトプットへの切り替えの時期である。仕入れた知識を全部盛り込むことはできない。何を書くかということは、何を書かないかということである。覚悟を決めなくてはならない。「ごんべえ」で夕食(辛子カツ丼)を食べてから、家路に着く。
10.2(土)
TBS恒例の「オールスター感謝祭」を観た。いつもながら島田紳助の司会ぶりは見事で、芸能人200人を相手に5時間半の生番組を仕切れるのは、紳助以外には明石家さんまただ一人であろう。途中、紳助がミニバイクのモトクロスに参加するために、武田鉄矢が代役で司会を務めた時間帯があったが、それはいかにこの番組が紳助の司会なしには成り立たないものであるかを証明するための時間であった。企画的には今回は失敗が目立った。その最たるものは、ミニ・マラソンと駅伝におけるハンデの付け方である。せっかくアテネ五輪の女子5000メートルの金メダリストを呼んでおきながら、ハンデの計算にミスがあったために(ミニ・マラソンではハンデが辛すぎ、駅伝ではハンデが甘すぎた)、「先行するランナーを金メダリストがゴボウ抜きしてゴールテープを切る」というみんなが期待する展開とはほど遠いレースになってしまった。紳助が「プロデューサーを減俸処分にします」と言って笑いをとっていたが、あれは本音に違いない。それから番組の常連である大分コスモレディース(女子の綱引き日本一チーム)を今回は呼ばず、芸能人同士に綱引きをさせていたが、何の面白みもなかった(どちらのチームが勝つのだろうと固唾を飲んで見守るわけではないから)。ロシアから呼んだサーカス団が披露した空中ブランコも単調なもので、前回あるいは前々回の上海雑伎団(?)の「人間業とは思えない」演技と比べてだいぶ見劣りがした。きっと今頃番組の反省会が開かれていて、紳助が厳しい口調で意見を言っているに違いない。
10.3(日)
朝から雨の降る日曜日。通り雨でも台風の影響による雨でもない、本格的な秋雨である。もう夏の名残は微塵もない。「昨日はどこにもありません/あちらの箪笥の抽出しにも/こちらの机の抽出にも/昨日はどこにもありません」(三好達治「昨日はどこにもありません」より)。大森英『労農派の昭和史』と吉行淳之介『私の文学放浪』を読み、日中を過ごす。夜、生命保険文化センター主催の中学生作文コンクールの最終審査作品35編に目を通す。思わず居住まいを正す作品が何編かあった。
10.4(月)
モールスキンの2005年の一日一頁タイプのダイアリー(ポケット版およびラージ版)をインターネットで注文する。ポケット版が2300円、ラージ版が3150円、これに送料が加わってそれなりの金額である。私の場合、スケジュール帳は大学から支給される能率手帳(左頁が一週間のスケジュール欄で、右頁がメモ欄というオーソドックス・タイプ)をずっと使っている。ときどき市販の新しいタイプのスケジュール帳を買ってみたりもするのだが、結局、使い慣れたものが一番いい。具体的に言うと、(1)時刻目盛りが午後12時まで付いている(二文の授業や7限後のアポまでちゃんと書き込める)、(2)土日の欄も平日の欄と同じだけのスペースを与えられている(大学では土曜は休日ではない)、(3)一週間は月曜始まりである(日曜始まりというのは感覚的になじめない)、(4)メモ欄が広い(見開き二週間タイプはメモ欄がなく、見開き1週間タテ割レイアウト・タイプはメモ欄が小さくて、私には使い勝手が悪い)、(5)大きすぎず、小さすぎない(上着の内ポケットに入る)、(6)クリーム色の用紙が目にやさしい(白色の用紙はボールペンのインクとのコントラストが強くて細かい文字を書いていると目が疲れる)、(7)付録に年齢早見表が付いている(ライフコース研究者必携)、などの点が優れている。しかし、能率手帳はあくまでもスケジュール管理のための手帳であって、あれこれと思いついたことを書き留めておくための手帳ではない。現在という過ぎゆく時間を形にとどめておくための手帳、それがモールスキンのダイアリーである。私という人間の社会的価値はスケジュール帳の中にあり、私の人生の個人的意味はダイアリーの中にある。
10.5(火)
午前10時から戸山図書館運営委員会。しかし、午前10時半から(1限の授業が終わってから)と勘違いしていて、30分の遅刻。お恥ずかしい。昼食は「たかはし」の秋刀魚の刺身定食。醤油に薬味(生姜、茗荷、葱)をたっぷり入れて、脂の乗った刺身を付けて食べると、ご飯がいくらでも食べられそうである(実際はお代わりはしませんけど)。穴八幡神社の境内の古本市はこの雨の中を今日もやっている。しかし、お客は気の毒なほど少ない。山本健吉『漱石・啄木・露伴』(文藝春秋、1972)、佐伯章一『日米関係のなかの文学』(文藝春秋、1984)、粕谷一希『戦後思潮 知識人たちの肖像』(日本経済新聞社、1981)、朝日新聞企画報道室編『どうなる社会主義』(新興出版社、1990)の4冊を購入。合計で1700円。先日、どうしようか考えて、結局買わなかった『忍者の生活』はもうなくなっていた。どんな人が買って行ったのか、ちょっと気になる。古本市は明日が最終日。明日は雨は上がるようだ。夕方まで研究室で教材の作成。帰りがけに生協文学部店で小浜逸郎『正しい大人化計画』(ちくま新書)を購入。車内で読む。夜、今日が初回のTVドラマ『めだか』を観る。山田洋次監督に定時制高校を舞台にした『学校』という映画があるが、あの映画の先生役を新米の女性教師にしたようなドラマだ。主演女優のミムラの演技は上手とはいえないが、林隆三、小日向文世などの脇役陣が魅力的。岡田恵和脚本の『マザー&ラヴァー』はビデオ録画して後日観ることにする。主役の坂口憲二の役所はなんと「マザコンの役者の卵」。若い女性をターゲットにしたTVドラマでは禁断のテーマである。10年前のTVドラマ『ずっとあなたが好きだった』で佐野史郎が演じた「冬彦さん」以来だろうか。はたして視聴率は取れるのだろうか。
10.6(水)
午前、有楽町の新国際ビル内の生命保険文化センターで中学生作文コンクールの最終審査会。今回は、自分が上位三賞に推した作品がそのまま上位三賞に入った。ちょっと拍子抜けするほどあっさり決まった。午後、大学。3限の「社会学研究10」は、藤山一郎の「夢淡き東京」から沢田研二の「TOKIO」まで、「東京」をテーマにした戦後の流行歌の変遷について。5限の「社会学演習3D」はライフストーリー・インタビューのやり方を説明してから、各自が現時点で考えている対象者(候補)について話してもらう。ところでインタビューのときはICレコーダーとテープレコーダーを併用するのだが、ICレコーダーは研究室所有のものを貸与するが、テープレコーダーはできるだけ自前のものを使ってほしいと話したらところ、テープレコーダーを所有している学生は25名中なんと1名しかいないことが判明した。テープレコーダーの歴史的使命はすでに終わったのであろうか。感慨深いものがあった。夜更け、ちょっと大きめの地震あり。
10.7(木)
大学に出る途中、飯田橋ギンレイホールで『レディ・キラーズ』(脚本・監督:コーエン兄弟、主演:トム・ハンクス)を観る。大学教授を装って黒人の未亡人の家に間借りをした泥棒(トム・ハンクス)が、仲間を募って、未亡人の家の地下室からカジノの事務所までトンネルを掘って売上金を盗み出す。しかし、未亡人に見つかってしまい、彼女の殺害を企てるが、仲間割れやアクシデントで泥棒一味は結局一人残らず死んでしまうというお話。コメディータッチで随所で笑いが起こる一方で、次々と人が死ぬので心からは笑えない。「笑い」と「死」の結合は「ブラック・ユーモア」というのだろうが、われわれ日本人には「ブラック・ユーモア」は理解しがたいところがある。日米和親条約調印から150年、われわれもようやくユーモアのセンスは身に付けてきたが、ブラック・ユーモアのセンスの方はまだまだである。
映画館を出て、神楽坂の坂上にある「花」という甘味処に入って、クリームあんみつと玉子ぞうにを注文する。玉子ぞうにを食べているとき、女将さんから「味が濃くはありませんか」と聞かれた。「いえ、私は東京の生まれなので、関東風がちょうどいいです」と答えたが、クリームあんみつを食べた直後だったこともあり、内心、確かに少し濃い目かなと感じていた。すると女将さんは、「ほとんどのお客さんはちょうどいいよって言って下さるんですけど、年に一人くらい、ちょっと味が濃いねと言う方がいらっしゃるんですよ」と言った。・・・・危うくその「年に一人の客」になるところだった。
10.8(金)
新宿区西五軒町2丁目に「神楽坂die pratze」という小劇場がある。9日(土)の午後2時から、および午後7時半から、「密の日」という芝居が打たれる(開場は開演の30分前)。しかし、生憎と当日の東京の天気は「暴風雨」と予想されている。劇団関係者には気の毒だが、客足が遠のくことは必定である。だが、私は妻と一緒に午後2時からの回を観に行こうと思っている。知り合いが舞台に立つからだ。どういう知り合いかというと、ちょっと複雑なのだが、私の両親の長男の嫁の娘である。なぜか私似である。一緒に道を歩いていると、十中八九、父と娘に見られる。そういうわけだから、彼女のことは他人とは思えない。そう妻に話したら、妻は「実は私もそうなの」と言った。長年連れ添っていると考え方も似てくるのかもしれない。チケットは1000円。10日(日)が千秋楽で、午後1時30分からの回のみとのことである。遠路はるばる観に行くほどの芝居ではないかもしれないが、近場にお住まいの方は、暴風雨もなんのその、散歩がてらにのぞいてご覧になるのも一興かもしれない。もし芝居に満足されなくても、帰路、「紀の善」や「花」に立ち寄ってクリームあんみつを召し上がれば、きっと満足されるだろう。
10.9(土)
「密の日」を観る。台風が接近中であったが、お客はそこそこ入っており、まずは一安心。ヌッポン国の奥地の自治区(あるいは隣国)メライには奴隷を生き埋めにする風習があり、その人骨の発掘のためにヌッポンから発掘団がやってきて、一悶着あるという話(大雑把な紹介だが、寓話的な設定なので、細かく説明してもストーリーが明確になるわけではない)。多くの役者の演技は安心して観ていられたが、メライの殿下の側近の一人を演じている私の知り合いは、新人の故、台詞回しに余裕が感じられず、彼女が舞台に登場する度にこちらはハラハラ、ドキドキした。終わったときは、正直、ホッとした。劇場を出ると雨は一段と強くなっていたが、われわれは神楽坂を「紀の善」まで歩き、私は御前しること玉子ぞうに、妻はクリームあんみつを食べた。帰路、風雨はさらに激しくなり、蒲田に着いた頃は一番風の強いときで、しばらく駅ビルの本屋で台風の通り過ぎるのを待った。柏井壽『「極み」のひとり旅』(光文社新書)と泉麻人『新・東京23区物語』(新潮文庫)を購入。地階の魚屋で夕食の寄鍋に入れる蛸と鮟鱇を買って帰る。
10.10(日)
台風一過の青空のはずではなかったのか・・・・。小雨が降ったり止んだりの日曜日となった。「社会学研究10」の前回の講義記録を作りながら、出席カードの裏に書かれた「私の東京ソング」のアンケートに目を通していて、尾崎豊と長渕剛の曲が一曲も入っていないことに気がついた。尾崎の「僕が僕であるために」や「十七歳の地図」、長渕の「とんぼ」や「しゃぼん玉」は自分が自分であるための戦場としての東京を歌った典型的な東京ソングだと思うのだが、いまの20歳前後の大学生はもう尾崎や長渕の歌を聴いたり口ずさんだりする世代ではないのだろう。彼らが一番言及したアーティストはミスターチルドレンだった。先週の大学院の演習でもミスターチルドレンに言及した発表があったが、90年代に思春期を迎えた世代にとって、ミスチルは格別の存在らしい。私もミスチルは嫌いではないが、音楽的にはスピッツの方が好きだし、メッセージ性の点からはブルーハーツの方が好きだ。確かに歌詞のもつ物語性という点ではミスチルは優れており、サビの部分の盛り上げ方も見事でカラオケにはうってつけだが、同工異曲というのだろうか、類似の物語(自分探し)がくり返し歌われているという印象が強い。
10.11(月)
午後、天気がいくらか回復してきたのを見計らって散歩に出る。「TSUTAYA」でCDを10枚ほどレンタルする。学生たちが出席カードの裏に書いてきた「私の東京ソング」の中には私の知らない歌、たとえば、ケツメイシ「トモダチ」、19「果てのない道」、175R「空に唄えば」、「ふるさと」(モーニング娘。)、GLAY「Winter Again」、中島みゆき「ファイト!」などがあり、それがどんな曲なのか聴くためである(タイトルを知らなかっただけで、聴いてみたら知っている曲もあった)。借りた以上はアルバムに入っているその他の曲も聴くことになるが、するとけっこういい曲があったりする(どれもベスト版なので、いい曲が多いのはあたりまえなのだが)。なかでも19のベストアルバム(青版と黄版)は、私が親しんできた70年代フォークソングの系譜に連なる曲調の作品が多かったせいか、しばし聴き入った。
CDをたくさん借りた勢いで、「ラオックス」に立ち寄って、AppleのiPod(20GB)を購入。33,390円也。若いカップルが、「これがiPodだね」「欲しいけど高いよね」と会話している側で、「これを下さい」と何のためらいもない口調で店員に言うと、2人は一瞬あっけにとられたような顔をしてこちらを見た。若者よ、君たちにはお金がないが、私にはない若さがある。一生懸命働いて(親の脛をかじることなく)iPodを手に入れなさい。家に戻って、さっそくレンタルしてきたCDをパソコンに読み込み、それをiPodに転送した。最初、iPodをパソコンに接続したとき、うまく認識されず、やれやれ最初からトラブルかと思ったが、指示にしたがって一度初期化して復元したらちゃんと認識してくれた(簡易マニュアルの説明は不十分)。PCに読み込んだ曲をiPodに転送するスピードは驚くほど速い。CD10枚、137曲(演奏時間約11時間)があっという間に転送されてしまった。使用した容量は約600MB。5000曲転送可能(一曲平均4分とした場合の計算)だが、ハードディスクを全部音楽ファイルで占領する必要はなく、大容量のデータを持ち運ぶときの外部記憶装置としても使えるし、別売りのボイスレコーダーを装着すれば長時間のインタビュー調査も可能だ。肝心の音質だが、なんら問題はない。クイックホイールの操作性も大変によい。美しいフォルムだが、壊れ物だから(途中で一度、イヤホンジャックが抜けて床に落としてしまい冷や汗をかいたが、大丈夫だった)、やはり携帯用のケースは必要だろう。インターネットで注文しよう。
10.12(火)
授業はない日だが、午後、専修の会合と調査データの整理のために大学へ。9時になったので、作業の続きはまた明日ということにして、引き上げる。「ごんべえ」でカツ丼を食べようと思ったが、混んでいたので「天や」にする。カウンターに座ると目の前の店員に挨拶された。社会学専修の学生のようである。「先日、長谷先生も来られました」という。「彼は何を注文しましたか」と聞いたら、「普通の天丼だったと思います」と答えたので、「じゃあ、私は特撰天丼を」と注文する。天丼は500円で、特撰天丼は620円である。何が違うのかというと(実は知らないで注文したのだが)、天丼はえび、いか、きす、かぼちゃ、ししとう。特撰天丼はえび2本、大きす、なす、ししとう、である。いか→えび、きす→大きす、かぼちゃ→なす、という交換である。いかが消えたのはちょっと残念だが、全体としては満足すべきバージョンアップといえよう。しかし、今回は天ぷらとご飯の配分を間違えてしまい、最終盤でご飯だけが残ってしまった。「特撰」にした分、倹約してお新香を注文しなかったのが敗因と考えられる。
10.13(水)
調査実習の後期の課題であるインタビューによるライフストーリー調査がいよいよ始まる。今日の授業ではアポが取れましたという報告が4件あって、それぞれの対象者のプロフィールと調査日時・場所の報告がされたのだが、A君がアポをとったのは屋台のラーメン屋のご主人。場所はどこかというと、「トヤマ」とのこと。大学の近辺(戸山)かと思ったら、そうではなくて、A君の郷里である富山のことだった。交通費がかかるにはかかるが(サブの調査員が同行する)、去年の調査実習のことを考えれば、何ら問題はない。去年は北海道から九州までかなりのケースが地方でのインタビュー調査となり、夏休みが終わった時点で調査費用が底をついてしまったのだった(急遽、外部資金を導入し、乗り切った)。今年はそういう心配がないので、対象者への謝礼に図書券(2000円)を用意した(去年は1000円程度の手土産だった)。インタビューは3時間ほどかかり、後日、補充調査やテープ起こしをした原稿のチェックもお願いすることになるので、この程度の謝礼は妥当なものだろう。ボールペン1本の粗品で調査ができる時代ではもうないのだ。
10.14(木)
大学からの帰り、TSUTAYAでCDを2枚借りる。ジャパハリネット『現実逃走記』とNUMBER GIRL『SCHOOL GIRL DISTORTIONAL ADDICT』。どちらのバンドも初めて聞く名前である。ジャパハリネットは「社会学研究10」で学生が出席カードの裏に書いて来た「東京ソング」の中に「哀愁交差点」という彼らの歌があったのだ。ずいぶんとレトロなタイトルである。「哀愁」という言葉が歌謡曲のタイトルに頻繁に登場したのは1950年代半ばである。「哀愁日記」(コロンビア・ローズ)、「哀愁列車」(三橋美智也)、「哀愁の街に霧が降る」(山田真二)・・・・。高度成長前夜の日本にはまだ「哀愁」というものが漂う余地があったのであろう。やがて「哀愁」は狼のように社会の片隅に追いやられていった。そして田原俊彦が1980年に「哀愁デイト」を歌ったのを最後に歌謡界から完全に姿を消したものと思っていた。そこに突然の「哀愁交差点」である。聴いてみると、ブルーハーツの系譜に属する歌詞重視のロックである。惜しむらくはボーカルの声質が甲本ヒロトほど魅力的ではない。あっさりしているというか、ちょとか細い感じがする。でも、基本的に好きなタイプのバンドである。iPodに転送する。一方、NUMBER GIRLは調査実習の授業の夏休みのレポートの中にこのバンドのことを採り上げたものがあったのだ。「このバンドを知っている人は?」と尋ねたらけっこう手があがった。そうか、有名なのか。じゃあ、聴いてみるか。と聴いてみたのだが、こちらはジャパハリネットとは対照的に演奏重視のロックである。あたかもマイクが一本しかないスタジオで、ボーカルよりもギターがマイクの近くに陣取って録音したようなCDである。歌詞を聴き取ろうとしても、何と言っているのか判然としない。驚いたことに歌詞カードを見ても判然としない。「路面電車が走るのをオレは見たことがない 普通に物事を見すえる力が欲しい 私は海を抱きしめていたい 桜のダンスをお前は見たか?」(「桜のダンス」より)。シュールな詩を読んでいるようである。不思議な味わいのある詩だが、聴き取れないのではしょうがない。たぶんCDで聴くよりも、ライブでギター演奏のバイブレーションを思い切り皮膚に感じながら聴くべきバンドなのだろう。