フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年4月(前半)

2005-04-15 23:59:59 | Weblog

4.1(金)

 午後、読書会。今日は入学式でキャンパスは大変な人出だった。新年度の私の最初の授業まであと2週間だ。もう2週間しかないのか・・・・。昔々、私が子どもの頃、NHKのTVドラマで『不思議な少年』(原作:手塚治虫)というのがあった。後に小僧寿司チェーンの社長になった太田博之演じる主人公の少年が「時間よ止まれ!」と叫ぶと、周囲の時間が止まってしまうのだ(役者たちがストップモーションになり、少年だけが動けるという状況)。当時、そのドラマを見ていた子どもたちは、いや、大人たちも、それを盛んに真似て、何かにつけて「時間よ止まれ!」と言っていたような気がする。ちょうどいまのわれわれが「間違いない!」とか「残念!」とか言うような調子で。言われた人がノリのいい人であれば、ストップモーションになってくれたりするわけです。そんなことをふいに思い出しながら、人混みのキャンパスで、「時間よ止まれ!」と呟いてみた。すると、驚いたことに、わずか5秒ほどの時間ではあったが、周囲のすべてが動きを止めたのだった。誰も信じてはくれないと思うが、これは本当の話である。だから、いまみなさんの生きている世界は、私の目から見ると、「5秒遅れた世界」なのである。読書会の後、「太公望」で食事。

 

4.2(土)

 急な、しかし、短時間で済む用件のために大学へ出かける。生協文学部店で村上春樹『象の消滅』(新潮社)を購入し、食事に出る。『象の消滅』はアメリカのクノップ社から1993年に出版された短篇小説集“The Elephant Vanishes”の日本語版である。17篇の収録作品も配列もオリジナルのままであるが、冒頭に当時の編集者で現在はクノップ社の副社長であるゲイリー・L・フィスケットジョンの「刊行に寄せて」と、村上自身が全米デビューの経緯を書いた「アメリカで『象の消滅』が出版された頃」が載っているので、「五郎八」で揚げ茄子のみぞれおろしうどんをすすりながら、「フェニックス」で珈琲を飲みながら、それらにまず目を通した。

 1990年の夏に、僕の短篇小説『TVピープル』が、アルフレッド・バーンバウムの訳で「ニューヨーカー」(9月10日号)に掲載されると決まったところから話は始まる。今からもう十五年も前のことになるが、僕はその知らせを聞いて、ずいぶんびっくりしてしまった。というのは、僕にとって「ニューヨーカー」という雑誌は、長いあいだにわたって、ほとんど伝説か神話に近い「聖域」に属するものであったからだ。そんなところに僕の書いた小説が載る・・・・と思うと、そんな涼しい顔はしていられない。・・・・(中略)・・・・ほかの人にとってはそんなの大したことではないのかもしれないけれど、僕にとっては、おおげさに言えば、「月面を歩く」のと同じくらいすごいことだった。どんな文学賞をもらうよりも嬉しかったーと言えば、その嬉しさの一端は理解していただけるかもしれない。・・・・(中略)・・・・93年の初めに「ニューヨーカー」から、うち優先契約を結んでくれないかという申し出があった。つまり作品が書き上がったら、まず最初に「ニューヨーカー」に持っていかなくてはならない。それが首尾よく採用になったら、そのまま「ニューヨーカー」に掲載される。もし不幸にして採用にならなかったら、そのときはどこかの雑誌に持っていってもかまわない、というきわめてシンプルな契約である。「ニューヨーカー」の稿料は、ほかのアメリカの雑誌に比べてもかなり高額だから、僕としては「ニューヨーカー」を優先することに異論はまったくないのだが、しかしー縦横十センチくらいの大きな太い活字でしかしと書きたいのだが、大事なのは稿料ではない。「ニューヨーカー」と優先契約を結ぶというのは、すなわち「ニューヨーカー作家」の列に加えられるということなのだ。それが何よりも何よりも重要な意味を持つことである。もちろん僕は即座にその契約にサインした。

 村上がこれほど正直に自身の立身出世志向を吐露するのも珍しい。松井秀喜にとっての「ニューヨーク・ヤンキース」は村上春樹にとっての「ニューヨーカー」である。優れたスポーツ選手が世界の檜舞台で活躍することを目指すように、優れた作家も世界のマーケットで自分の実力を試したいものなのだろうか。・・・・そんなことを考えながら珈琲を飲んでいたら、いましがた大学院の社会学専攻の新入生ガイダンスを受けてきたばかりの1年生3人が入ってきて、私に気づき、よろしくお願いしますと挨拶をされる。3人とも晴れやかな顔をしている。前途にひとかけらの不安も感じていない風である。人生でそうめったにない高揚した時間の中に彼らはいるのだろうと思った。

 道場親信さんから新著『占領と平和 〈戦後〉という経験』(青土社)を頂戴する。雑誌『現代思想』(青土社)にこれまでに発表された緒論に大幅に加筆・修正を施してまとめあげた浩瀚な(730頁!)書物である。

 本書にかかった作業の期間、ほかのことはほとんど何もできなかった。いま「あとがき」を書き終えつつあって、やっと「人間の世界」に帰ってきた気がする。ものを書くということは、「人間の世界」から切り離されて、ぐっと内側にエネルギーをむかわせていかないとできない作業である。

 道場さんとは一昨年、『社会学年誌』の特集「社会学者と社会」で一緒に仕事をしたが(私が清水幾太郎論を書き、彼が新明正道論を書いた)。書くスピードはそんなに速くはないが、持続力が人並み外れている。「ほかのことはほとんど何もできなかった」というのはレトリックではなく、事実なのだろうと思う。完成おめでとうございます。大学院の演習の参考文献のリストに加えさせていいただきます。ところで道場さん、書名と表紙の写真は小熊英二の『〈民主〉と〈愛国〉』(草思社)を意識してますよね? 

 夕方まで研究室の片付け。不用になった資料をかたっぱしからゴミ箱に運ぶ。机の上がきれいになっていくのは気持がいい。

 

4.3(日)

 昨年3月刊行の『社会学年誌』45号に載った拙稿「清水幾太郎の『内灘』」をホームページにアップする。『社会学年誌』に掲載された論文は、著作権は著者本人にあるのだが、第一次刊行権は早稲田社会学会が有するため、著者によるホームページへの掲載は翌年の4月1日まで待たねばならないのである。また、『社会学年誌』の版下そのものをPDF化することは禁じられているので、今回、ホームページにアップしたのはワードで作成した原稿のPDF版である。

 調査実習の報告書のタイトルは「戦後日本の人生問題とライフストーリー」に決定。これが目次である。

 

4.4(月)

 午後、大学。調査実習の報告書の件で印刷所の人と打ち合わせ。それを済ませてから、ギデンズ『社会学』を持って、「シャノアール」に遅い昼食をとりにいく。タマゴトーストと珈琲。しかし、すぐにこの選択はよくなかったことに気づく。本に書き込みをしながら片手でタマゴトーストを食べていると、タマゴトーストの中身、つまりマヨネーズで和えたゆでタマゴがぽろぽろとこぼれ落ちるのである。そうならないためには両手でしっかりと持って食べなくてはならないのだが、そうすると、本に書き込みをすることができない。しかたがないので、とりあえず食べる方に専念したのだが、情けないことに、両手でしっかりと持って食べているにもかかわらず、タマゴがぽろぽろとこれぼ落ちるのである。これは私の食べ方が下手なためではなく、少なくともそのためだけではなく、タマゴトーストというものが宿命的に持っている構造的欠陥のためである。床に落ちたタマゴはいかんともしがたいが、皿にこぼれたタマゴはフォークで拾って食べることができる。しかし、そういう事態が想定されていないのか、タマゴトーストにはフォークが付いてこない。フロアー係に言って、フォークをもってきてもらうこともできたのだが、ちょうど読んでいたのが10章「階級、社会成層、不平等」のところだったこともあって、フロアー係に余計な労働をさせてしまうことにためらいを感じ、結局、指でつまんで食べたのだが、指先がベタベタして、それを拭くためにテーブルの上のナプキンを大量に使用することになってしまい、なんという資源の無駄遣いかと知識階級的自己嫌悪に陥ったしまった。本日の教訓。本に書き込みをしながら食べるときはシンプルなトーストを注文すべし。

夜、自宅の湯船に浸かっているときに、突然、報告書のサイズがB5判であることを担当者に伝えていなかったことに思い至り(手渡した印字原稿はA4判だが印刷の際にB5判に縮小してもらわねばならいないのだ)、あわてて風呂から上がり、印刷所に電話を入れる。幸い担当者に話が通じ、事なきを得た。アルキメデスが「エウレカ(わかった)!」と叫んで湯船から飛び出した話は有名だが、ギリシャ語で「しまった!」は何というのだろうか。今度、宮城先生に教えてもらおう。

 

4.5(火)

 午後、大学。教員ロビーで宮城先生を見かけたので、「ギリシャ語で『しまった!』は何と言うのですか」と質問したら、宮城先生も知らなかった。宮城先生でも知らないことがあるということがわかった(エウレカ!)。

教授会の後、ホルスタインとグブリアムの『アクティヴ・インタビュー』(せりか書房)を持って、「シャノアール」に行く。昨日の教訓を生かすべく、トーストと珈琲を注文する。バターを塗っただけのシンプルなトーストは、左手に本を持ち、右手を使って食べるのに向いている。一見、何の問題もないように思えるが、「シャノアール」のトーストにはやはり固有の問題があるのである。それはトーストと一緒に出てくるイチゴジャムとマーマレードの処遇の問題である。この2つはそれぞれ一回分使い切りの小さな密閉容器に入れられて出てくる。私は溶けたバターの染みこんだ厚切りトーストには卓上の食塩をふって食べるのが一番美味しいと思う。しかし、そうするとジャムとマーマレードはどういうことになるのか。回収されて後のお客に出されるのだろうか。いや、たぶんそのまま廃棄処分になるのではなかろうか。それはもったいないし、ジャムやマーマレードの身になって考えると(どうしても考えてしまうのだ)かわいそうな気がする。そこでどうするかというと、2切れのトーストのうち1切れは食塩をふって食べ、もう一切れはイチゴジャムかマーマレードのどちらかを塗って食べることが多い。事実、今日もそのようにした。イチゴジャムかマーマレードかはその日の気分で決めるが、今日はイチゴジャム的気分だった。イチゴジャム的気分とマーマレード的気分は似て非なるもので、私の内部では両者の違いは歴然としているのだが、その説明は省略する。しかし、このように対応しても、結局、どちらか1つは残ってしまう。哀れさはかえってきわだつように思える。考えてみて欲しい。2匹の捨て猫のうちの1匹を抱き上げて、残った1匹に、「ごめんね、2匹は飼えないんだ」と言って立ち去ることができるだろうか。私には無理だ。一度、思い切って、1切れのトーストにイチゴジャムとマーマレードを両方塗って食べみたが、それぞれの長所が打ち消し合って美味しくはなかった。よって、残された道は残った1つをポケットに入れて持ち帰るというものだが、ところが「シャノアール」ではトーストを食べ終わって客が珈琲を飲んでいる段階で、トーストの皿とイチゴジャムおよびマーマレードの容器を回収してしまうのだ。そのとき「あっ、待って。マーマレードは持ち帰るから」と言えるかというと、なかなか言えるものではない。回収される前にポケットに入れてしまうという手もあるが、回収に来たフロアー係に「あら? マーマレードの容器がないわ。どうしたのかしら?」と思われるのがいやである。だったら最初の注文のときに、「イチゴジャムとマーマレードはいりません」と言えばいいのだが、いかにも「私はエコロジー運動の活動家です」みたいな感じで恥ずかしい。というわけで、「シャノアール」のトースト問題はなかなか奥が深いのである。

 

4.6(水)

 朝、目覚めて、風邪を引いていることに気がつく。喉の腫れと首・肩の筋肉痛、若干の寒気、そして鼻水(右だけ)である。予定していた作業は中止にして、昼過ぎまで眠る。疲れがたまっていたらしく、いくらでも眠れる。遅い昼食をとり、近所の内科医院に行って、抗生物質を出してもらう。

 散歩がてら(風邪気味ではあるが、散歩をしないとストレスがたまって体によくない)東口の中古パソコンショップに行き、1枚25円のCD-Rを200枚購入。調査実習のインタビュー記録(A4で400頁超)をこれに収めて報告書の付録にするためである。200枚で5000円。ソフトケースが200枚で1000円。合計6000円なり。もし印刷して報告書のレポート部分と合体して製本したら60万円余計にかかるから、それが100分の1の出費で済んだ計算になる。ただし、これから200枚のCDにデータを記録する作業が待っているのであるが。

帰路、復活書房でイアン・マキューアン『アムステルダム』(新潮クレスト・ブックス)、芥川龍之介の短編集『羅生門、蜘蛛の糸、杜子春外十八篇』(文春文庫)を、ブックオフで『電車男』(新潮社)を購入。リサイクル本屋で新潮クレスト・ブックスを見つけたときはとりあえず購入することにしている。『アムステルダム』は98年度のブッカー賞受賞作品。芥川の短編集を購入したのは、ジェイ・ルービンがペンギン社から芥川の18の短篇を新訳してペンギン社から出版する話を聞いたから。こちらは21篇だが、おそらく収録作品の異動は少ないはずだ。『電車男』は話題になっている本なので資料として購入。北田暁大が近著『嗤う日本の「ナショナリズム」』(NHKブックス)の中で、『電車男』についてこんなことを書いていた。

 重要なのは、一般に皮肉屋と思われている2ちゃんねらー(2ちゃんねるへの投稿者)たちが、セカチュー真っ青の感動物を作ってしまったということである。(中略)この『電車男』が売れているということは、私たちの感動の方法論が、2ちゃんねる的になりつつあることを示しているとはいえないだろうか。ストーリーへの感動ではなく、電車男の苦闘に2ちゃんねらーとして立ち会ったことへの感動、感動できる状況、匿名の内輪の仲間たちと作り出したことに対する自己言及的な感動である。それは「感動は作られる」ことを知悉しつつ感動してみせる、というどこか皮肉な振舞いといえる。お仕着せの感動物語を嗤いつつも、感動を求めずにはいられない皮肉な人たちへの逃げ場、それが『電車男』だったのではないか・・・・。

 皮肉でありながら感動を指向する、という対照的な態度が共存すること。現代の日本を見渡してみると、様々な局面において、同様のアンチノミー(二律背反)を観察することができる。(13頁)

 なるほどね。いわれてみると、そうかもしれない。北田は、こうしたアンチノミーの構造が90年代以降に顕在化してきた背景には、アイロニー的感性の構造転換があったのではないかと考える。では、それはどのような転換か。

 もう少し直截にいってしまおう。2ちゃんねるは、おそらくナンシー関が批判し続けた九〇年代的な純粋テレビ的シニシズムとその存立「構造」を共有化している。構造化されたアイロニズムと「感動」指向の共存、世界をネタとした「ツッこみ」=嗤いと「感動をありがとう」的感覚との共棲―純粋テレビの九〇年代的「転態」をさらに純化させたものが2ちゃんねるなのではないか、と私はそう考えている。八〇年代的な「無反省」への反省としての「抵抗としての反省」、それが2ちゃんねるに象徴的に現象した「ポスト八〇年代」の反省様式である。(196頁)

ふ~む。そういう図式か。その妥当性については要検討だが、調査実習の授業で本書を課題図書の1つに取り上げることにしよう。熊沢書店(ここはリサイクル本屋じゃなくて新刊本屋)で、新書と文庫の新刊を6冊購入。シモーヌ・ヴェイユ『自由と社会的抑圧』(岩波文庫)、吉田裕『日本人の戦争観―戦後史のなかの変容』(岩波現代文庫)、内田隆三『社会学を学ぶ』(ちくま新書)、吉見俊哉『万博幻想―戦後政治の呪縛』(ちくま書房)、井崎正敏『ナショナリズムの練習問題』(羊泉社新書)、内藤高『明治の音―西洋人が聴いた近代日本』(中公新書)。

 夜、ふだんは見ない「銭形金太郎」というTV番組を、渡辺満里奈と名倉潤の婚約発表のためだけにみる。私は渡辺満里奈のファンで、彼女のホームページは「お気に入り」に登録しているくらいなのだが、鶴田真由、本上まなみ、そして渡辺満里奈と次々に意外な相手と結婚していく。きっと小雪もそうなるに違いない。もっとも、彼女たちを個人的に知っているわけではないのだから、結婚相手の男性が私にとって「意外な相手」なのはあたりまえなのかもしれないが。

 

4.7(木)

 午後、大学。昨日今日のぽかぽか陽気で文学部キャンパスの桜も一気に見頃を迎えている。スロープを上がった中庭から36号館へ通じる遊歩道は桜のトンネルだ。ブルーハーツの「旅人」という歌の中の♪桜のトンネルや悪魔の通り道~という一節を思い出し、そちらへ向かう用事はなくとも、つい歩いてみたくなる。

調査実習の報告書の版下(B5に縮小され、ノンブルが打たれている)が届く。いくつかミスを発見。その場で修正して校了とする。表紙の色は去年がもえぎ色だったので、今年はよもぎ色にする。一週間後に搬入の予定。

 生協文学部店は教科書を求める新入生で混んでいた。新刊コーナーで立ち読みをしていたら、カウンターのところで1年生が店員さんに「社会学基礎講義のAとBはどう違うのですが?」と質問している声が耳に入ってきた。それは生協のカウンターではなく、学部事務所ですべき質問ではなかろうかと思いつつ、よっぽど「私が社会学基礎講義を担当する大久保ですが、質問を承りましょう」としゃしゃり出ようかと思ったが、新入生を緊張させるのもどうかと思いとどまり、黙ってやりとりを聴いていた。店員さん曰く、「同じです」。単純にして明解な回答である。正解だが、多少の尾ひれをつけてくれてもいいのではないかと思った。たとえば、「内容は基本的に同じですが、旬の話題で彩りを添えようと努力されているようです」とか。

 今日のギテンズ『社会学』の読書会にはいつものEさん、Mさんに加えて、Kさんが飛び入り参加。2人が3人になったわけだから1.5倍だが、喧しさは3倍くらいになった。女性が3人で「姦しい」とはよくいったものである。読書会というよりも井戸端会議でほとんど私の出る幕なし。夜、「紅閣」で食事。

 

4.8(金)

 汗ばむほどの陽気だが、まだ風邪が抜けきっていない。午後、妻と本屋に行く。加山雄三『I AM MUSIC! 音楽的人生論』(講談社)を購入。立川直樹はこう書いている。

 加山雄三を知らない人はいない。

 一九六〇年代の初め、大学卒業と同時に映画界に入り、映画俳優として成功すると同時に、歌手としても数々のヒット曲を連発して、ヒーローの名をほしいままにした時代から現在まで、映画とテレビ、音楽の世界で活躍を続けてきた加山雄三。

 でも、その多方面にわたる活動と、非常に親しみやすく“いい人”というイメージが長く浸透してきたために、音楽家としての加山雄三の全貌が語られたり書かれたりすることはほとんどない。

 その通りである。昨年の社会学研究10の授業で1960年代の若者ソングを論じたとき、加山雄三の曲を3曲教室で流した。「君といつまでも」(1965)、「夜空の星」(1965)、「旅人よ」(1966)である。一人のミュージシャンに3曲というのは破格の扱いである(ボブ・ディランでも2曲である)。それだけ彼の曲というのは若者ソングの変遷をみていくときに重要な位置にある、と私は考えるのである。「君といつまでも」は60年代前半に一世を風靡した青春歌謡から貧しさと暗さと哀しみを除去した高度成長後期の青春歌謡である。「夜空の星」はエレキギターのサウンドが日本の若者たちの間に広まる契機となった曲である。「旅人よ」はカレッジ・フォークの源流ともいえる名曲である。さらに重要なことは、加山雄三というミュージシャンは自分で作った曲を自分で演奏して歌う「シンガー・ソングライター」の日本における草分けだということだ。このことはいくら強調しても強調しすぎることはない。若者が自分たちの心情や主張を音楽で表現するという行為様式を手に入れたのは、加山雄三という身近なモデルがあったからこそなのである。

 池上線に乗って、蒲田から2つ目の池上で降り、本門寺の桜を見物し、相模屋で葛餅を食べる。春の行事はこれで済ませた。いよいよ来週から授業である。

 

4.9(土)

 早稲田大学の学生は全員大学からwaseda-netのメールアドレスを付与されていて、大学からの連絡のメールはそのアドレスに届く。しかし、学生たちの間で必ずしもそのアドレスが活用されているとは限らない。今日、その調査を兼ねて、新年度の調査実習(社会学演習ⅢD)の学生27名にメールを送ってみたところ(私からのメールを受信したらその旨返信するように書いておいた)、30時間経過した時点で返信があったのは12名(44%)である。waseda-netにはメールの転送機能が付いているから、ふだんwaseda-netを使っていない人は自分が使っているメールアドレスへ転送設定(waseda-net portal→システムサービス→メール転送設定)しておいてくれるといいのだが(携帯へも転送可)、それもしていないようだ。同じことを二文の社会・人間系基礎演習4の学生33名(全員新入生)に試みようと思ったところ、まだメールアドレスを取得していない学生が16名(48%)もいるため、実験の意味がないのでやめた。初期IDと初期パスワードは入学時に配布されるのだが「新入生コンピューターセキュリティーセミナー」を受講しないとwaseda-netが利用できるようにならないのだ。大学・教員と学生とのコミュニケーションを成立させるための最初のハードルは、こちらが考えているよりも、新入生にとって高さのあるもののようだ。基礎演習の初回の授業でwaseda-netの使い方を説明しなければなるまい(去年もそうだった)。大学は基礎演習の担当教員にこの点を周知させる必要がある。

夜、『父、帰る』というロシア映画をDVDで観た。小津安二郎の『父ありき』を暴力的にしたような映画である。いろいろな謎が謎のままで終わる映画であるが、それもいいかなと思わせてしまうところが凄い。

 

4.10(日)

 昨夜は床に就いたのが遅かったのだが、今朝は早くから妹夫婦が車でやってきて両親を箱根の温泉に連れて行ってくれるので、寝ているわけにもいかず、眠い目をこすりながら彼らを玄関で見送り、二度寝をしたら昼過ぎまで寝てしまった。二度寝のいいところは、休日感を味わえることと、昼食(というか、池波正太郎風に言えば、第一食)の後、昼寝なしですぐに机に向かえることだ。全国家族調査(NFRJ-S01)の報告書の編集の最終段階の作業。今日明日で片付けなくてはならない仕事だ。背負っている荷物を全部下ろして、新学期の授業初日を迎えたい。

 昨日のメールの件だが、送信から48時間が経過した時点で、23名(85%)から返信があった。メールの返信は2日以内にというのが、世の中の一般的なルールらしいので、85%がセーフティラインに入っているというのは「まあ、いいかな」という感じである。残りはあと4名。15日の調査実習の初回の授業までに彼らからはたして返信はあるだろうか。

 

4.11(月)

 51歳の誕生日。というわけで今夜はすき焼きであった。私用の牛肉と他の家族用の牛肉は値段が違うのだと妻が言った。それはかたじけないことである。で、私用の牛肉の値段はいかほどなのかを尋ねたところ、100グラム1300円とのこと。せ、せんさんびゃくえん!もしかして屋内ならぬ家内新記録ではなかろうか。私は目の前の皿に盛られた私用の牛肉を見つめながら、「俺もここまで来たか」と成金的感慨に耽った。私がこどもの頃、すなわち昭和30年代、我が家のすき焼きは豚肉が使われていた。地域性とかの問題ではなく、家計の問題でそうだったのだと思う。それでもすき焼きはご馳走であったが、長じて後、初めて牛肉を使ったすき焼きを食べたときは、そのあまりの旨さに自分のこれまでの人生は何だったのかと思ったものである。以来、私には牛肉コンプレックスがあり、吉野家の牛丼のような安価なものであっても、牛肉というだけでありがたがるところがある。私は鍋の一画を私用の肉の場所と定め、目の前の息子に無言の圧力(ここの肉に手を出してはならぬ)を与えた。息子は伏し目がちに別の一画を自分用の100グラム800円の牛肉(これでも高校生にはもったいないくらいだ)の場所と定め、「ベツニウラヤマシクナンカナイモンネ」的虚勢を張っているように見えた。頃合いを見計らって、最初の一枚を口に運ぶ。う、うまい。この柔らかさ、この甘さは、確かに100グラム1300円の牛肉のものである。よくTVのグルメ番組で若い女のレポーターが「わー、お口の中で溶けちゃう!」と言っているが、もし私用の牛肉を佐藤珠緒が食べたらきっとそう言うだろうと思う。二枚目を鍋の所定の場所に投じて、それが煮えるまでの間、他の具材(ネギ、白滝、豆腐、春菊)を食す。ふだんは共通の牛肉をめぐる攻防戦の合間にせわしなく食べる具材だが、今日はゆったりとした気分でそれぞれの具材の味を噛みしめることができた。途中で、好奇心から息子とそれぞれの肉を一枚交換して食してみた。100グラム800円の牛肉も柔らかく甘みがあり、もしそれを最初から食べていたら十分満足に値するものであったと思うが、100グラム1300円の牛肉の味を知ってしまった舌には、口の中で溶ける感じがやや足りないと思った。その違いは息子にもわかったようで、「イマニミテイロボクダッテ」的決意を固めたようだった。

 

4.12(火)

 午後、大学。Aさんに来てもらって、調査実習の報告書の付録CDの作成。CDにデータを焼き付け、焼き付けの終わったCDをソフトケースに入れ、パソコンで作成した「ライフストーリー・インタビュー記録集(編集版)」と書かれたラベルをケースに貼って一丁上がり。Aさんが焼き付けを担当し、私がラベルの切り貼りを担当。内職のようである。ときどきCDドライブがエンストを起こすので、130枚まで作成し、残り70枚はAさんの自宅のパソコンで作成してもらうことになった。

 途中、会議が一件。初めて出る会議だったが、「O委員長と語る会」みたいだった。最後に次回以降の日程を決め、2時間半の会議が終わる。研究室にもどってメールをチェックすると、図書委員会の開催通知が届いていた。見ると、いましがた終わったばかりの会議の次回の日時と重なっている。会議が多いのは仕方ないが、それぞれの委員会が独自に日程を決めるのは困りものである。どこかしかるべき箇所で学内のさまざまな委員会の日程の調整をやってもらえないだろうか。図書委員会の方に出席のメールを返し、今日の委員会には次回は欠席しますとメールを出す。

 雨が降っていたので、夕食は文カフェでとる。鯖の竜田揚げ、大根とモツの煮込み、おから、ごはん(M)、杏仁豆腐をトレーに載せてレジにもっていく。締めて700円ちょっと。文カフェでの食事としては豪勢な部類に入るだろう。レジの女性が私を見て、あるいは私のトレーを見て、ニッコリしたのは、「A.彼女は私の授業をとっている学生だった」、「B.ずいぶんたくさん食べるのねと思われた」、「C.おじさんがデザートに杏仁豆腐をチョイスしているところがなんだかおかしかった(あるいはかわいかった)」、このうちのいずれかであろう。

 9時まで雑用をして、家路に着く。あゆみブックスで、北田暁大『〈意味〉への抗い メディテーションの文化政治学』(せりか書房)と斎藤貴男『安心のファシズム』(岩波新書)を購入。用心の雨傘花冷えつづくなり 貞

 

4.13(水)

 明日から担当科目の授業が始まる。今日は終日書斎に籠もって授業の準備(配付資料の作成)。夜、一文の調査実習と二文の基礎演習のクラスのBBSを開設する件で、TRC(戸山リサーチセンター)にメールで問い合わせをしたら、30分後くらいにスタッフのTさんから返信のメールがあって、しかもBBSの設置まで行ってくれていた。これ、午後11時前後の話である。私としては明日の午前中に何らかの返事がいただければありがたいと思って出したメールである。この迅速かつ丁寧な対応には感嘆した。一昨日の100グラム1300円の牛肉と同じくらい感嘆した。

ところで、返信のメールと言えば、4日前に出した調査実習の学生たちへのメールへの返信だが、今日、26人目の学生から返信があった。「自分が最後の一人でないことを祈るのみです」と書かれていたが、大丈夫、last but one です。

それから、これは余談だが、一昨日の牛肉の話を読んだ卒業生がいて、彼女はいまはある若手社会学者の妻となっているのだが、ご自分のブログにそのことを書き込み、今夜の我が家の夕食は100グラム95円の牛コマ肉で作った肉ジャガだと記していた。実は、一昨日のフィールドノートを書いているとき、このご夫婦のことが脳裏をかすめたのだ。この方のブログには定期的に「奥様ニコニコGoGoデー」というローカルな話題が登場し、そこで2キロ550円の鳥むね肉をゲットしたというようなことがそれはそれは嬉しそうに書かれているのである。世の中にはこういう人がいる、こういう人生の歓びというものもある。私はその度に静かな感動を覚えてきた。そういう方が100グラム1300円の牛肉の話を読まれたらどう思うだろうか。そのことを私は危惧したのだった。書くべきではない。慎ましく暮らしておられる市井の人々に対して、札束ならぬ霜降りの牛肉でその頬をペタペタと張るようなマネをしてはいけない。そう思った。しかし、結局、「肉欲」に負けて書いてしまった。私は罪深い人間です。

あっ、うっかり書き忘れるところであったが、今日、大学で記者会見があって、新学部開設の件がプレスリリースされたのだった。

 

4.14(木)

 6年前に社会学専修を卒業し、ジョージ・ワシントン大学の大学院を出て、いまはワシントンDCにある企業で働いているMさんがひさしぶりに里帰りをされていて、今日、研究室に顔を出してくれた。お土産はフランス人の旦那さんの伯父さんの経営するワイナリーのラベルの貼られた赤ワインである(私には猫に小判だ)。ちょうど自宅のPCで焼き付けをしたCD(調査報告書の付録)70枚を持ってきてくれたAさんと一緒に「高田牧舎」でお昼を食べる。AさんもMさんと同じく学部時代にアメリカの大学への留学経験があり、職業志向にも似たところがあるので、話の通じるところが多々あったようだ。2人とも小柄で、アメリカで洋服を買うことの苦労話でも盛り上がっていた。ちなみにMさんが里帰りされる目的の一つが洋服を買うことなのだそうだ。

 Mさんとはスロープのところで再会を約して握手で別れ、研究室に戻って、大学院の他専攻のドクター2年のUさんと面談。明日が初回の私の大学院の演習に参加させてもらってもよいかという相談で、「人生の物語」「ナラティブ」といったことに関心があるとのことなので、いいですよと答える。雑談をしていると、印刷所から調査実習の報告書200部が届いた。

 5限は卒論ゼミ。出席者10名(欠席者2名)。仮指導(昨年12月)以後の進捗状況について4名の学生に報告してもらう。来週、再来週もこの続き。本格的な報告はゴールデンウィークが明けてからだ。5月12日以降の報告(毎回2名)の順番を決めて、今日は終わり。

 7限は二文の社会人間系基礎演習4。33名全員出席。配布資料は自分の分を入れて34枚刷ってきたのに私の分が残らなかった。おかしいな、枚数を間違ってコピーしてしまったかなと考えていたら。授業の途中で女子学生が一人教室を出て行った。あとからわかったのだが、その女子学生は私の授業に間違って出席していたのだ。まあ、そういういことは珍しいことではないが、面白かったのは、彼女はすでにテキストであるギデンズ『社会学』を購入してしまっていて、勘違いに気づいて教室を出る前にまだテキストを購入していなかった男子学生の一人にテキストを3000円(本当は3600円する)で売りつけたことである。購入した学生はあとの自己紹介のときにその話をうれしそうに(得しちゃったと)話していた。

 授業初日でけっこう疲れました。

 

4.15(金)

 大学院の演習と学部の調査実習の初回。まずまずのスタートで、帰宅して一息つき、明日の2つの講義(社会学基礎講義と社会学研究9)の準備に取りかかろうとしていたら、メールが入り、ちょっと頭の痛い問題が発生した。人生、何の問題もない時間というのは持続しないものである。起こってしまったことはしかたがないから、これからは最善の対処の仕方を考えるほかはない。いいかげんな対処の仕方は問題を大きくするだけだ。誠意をもって対処しよう。