7.1(金)
7月である。ずっと口に出すのを我慢していた言葉、「夏休み」という言葉の封印を解くときがきた。夏休み、夏休み、夏休み・・・・夏休みが、ほら、もうそこまで来ている。「下宿屋の西日の部屋や夏休み」(高浜虚子)
3限の大学院の演習が始まる前、研究室でカップ麺(赤いきつね)を食べる。研究室の食器棚には常備食としてカップ麺と真空パックされた切り餅が入っていて、外に食事に出る時間がないときには重宝している。しかし最近は時間がないことがあらかじめわかっているときは、地下鉄の駅から文学部に来る途中のコンビニでおにぎりを買ってくるので、カップ麺を食べるのは久しぶりである。今年になって初めてかもしれない。5分で作って5分で食べる。たまに食べるとけっこう美味しいが、汁の味が濃すぎるのが難である。汁は飲まずに、付け汁として賞味する。しかしこれだけではさすがに腹持ちが悪く、5限の調査実習の授業が始まる前に、ミルクホールでサンドイッチとミルクティーを買って、教室で食べる。授業はいつものように1時間ほど延長して7時までやったが、空腹のためか、聞き手として集中力が散漫な学生が目につく。ケーキと珈琲の時間が必要かも知れない。
7.2(土)
早稲田社会学会の大会。いつもだと第一会議室で行われることが多いのだが、今回は36号館の681教室。私はこの教室と同じタイプの581教室を授業でよく使うのだが、出入口が前(ホワイトボードの左右)にあるため、遅刻して教室に入って来たり、授業の途中で退出したりする学生が目障りでしかたがない。彼らだってみんなの視線を浴びてばつが悪いだろう。なぜ出入り口とは反対の壁にホワイトボードと教卓を配置しなかったのであろうか。文学部の建物の七不思議の一つである。自由報告は午前11時10分から始まった。私は11時半から学会誌『社会学年誌』の編集委員会があるので、最初のM君の報告が終わったところで退出するつもりだったのだが、質疑応答が長引いて、退出するタイミングが難しい。そのうち係の学生が「編集委員会が始まっています」というメモを持って私のところにやってきたので、しかたない、失礼は承知で退出する。M君、ごめんなさい。授業の途中で退出する学生も心の中で「ごめんなさい」と言っているのであろうか。現在の編集委員会は今日が最後の仕事。会長・理事の改選に伴い、次回からは新体制の編集委員会となる。もっとも私は次期の編集担当理事ということに今日の総会で決まったので、さっそく新しい編集委員会のメンバーを決めなくてはならない。夜、依頼のメールを数人の方に出す。みなさん引き受けて下さいね。
7.3(日)
都議会議員選挙の日。午後、投票所である相生小学校(私の母校)へ行く。投票を済ませてから校庭に出てみると、体育用具の倉庫に使われている建物に「祝開校八十周年相生小」という横断幕がかかっていた。そうか、今年はそういう年なのか。80周年ということは、開校は大正15年ということになる。私の父親が大正12年の生まれだから、ほぼ同時代を生きてきたわけだ。それにしても、せっかくの横断幕をなぜ校舎ではなく倉庫なんかにかけているのだろう。不思議な光景である。もっともこの倉庫、私が在学していた頃からあったような気がするので、校庭にある一番古い建物ということで横断幕がかけられたのかもしれない。うん、きっとそうに違いない。
夕食は餃子。餃子のみ。うちはみんな餃子が好物で、焼いては食べ、焼いては食べ、鬼のように食べる。食後のデザートはケーキ。息子の遅ればせのバースデーケーキである。こちらは祝生誕17周年である。
7.4(月)
7月に入ってからむしろ梅雨らしくなった。小雨の中をジムに行く。同じ曜日の同じ時間帯(月・水の午後3時から5時)に通っているので、いつも同じような人たちがいる。女性たちはほとんど主婦のようであるが、男性たちは若い人から年輩の人までさまざまで、どういう人たちなのかよくわからない。みんな黙々とトレーニングをしている。
帰りにサンカマタ商店街の一二三堂で『将棋世界』8月号を買って、シャノアールで読む。米長邦雄が将棋連盟の会長に就任して一ヶ月、次々と新機軸を打ち出している。その目玉ともいえるのが瀬川昌司氏(35歳)にプロ編入試験を受けさせることを決めたこと。この人、アマチュアながらプロに勝ち越している(17勝8敗)。プロの棋士になるためには奨励会というプロの卵たちの組織に入会して、ここで一定の年齢までに一定の成績を収めなくてはならない。瀬川氏は以前この奨励会の会員だったのだが、年齢規定により退会を余儀なくされた。普通であれば、これで瀬川氏がプロの棋士にはなる途は完全に閉ざされたのであるが、その後の瀬川氏のアマ棋界での活躍は素晴らしく、プロ棋戦にアマ招待選手として参加して上記の成績を収めたのである。そして将棋連盟に嘆願書を提出し、棋士総会でそれが認められ、花村元司八段以来61年ぶりというプロ編入試験が実施されることになったのである。編入試験は6番勝負。相手は佐藤天彦3段(奨励会員)、神吉宏充6段(フリークラス)、久保利明八段(A級)、中井広恵女流6段、熊坂学4段(フリークラス)、長岡裕也4段(C級2組)。3勝すれば合格(フリークラスに編入)。2勝の場合は内容次第。注目の第一局(対佐藤3段戦)は7月18日に紀伊国屋ホールにて公開対局で行われる。入場料は3500円。私は出かけようかどうしようか迷っている。ちなみに私の予想では、●○●○○の成績で第五局で合格を決めるであろう。ポイントは第二局の対神吉6段戦で勝利できるかどうかにある。
夜、深津絵理・妻夫木聡主演のTVドラマ『スローダンス』の初回を観る。いろいろな意味で切ないドラマである。妻夫木演じる自動車学校の教官理一は、青春の夢の切れ端を捨てきれずに生きていて、『オレンジデイズ』で妻夫木が演じた大学生櫂のその後を見るようで切ない。深津が結婚の夢破れ、職場での出世も思うにまかせずにいる31歳の女性を演じているのも切ない。『彼女たちの時代』で渋谷のブックファーストの屋上から「私はここにいるぞ~」と叫ぶOL羽村深美を彼女が演じてからもう6年が経ったのだ。広末涼子が脇役で出演しているのも切ない。彼女が登場するたびに「一児の母なんだよな」と思って劇中の役柄とのギャップを感じてしまう。
7.5(火)
朝、髭を剃るときに3ヶ所ほど切ってしまう。顎と頬の傷は自然に血が止まったが、鼻の下の傷は、これがもし女の子だったら親は娘の将来を案じてしまうほどの深手で(ちょっとオーバーか)、なかなか血が止まってくれない。ティッシュで押さえていないと床にポタポタと滴り落ちてしまう。家にあった何種類かの絆創膏を貼ってみたが、結局、老舗のバンドエイドが一番優秀だった。価格が高いだけのことはある。商品名は書かないが、他のメーカーのものは、粘着力が弱かったり、表面の通気穴から血が滲み出て来たりするのである。身体を張った消費者テストの結果だから、間違いない。しかし、鼻の下にバンドエイドを貼って電車に乗るのは気が進まない。家を出る直前に剥がしてみたが、やはりまだ止血されていない。新しいバンドエイドを貼り、マスクをして家を出る。夏のマスクというのは蒸れるものである。
二文生のK君の卒論指導をすませてから、文化構想学部現代人間論系の運営準備委員会。前回から英文学の安藤文人先生が新しくメンバーに加わり、現在のメンバーは8名である。現代人間論系には4つのプログラムがあり、各プログラムはゼミと演習科目群から構成されている。その他に現代人間論系が提供するブリッジ科目(文学部と共有の講義科目)が多数ある。今日の会合でその全部がほぼ出そろった。これからは文化構想学部の他の論系や文学部の関連コースとの調整という段階に入っていく。7時半散会。まだまだ先は長いが、作業が一山越えたので、夏休みに入る前にいっぱい飲みましょうという話になる。一同賛成。みんな以前よりも表情が和らいでいる。
深夜、義姉からいただいた桜桃を食べながらホームページの更新作業。あれこれの果物が美味しい季節である。
7.6(水)
ジムに通い始めてちょうど一ヶ月経過。腕立て伏せや腹筋運動がちゃんと出来るようになった。こういう目に見える形で成果がわかるというのは嬉しいものである。そもそもジムに通うようになったきっかけは、体重が禁断の領域に近づきつつあることと、もう一つ、腕立て伏せがまともに出来なくなったことである。体重の方は脱衣所に体重計が置いてあるから(どこの家庭でもそうであろう)、増えればすぐにわかるが、筋力の衰えというのは普段はなかなか気づかず、何かの拍子に思い知らされて愕然とするのである。学生時代にスポーツはけっこうやっていたので、そのときの記憶が残っている分、落差も大きいのである。今回、一ヶ月のトレーニングやってみて思ったのは、身体の適応力というか復元力というのは大したものだということ。負荷のかかった運動→筋肉痛(筋肉の細い繊維が切れるため)→筋肉の修復(切れた部分がより太い繊維になる)→筋力アップというのが筋トレの基本的な原理であるわけだが、実践が理論どおり進行しないことは社会現象ではしばしばなので、筋トレについてもそう簡単にはいくまいと思っていたところ、着実に成果が出ているのでちょっと驚いている。たぶん初発段階だからなのであろうが(いずれ努力の割に成果が見られない高原状態が来るだろう)、初心者のモチベーションに水を差さないでいてくれるのはありがたい。体重の方は、1キロぐらいしか減っていないが、最初は脂肪の減少と筋肉の増加が相殺してむしろ体重が増える人もいますとトレーナーに言われているので、予定通りである。筋力アップが一定の段階までいったら、有酸素運動(ランニングなど)を増やしていこうと思う。
7.7(木)
息子が熱を出して学校を休んでいる。実は数日前から熱が出ていたみたいなのだが、期末試験中だったので、何も言わずに学校に行っていたのである。昨日が試験の最終日で、帰宅するなり、「保険証はある?」と言って、自分から近所の内科医に診てもらいに行った。熱が38度3分あり、今日は水泳大会で、休むと補講で500メートル泳がされるから、多少無理をしても登校して50メートル泳いだ方がいいみたいなことを言ったので、「アホか!」と一喝して休ませる。折悪しく、妻は昨日から実家の方へ行っている。学校への欠席の連絡(ファックス)、朝食の支度(ハムエッグ)、ゴミ出し(今日は燃えないゴミの日)、猫の餌など、いつもならまだ寝ている時間に起きていろいろとしなくてはならない。当然、寝不足である。子どもを送り出してから二度寝をする妻の気持ちがわかる。今日は七夕。妻が早く帰ってきてくれますように。
7.8(金)
息子は今朝は平熱に戻っていて、元気に家を出て行った。早起きをすると(と言っても7時ですけど)、午前中の時間がたっぷりあって嬉しい。今日は3限の大学院の演習と5限の調査実習なので、12時に家を出れば間に合う。それまで一仕事。15年戦争の期間における「大きな物語」(挙国一致の物語)と「人生の物語」の関連についての講義ノート作り。山室建徳編『大日本帝国の崩壊』(「日本の時代史25」、吉川弘文館)はいろいろと参考になった。とくに15年戦争の発端である満州事変を国民が支持した大きな要因として日露戦争の記憶(満州事変当時から遡ること26、7年前)があったという指摘は大変説得力のあるものだった。近代日本は幾度もの戦争を経験してきたが、戦争Aの記憶が戦争Bに影響を与え、戦争Bの記憶が戦争Cに影響を与え・・・・、そうした連鎖の過程で国民の戦争観(それは戦争の促進要因にもなれば抑制要因にもなる)も変容していく。今年は戦後60年目。太平洋戦争の記憶を直接体験に基づいて保有している人間はみな高齢である。「戦争はもうこりごりだ」というのは敗戦の記憶に支えられた一般的な戦争観だが、60年という歳月は敗戦の記憶の影響力を弱めると見るのが妥当だろう。現代の若者にとっては、戦争の記憶は他国の戦争(湾岸戦争から同時多発テロまで)に関するものが中心であろう。ここで問題になるのは、他国の戦争をどういう立場から見ているかである。見る場所によって他国の戦争の情景はずいぶんと異なり、したがって戦争の記憶も違ったものになるだろう。それが「次の戦争」に対する抑制要因として作用するためには、敗者の立場、あるいは勝者も敗者もいない、ただ死者と負傷者しかいない場所から見た戦争の記憶でなくてはならない。昨日、ロンドンで起こった同時多発テロの死者は50人以上、負傷者は700人に達している。
7.9(土)
2限の社会学基礎講義Aと3限の社会学研究9は今日が講義の最終回(来週は教場試験)。心配していたプロジェクターのトラブルもなく(スイッチを入れてスクリーンに映像が出ると本当にホッとする)、予定通りの授業ができた。社会学研究9の方は受講生のほとんどが後期の社会学研究10も履修しているので、最終回というよりも中締めという感じだが、社会学基礎講義Aの方は本当の最終回。全12回の講義だった。履修しているのは全員1年生だから、この大学のこの学部に来てよかったと思ってもらえるように、一所懸命に取り組んだつもりである。授業の準備とアフターケアー(講義記録の作成)にはそれなりの時間を投下したが、来週から金曜日の夜をのんびり過ごせる。生協で、粕谷一希『反時代的思索者 唐木順三とその周辺』(藤原書店)、保坂和志『小説の自由』(新潮社)、岡真理『記憶/物語』(岩波書店)、河口和也『クイア・スタディーズ』(岩波書店)を購入して、それを持って「フェニックス」へ行く。講義を終えてから喫茶店で本を読むことは人生の楽しみの中でもかなり上位に来るものであるが、土曜の午後、それも最終回の講義の後となると、また格別である。
7.10(日)
雨は明け方には止み、ひさしぶりの(7月に入って初めての)真夏日である。社会学基礎講義Aの最終回の講義記録をアップし、録画しておいたTVドラマ『ドラゴン桜』の初回を観て(『さよなら小津先生』の受験勉強版だね)、夕方、散歩に出る。栄松堂書店で、桐山桂一『呉清源とその兄弟 呉家の百年』(岩波書店)、天野正子『「つきあい」の戦後史 サークル・ネットワークの拓く地平』(岩波書店)、中沢新一『アースダイバー』(講談社)、青木省三『僕のこころを病名で呼ばないで 思春期外来から見えるもの』(岩波書店)、小谷野敦『帰ってきたもてない男 女性嫌悪を超えて』(ちくま新書)、野口京子『楽しそうに生きている人の習慣術』(河出書房新社)を購入。深夜、社会学研究9の最終回の講義記録をアップする。一日に2つの講義記録を作成し、アップした。大車輪である。いつもなら次回の授業までに間に合わせればよい作業なのだが、次回は教場試験だから、試験勉強をするであろう学生の便宜を考えて、早めにアップしたのである。やればできるじゃないか。
7.11(月)
今春、文学部の社会学専修を卒業したHさんからメールが届く。愛媛の支社への配属が決まったそうだ。発表前、何処に赴任を命じられようとそれに従う覚悟はできていたはずなのだが、まさか一度も足を踏み入れたことのない四国への赴任とは・・・・、何とかなるという楽観と絶対無理という悲観との間で揺れ動く毎日だそうである。今月末に愛媛に初上陸し、一週間ほど滞在したのち、いったん東京へ戻り、9月から本格的に移住するとのこと。その前に四国土産を持って研究室に顔を出しますと書いてあった。四国土産ね・・・・。さっそくインターネットで愛媛のお菓子を検索し、「今治一笑堂鶏卵饅頭」という可愛くて美味しそうな和菓子を見つけ、これを所望しますとメールを返す。もちろんゼミの教え子が人生の岐路に立って書いてきたメールへの返信に、まさかお土産の希望だけを書くわけにもいかないから、私も四国へはまだ行ったことがない、四国四県の白地図をみて愛媛がどこだかを正しく示せる自信はない、しかし、四国は外国ではないから日本語が通じるはずで、大丈夫、何とかなります、人生至るところに青山あり(いまの若者には通じないか?)、それに君は出身が愛知だったよね、愛知と愛媛、「愛」つながりではありませんか、彼の地で愛する人との出逢いが君を待っている予感がする、と励ましの文章を添える。就職から三ヵ月が経過、いま、最初のトンネルを抜けて、目の前に広がる新たな地平に立ちすくみ、それでも少しずつ歩みを進めようとしている若者たちがいる。・・・・しかし、愛媛のポンジュースも捨てがたいな。
7.12(火)
会議が3つ。社会・人間系専修委員会、基本構想委員会、社会学専修の会合。心躍るような案件は少ない。「やれやれ」と「う~む」と「ふぅ・・・・」の連続である。会議と会議の合間に、「レトロ」で食事をし、生協で本(伊藤守『記憶・暴力・システム メディア文化の政治学』法政大学出版局)とスティック糊を買い、研究室で調査実習の領収証を費目別に台紙に貼り付ける作業をする。基本構想委員会で安藤先生の隣に座ったら、メモ書きを渡された。夏目漱石の時代から江戸っ子の四国を辺境の地と見るまなざしは少しも変わっていませんね、興味深い文章でした、というようなことが書かれていた。昨日の私のフィールドノートを読まれた感想である。思わず苦笑。安藤先生は漱石の研究をされていて、東北大学に保管されている漱石の蔵書(洋書)の書き込みを丹念に調べておられる。漱石は地下鉄早稲田駅そば、現在の喜久井町の生まれで、生家のあった場所には碑が建っている。27歳のときに、突然、東京師範学校の教師を辞めて、松山中学の英語教師として赴任するという不可思議な行動に出る。当時作った漢詩の一句、「大酔醒め来たりて寒さ骨に徹し、余生養い得て山家にあり」。27歳にしてすでに「余生」である。「大酔醒め」とあるのは、「洋文学の隊長」ならんとした青春の志が「英文学に欺かれたかのごとき」失望に変わったことを意味している。松山への赴任はそれまでの自分を埋葬するためである。漱石にとって、四国は死国であった。ちなみに安藤先生は三重だったか岐阜だったか、その辺りのご出身である。東京生まれ東京育ちの私の目から見ると、その辺りの白地図も四国四県に負けず劣らず曖昧模糊としているのだが、そのことは言わずにおいた。
7.13(水)
ジムの帰り道、熊沢書店に立ち寄り、グレイス・ペイリー(村上春樹訳)『人生のちょっとした煩い』(文藝春秋)、ポール・オースター編(柴田元幸他訳)『ナショナル・ストーリー・プロジェクト』(新潮社)、『石原吉郎詩文集』(講談社文芸文庫)を購入。
石原吉郎は1915年の生まれ。東京外大を卒業して、翌39年、応召。北方情報要員第一期生として大阪歩兵第三七連隊内大阪露語教育隊に派遣され、41年、関東軍のハルビン特務機関へ配属。敗戦後、ソ連の収容所で8年におよぶ過酷な日々を送り、53年、スターリン死去の恩赦により帰国を許される。38歳になっていた。舞鶴港に出迎えに来てくれた弟から父母の死を知らされる。郷里の伊豆市土肥でしばらく静養した後、東京に出て、ラジオ東京で翻訳の仕事に就く。仕事のかたわら『文章倶楽部』に投稿した「夜の招待」という詩が特撰で掲載される。選者は鮎川信夫と谷川俊太郎だった。「石原吉郎はわたしたちの前に、突然あらわれた。第二次大戦が終わって十年ほど後の日本の戦後詩の世界に、戦争体験を通過した戦中派詩人として、もっとも遅れて登場したのである」(佐々木幹郎)。私の家の書棚には彼の詩集はない。私は今日はじめて彼の作品を手にしたのである。頁をめくりながら、今日は「石原吉郎という詩人が私の前に突然あらわれた日」だなと思った。
葬式列車
なんという駅を出発してきたのか
もう誰もおぼえていない
ただ いつも右側は真昼で
左側は真夜中の不思議な国を
汽車ははしりつづけている
駅に着くごとに かならず
赤いランプが窓をのぞき
よごれた義足やぼろ靴といっしょに
まっ黒なかたまりが
投げこまれる
そいつはみんな生きており
汽車が走っているときでも
みんなずっと生きているのだが
どこでも屍臭がたちこめている
そこにはたしかに俺もいる
誰でも半分はもう亡霊になって
もたれあったり
からだをすりよせたりしながら
まだすこしずつは
飲んだり食ったりしているが
もう尻のあたりがすきとおって
消えかけている奴さえいる
ああそこにはたしかに俺もいる
うらめしげに窓によりかかりながら
ときどきどっちかが
くさった林檎をかじり出す
俺だの 俺の亡霊だの
俺たちはそうしてしょっちゅう
自分の亡霊とかさなりあったり
はなれたりしながら
やりきれない遠い未来に
汽車が着くのを待っている
誰が機関車にいるのだ
巨きな黒い鉄橋をわたるたびに
どろどろと橋桁が鳴り
たくさんの亡霊がひょっと
食う手をやすめる
思い出そうとしているのだ
なんという駅を出発して来たのかを
なんという静寂。汽車が鉄橋を渡る音はこの静寂をむしろ際立たせる。そしてその静寂の底からかすかに聞こえてくる「彼ら」の声にならぬ声。私は、この詩を読みながら、香月泰男の「シベリアシリーズ」を思い浮かべた。たとえば「北へ西へ」という作品(山口県立美術館蔵)。香月も石原と同じく収容所での体験を芸術に昇華させた人である。
石原の「詩の定義」と題する文章は、「詩を書き始めてまもない人たちの集まりなどで、いきなり『詩とは何か』といった質問を受けて、返答に窮することがある。詩をながく書いている人の間では、こういったラジカルな問いはナンセンスということになっている」と始まっている。そして、次のように終わっている。
ただ私には、私なりの答えがある。詩は、「書くまい」とする衝動なのだと。このいいかたは唐突であるかもしれない。だが、この衝動が私を駆って、詩におもむかせたことは事実である。詩における言葉はいわば沈黙を語るためのことば、「沈黙するための」ことばであるといっていい。もっとも耐えがたいものを語ろうとする衝動が、このような不幸な機能を、ことばに課したと考えることができる。いわば失語の一歩手前でふみとどまろうとする意志が、詩の全体をささえるのである。
なぜ「書くまい」と思うのか。「書けるはずがない」からである。「語り得ぬことについては黙すべし」とヴィットゲンシュタインは言った。しかし石原は哲学者ではなく詩人である。「書けるはずがない」からといって何も書かずに沈黙することはできない。沈黙の、失語の、その一歩手前で、踏みとどまって書かれた詩。それが彼の詩だ。私の好きな荒川洋治の詩とはずいぶんと違う。しかし、私は石原吉郎の詩も素晴らしいと思う。もう一度書く。今日は「石原吉郎という詩人が私の前に突然あらわれた日」だ。
7.14(木)
昨日の夕方、玄関先で迎え火を焚いていたら、道行く人たちが珍しいものを見るようにわれわれ一家を見ていた。そういえばご近所で迎え火や送り火を焚いているのを見なくなって久しい。もしかして我が家は知らないうちに民俗資料館のような存在になってしまったのだろうか。今日はお盆の中日。午前中に妻と鶯谷の菩提寺の墓参り。午後、5限(卒論演習)と7限(基礎演習)の授業。帰宅してから録画しておいた深田恭子主演のTVドラマ『幸せになりたい!』の初回を見る。この間までやっていた草彅剛主演の『恋におちたら』の少女版のような感じである。谷原章介は両方に出ているが、今回はいつもの彼のキャラ(クールで仕事のできる二枚目)とは違って、心優しいが気弱で仕事のできないADを演じている。でも、無理に演じている感じが出てしまって、ちょっと鼻についたりする。二枚目も大変だ。
7.15(金)
梅雨明けか、と思えるくらいの真夏日。予想では来週の半ばあたりに梅雨明けとのこと。もしそうなら小中高が夏休みに入るのと同時で、絵に描いたような梅雨明けとなるだろう。
5限の調査実習は最後の班である音楽班の中間報告。面白さの水脈を求めて何本も井戸を掘っている。二、三本、脈のありそうな井戸がある。そして面白さの水脈は、たぶん、他の班が探し当てた水脈と地下で繋がっている。小説班、映画・TVドラマ班、ブログ班、広告班、音楽班・・・・、それぞれの班が独自に行ってきた地質調査が1つのプロジェクトとして統合されていくかどうか、それが見所である。たとえば村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』や『海辺のカフカ』の読者は、同時並行的に展開していく2つの物語が一体最後にどうやって出会うのだろうかとワクワクしながら頁をめくっていくわけだが、それと似たようなプロセスをわれわれは辿ることができるだろうか。「人生の物語」という大陸を行く5つの調査隊が出会う約束の地はどこにあるのだろうか。To be continued.