8.1(月)
軽井沢セミナーハウスでの2泊3日の合宿から帰ってくる。昼はさわやか、夜はひんやりとして、窓を開けて寝たら絶対に風邪を引いてしまう避暑地の夏から、高温多湿の東京の夏に舞い戻る。蒲田に着いて、栄松堂に立ち寄る。池澤夏樹『キップをなくして』(角川書店)、三浦展『団塊世代を総括する』(牧野出版)、保坂正康『「特攻」と日本人』(講談社現代新書)、真部一男『升田将棋の世界』(日本将棋連盟)、畠山成幸『角交換振り飛車』(創元社)、Haruki Murakami, The Elephant Vanishes(Vintage U.K. Random House)を購入。明日から夏休みだ。
合宿中のメモ①「交通費」。軽井沢セミナーハウスを利用するのは久しぶりだった。この前に行ったのは新幹線が開業する前で、信濃追分の駅から20分ほどの道程を追分セミナーハウス(軽井沢セミナーハウスの旧称)まで旅行鞄を持って歩いた。今回は軽井沢(東京から70分)の駅前からタクシーに乗って15分ほどでセミナーハウスに到着。時間はずいぶん短縮されたが、交通費は跳ね上がった。新幹線が開業してからかえって利用者が減ったと管理人の方が嘆いていたのもうなずける。
メモ②「シャンプー」。風呂に入ったらシャンプーが置いてなかった。確か昔は徳用サイズのシャンプーが置いてあったはずである(私の記憶違いだろうか)。しかたがないので1日目は石鹸で洗髪し、2日目は食堂の売店でシャンプーセットを購入。晩期資本主義社会における個人化の趨勢は大浴場のシャンプーにまで及んだのである(私はリンスは使わないので、セット販売でなく、シャンプー単体で売ってくれるとありがたいのだが)。
メモ③「カレーライス」。2日目の昼食は合宿のメニューの定番とも言えるカレーライスであったが、「お代わり不可」には驚いた。ただし「大盛り」の注文はできる。しかし、カレーライスは「お代わり」するものではないのか。一皿目は一心不乱に食べ、人心地がついたところで二皿目を味わい、三皿目を食べながら飽食の時代に生きることの意味について思いを巡らす、それがカレーライスの正しい食べ方ではないのか。確かに最近の学生は食が細くなっている。運動部の男子学生でさえご飯のお代わりをしない者がいるのである。だから「お代わり自由」にして多めに作ると余ってしまってもったいないという思想は理解できなくはない。しかし、「カレーライスだ!」という祝祭的気分と「お代わり不可」という喪中的気分はあまりにも不調和である。
メモ④「熊」。私が泊まったロッジは敷地の外れにあった。ドアを開けた直ぐ前の木陰にこんな看板が立っていて、深夜、学生たちの泊まっているロッジで催されたコンパから一人で戻ってくるときはちょっと怖かった。
メモ⑤「スポーツ」。朝から晩まで一日8時間以上の報告会のかたわら、学生たちは寸暇を惜しんでスポーツにいそしんだ。私も卓球、バドミントン、バレーボールなどを楽しんだ。軽井沢セミナーハウスの魅力はなんといっても開放的な空間とこの空間を充たしているさわやかな外気にある。これは交通費の高さ、風呂場のシャンプーの欠如、「お代わり不可」のカレーライス、熊の危険などのマイナスポイントを補って余りあるものである。来年の夏も(調査実習は担当しないと思うが、別の演習で)、またこの場所に来て、この風に吹かれたいと思う。
8.2(火)
地元の映画館「テアトル蒲田」で『フライ、ダディ、フライ』を観る。金城一紀の同名の小説(2003年刊)を映画化したもの・・・・と思っていたが、事実は逆で、まず金城が映画の脚本を書き、脚本を小説化したのである(世に出たのは小説が映画より先)ということを後から購入したプログラムで知った。小説の方は出たときに読んでいる(2003年2月4日のフィールドノートを参照)。そうか、通りでテンポのいい映像的な小説だと思った(ただし小説は脚本のいわゆるノベライズ本ではなく、映画とは違っている点も多い)。ストーリーは単純明快で、47歳のサラリーマン鈴木一が、娘に大怪我を負わせた石原という高校生(ボクシングのチャンピオンで父親は有力政治家)を叩きのめすために、朴という名の高校生の指導の下、苦しいトレーニングに耐え、見事本懐を果たすという、「忠臣蔵」と「ロッキー」を掛け合わせたような映画だ。鈴木一を演じるのは堤真一、朴を演じるのは岡田准一。堤の年齢は40歳(撮影時)だから小説のイメージよりも若いし、元々が格好いい役者だから、情けない役を演じてはいても地金が見えてしまう感じは否めない。岡田は堤よりも小柄で細身なので、やはり小説のイメージとは違うが、クールでクレバーな雰囲気はいい。自分がいまジムに通っていることもあって、トレーニングの過程は興味深かった。「基礎って何だと思う?」とトレーニングの開始に当たって朴が言った。鈴木の答えを待たずに朴は続ける。「いらないものを削ぎ落としていって、必要なものだけを残すことだ。いまのおっさんの頭の中とか身体には、余計なものがたくさんついている。そんなわけで、まずは基礎作りから始める。分かったな?」う~ん、いい言葉だ。今度、基礎講義や基礎演習の授業で使ってみようかしら。トレーニングは7月14日から始まり8月30日に終わった(31日は休養日で、9月1日が決闘の日)。
体重63キロ。
体脂肪率12パーセント。
バスト90センチ、ウエスト69センチ、ヒップ89センチ。
ジョギングコース十周を、ほとんど息を切らさずに走れるようになった。
腹筋六十回、腕立て伏せ五十回、スクワット七十回をこなせるようになった。
百二段の石段を爪先立ちでのぼれるようになり、十メートルの長さのロープをよじのぼれるようにもなった。
猛スピードで飛んでくる軟球を十球連続でよけられるようにも、朴舜臣のパンチをどうにかかわせるようにも、なった。
それに闘い方も教わった。
想像の中では、石原と何百戦もこなしている。
バスとはほぼ互角の争いを出来るようになった。
そうそう、アクション映画を中心に、四十三本もの映画も観た。
それらが、私がひと月半の特訓のあいだに得たものである。
鈴木の身長は168センチで、私とほぼ同じである。ということは、もし私が鈴木の立場であったら、これが私の目標水準ということになる。体重も体脂肪率も目標にほど遠い。バストとヒップは合格だが、ウエストが不合格。走るのはたぶん全然だめ。スクワットは合格。腹筋はあと一歩(50回)。腕立てはまだまだ(20回)。石段つま先立ちのぼり(砂袋をしょって)はやったことがないので見当がつかない。ロープのぼりは絶対無理。昔バドミントンをやっていたので動体視力はいいはずだが、ドッヂボールは苦手だった。拳骨で人を殴ったことはない。学生時代、早稲田―高田馬場間のバスに勝ったことはあるが、いまは勝負になるまい。シルベスター・スタローンとアーノルド・シュワルツネガーの映画はたいてい観ているが、ブルース・リーは一本も観ていない。
映画館を出て、ジムに行きたい気分だったが、今日は母が靖国神社にお参りに行くので、父が一人で留守番というのは心許ない。ジムには明日行くことにして、家に戻る。母の長兄は61年前の今日、テニヤン島で戦死した。テニヤン島玉砕については中山義秀の小説「テニヤンの末日」に詳しい。
8.3(水)
昼食の後、1時間ほど昼寝をしてから、ジムへ行く。これまでは前半に筋トレ、後半にウォーキングという順序でやっていたのだが、今日は有酸素運動重視で、順序を逆にしてみた。それだけではなく、ウォーキング(時速6キロ)にジョギング(時速8キロ)を混ぜてみた。両者の違いは常にどちらかの足が地面に着いているか(ウォーキング)、両足とも地面から離れる瞬間があるか(ジョギング)である。ウォーキング40分、ジョギング20分で、6700メートル進み、「鳥の唐揚げ一皿分」のカロリーを消費した(画面にそう表示されるのであるが、「一皿分」とは唐揚げ何個なのだろう?)。距離、消費カロリーとも自己最高である。Tシャツは汗でびっしょり。館内の冷房が強めで、汗が冷えて冷たくなっている。いつもだとロッカールームのシャワー室に直行するのだが、今日は筋トレがまだ残っている。Tシャツをもう1枚もってくるべきであった。
帰りにパリオ5階の熊沢書店で『将棋世界』9月号を購入し、下の階の「ルノアール」で読む。「ルノアール」は久しぶりである。かつての喫茶店チェーンの代名詞であった「ルノアール」も、「スターバックス」などの外資系の進出で、応接間の家具風の椅子とテーブルが「昭和」を感じさせ、プチ・レトロな気分になる。ブレンドコーヒー440円は割高感があるが、コーヒーを飲み終わってしばらくすると、熱い日本茶が出てくるので、「もうしばらくここにいてもいいんだ」と思えて心安らかに本が読める。
8.4(木)
お昼から大学で会合が一件。30分ほどで終わるだろうと思っていたら、2時間以上かかった。話が同じ所を何周もする。400mリレーのつもりで走り出したら実は1600mリレーだった、そんな感じ。
文カフェで遅い昼食(たらこスパゲッティ)を取ってから、研究室でギデンズ『社会学』の読書会。春休みに二文4年生のEさんとMさんとで始めた読書会だが、学期中は休止で、今日から再開した由。Mさんの紹介で都立大生のS君も参加。11章「貧困、福祉、社会的排除」を読む。かつて貧困は社会問題の中心に位置するもので、ほとんどの社会思想は貧困の解決を課題としたものであったが、現代の日本社会に生きる大学生にとって貧困は想像力を必要とする問題である。いや、それは大学生に限った話ではなく、だから社会思想を説く側は「相対的貧困」とか「心の貧しさ」といった貧困概念の拡張を行ってきたのである。それがここ十数年にわたる平成不況の中で、「節約生活」や「年収300万円時代を生きる方法」に人々の関心が向くようになってきた。いくらかゲーム感覚的なものがあるとはいえ、社会問題の陳列棚で埃を被っていた貧困問題が再び注目されるようになってきたのである。読書会の後、「太公望」に行ったら本日休業の貼り紙が出ていたので、地下の「舟形屋」という居酒屋に初めて入る。蛸の唐揚げ、焼き鳥、厚焼き卵、マグロの山かけ、厚揚げ、ひしゃも、オムレツ焼きそば・・・・あれこれ注文したが、下町風というか、全体に味付けが濃く、ご飯のおかずにはよいかもしれないと思った。帰宅して体重計に乗ったら、食べ過ぎであることが歴然とした。みんなで食事をすると、どうしてもそうなる。
そうそう、われわれが読書会をしているときに、調査実習の学生の一人であるF君が研究室に顔を出した。彼は今月下旬にアメリカに向けて留学に出発するのだが、その挨拶に来たのである。彼の故郷の信州の林檎ジュースを頂戴する。研究室にある本で欲しいものがあったら餞別として一冊あげるよと言ったら、F君はブルデューの『再生産』(藤原書店)を選んだ。けっこう高額の本である・・・・。私は動揺が表情に出ないように注意しながら、「じゃあ、元気で」と言って握手を交わし、F君を送り出した。
8.5(金)
昨夜はカロリーの高い食事をしてしまったので、今日の昼食はバナナ1本と牛乳コップ一杯で済ませ、ジムに行く。途中、スポーツ用品店に立ち寄り、冷房対策にテニス用のウィンドブレーカーを購入。60分のウォーキング&ジョギングで「ラーメン一杯+春巻き一本」分のカロリーを消費する。筋トレも60分きっちりこなす。帰りにまたスポーツ用品店に立ち寄り、ウォーキング・シューズを購入。店を出て舗道を歩いていると「お客様!」と背中で声がして、振り向くとさきほどシューズ選びを手伝ってもらった女の店員さんである。息を切らしているのは走ってきたからである。手には紙袋を持っている。一瞬、商品をカウンターに忘れて来てしまったかと思ったが、そうではなかった。「申し訳ございません。靴を間違えて包装してしまいました」と言う。箱を開けてみると、茶のシューズと黒のシューズが片方ずつ入っていた(私の購入したのは茶の方)。試し履きをしたシューズを箱に戻すときに間違ってしまったらしい。早く気づいてくれてよかったが、「店を出て私がどちらの方角に歩いていったのか迷いませんでしたか?」と尋ねたら、「お客様のTシャツの柄を覚えておりましたので、遠くからでもわかりました」と彼女は言った。そのとき私が着ていたのは南米系のボーダー柄のTシャツで、自分でもけっこう気に入っている。もし「似合いますか?」と尋ねたら、「はい、とても」と彼女は微笑んでくれそうな気がしたが、それはいかにも村上春樹の小説の主人公が言いそうな台詞で、自分には似つかわしくないと思い、「大変でしたね。ありがとう」と言うにとどめた。村上春樹的会話というものは村上春樹的物語空間の中でしか成立しないものなのであろう。「ルノアール」に寄って、コーヒーとマッシュポテトのサンドイッチを注文し、しばらく読書。冷房がややきつめだったので、買ったばかりのウィインドブレーカーが役に立った。食塩を振って食べるマッシュポテトのサンドイッチはトレーニング直後の身体にはこよなく美味であった。
8.6(土)
調査実習の合宿で軽井沢へ行ったときにブヨか何かに腕を刺されたのだが(それも十数カ所も)、その腫れと痒みがなかなか引かないので、近所の皮膚科に行ってフルメタ軟膏を出してもらう。その後、TSUTAYAに寄って、井筒和幸監督の『パッチギ!』を返却し、鈴木貴之監督の『銀のエンゼル』を借りる。そのとき店内に流れていた曲がとてもよかった。しばらくその場に立ち止まってじっと耳を傾けた。
ほら見えてきたよ 赤茶色の屋根
吹き抜ける風は 灰色に染められていく
空が回るのを見たことがある?
ここではそれを感じるんだ
抱きしめて 何も言わないで
自然に 浮かんでくる
この景色のため何かしてあげたいな
歌手の名は湯川潮音(しおね)、曲のタイトルは『緑のアーチ』。初めて名前を聞く歌手の、初めて耳にする曲だった。しかし、歌詞だけを記しても『緑のアーチ』の魅力の一部しか伝えることができない。詞と曲(スローなバラード)と声(ピュアで少しハスキーなソプラノ)、このマッチングが素晴らしい。ここがレンタルビデオ店の中ではなくて、街角であっても、車の中であっても、病院のベッドの上であっても、この曲を耳にした者はたちまち彼女の歌の世界に吸い込まれていくに違いない。そういう力のある歌である。8月3日にリリースされたばかりの彼女のメジャー・ファースト・シングルとのことなので、まだレンタル商品にはなっていない。東急プラザ6階の新星堂に行ったら置いてあったので、早速購入。今日は書斎で何度もこのCDを聴いた。蒸し暑さも、虫刺されの痛痒さも、忘れさせてくれる歌声である。
8.7(日)
朝、リビングのテーブルの上に『Dr.コトー診療所』(小学館)の第17巻が置かれていた。最新刊である。すでに妻と息子は読み終わっているのであろう。前巻で第一部が終わり、今回から第二部が始まった。看護師の星野彩佳が乳ガンになる。ステージはT3で右乳房の切除は避けられないが、腋下リンパ節の切除をするかどうかで主治医の鳴海とコトーの意見が対立する。転移を考えて切除するのが普通だが、術後に後遺症(腕の痺れ)の可能性があり、手術助手としてコトーの側で看護師の仕事を続けたいという彩佳の気持を汲んで、コトーは腫瘍からのリンパの流れを受けるリンパ節だけを探して摘出する方法(センチネルリンパ節生検)を採ろうとする。鳴海はこれに反対し、手術の施設は提供するが、もし手術が失敗に終わったらコトーを告訴すると言った。コトーは、アルコール中毒を克服して増生島で医師をしている江葉都に電話をし、彩佳の手術のサポートを依頼する。・・・・という展開である。次の巻が待ち遠しい。TVドラマの方も続編をやってくれないかな。
8.8(月)
昨日は夕方の散歩の途中で鮨が食べたくなって、家に電話をし、妻と息子を呼び出して(娘は外食)、鮨屋で食事をした。回転鮨でもよかったのだが、カウンターで鮨を注文する作法を息子に学ばせる必要があると思い、普通の鮨屋に入る。私はビールなどは飲まないので、鮨を食べるペースが速い。一度の注文で二種類のネタ(計四貫)を頼むが、あっという間に食べてしまう。職人さんは他の客の注文にも応じているので、適度に間が空くが、もしこれで客がわれわれだけであれば、あたかも椀子蕎麦を食べるように鮨を口に運ぶのではないかと思う。回転鮨の場合は、積み上がる皿の数で自分がどれだけの量を食べたかを認識できるわけだが、普通の鮨屋ではどうしても食べ過ぎてしまう。・・・・というわけで今日は食事量をセーブする日。朝食はチーズサンドと牛乳を一杯。昼食は、ジムでのトレーニングの前にバナナを一本、トレーニングの後にハムトーストとコーヒーを一杯。ここまでは個食(孤食)であるので問題はない。問題は家族と一緒に食べる夕食である。しかも今夜は餃子である。いつもなら4人前(24個)は食べるところである。しかし、妻には「今日はそんなに焼かなくていいから」と断って、2人前で止めておいた。物足りない分は梅茶漬けでカバーした。この節制のおかげでトレーニング直後の体重と夕食後の体重との差は1キロ未満に抑えることができた。トレーニングの前後の体重差は1.5キロだったので、0.5キロほどの減量というわけだ。ダイエットの基本は単純で、消費量以上のカロリーを摂取しないということに尽きる。子供にも容易に理解できる算術である。しかし理解できることと実行できることは別である。実行を妨げるものは、内なる意志の弱さばかりでなく、外なる人間関係(つきあい)である。家庭をもち、仕事をもつ中年男のダイエットはなかなかに大変なのである。
さて、解散総選挙。ひさしぶりに「面白い選挙」である。これで投票率が回復しないようであれば、議会制民主主義そのものが制度疲労を起こしていると結論せざるを得ないだろう。
8.9(火)
研究室に資料整理に行く。キャンパスの門扉は閉まっている。この一週間は事務所も夏休みで、工事のため日によっては断水や停電となるため、教員もやってこない。誰も歩いていないスロープを風が通り抜けるだけ。まるで廃墟のようである。昔々、ここは大学でした・・・・。考古学者のような気分で、研究室で資料の整理をしていると、通り雨が降って、再び陽が射して、時間が静かに流れていく。もしいまノックの音がして、ドアを開けるとそこに双子の女の子や羊男が立っていたとしても、何の不思議もないような気がする。
8.10(水)
昼頃、何本か政治的な電話を受けたり、掛けたり。単刀直入にいきたいものである。こういうときはジムで汗を流すに限る。身体がほどよく疲れるというのは気持ちがいい。普段、頭が疲れることや、神経が疲れることはあるが、身体が疲れることはない。寝不足とか会議や授業が立て込んで身体がきついことはあるが、それは身体が疲れるというのとは違う。身体がきついのは休息が不足しているからである。一方、身体が疲れるというのは積極的に身体を動かした結果である。脂肪を燃焼させた結果である。昔々、労働とは身体を動かすことであった。全身に汗をかくことであった。それが徐々に身体を動かさない仕事、額に汗をして働かない仕事に従事する人々が増えていった。身体を動かすこと、全身に汗をかくことは、スポーツが代替するようになった。しかし、私は、夏の海水浴と冬のスキーは別にして(それは家族行事である)、30代、40代とスポーツに無縁な生活を送ってきた。身体が疲れることの気持ちよさをずっと忘れていた。今年の夏、それが甦った。昼下がり、洗い立てのタオルやシャツを詰め込んだバッグを提げて、ジムに向かうときの稟とした気分。夕方、汗に濡れたタオルやシャツを詰め込んだバッグを提げて、ジムから帰るときのゆったりした気分。こういう気分のときは、暑さも湿気も気にならない。夏を夏として気持ちよく享受できる。高校生の夏休みのクラブ活動の日々を思い出す。まだまだ夏は終わらない。お楽しみはこれからだ。
8.11(木)
今年の夏休みのメインの仕事は論文を3本仕上げることである。論文Aと論文Bは9月1日~3日の検討会(合宿)までに8割方仕上げなくてはならない。論文Cは9月末日の締切までに完璧に仕上げなくてはならない。で、当初の予定では、8月15日までに論文Aを仕上げ、8月31日までに論文Bを仕上げ、9月に入ったら論文Cに集中する、ということになっていた。しかし、いつものことだが、事はそう思い通りには進まない。論文Aはあと4日では仕上がらない。したがって、論文Aが仕上がるのを待ってから論文Bに着手したのでは9月1日の検討会に間に合わないかもしれない。ドミノ倒し的に論文Cにも影響が出るだろう。しかたがない、ここは同時進行で行くしかない。「一つのことを済ませてから、次のことに取りかかる」なんてお行儀のいいことは言っていられない。幸い3つの論文は性質が全然違う。論文Aは統計データの分析である。大学卒業生(約1000名)の追跡調査のデータを使って彼らの「生活の質」が卒業後10数年の間にどう変わってきたのかを分析する。論文Bは質的データ(ライフストーリー)の分析である。追跡調査の対象者の一部(約100名)に対して2年前の夏に実施したインタビュー調査の記録を解読して、彼らのライスフトーリーの構造やパターンの析出を行う。論文Cは「清水幾太郎と彼らの時代」の一部を構成するもので、戦後の数年間、「二十世紀研究所」の所長をしていた頃の清水(および周辺の人物)に焦点を当てた100%の文献研究である。頭の使い方はそれぞれに違う。にもかかわらずではなく、むしろそれ故に、同時進行で取り組むことが可能なのである。論文Aは午前中の作業で、論文Cは夜間の作業。論文Bは、資料を全部研究室に保管してあるので、週に2回ほどのペースで午前中から夕方まで研究室に籠もって作業を行う。もちろん自宅で作業をする日の午後はジムでトレーニング。これが今年の夏の生活の基本型である。これに調査実習の学生から送られてくるインタビュー記録の添削、卒論指導、読書会、各種委員会の会合、そして後期の授業のための仕込み作業・・・・などが加わる。こう書いてくると、けっこう多忙であることに思い至る。「夏休み」という言葉に惑わされてはいけない、と思う。でも、やはり、夏が好きである。
8.12(金)
7時半起床。朝食の前にギデンズ『社会学』を数頁読む。朝飯前に読むものは日によって異なるが、そうやって食欲がわいてくるのを待ってから朝食をとる。リンゴジャムのサンドイッチに牛乳。午前中は論文Aの作業。パソコンに向かって統計ソフト(SPSS)の操作。昼食は蓮根と挽肉のピリ辛炒め、浅蜊の佃煮、ごはん。浅蜊の佃煮は「千葉のおばさん」と私が子供の頃から読んでいる行商の女性(もう70歳を越えている)から買ったもの。柔らかく、味付けも濃すぎず、美味。調査実習のレポートの添削をやってから、ジムへ。週に3回(月・水・金)というのは初めてだ。筋肉の疲労が十分に回復していない感じがしたので、今日は筋トレよりも有酸素運動に力点を置く。ウォーキング&ジョギング60分で「ラーメン一杯+春巻一本」分のカロリーを消費する。トレーニング直後のシャワーとアセロラドリンクが至福である。「シャノアール」に寄ってコーヒーを一杯(お冷やを二杯)。中村政則『戦後史』(岩波書店)を読む。7月の新刊で、コンパクトだが、面白い本で、大学院の演習の学生にも「戦後日本の人生の物語」の背景を押さえておく意味で夏休み中に読んでおくことを薦めている。駅前の果物屋でバナナを一房(6本)買う。たった100円である。バナナを主食とする社会もあるくらいだから、朝昼晩、これだけで(プラス牛乳)一日を過ごそうと思えば(思わないけど)過ごせるだろう。帰宅して風呂に入る。汗を流すだけならシャワーで十分だが、筋肉の疲れには風呂である。夕食は秋刀魚のフリット、焼鳥(手羽先)、卵豆腐、トマト、大根の味噌汁、ごはん。最近、味噌汁のダシが替わったようで、とても美味しい。お代わりをする。ホンジャマカの石塚とパパイヤ鈴木がやたらに「まいう~」を連発するグルメ紀行番組を見て、調査実習のレポートの添削をやってから、『戦後史』の続きを読む。間もなく午前2時。そろそろ就寝。女子棒高跳びはイシンバエワが勝つのだろう(朝起きて、そうでなかったら、びっくりだな)。
8.13(土)
調査実習の学生の一人(女子)が、最近、プログで食事日記を付け始めたので、引用してみる。
8月10日
朝:6枚切り食パン
昼:中華粥
夜:からあげくん(一個増量中☆)と食パン(たぶん)
キルフェボンのケーキ(^.^)イエイ!
8月11日
朝:×
昼:△→遅め:フレッシュネスバーガー、照り焼きチキンバーガー&ポテト(R)
夜:食パン(毎度おなじみ・・・って、ダメでしょ、コレ)
8月12日
朝:食パン
昼:マックチキンとポテト、カフェオレ
おやつ:ロールケーキ
夜:あ、食べてない。
「食パン」がやたらに出てくるのは、一人暮らしで「6枚切り食パン」を購入すると、消費するのに数日を要するという誰もが経験する都市生活の不合理であるが、まさか食パンに何も付けず、何もはさまず、飲物もなく、食べているわけではないだろうね。ちょうど彼女のレポートの添削をしてメールで返すところだったので、食生活の改善点についてもアドバイスしておいた。第一に、食事は抜かないこと。第二に、野菜や果物を摂取すること。第三に、外食が多くなるのはしかたないとしても、せめて定食を注文すること。お節介な話だが、これからの大学教育は学生の食生活にも無関心であってはならないと中央教育審議会の最近の答申にもあるのである(もちろん嘘です)。ちなみに今日の私の食事は、以下のとおり。
朝:トースト、コロッケ、バナナ、牛乳。
昼:ざるそば、かき揚げ。
夕:鰻丼、隠元の胡麻和え、トマトとポテトのサラダ、吸い物。
夜、瀧のような雨。しかし無風なので窓から吹き込んでは来ない。真っ直ぐに落ちてきて、家の屋根や草木やアスファルトの路面を激しく叩く。窓を開けたまま、その音を聞いている。
8.14(日)
昼食の後、二時間ほど昼寝をする。今日は凌ぎやすい気候で、日射しはあるのだが、ときおり窓から涼しい風が入ってきて、とても気持ちよかった。昼寝は夏休みの醍醐味の一つといってよい。実際、昼寝は一年中できるわけだが、俳句では昼寝は夏の季語とされている。「うつぶせにねるくせつきし昼寝かな」(久保田万太郎)。
昼寝から覚めて散歩に出る。いつくかの商店街を梯子する。お盆で休みなのか、店仕舞いをしたのか、シャッターが降りている店が多い。そうすると自然と普段はそんなに注目しない店の看板に目が行く。「すぎの文具」。頭に「お」を付けてみたくなる。一体、どんな文具を売っているのだろう。「細川幸四郎商店」。店主(創業者)の名前をフルネームで店名にするのはいまでは見られなくなった流儀である(全国区では「マツモトキヨシ」くらいではなかろうか)。それにしてもいい名前である。歌舞伎役者のようではないか。「福田歯科医院仮診療所」。「仮」の一字がポイントである。「これはあくまでも仮の姿なんだかんな。いま、新しいビルを建築中なんだかんな」(なぜか東海林さだお口調)という主張がよく出ている。「中華料理大陸」。どうどうたるネーミングである。「來來軒」とか「蓬莱」といった類の定番のネーミングを潔しとせず、「大陸」と大きく出たところに店主の気概を感じる。今日、初めて見つけた店なので、近々、進出してみようと思う。ちなみに私がよくチャーシューメンを食べる早稲田の「メルシー」は創業当時は喫茶店で、それが途中からラーメン屋になっても店名を変えず、現在に至っているのである。「そば処ほてゐや」。旧かなの「ゐ」がポイント。女子高生がこの看板を見て「お蕎麦屋さんなのにホテル屋だって」と言って笑っていた。笑われるべきはあんたの国語力ですから。残念!(まだまだ頑張っている波田陽区に敬意を払って)。「永野鋸店」。工具店とか金物店ではなく、鋸店と特化させたネーミングが凄い。職人の存在を感じる。しかし、一体、普通の人は人生で何本のノコギリを買うのであろうか。私はまだ一本も買った記憶がない(妻は買ったかもしれないが)。今日の散歩は約一時間。商店街には昭和30年代の残影のようなものがある。
8.15(月)
8時起床。終戦記念日の朝刊に目を通す。戦後60年。どうか10年後も「戦後70年」でありますように。朝食はウィンナーソーセージとキャベツの炒め、トースト、バナナ、牛乳。午前は論文Aのための集計作業。印刷用紙がどんどん消費されていく。近々、自転車で「島忠」まで行って、A4判用紙を一箱買ってこなくてはなるまい。昼食は朝と同じくウィンナーソーセージとキャベツの炒め(娘が食べなかったので)、浅蜊の佃煮、ごはん。食後、調査実習のレポートの添削をやってから、ジムへ。いつものように筋トレを1時間、ウォーキング&ジョギングを1時間。だんだん走れるようになってきて、今日は1時間のうち半分はジョギングでいけた。走った距離は7キロほど。『24時間テレビ 愛は地球を救う』で丸山弁護士が100キロマラソンに挑戦するそうだが、いまの私が100キロ走るとなると単純計算で14、5時間かかる。無理ですね、とても。当面の目標は1時間に10キロのペースで走れるようになること。トレーニング後、今日は昼寝をしていないので、喫茶店などの寄り道はせずに帰宅して、夕食の時間まで1時間ほど横になる。夕食は蟹ご飯、がんもどきの煮付け、春巻き一本、鶏のササミのフライ一個、ワカメの味噌汁、ごはん。『スローダンス』を観てから、論文Cのための調べもの。このところ清水幾太郎と太宰治の関係が気になっている。太宰が玉川上水で情死したのは1948年6月13日のことであったが、太宰の告別式に淸水が顔を出したことは当時ちょっとした話題になった。数年後(1951年)、創元社から『太宰治作品集』が出たとき、淸水はその付録に「太宰治と私」という短い一文を寄せている。
太宰君が死んだ時、家内、子供、友人が私に向つて口を揃へて言つたことがある。それは、第一に、私は、太宰君が身を投じた、あの川の少し下流に住んでゐる。第二に、太宰君と同じやうに、毎日、お酒ばかり飲んでゐる。第三に、太宰君と同じやうに、原稿が書けない書けないと苦しんでゐる。第四に、太宰君と同じやうに、自宅の近所に仕事部屋を持つてゐる。第五に、大体同じ年齢である。併し、ただ一つ違ふのは、私の傍には若い女の人がゐないといふ点で、若し、この上、若い女の人が現はれたら、私はあの川の下流に身と投げるよりほかはない、といふ話であつた。とにかく、私は太宰君の作品を読むた度に、隅から隅までよく判るだけでなく、ひとごとではないぞ、といふ気がしてならなかつた。交際がなかつたのに、私が彼の告別式へ出かけて行つたのも、きつと、そのためであらう。河盛好蔵氏に言はせると、太宰君は不良少年で、私は優等生、といふことになるさうであるが、併し、太宰君を読む人と、私を読む人とは、かなりの程度まで、重なり合つてゐるのではないかと思ふ。
冗談めかして書いてはいるが、「平和運動家・淸水幾太郎の時代」(1949年から1960年までの12年間)の前夜にあたる敗戦直後の数年間の彼を理解する上で、この文章は非常に意味のある文章であろうと私は密かに踏んでいる(ホームぺージで公開しておいて「密かに」もないが)。生憎と私はこれまで太宰治の熱心な読者ではなかった。だから「ひとごとではないぞ」という淸水の言葉の具体的な意味内容が理解できなかった。しかし、最近、太宰が『群像』1947年1月号に発表した短篇「トカトントン」を読んで、もしかしたらこういうことかといった仮説めいたものを思いついた。ここで詳しく書くわけにはいかないが、論文Cを構成する要石の一つになるかもしれない。間もなく午前3時。そろそろ就寝だ。