フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

2005年10月(前半)

2005-10-15 23:59:59 | Weblog

10.1(土)

 今日は2限(社会学基礎講義)、3限(社会学研究10)、6限(社会と文化)と3つの講義があった。しかも3限と6限の間に1つ会議(「社会学年誌」編集委員会)が入っていた。さぞかしきついだろうと思っていたが、思ったほどではなかった。6限の講義は二文の科目だが、二文ではずっと1年生の基礎演習を担当していて(今年も担当しているが)、講義科目はひさしぶりである。355教室はホワイトボードではなく黒板のある教室で、チョークを使うのも久しぶりだった。1年生のときに私の基礎演習に出ていた学生が何人か履修していて、「やあ、ひさしぶり。元気でやっているかい」と授業が終わった後、しばし教室に残って雑談(355教室は7限の授業は入っていないらしい)。今日は授業の前に亀鶴庵で腹ごしらえ(天ざる)をしたが、授業が終わってから(午後7時半)の方がいいのか微妙なところである。来週は授業後で試してみよう。帰るとき、あゆみ書房で沼野充義・柴田元幸『200X年文学の旅』(作品社)を購入。地下鉄の中で読もうと思っていたのだが、席に座った途端に一日の疲れが出た。一昨日の徹夜の疲れも残っているように感じる。9時半帰宅。二階に上がる前に一階の両親のところに顔を出す。昨日から父が風邪で寝込んでいる。大したことはないようだが、年寄りの風邪は油断がならない。夕食の牛丼を父が食べずに残ってしまったというので、御飯を軽めにしてもらって食べる。食後に巨峰も食べる。母はとにかく私や孫が一階に顔を出すと、あれを食べろこれを食べろと、逆の意味での兵糧攻めをする。いや、人間だけでなく、二階の飼い猫(はる)が階下に顔を出したときもそうなのである。これも一種のコミュニケーションなので、むげに断るわけにはいかない。カロリーの摂りすぎを気にしつつご馳走になる。あるいは来週は帰宅するまで何も食べずにいた方がいいかもしれない。

 

10.2(日)

 久しぶりの日曜日らしい日曜日。原稿の〆切や授業の準備に追われることのない休日。天気もいい(真夏日だったらしい)。論文Cを改めてきちんと読み直し、誤字(変換ミス)・脱字の訂正、文章の若干の修正を行う。結果、全体の分量が数行減った。明後日、大学へ出たときに、原稿の差し替えをお願いしよう。

夕方近くに散歩に出る。栄松堂で『大航海』No.56を購入。特集「インターネットの光と闇」がゼミの課題の参考になりそうだったので購入したのだが、連載の方も川本三郎や柴田元幸といった魅力的な布陣でなかなか面白そうだ。しかし、雑誌で1500円というのは破格である。1000円を超えると雑誌というライトな感覚ではなくなる。シャノアールで浅野智彦の「ネットは若者をいかに変えつつあるか」をまず読む。一人で複数のブログを付けている若者によく出会うという話から始まって、ブログの複数化は自己の多元化の現れであると見ることもできようというふうに話が展開していくのだが、「自己の多元化」とは何だろう。そこで私は立ち止まってしまう。そういうふうにあっさり言ってしまっていいのだろうか。自己は元来多面的なものだから(さまざまな他者との関係性の中で自己が形成される以上、他者との関係が多様化すれば自己は多面化する)、ブログAでは自己のある側面aが表出し、ブログBでは自己の別の側面bが表出する・・・・というのならわかる。しかし、これは「多面的自己の個別的表出」(自己提示の技法)であって、「自己の多元化」と呼ぶべきものではないだろう。「相互匿名性、自由度の高い自己提示、容易な参入離脱は、オンラインの人間関係をその外部の諸要因から高度に無関連化する」といった表現にも違和感を覚えた。浅野はブログの調査をやっているとのことだが、自分自身はおそらくブログはやっていないのではないか。もしやっているのであれば(一種の参与観察)、ブログの書き手と読み手との関係は「相互匿名性」という単純なものではないことがわかるはずだ。第一に、ブログの書き手が自分を100%匿名化することは完全犯罪が不可能なのと同じくらい不可能である。いや、たんに不可能なだけでなく、そもそもブログの書き手の多くは自分を匿名化しようとしていると同時に自分が誰であるかを推測させるためのヒントを読み手に多数提供している。「隠す」という行為と「晒す」という行為をブログの書き手は同時に行っている。第二に、ブログの読み手は全員赤の他人であるわけではなく、書き手の知り合いを含んでいる。それは「コメント」を読んでみればすぐにわかることである。したがって「自由度の高い自己提示」とか、「オンラインの人間関係をその外部の諸要因から高度に無関連化する」というのは、2チャンネルのような掲示板なら可能であろうが、「顔の見える読者」の存在するブログでは難しいはずである。一人の人間が複数のブログをもつという現象は、むしろ「自由度の高い自己提示」の困難さ故に生じている現象ではなかろうか。つまり匿名性の低い(低くなってしまった)ブログはそのまま一種の社交場(日常の人間関係の延長)として温存しつつ、匿名性の高いブログを別にもう一つ持つことで匿名化の欲求を担保しているのではなかろうか。ちなみにこの「フィールドノート」は(書き手の)匿名化率0%で、「顔の見える読者」もたくさんいる。ホント、気を遣うことばかりである。もしかしたら日常生活より気を遣っているのではなかろうか。忘れずに書いておきたいが、浅野智彦『自己への物語論的接近』(勁草書房)はいい本です。

 

10.3(月)

 午前、歯科の定期検診。新たな虫歯はなかったが、詰めていたものが取れている箇所が発見される。「しみませんか」と聞かれたが、とくに感じなかったな・・・・。それよりも歯石がかなり溜まっていた。結石に胆石に歯石か。これじゃあ「化石男」だ。あと2回ほど通わねばならなくなった。昼飯(挽肉のそぼろ御飯と母親が差し入れてくれた「銀だこ」のたこ焼き)を食べながら、先日録画しておいて倉本聰脚本のドラマ『祇園囃子』を観る。ドラマの隅々まで倉本の美学で統一されている。登場する男たちがみんな寡黙でかっこいい。男はこうでなくてはいけない。それにひきかえ一昨日の私は一日に3コマの講義で、ずっと喋り通しであった。軽薄の極みである。午後、2週間ぶりのジム。筋トレはいつもの3分の2、有酸素運動は時間は同じ1時間だがウォーキング中心にする。鰻丼一杯分のカロリーを消費。有隣堂に寄って、スティーブン・ホーキング『ホーキング、宇宙のすべてを語る』(ランダムハウス講談社)と『将棋世界』11月号を購入し、同じフロアーにあるカフェ・ド・クリエで読む。セルフサービスの店だが、ブレンドコーヒーが231円でシャノアール(290円)よりも安い。薄くはなく、まろやかな味のコーヒーで、ブラックで飲める。

 数十年前のある日、有名な科学者(バートランド・ラッセルであったと言う人もいます)が天文学について一般講演を行いました。彼は私たちの地球がどのように太陽の周囲を回っていて、さらにその太陽が今度はどのように銀河と呼ばれる莫大な数の星の集まりの中心を回っているかを説明しました。すると講演の最後になって、後ろの方にいた一人の老婦人が立ち上がり、言いました。「あなたのおっしゃることは、間違いです。世界は巨大な亀の背中に支えられた平面なのですよ」講演していた科学者はにんまり微笑み、それから「では、その亀は何の上に立っているのですか?」と尋ねました。するとその老婦人は「お若いの、あなたは賢いね、とても賢い。でもね、亀の下にもたくさんの亀がいるのよ」と答えました。

 よく出来た話である。宇宙の構造や起源の話はわれわれの想像力を刺戟する。子どもの頃、私は天文学者になりたかったのだが、その名残で、いまでも宇宙に関する本がたまらなく読みたくなるときがある。とくに論文を一つ書き上げた後なんかがそうである。しばらく地上のことを忘れたいのかもしれない。

 

10.4(火)

 朝、秋物の緑のジャケットを着て家を出る。午前10時半からカリキュラム委員会。午後1時から戸山図書館運営委員会(同じ時間帯に文学部基本構想委員会があったが、そちらは欠席)。午後3時から社会学専修教室会議。ネット・サーフィンならぬミーティング・サーフィンだが、前の会議が長引き後の会議に遅刻するというパターンの繰り返しで、上手く波に乗れない。午後5時半、本日最後の会議から解放され、生協文学部店に顔を出す。田中義久・小川文弥編『テレビと日本人』(法政大学出版局)、矢野敬一ほか『浮遊する「記憶」』(青弓社)、デイヴィッド・プレマックとアン・プレマック『心の発生と進化』(新曜社)を購入。店を出るとすっかり暗くなっていた。秋の日はつるべ落とし。

 行き帰りの電車の中で、安藤宏『太宰治 弱さを演じるということ』(ちくま新書)を読む。

 かつて太宰の文庫本の装丁が「黒」中心であったせいか、そのイメージは、あらゆる既成の権威に自虐的な反抗を企てるアナーキズムの象徴そのものだった。しかし近年になって、太宰を「黒」のイメージで受け止めることへの違和感を実にしばしば耳にするのである。

 太宰治はもはや必ずしも「無頼派」ではない。社会の偽善と戦い、自ら“敗北”を選んだ負の殉教者というイメージから、情報過多の現代におけるあらたな“孤独”の体現者へ、とでも言うべき読み替えが、急速に広がりつつあるようなのだ。

 そうだろうな、と私も思う。安藤のアプローチは従来の文学者のものではなく、むしろ社会学者のアプローチ、とくにゴフマンのトラマツルギー論に近いものがある。つまり小説の主人公の自己提示の方法に着目するのである。

 太宰の小説の語り手がとっているのは、努めて自分はダメな人間だということを強調する手段である。しかしそこには逆説的な真理があって、否定する内容ではなく、否定という言語行為を通して初めて浮かび上がってくる自分がある、という自負がぬりこめられているのではないだろうか。

 以前、仕事の必要で十八、九歳の若者たちの面接を担当したことがある。わずか五分のうちにさまざまな質問をぶつけるのだが、その中の一つに「自分の長所と短所をそれぞれ説明してみて下さい。」というのがあった。そして不思議なことに、この質問をすると、皆、実に熱心に自分の短所について語り出すのである。自分がいかにダメな人間であるか、いかなる欠陥を持っているのかー途中でさえぎり、これは試験なのだからもう少し長所について触れた方がいいのでは? という意地悪な質問をすると、ハッと気がついてしばらく考え、口ごもった末にまた再び短所について語り出す。自分を語るときに、肯定型よりも、否定型の方がはるかに語りやすいようなのである。(中略)そしておもしろいことに、否定している内容はさっぱりあたっているようには思えぬのに、ムキになって否定するまさにその身振りやしぐさに、ほかの誰をもってしても代え難い“その人らしさ”が顕現してくるのである。

 おそらく「ほかの誰とも違う自分」が予め肯定的に説明できるものとしてある、という発想自体が問題なのだろう。戦後のいわゆる「個性」偏重教育の落とし穴がここにある。「自分」というものは、ほかの誰よりもまず自分自身にとって把握しがたいものなのであり、仮にあるとしても、それを語ろうとする方法や身振りを通してしか表現し得ぬものなのではあるまいか。

 太宰治のある種確信犯的な自己否定の背後には、まさにその否定の仕方そのものの中に自分のすべてが出てくるのだという、強い信念が内在しているのである。

 安藤は東京大学の助教授で、東大に勤める前は上智大学で教師をしていた。だからここに出てくる面接のエピソードは東大や上智大学を受験するレベルの若者たちをめぐるもので、世間一般の水準からするとそんなにムキになって自己を否定的に提示することもないように思える。安藤もそれを「不思議なことに」と見ている。しかし、安藤はここで嘘をついている。嘘をついている、という表現に語弊があるならば、大人の読者の心理を代弁するというレトリックが使われている。本当は安藤自身は若者の否定的自己提示を「不思議なことに」とは思っていないはずである。実は、こうした否定的自己提示は私や安藤(1958年生まれ)の世代に絶大な人気のあった小説、庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1969年)の登場人物たちの得意とするものであった。他者との比較競争関係の中で生きてきた彼らは、自分と他者との優劣ということに敏感であり、他者から自分の弱点や短所を指摘されることを恐れる。そのため、第一に、彼等は他者の弱点や短所をあからさまに指摘したりしない(そうすれば他者もまたそういうことを自分に対してしないだろうから)。第二に、彼等は他者から弱点や短所を指摘される前に先手を打って自らそれを告白し、そうすることによって、自己のプライドをかろうじて保とうとする(自分の弱点や短所に無自覚な人間ではないのだという自己提示)。こうした自己提示の技法は再帰的な社会に生きる若者の生活の知恵みたいなものである。

 

10.5(水)

 朝から小雨が降っている。遅い朝食(ベーコンエッグ、トースト、牛乳)をとり、朝刊に目を通し、昨日購入した本をパラパラ読んでいたらお昼になった。「秋の雨しづかに午前をはりけり」(日野草城)。午後、ジム。ランニングマシンの速度を時速10キロにしてみた(いつもは時速8キロ)。速い。風を切って走っている感じがする。周りの人たちが「ホゥ」という感じで見ている。すぐに息が切れると思ったが、走ってみると、けっこう走れるものである。気持ちがいい。マラソンのトップランナー(男子)はこの2倍の速度で2時間ちょっとを走り切るのだ。2倍ならなんとかいけるんじゃないかと思ってしまう。スピッツの「空も飛べるはず」が頭の中を流れている。有隣堂で横井洋司(写真)・京須偕充(文)『志ん朝の高座』(筑摩書房)を購入し、カフェ・ド・クリエで目を通す。古今亭志ん朝が亡くなってちょうど4年になる。

 夜、調査実習の学生たちのブログを見ていて、「カバラ数秘術」なる占いが話題を呼んでいることを知る。姓名(ローマ字)と生年月日(西暦)の2つだけを用いた簡易占いである。社会学者としての職業的関心から私もさっそく試してみた。で、結果の一部を紹介すると・・・・

 

あなたの誕生数

7 (隠れた秘儀を解く哲学者) ←いきなり鋭い指摘。オイラ、暗黙の規範を探求する社会学者ですから(真鍋かをりの口調で)。

長所

知性的、独創的、冷静、内省的、内的情熱、意志、自律心、高尚、博愛 ←いかにもインテリって感じですね。

短所

神経過敏、強情、頑固、反逆者、変わり者、孤独、冷酷、分裂的、皮肉屋 ←大学、とくに文学部の教授に多いタイプです。

備考

個性的で複雑な性格だ。←おい、おい、ちゃんと分析してくれよ。

あなたの印象

快活で穏やかである。文筆力や会話力がある。作曲家、美容師等に向く。 ←大学教師にも向いているよね? ね?

外面的願望(子音数 7)

価値のあるものを創造したい、精神的愛を広めたい ←あなたたち、いい加減、目覚めなさい(『女王の教室』の天海祐希の口調で)

内面的願望(母音数 5)

何でも知りたい、好奇心を満足させたい、いつも新鮮でいたい ←はい、オイラ、なんたって社会学者ですから。

 

・・・・というわけだ。簡易占いにしてはいい線いっているのではなかろうか。

 

10.6(木)

 午前中、生命保険文化センター主催の中学生作文コンクールの最終選考に残った36作品を読み、採点結果を事務局にファックスで送る。正午までに送る約束が午後2時近くになる。事務局へ「いま、送信しましたから」と電話を入れると、「ありがとうございました。これで全部そろいました」と言われる。私が最後だったわけね(苦笑)。遅めの昼食(牛丼)を食べて、大学へ。5限は卒論ゼミ(一文)。12名中8名出席。各自の進捗状況を話してもらってから、第3ラウンドの報告の順番を決める。夕食は「五郎八」の天せいろ。授業前の腹ごしらえはやはり蕎麦が一番だ。つけ汁に薬味を入れるところから始まり、最後に残ったつけ汁を蕎麦湯で割って飲み干すこところまで、すべての動作が一定の型に従って進行するので、さあこれから授業だという気分が弛緩せずにすむ。7限は社会人間系の基礎演習。後期の授業で取り上げる8つのテーマ(エスニシティ、階級、労働、政治、マスメディア、教育、宗教、都市)を決め、各テーマに取り組む8つのグループを決める。前期は名簿順でグループを決めたが、今日は各自の関心を尊重して、所属したいグループを各自に申告してもらってから人数の調整をする。民主主義的方法は時間がかかるかと思いきや、案外、すんなり決まる。1年生だが、みんな大人である。でも、「いやです。私、このテーマじゃなきゃいやです」とわがままを言う子が一人くらいいてもよかったのではないか。そのとき、他の学生たちはいかにして事態を収拾させるのか。これはすぐれて「政治」的な課題(民主主義とエゴイズム)である。「政治」班の人たち、見ているかな。

 

10.7(金)

 午前、生命保険文化センター主催の中学生作文コンクールの最終審査会。毎年この時期の恒例行事で、「今年もあっという間に残り3ヵ月ですね」と審査員同士挨拶を交わす。審査員6名の合議により文部科学大臣奨励賞を初めとする上位8作品が決定。今回は女子の入賞者がいつになく多数を占めた。午後、大学。3限の大学院の演習は、「清水幾太郎における戦中と戦後の間」というタイトルで私が報告。1時間程度で終えるつもりでいたのだが、気がついたら2時間近くしゃべっていた。5限は調査実習。一昨年度の調査実習の学生が書いた報告書を素材として、親からの期待が子どもの人生の物語に及ぼす影響についてディスカッション。途中で、「君たちは自分を『よい子』だと思いますか?」と質問したところ、大部分の学生は自分のことを「よい子」だと思っていると回答した。これは予想どおり。で、数名の「悪い子」にどのように「悪い子」なのかと聞いたところ、懺悔の時間のようになってしまって、ちょっと焦った。授業後、研究室でブログ班と今後の研究の進め方について相談。研究の本筋の方の話はいまひとつであったが、脇道の方の話で大いに盛り上がった。おそらく誰かがどこかでクシャミを連発していたことであろう。

 

10.8(土)

 午前8時起床。睡眠時間6時間はやや寝足りない(あと1時間欲しい)。2限(社会学基礎講義B)と3限(社会学研究10)は問題ないが、6限(社会と文化)までの間が長いのでの、この時間帯に眠気に襲われる。で、4限の時間帯は「カフェ・ゴトー」で講義ノートの整理。アプリコットパイとレモンティーを注文。人の目のあるところでは眠くはならない。しかし、研究室に戻ったとたんに眠気に襲われ、リクライニングシートでしばし居眠り。テーブルの上の片付けなどをして眠気を払拭し、本日最後の授業に臨む。大学を出たのは8時ちょっと過ぎで、夕食は蒲田に着いてから「とん清」の牡蠣フライ定食。大ぶりの牡蠣フライが5つ、カラリと揚がっていて、とってもジューシー。実に旨い。秋刀魚の塩焼き、松茸御飯、そして牡蠣フライが私にとっての秋の味覚のベスト3である(順不同)。後期は土曜の夜は外食になるわけだが、「一週間、お疲れ様でした」と自分自身をねぎらう意味でも、旨いものを食べたいと思う。フィールドノートの更新が終わったら、何か短篇小説を1つ読んでから、寝るとしよう。旨い料理と上質の小説。週末の夜はこれに限ります。

 

10.9(日)

学生たちのブログを見ていたら「予測変換バトン」という遊びが流行っている(?)ことを知る。ルールは2つ。(1)五十音を自分の携帯で入力して最初に出てきた文字を書く。(2)変なものが出てきても正直に書く。さっそくやってみた。

 

あ:明日は い:一時 う:受け取り え:演劇 お:大久保

か:会社 き:キャンセル く:暮らして け:結構 こ:口頭

さ:最終 し:申告 す:鈴木 せ:精算 そ:存在

た:対応 ち:チャンス つ:追伸 て:定食 と:トラブル

な:名前 に:二文 ぬ:抜いて ね:熱 の:乗りきって

は:浜松町 ひ:必要 ふ:不用 へ:変更 ほ:報告

ま:待ち合わせ み:未着 む:息子 め:メール も:木曜日

や:屋根 ゆ:由香 よ:様子

ら:ライブ り:了解 る:(なし) れ:レジュメ ろ:ロング

わ:早稲田 を:をもって

 

面白いような、面白くないような、ビミョーな遊びである。ちなみに「ゆ」の「由香」には心当たりがない。たぶん初めから辞書に組み込まれている人名なのだと思う。本当だってば。

 

10.10(月)

 月曜日はジムへ行く日なのであるが、平日会員の哀しさで、祝日と重なるとダメなのである。体育の日であるが故に運動ができないのである。夜、TVドラマ「太宰治物語」を見た。あまり期待せずに見始めたのだが、よかった。第一に、キャスティングがいい。太宰治は豊川悦司。はまり役であった。妻美知子は寺島しのぶ、愛人太田静子は菅野美穂、愛人山崎富栄は伊藤歩。いずれも好演。第二に、演出がいい。太宰の文章を「語り」で多用したのは成功と思う。最後の心中シーンを最小限の描写に抑えたところもいい。見終わってから、書棚から『太宰治全集』(ちくま文庫版)を取り出して、「桜桃」「家庭の幸福」「如是我聞」などを読む。

 私は家庭に在っては、いつも冗談を言っている。それこそ「心には悩みわずらう」事の多いゆえに、「おもてには快楽」をよそわざるを得ない、とでも言おうか。いや、家庭に在るときばかりでなく、私は人に接する時でも、心がどんなにつらくても、からだがどんなに苦しくても、ほとんど必死で、楽しい雰囲気を創る事に努力する。そうして、客とわかれた後、私は疲労によろめき、お金の事、道徳の事、自殺の事を考える。いや、それは人に接する場合だけではない。小説を書く時も、それと同じである。私は、悲しい時に、かえって軽い楽しい物語の創造に努力する。自分では、もっとも、おいしい奉仕のつもりでいるのだが、人はそれに気づかず、太宰という作家も、このごろは軽薄である、面白さだけで読者を釣る、すこぶる安易、と私をさげすむ。(「桜桃」)。

 道化を演じながら、同時に楽屋裏を語るのが晩年の太宰の手法だった。洒落を言いながら、その洒落の解説を自分でするようなもので、開き直っているような、追いつめられているような、土壇場の手法である。その「ぶっちゃけ」感は、敗戦直後のあの時代、一種の解放感を読者に与えたのではなかろうか。「無頼派」は太宰に張られたラベルであるが、しかし、太宰は「家庭人」であったと私は思う。よき夫、よき父親たろうとして、それを果たせず、苦しんだ人であった。そういう人を「無頼派」と呼ぶべきではない。

 子供、・・・・七歳の長女も、ことしの春に生まれた次女も、少し風邪をひき易いけれども、まずまあ人並。しかし、四歳の長男は、痩せこけていて、まだ立てない。言葉は、アアとかダアとか言うきりで一語も話せず、また人の言葉を聞きわける事も出来ない。這って歩いていって、ウンコもオシッコも教えない。それでいて、ごはんは実にたくさん食べる。けれども、いつも痩せて小さく、髪の毛も薄く、少しも成長しない。

 父も母も、この長男に就いて、深く話し合うことを避ける。白痴、唖、・・・・それを一言でも口に出して言って、二人で肯定し合うのは、あまりに悲惨だからである。母は時々、この子を固く抱きしめる。父はしばしば発作的に、この子を抱いて川に飛び込み死んでしまいたく思う。

 「唖の次男を斬殺す。×日正午すぎ×区×町×番地×商、何某(五三)さんは自宅六畳間で次男何某(一八)君の頭を薪割で一撃して殺害、自分はハサミで喉を突いたが死に切れず附近の医院に収容したが危篤、同家では最二女某(二二)さんに養子を迎えたが、次男が唖の上に少し頭が悪いので娘可愛さから思い余ったもの。」

 こんな新聞の記事もまた、私にヤケ酒を飲ませるのである。

 ああ、ただ単に、発育がおくれているというだけの事であってくれたら! この長男が、いまに成長し、父母の心配を憤り嘲笑するようになってくれたら! 夫婦は親戚にも友人にも誰にも告げず、ひそかに心でそれを念じながら、表面は何も気にしていないみたいに、長男をからかって笑っている。(「桜桃」)

 知恵遅れで発育不全の息子を心配する一人の父親がここにいる。杞憂に終わったけれど、私も娘と息子が小さいときに身体の障害や発話の遅れを心配したことがあるので、太宰の気持ちは痛いほどよくわかる。太宰治は「家庭人」である。だからこそ「家庭の幸福は諸悪の本」(「家庭の幸福」)というアイロニーを語れたのである。部屋着を厚手のトレーナーに替える。この時期は油断をするとすぐ風邪を引く。「やや寒し立ちて寒暖計を見る」(厚海浮城)。

 

10.11(火)

 午前、歯科医院で歯石を取ってもらう。歯石の除去それ自体は痛くはないのだが、ずっと口を開けていなくてはならないのが苦痛である。羞恥心とかの問題ではなく、顎の構造の問題である。どんなに頑張っても上の前歯と下の前歯の間を4センチ開けるのが精一杯なのである。握り拳が口の中に入る人というのがいるが、同じ人間とは思えない。

 歯石を取り終えてから、TSUTAYAにケツメイシの最新アルバム『ケツノポリス4』を借りに行く。お目当てはその中の一曲「東京」である。流行歌における「東京」の変遷は私の講義テーマの1つなので、新しい「東京ソング」が出るとコレクションに加えることにしているのである。ついでに『大阪ソウルバラード』『大阪ソウルバラード2』というアルバムがあったので借りる。「東京ソング」があるなら「大阪ソング」というものもある。BORO「大阪で生まれた女」や上田正樹「悲しい色やね」や大上留利子「心斎橋に星が降る」などが収められている。比較的新しい曲が多い。私が子供の頃に流行った藤島桓夫「月の法善寺横丁」とか村田英雄「王将」などは入っていない。やはり自分で編集するしかないか。でも、流行歌における「大阪」の変遷は講義テーマとしては無理があるように思う。「東京ソング」には東京への愛憎があるが、「大阪ソング」には大阪への愛着しかないからだ。「東京ソング」は上京してきた人たちの歌だが、「大阪ソング」は「大阪で生まれた」人たちの歌なのである。この違いは決定的である。

 午後、会議が一件あり、大学へ出る。電車の中で太宰治「東京八景」を読む。この短篇は太宰が32歳(1941年)のときの作品で、上京してからの10年間をそのときどきの風景に託して書こうとしたものである。そうすることで彼は青春と決別しようと考えたのである。太宰はこの作品を伊豆の粗末な温泉宿で書いた。

 

 遊びに来たのでは無い。骨折りの仕事をしに来たのだ。私はその夜、暗い電灯の下で、東京市の大地図を机いっぱいに拡げた。

 幾年振りで、こんな、東京全図というものを拡げて見る事か。十年以前、はじめて東京に住んだ時には、この地図を買い求める事さえ恥ずかしく、人に、田舎者と笑われはせぬかと幾度となく躊躇した後、とうとう一部、うむと決意し、ことさらに乱暴な自嘲の口調で買い求め、それを懐中し荒んだ歩きかたで下宿へ帰った。夜、部屋を閉め切り、こっそり、その地図を開いた。赤、緑、黄の美しい絵模様。私は、呼吸を止めてそれに見入った。隅田川。浅草。牛込。赤坂。ああなんでも在る。行こうと思えば、いつでも、すぐに行けるのだ。私は、奇跡を見るような気さえした。

 今では、この蚕に食われた桑の葉のような東京市の全形を眺めても、そこに住む人、各々の生活の姿ばかりが思われる。こんな趣きのない原っぱに、日本全国から、ぞろぞろ人が押し寄せ、汗だくで押し合いへし合い、一寸の土地を争って一喜一憂し、互に嫉視、反目して、雌は雄を呼び、雄は、ただ半狂乱で歩きまわる。頗る唐突に、何の前後の関連も無く、「埋木」という小説の中の哀しい一行が、胸に浮かんだ。「恋とは。」「美しき事を夢みて、穢き業をするものぞ。」東京とは直接に何の縁も無い言葉である。

 

 「東京八景」は太宰にとっての「東京ソング」である。早稲田に着いて「五郎八」で昼食(せいろ)。午後3時からの会議は1時間半ほどかかった。帰りに、生協文学部店で奥泉光『モーダルな事象 桑潟幸一助教授のスタイリッシュな生活』(文藝春秋)、あゆみ書房で荒川洋治『世に出ないことば』(みすず書房)を購入。電車の中で前者を読み始める。500ページを超えるエンターテーメント。中近両用眼鏡を掛けて読む。

 

10.12(水)

 遅い朝食(ペッパーポークハム、クリームチーズ、レタスのサンドイッチと紅茶)をとって今日は早めにジムに行く。室温がいつもより高いせいか、いつもより軽めの有酸素運動だったが、かなり汗をかいた。その後、妻同伴で病院へ行き、結石の除去手術の方法について医師と相談。今回も開腹手術ではなく内視鏡手術でいくことに決まる。開腹手術は手術そのものは簡明なのだが、身体へのダメージは内視鏡手術より大きく、復調するまでに1ヵ月はかかるとのことで、あえて学期中にやる手術ではない。入院は3週間先だが、帰りがけに入院申し込みの書類を書く。今回も大部屋を希望。個室や2人部屋は辛気くさくていけない。帰宅してカレーうどんを作って食べる。夜、TVドラマ『あいのうた』の初回を見る。やはり岡田恵和の脚本はいい。久しぶりで見る玉置浩二はいささか老けた印象を受けたが、でも、この役は彼でないとダメだろう。草彅剛でもやれないことはないが、3人の子供の父親としては若すぎる。菅野美穂もいい。たぶん今期一番のドラマになるだろう。

 

10.13(木)

 この頃、朝の目覚めの時の気分が沈み気味である。第一に、寒さ。夏は好きで、冬も好きなのだが、その途中の、雨がちの、しかも一雨毎に寒くなっていく時期が苦手である。コートやセーターを着られるようになると気分も落ち着くのだが、気温の下降のペースに衣服が後手後手に回ってしまうこの時期は、冷たい雨に濡れる捨て猫のようにもの哀しい気分だ。第二に、多忙さ。夏休み中も原稿書きで忙しかったが、あれは単純明快な忙しさであった。コントロール可能な忙しさであった。最近の忙しさは雑多な忙しさである。あれやこれやで翻弄される忙しさである。それでも忙しさに身を任せてしまえば、それはそれで楽なのかもしれないが、どうしてもスケジュール帳の空白(自分の時間)を死守しようとして足掻いてしまうのである。

 昼から大学へ。電車の中でギデンズ『社会学』に目を通す(授業の下準備)。「五郎八」で昼食(天せいろ)。4限、研究室で調査実習の音楽班の相談。5限、一文の卒論演習。1時間延長して7時までやる。「メーヤウ」で夕食(タイ風レッドカリーとラッシー)。7限、社会人間系基礎演習。社会学の調査研究方法について講義。帰りがけに生協文学部店で大島一彦『小沼丹の藝 その他』(慧文社)を購入。電車の中で読む。英文学専修の大島先生が大学院時代の恩師である小沼丹について書いた文章数編を含むエッセー集。タイトルに「その他」という言葉が入っているのは独特の感覚である。

 演習の授業では学生は年に何回か研究報告を行はねばならなかつた。これは大概夏休み以降で、学生は夏休みに纏めた四百字詰原稿用紙二十枚から三十枚の論文を先生の前で読み上げるのである。このときも先生は難しいことは仰有らない。尤も先生の表情を見てゐれば、報告が面白いか詰まらないかは一目瞭然であつた。学生の報告が面白いことなど先づあり得ない相談だから、先生は煙草を燻らせながら窓の外を眺めてゐることが多かつたやうに思ふ。或るとき、僕が発表を始めたら、先生はすぐに椅子の向きを変へて窓の外を眺め始めた。僕は、ああ、これは駄目だ、と判ったから、途中で発表を止めたくなつたが、さうも行かないから我慢して最後まで読上げた。先生も我慢してをられたのだと思ふ。発表が終わつても先生は何も仰有らない。ほかの学生に何か意見はないかとお訊きになつて、学生達がああだかうだと云ふのを黙つて聞いてをられ、ときどき「うん、そうだな」とか「さあ、どうかな」と仰有つただけであつた。とにかく甘いことは一言も仰有らない。学生は一人相撲を取つて自分の至らなさに気附かせられるのである。(「寄り道―小沼丹先生の横顔」)

 なるほどね。私なんかサービス過剰だな。これからは小沼流でいこうかしら。つまらない報告のときは窓の外を見てると。「うん、そうだな」と「さあ、どうだか」しか言わないと。明日は大学院の演習と調査実習がある。

 

10.14(金)

 午前、ビデオを二台つないで、TVドラマ『あいのうた』の初回の短縮版の作成。明日の講義で教材として使うため。映像の編集という作業は時間はかかるが面白い。昼から大学へ。時間がなかったので、昼飯はコンビニで購入したおにぎり3個(鮭、鱈子、梅干)。3限の大学院の演習はN君が太宰治を取り上げて報告。4限は研究室で戸山図書館の学習図書の選定、その他の雑用。5限は調査実習。一昨年度の調査実習の学生が書いた報告書を素材として、大学卒業=就職を契機とする地域移動についてディスカッション。6限は研究室で小説班の相談。「五郎八」で夕食(天せいろ)。最近は蕎麦ばかり食べている。9時半、帰宅。

 卒論や演習のグループ研究の件で学生と面談する機会が最近多いが、「どうしたらいいかわからないのですが・・・」という質問を受けることがある。私の感覚では、一番してはいけない質問である。絶対してはいけないとは言わない。この質問をするときは、精根尽き果てるというか、矢尽き刀折れという感じを漂わせつつ、できれば目のしたにクマなんかを作っていてほしい。それならわからないでもない。望ましい質問は、「こんなふうに考えたんですが、どうでしょう」である。この種の相談は企画会議である。企画会議に手ぶらででかける人はいないだろう。自信満々とはいかなくても、何らかの企画(複数可)を携えて、会議に臨まなくてはならない。その企画は私にボロクソに言われるかもしれない。それでもいいのである。私も教員だから、ボロクソに言って、席を立って、それで終わりということにはならない(3年に1回くらいそういうこともあるが・・・・)。さて、じゃあどうしたらもっとましな企画になるかな、という展開にもっていくはずである。焦土にもいつか花は咲くのである。

 

10.15(土)

 8時起床。昨日の我が家の夕食はカレーライスだったのだが、私は外食だったので、今日の朝食は一晩おいたカレーとトースト。トーストにカレーをのせて食べるのが好きなのは小学生の頃の給食の名残かもしれない。9時半に家を出る。電車が座れるのは土曜日ならではである。前回の授業の出席カードの裏に書かれた質問をチェックし、今日の講義の冒頭で取り上げて回答する質問を選び出す。前期は「講義記録」という印刷物の中で回答していたのだが、後期は口頭で回答するやり方を試している。コンビニで昼食用のおにぎり(鮭、明太子、梅干)と麦茶を買って、スロープを歩いていると、ベンチに座った学生たちに挨拶をされる。名前は知らないが、2限の社会学基礎講義Bを受講している1年生だろう。すでに入学後半年が経過したわけだが、初々しい感じが残っている。会釈を返すと何だか学校の先生になったような気分がした。3限の社会学研究9は80年代以降の「東京ソング」を取り上げた。先日、TSUTAYAでレンタルしたケツメイシの「東京」も流した。「トモダチ」の姉妹編のような曲だ。これでレンタル料の元は取れた。4限は研究室で調査実習の映画班の相談。こだわりをもち、ありきたりであることを拒絶して、課題に取り組むこと。5限は講義ノートの作成。6限の「社会と文化」の講義の最中に一人の学生が「先生、寒いです」と発言したので、一瞬、私の講義内容を批判されたのかと思ったが(愛情至上主義について論じていたので)、クーラーを切ってほしいという要望だった。夕食は蒲田の「とん清」のヒレカツ。旨い。帰宅して、風呂に入り、それからレンタルしておいたパトリス・ルコント監督の『列車に乗った男』のビデオを観た。閑散とした地方の街で偶然交錯した二人の男の人生が不思議なシンクロナイズをする物語。フランス映画らしい佳作。途中でビデオを止めて、コンビニにコーラを買いに出たら、雨がしっかり降っていた。