1. 1(日)
お節料理のない元旦の朝食、の予定であったが、三世代揃っての朝食であったため、昆布巻き、牛蒡・蒟蒻・筍・椎茸の煮物、数の子、刺身、ローストビーフ、卵焼きなどが食卓に並び、雑煮とお汁粉を食べ、いつもの正月とそれほど大差なかった。いつもと違うのは年賀状が来ないこと。ただし、皆無というわけではなく、喪中であることをご存じない(あるいは忘れている)方から20枚ほど届く。こういう場合は松の内が明けてから寒中見舞の返信を出せばよいと礼儀作法の本には書いてあるが、ご存じないのは私が知らせていないからで、申し訳ない気持ちがするから、年賀状ではなく絵葉書に返信を書いて投函する。外出ついでに散歩。昨日までは快晴続きであったが、今日は一転して曇天である。ほとんどの店舗はシャッターを下ろしており街に昨日までの賑わいはない。しかし駅ビルなどは早くも明日から営業を開始するから、この静かな谷間の一日がかえって貴重に思える。シャノアールで家から持参した『丸山真男座談1』(岩波書店)を読む。丸山は『世界』1946年5月号の「超国家主義の論理と心理」で一躍論壇のスターになったが、その後は総合雑誌に論文はめったに書かず、もっぱら座談という形式で発言を行ったから、戦後日本のオピニオンリーダーとしての丸山について知るには座談記事を読むことが肝心である。深夜、WOWOWで崔洋一監督の『血と骨』を観た。在日朝鮮人一世の金俊平という実在の人物の一代記。2時間半の作品であったが、長くは感じなかった。
1. 2(月)
昨日、元日と日曜日が重なったため、今日は「振替休日」である。しかし、その恩恵を受けている人(振替休日であるが故に今日が休みの人)って、一体どのくらいいるのだろうか。午前中は箱根駅伝(往路)、午後はラグビー大学選手権早稲田対法政をTV観戦。妹の夫が川崎大師のお札を持ってきてくれる。娘の成人のお祝いもいただく。父の弱りように驚いている様子。昨年の5月に妹夫婦は両親を車で箱根の温泉に一泊旅行に連れて行ってくれ、そのとき父は旅館で出された料理をしっかり食べていたそうだ。11月に腰痛で床に就くようになってから急速に弱っていったのである。朝から降っていた雨があがったので、散歩に出る。栄松堂で朝永振一郎『量子力学と私』(岩波文庫)を購入し、シャノアールで読む。朝永は1906年の生まれだから、清水幾太郎(1907年生)とは同時代人である。しかし自然科学の道に進んだ者と社会科学の道に進んだ者とでは1930年代(「暗い谷間の時代」と呼ばれている)の経験の仕方はずいぶんと異なる。マルクス主義へ接近した清水が社会学批判の論文を書いて東大の社会学研究室を追われ、しだいに強まる言論統制の下で売文業者としてどうにか暮らしていた頃、朝永は日独交換研究生としてライプチヒ大学のハイゼンベルグ教授の下で原子核理論の研究に従事していた。そのときの日記が「滞独日記」である。
一九三八年一月二十三日
朝早くおきて、公園へ行く。ちぎれ雲が日にきらきらして風のある天気だ。もう雪は消え、ゆうべの雨でみちがぬれている。白かばにふさが下っていて、柳の木はうす緑にかすんで見える。エルスターの川面を風が波立たせて、空のちぎれ雲の影を水の上で光らせている。
かえって、計算する。夜までやると、つかれて、精神がおかしくなる。うまくいかないからだ。とんでもない一人よがりで仕事に手をつけたのがまるでばかなことで、自分一人世間からとりのこされているような、おびえた気持ちになる。もう一月で学期が終わる。
日記には、研究の進捗状況の芳しくないこと、物理学者としての自分の才能への自負や危惧、ライバルたちへの嫉妬などが赤裸々に書かれていて、後のノーベル賞受賞者も決して順風満帆なコースを辿ってきたわけではないことがわかる。同時に、この日記は、彼の関心が自己の周囲と研究テーマの周辺に集中して、日本や世界の政治経済的動向へは向けられていなかったことを示唆する。夜、年賀状への返信の絵葉書を書いて、近所のポストに投函する。夜空に雲はないようで、オリオン座やシリウスが冴え冴えと瞬いている。
1. 3(火)
妻と子供たちは妻の実家に出かけたが、私は高校時代の友人と久しぶりで会う。彼とはバドミントンでダブルスを組んでいた。ツーといえばカーの間柄である。久しぶりで会っても昨日会ったばかりのように会話を始めることができる。高校を卒業して30有余年、草臥れてもいるし、身軽でもないから、威勢のいい話はほとんど出ない。互いの仕事のことや家族のことについてあれこれ話をする。年齢が同じだと抱えている問題も似通ってくる。それを確認し合うことで連帯を深めているようなところがある。昼飯を食べ、珈琲を飲み、「それじゃあ、またな」と言って別れる。
1.4(水)
自宅で仕事始め。2006年度の講義要項の作成に取りかかる。ワセダネット・ポータルを使ってウェッブ入力できるのだが、何度か操作をミスして、書いたものが更新・保存されずに消えてしまった。前年度と同じ科目は今年度のものに加筆修正する程度なのでよいのだが、新たに担当する科目(一文の「社会学演習ⅡB」と二文の「現代人の精神構造」)は一から書かねばならず、これを書いているときの操作ミスはとても痛い。「お~い、それはないだろう」と画面に向かってぼやく。持って行き場のない憤り。二度と同じ文章は書けない。そうなると消えてしまった文章がとてもいい文章だった気がする。「逃がした魚は大きい」の心理である。しかしこれは錯覚で、冷静に考えれば後から書いた文章の方が推敲されていてよい文章であることの方が多いのだ。と、考えることにして、明日のジョーのように何度でも立ち上がり、キーボードを叩き始めるのである。夜、炬燵に入って、『古畑任三郎』を観ながら、今日届いた年賀状(6枚)への返信の絵葉書を書く。
1. 5(木)
今日から我が家にヘルパーさんがやってくる。ほぼ寝たきりになってしまった父の介護のためである。男女のペアーで、ほれぼれするほど手際がいい。とりあえず朝と昼の一日二回だが、夕方にもう一回お願いすることになるかもしれない。ヘルパーさんを依頼するにあたっては多少のためらいがあったのだが、依頼してよかったと思う。我が家は二世帯同居だから一般の家庭よりも人の手はあるのだが、それでも毎日毎日のこととなるとさすがに疲れるし、気持ちに余裕がなくなってくる。老人介護は乳児の世話と同じで、四六時中スタンバイしていないとならないところがあり、介護者は自分自身の生活のプランニングが大変難しいのである。
夕方、散歩に出る。熊沢書店で上野千鶴子編『脱アイデンティティ』(勁草書房)、鹿島敬『雇用破戒 非正社員という生き方』(岩波書店)、内田樹『知に働けば蔵が建つ』(文藝春秋)、キタヤマオサム『ふりかえったら風2』(みすず書房)を購入。ルノアールで上野の論文「脱アイデンティティの理論」を読む。
今からふりかえってみれば、二〇世紀は「アイデンティティidentity」という概念が席巻した時代だった、と言ってもよいかもしれない。ひとびとは「アイデンティティ」なしでは生きられないかのようにふるまい、宗教や文化や民族アイデンティティをめぐって殺し合うことさえ起きた。(中略)さまざまな言い方であらわさられる「アイデンティティ」についての仮説を、本書では「アイデンティティ強迫Identity obsession」と呼ぼう。この「アイデンティティ強迫」はいかに成立したのか、それはどんな効果を持ったのか、その強迫が残りつづけることでどんな問題が起きるのか、つまるところアイデンティティはもはや有効期限切れの概念ではないのか。
そのとおりであると思う。ミスターチルドレンの『名もなき詩』の中に「自分らしさの檻の中でもがいてる」という一節があるが、これなどは「アイデンティティ強迫」の病理をよく表していると思う。大学生が就職活動の中で行う「自己分析」という作業も制度化された「アイデンティティ強迫」の一形態である。
夜、『古畑任三郎』の最終回を観ながら、今日届いた年賀状(なかなか打ち止めにならない)に返信の絵葉書を書く。松の内に年賀状の返信を出さなくてはならない。これ、「年賀状強迫」である。
1.6(金)
ヘルパーさんにお願いしているのはオムツの交換と身体洗浄である。朝昼夕の一日3回、日曜を除く毎日お願いすることになった(平日の夜と日曜はわれわれだけでやる)。現在の父の要介護度は「1」なので、自己負担費用は月6万円ほどである。ただし「1」というのは寝たきりになる前の段階のものなので、いま区分変更の申請をしており、「2」ないし「3」と認定されれば、自己負担費用はもっと安くなる。今日は朝昼夕、ヘルパーさんの作業に付き合って介護のやり方を学習した。夜、それを自分で試してみて、ヘルパーさんのようにはいかないものの、先日までと比べて格段に手際よくできるようになった。何でもその気になって学習すればできるようになるものである。一方、父の方も、家族に介護される場合と比べて、「他人様」という意識がは働くためだろうか、ヘルパーさんの指示に素直に従っているし、「美人の方ばかりで・・・・」などとリップサービスまでしたのには驚いた。人間は精神が弛緩しないためにも他者との接触は必要なのだとそのとき実感した。
1. 7(土)
12月23日のフィールドノートで杉田弘毅『検証 非核の選択』(岩波書店)の感想を少々書いたが、それをご覧になった杉田さんからお礼(?)とフィールドノートを読まれた感想のメールをいただいた。杉田さんとは一面識もない。これがネット空間の面白いところである。そのうち鶴田真由さんからもメールをいただけるんじゃないだろうか。
復活書房で園田高弘『ピアニスト その人生』(春秋社)を購入。少し前にあゆみ書房で手にとって買おうかどうしようか迷って、結局、買わなかったのだが、2200円の新刊が520円となれば買わない手はない。園田は戦後の日本を代表するピアニストで、2004年10月に76歳で亡くなったが、死の直前まで演奏活動をしていた。私はピアノを弾けないが、ピアノ曲を聴くのは好きだ。CDを聴きながら、両手を動かして、ピアノを弾いている振りをして遊ぶことある。もし神様が何かの楽器を自由に演奏できる才能を授けて下さるのなら、第一希望はピアノで、第二希望はチェロ、第三希望はとくになし。でも、私は手があまり大きくないので、きっと苦労することだろう。園田は7歳の頃からレオ・シロタというピアニストから個人レッスンを受けていたのだが、そのときのことをこんな風に書いている。
僕は最初、シロタ先生のように、手のひらを鍵盤に対して斜めに広げて弾いていた。なぜかというと、先生は手が大きくて、まっすぐに鍵盤に向けると指が鍵盤の奥のピアノの蓋にあたってしまうからで、子どもの僕は、そのように弾くものだと思いこんでいたのだ。シロタ先生はともかく身体も大きく、指は信じられないほどに大きかった。
ちなみに、作曲家で大ピアニストだったラフマニノフは、よく指を丸めて弾いていたというが、彼も、音程の一〇度も一三度も届くと言われるほど手は大きく指が長かったからだ。一般に手が小さいとされる日本のピアニストとは正反対の悩みである。
シロタ先生の教えは、父が東京音楽学校で学んだような、手を動かさずに弾く奏法とはまったく違っていた。そのような奏法だけではヨーロッパでは通用しない。明治時代に東京音楽学校教授を務めた久野久子は、ウィーン留学中に自殺した。自殺の本当の原因は謎のようだが、奏法のギャップに悩んだのは間違いないと思う。
西洋人の、しかも男性の標準的身体を基準に作られたピアノを日本人が演奏することの宿命的困難。これはピアノに限らず、ありとあらゆるものを西洋から輸入し、それを模倣することで一等国になろうとした近代日本の「いじらしさ」を象徴するものではなかろうか。
1. 8(日)
2006年度の学部の講義要項(7科目分)をようやく全部書き終えた。締め切りが明日(9日)なので、毎度の事ながら、今回も土壇場の作業であった。残っているのは大学院の演習の講義要項で、これは明後日(10日)が締め切りだから、明日やることにしよう。明日できることを今日やるな。メソポタミア文明の古文書にそう書いてある(嘘です)。
1.9(月)
今日は成人式。外出しなかったので、街を歩く晴れ着姿の女性たちを見る機会はなかったが、我が家で娘の晴れ着姿を見た。昨年の5月、写真館での撮影の際に一度着ているので、「目を見はる」ということはなかったが、「そうか、娘も成人か」と再認識した。病床の父にも見てもらう。孫娘が成人を迎えたことはわかったようである。「うん、うん」と頷いて、「お祝いをあげないと・・・」と母に言っていたが、お祝いはすでに昨日いただいているのである。父は、いまだから書けるが、年末年始の数日間、かなり危機的な状態にあった。何も食べなくなり、何も話さなくなり、痰が喉に始終からんで呼吸が困難であった。誰かが常にベッドサイドで看ていないとならなかった。救急車を呼んで入院させることも考えたが、そうすれば、気管切開などの医療的処置が行われるだろう。栄養も口からではなく人工の管を通して行われるようになるだろう。そして、おそらくはもう二度と自宅には戻って来られないであろう。もし父の呆けがもっと進行していて、家族の判別ができないような状態であったら、そういう選択をしたかもしれない。しかし、父の呆けはそこまでは進行しておらず、妻、息子(私)、嫁、二人の孫、それに飼い猫を識別することができる。父は家族的空間の中で生きている。介護のやり方をめぐって私と母が口論になったとき、それを見ていた父は、「同じ屋根の下に住んでいる者同士が言い争いをしてはいけない」とかすれた声で言った。看病に疲れた母が父に「入院しますか」と尋ねたとき、父は「やっぱり家がいいなあ」と言った後で、「でもみんなに迷惑がかかるから入院しようかな」と言った。われわれが父を入院させない(少なくともいましばらくは)と決めたのはそのときであったと思う。
1. 10(火)
大学へ初出勤。JRの定期券もメトロカードも切れていたので、蒲田-東京間の定期券を一ヶ月分(6300円)と3000円のメトロカードを購入。いきなりの出費である。そして、カリキュラム委員会、基礎演習ワーキンググループ、現代人間論系運営準備委員会といきなり会議が目白押しである。会議の合間に、戸山図書館の学習図書の選定作業、調査実習の領収証の整理、その他の雑用を済ます。生協文学部店で、村岡到『社会主義はなぜ大切か マルクスを超える展望』(社会評論社)、西原博史『学校が「愛国心」を教えるとき 基本的人権からみた国旗・国歌と教育基本法改正』(日本評論社)、ベル・フックス『フェミニズムはみんなのもの 情熱の政治学』(新水社)、井上俊・船津衛『自己と他者の社会学』(有斐閣)、間々田孝夫『消費社会のゆくえ 記号消費と脱物質主義』(有斐閣)、ジョセフ・M・ヘニング『アメリカ文化の日本経験 人種・宗教・文明と形成期米日関係』(みすず書房)を購入。最初の会議が始まったのが午前11時で、最後の会議が終わったのが午後8時。帰りに成文堂で『中央公論』2月号を購入。特集「大学の失墜」を電車の中で読む。潮木守一と竹内洋の対談「大学転落物語 教養の砦から若年失業者の収容所へ」の中で、竹内がこんな発言をしていたが、肯ける部分が多い。
これを読むことが「教養」だ、という本はもうないと思います。ですが、漱石の小説でもマックスウェーバーでも、各先生が自分の感動体験とセットにして、学生に本を紹介する授業はするべきだと思っています。要するに今の学生にとって、自分を抜きにした客観主義はつまらないわけです。あなたにとってそれは何なのかということを知りたいわけです。
それからかつての教養主義は、進歩や成長の歴史意識のもとに誕生したものだと思います。人格主義というのは、社会の進歩の個人版、つまり人格の進歩ですから。だから当時は本を読んで人格を高めていくということが自然に納得できたんですね。今の学生にとっては社会が進歩し、成長していく実感がないことと、自分の人格を高めていくという実感がないことは並行しているのだと思います。教養主義の没落は、進歩と成長の歴史意識の衰退によるものだと思います。
しかし、今の学生には、教養主義の古層ともいえる煩悶青年に似たところもあるんですね。引きこもりやニートは現代版煩悶青年とも言えます。そういう学生のよりどころになっているのが、マンガやアニメといったポピュラーカルチャー。大学では、大衆文化をいま以上に徹底してやる必要があると思いますね。
え~、いまこれを読んでいる調査実習の、映画・TVドラマ班、小説班、音楽班、ブログ班、キャッチコピー班の諸君、ポピュラーカルチャーにみる人生の物語の分析を「徹底して」やってくださいね。そういえば、わがクラスには「煩悶青年」ならぬ「悶々青年」がいたっけね(笑)。
1. 11(水)
夜、卒論演習の学生たち(4年生)と神楽坂で打ち上げの食事会。楽しい会だったが、6時半から始めて10時頃にお茶漬けやお握りやらデザートを注文したので、そろそろお開きかと思ったら、そこからまた二次会のごとく(同じ店で)飲み物の注文が始まり、お開きになったのは11時半であった。いや、よく喋った。席上、パーカーの万年筆(私のネーム入り)を学生たちから頂戴する。万年筆は学生の頃使っていたが、最近ではボールペンとシャープペンが私の筆記具の中心である。これを機会に万年筆をまた使い始めようか。書類にサインをするときはやはり万年筆が一番似合っているし、絵葉書の文字も万年筆が一番味わいがある。
1.12(木)
今年の冬は例年より寒いが、早稲田大学的特殊事情により、その寒さが一段と応える。どういうことかというと、早稲田大学ではこの冬から教室や研究室へのスチーム暖房の供給がストップされたからである。エアコンがあるからいいだろうと。要するに経費節減である。しかし、エアコンによる暖房とスチーム暖房では暖かさの質が決定的に違う。スチーム暖房は足下から温まるが、エアコンは天井から温まる。「頭寒足熱」という言葉があるが、勉強や研究に適しているのはスチーム暖房で、エアコン暖房ではない。エアコンで足下の方まで暖めようと思うと、かなり温度設定を高くする必要があり(この時点ですでに経費節減は期待できない)、それで足下が温まっても顔が火照り、頭がボーっとする。だから私などはエアコンは弱めにして、電気ストーブで足下を暖めているのだが、小さな電気ストーブだから暖をとるに十分ではない。今度、家からダウンジャケットをもってきて部屋着にしようかと考えている。膝掛けも必要だ。昭和基地の隊員だって室内ではもっと軽装だろう。これが大学が進める125周年事業の舞台裏である。お寒い話だ。7限の授業の前に「ごんべえ」でカレー南蛮うどんを食べて、冷えた体を温める。
7限の基礎演習は「ニート」をテーマにしたグループ報告。「ニート」の定義を問題に焦点を当てた報告であったが、概念の吟味というのは、いってみれば包丁(概念)の切れ味をよくするために包丁を砥石で研ぐようなもので、お客としてはその研いだ包丁を使って何かしらの料理を作ってもらいたい。しかし報告では、包丁は研いだだけで、実際の料理(分析)に使われることはなく、食品サンプル(どこかの学者が考案したニートの3タイプ)の紹介が行われて終わった。もの足りない内容だった、と私は率直に感想を述べた。もの足りない部分には目をつぶり(あるいは大目に見て)、どこかしらよかった点を見つけ出して評価するというやりかたももちろん知っている。実際、そうすることもある(というよりは、その方が多いかもしれない)。しかし、ときにそういう配慮はあえてせずに率直にだめ出しをすることがある。だめ出しをしても大丈夫な学生、もちろんだめ出しをされて嬉しい学生はいないであろうが、それを糧にして伸びるであろう学生に対しては、率直にだめ出しをする。ただ、それをした日は、彼らはいまごろどんな気持ちでいるのだろうと考えたりする。
1.13(金)
昼から大学へ。3限の大学院の演習は最近出た山田富秋編『ライフストーリーの社会学』(北樹出版)の第一章「ライフストーリーから見た社会」(桜井厚)を読む。私が事前に本に書き込みをしながら読んだものをコピーして配布し、私が何を考えながらそれを読んだかを追体験してもらった上で、ディスカッション。5限の調査実習は報告書の作成に向けて各人のレポート(インタビュー記録の分析)のテーマならびに分析に利用するケースについて説明してもらった(全員が説明する時間はなかったので、半分の人は来週回しとなる)。「五郎八」で夕食(天せいろ)をとった後、研究室に戻って、明日の試験(3科目ある)の問題を考える。10時、帰宅。残り物のトンカツでご飯を一膳。風呂上がりに、『時効警察』という今日から始まった深夜のTVドラマを何となく観たのだが、これが面白かった。ゴールデンタイムにやっている並のドラマよりずっと面白いんじゃなかろうか。
1.14(土)
今日一日でテストが3つ。といっても受けるわけではなくて、出題する側だが、立て込んでくるとミスも出る。2限の「社会学基礎講義B」では問題用紙だけ持って、解答用紙を持たずに教室に行ってしまい、あわてて教員ロビーに取りに戻る。でも、この程度のミスは3限の「社会学研究10」でのミスに比べればミスとは呼べないものであった。4つの問題の中から1つを選んでもらって解答するという形式のテストだったのだが、4問のうちの1つで授業でやっていないことを出題してしまったのである。だから事実上、3問の中から1つを選ぶ形式になったわけである。ところがその解答不能のはずの問題を選択した学生が一人だけいて、しかもちゃんと解答していたので、二度びっくりした。6限の「社会と文化」ではミスはなかったが、試験時間60分で、「残り1分」を告げたときにまだ懸命に書いている学生が数人いたので、「ロスタイム30秒」を加算した。入試だったらこういうわけにはいかないが、教場テスト(それも私の科目の)ですからね、裁量の範囲内でしょう。今日は一日雨だった。久しぶりの雨である。夕食は蒲田に着いてから銀座アスターでたらば蟹と金華ハムの炒飯を食べる。今月のおすすめ料理となっていたので注文したのだが、なるほど、そんじょそこらの炒飯とは違う。至福という言葉が大袈裟すぎるなら、感激という言葉を使っておこう。ただし、値段もそんじょそこらの炒飯とは違う。2100円(!)。炒飯一品で2100円(!)。町の中華料理店の3倍(!)。『ぐるぐるナインティナイン』という番組の「ごちバトル」という企画があるが、一瞬、自分がその出演者になったような気分になり、国分太一のマネをして「オイシー!」と叫びそうになった。