フィールドノート

連続した日々の一つ一つに明確な輪郭を与えるために

11月24日(木) 晴れ

2011-11-25 00:55:35 | Weblog

  9時、起床。挽肉のそぼろ、トースト、紅茶の朝食。

  今日は昼から外国人入試の二次試験(面接)があるので、いつもより早めに家を出る。

  教務室でお弁当。ご飯とおかずが別々になっていて、けっこう量がある。メインのおかずである焼き魚は銀むつの西京漬。

  面接は2時間ほどで終了。

  ミルクホールでチョコパイと紅茶を購入し、研究室で一服してから、卒研指導を一件。

  6限は「ライフストーリーの社会学」。私はたいてい90分ちょうどで授業を終えるのだが(事前にそういうふうに授業プランを立てて臨むのである)、今日はなぜか15分も早く終ってしまった。おかしいな、何か説明し忘れてことがあるのではないかと思ったが、そういうものはなく、単に90分で話す予定にしていた内容を75分で話してしまったということだ。無駄話で時間を延ばしてもしょうがないと思い。「今日はこれまで」と言って授業を終る。後から考えると、授業中に無駄話(アドリブともいう)をまったくしなかったせいではないかと思う。これは私にとっては珍しいことである。今日は無駄話をする気分ではなかったのである。

  8時に大学を出て、木曜の定番である大森下車=中華「喜楽」ではなく、蒲田の「満月」で鍋焼きうどんを食べる。これからの季節、寒い夜は、何といってもこれである。

  9時半、帰宅。風呂に入ってから、録画しておいて『ドクターズ 最強の名医』を観る。

  いつもの木曜日であれば、もっと「やれやれ」感があるのだが、今日はそれがない。飯嶋先生のことが堪えているのだと思う。


11月23日(水) 晴れ

2011-11-24 01:55:38 | Weblog

  9時、起床。カレー、トースト、牛乳の朝食。

  午前中は原稿書き。

  午後、散歩に出る。「テラス・ドルチェ」で昼食。スパゲティ・アラビアータとコーヒー。持参した田中理恵子『平成幸福論ノート 変容する社会と「安定志向の罠」』(光文社新書)を読む。著者は詩人(ペンネームは水無田気流)で社会学者という異色の人である。以前、同じ著者の『無頼化する女たち』(洋泉社新書y)を読んで、才気のある人だと思った。

  カフェの梯子(「テラス・ドルチェ」→「シャノアール」)をして、読書を続ける。

  深夜、メールで訃報が入る。大学の同僚でドイツ文学者の飯嶋一泰先生が亡くなられた。かなりお悪いらしいということは存じ上げていたが、こんなに急に亡くなられるとは・・・。私とはほぼ同い年(私の方が一歳年上)で、早稲田大学の教員になったのも同じ1994年で(私は4月から、飯嶋先生は10月から)、二文の学生担当教務主任を二人とも経験していることなど、共通点が多く、親しく話ができる同僚の一人だった。闘病中もときどき大学に顔を出されていたが、そういうときは、必ずといっていいほど、キャンパスの内外でばったり顔を合わせた。「お元気そうじゃありませんか」と私が言うと、「教務のお仕事大変そうですね。お体大事にしてください」とどちらが病人だかわからないような会話になることが多かった。とにかく優しい方だった。共通点といえば、もう一つ、自宅で雀を飼った経験があることである。今年の初め、先生が本を貸してくださった。雀についての本である。貸してくださったのか、プレゼントされたのか、ちょっと曖昧なのだが、まだ私の手元にある。このまま私が持っていていいでしょうか、飯嶋先生。


11月22日(火) 晴れ

2011-11-23 02:32:23 | Weblog

  9時、起床。体重を測ったら最近の基準値を1キロオーバー。ここ数日、ご飯の摂取量が多いせいである。朝食はパン、昼食は麺、夕食はご飯が基本型だが、三食ともご飯という日が何回かあった。やはり基本は大切だ。焼きハム、レタス、パン、紅茶の朝食。

  昼から大学へ。3限は選択基礎演習。グループ発表は文カフェでの学生たちの座り方を観察とアンケート調査から考察したもの。文カフェは公共的空間であると同時に、戸山キャンパスという一種のムラ社会の一部である。そこにあるまなざしはまったくの他人のものではなく、自分のことを知っている人のまなざしも含まれている。都会の雑踏の中や、電車の中とはそこが違うところだ。ここでは「私」はまったくの匿名的存在ではないのだ。たとえば、私がめったに文カフェで食事をしない一番の理由は、(学生たちのまなざしの中では)落ち着いて食事ができないからである。発表に関しては、観察とアンケート調査の併用はいいのだが、観察で行動を、アンケート調査で意識を、という戦略的組み合わせになっていないところがアマチュアである。仮説を立てて、それを検証するための質問を考えること。たとえば、文カフェで一人で座っている学生には、自分に自信のある人、自己肯定感の強い人が多い傾向があるという仮説を立てて、自己肯定感についての質問をアンケートに組み込んでみる、といったことである。

  4限は演習「ケーススタディの方法」。今日のグループ発表はマンガ班。『鋼の錬金術師』、『めだかボックス』、『花より男子』、『君に届け』の4作品をとりあげ、決断主義的バトルロワイヤルの克服がどのように試みられているのか等の視点から分析が行われた。

  5限は教員ロビーでゼミ論の個別相談。Iさん、Nさん、もう一人のIさん。それぞれにスイーツの手土産持参である。Iさんは手作りのバナナケーキ、Nさんはおだんご、もう一人のIさんはケーキ。いずれ各指導の合間にいただく。美味しかったが、3連荘は食べすぎだろう。みんな、そんなに気を使わなくていいからね。

  卒業生のMさんから、最近彼女が担当した本を頂戴する。『坂田昌一コペンハーゲン日記 ボーアとアンデルセンの国で』(ナノオプトキクス・エナジー出版局)。坂田昌一(1911-1970)は湯川秀樹の最初の教え子で、日本の素粒子物理学の基礎を築いた学者である。ノーベル賞こそ受賞していないが、「坂田模型」で有名な世界的な学者であった。その彼が、1954年、47歳のとき、コペンハーゲンの理論物理学研究所に招聘されて半年間を送ったときの日記が本書の母体である。彼の生誕100年を記念して弟子達が出版したものである。「もしかして先生はお好きになっていただけるのではないかと思いまして」とMさんはメモに書いてある。私がブログをやっていること、人の出版されている日記を読むのも好きであること、私が天文学や物理学に興味をもっていること、を彼女は知っていて、こう書いてきたのだろう。もしかしたら、1954年が私の生まれた年であることも彼女の頭のどこかにあったのかもしれない。しかし、さすがにMさんも気づいていないであろうが、本書には日記のほかに留学中に書いた書簡やエッセイ、座談会の記録なども収められていて、「原子力と国際政治」というロンドンで行われた座談会の出席者の一人は加藤周一であった。また、ストックホルムで開催された「国際緊張緩和のための世界平和会議」に出席するように要請があったが、坂田は断っている。この会議には清水幾太郎も参加していた。そんなわけで、私はこの本にはいろいろと刺激されるものがある。ちなみに、Mさんは以前、私の『きみたちの今いる場所』(数研出版)を担当してくれた編集者である。

  今日は夜間当番。夕食は「メルシー」のチャーシューメン。

  9時半まで教務室で『コペンハーゲン日記』を読む。帰りに、あゆみ書房に寄って、加藤典洋の新著『小さな天体 全サヴァティカル日記』(新潮社)を立ち読みしたら、前半は「コペンハーゲン日記」だった。一日に二人の学者のコペンハーゲンで書かれた日記を読むとは、なんという偶然であることだろう。


11月21日(月) 晴れ

2011-11-22 02:12:08 | Weblog

  8時、起床。昨日の夕食の残りのカレーライスの朝食。ウースターソースを少しかけて食べる。これが旨いのである。

  午前中はあれこれのメールへの返信。来年、卒研の指導を私が担当することになったHさんは、いま中国に留学中なのだが、インターネット環境のせいで日本語のメールが書けないので、英語でやりとりをしている。ローマ字でもいいわけだが、英語の方が読みやすい気がする。中国に出発する前に、お祖父さんのライフストーリー・インタビューをやったそうなので、そのライフストーリーをレポートにして郵便で(メールではなく)送ってくれるようにリクエストする。

  午後、ノートPCをバッグに入れて家を出る。「シャノアール」で1時間ほど原稿書き。

  昼食は「梅Q」の五目釜飯。ランチで味噌汁などが付いて890円はお徳感がある。注文してから運ばれてくるまでに20分ほどかかるので、日誌を付けながら待つ。待っている間に腹ペコになる。分量は茶碗にたっぷり二杯ある。二杯目がはおこげが混じって一層美味しくなる。

  川崎のTOHOシネマへ『マネーボール』を観に行く。JR蒲田駅の川崎寄りの改札(東急線への連絡口)を入ると、昔の蒲田駅の面影が残っている。

  『マネーボール』は『週刊文春』の映画評で高得点を得ていただけあって、テンポのよい展開で面白かった。ブダッド・ピットは、50歳になったら俳優を引退すると言っているそうだが、本気なのだろうか。いま47歳だからあと3年だ。

  映画の始まる前に、映画館と同じじビルに入っているあおい書店で『別冊太陽 木村伊兵衛 人間を写しとった写真家』(平凡社)を購入。

  6時、帰宅。


11月20日(日) 晴れ

2011-11-21 00:02:10 | Weblog

8時、起床。昨日の風雨が嘘のようによく晴れている。ブログを更新してから、TSUTAYAにDVD(『SP 革命篇』を昨夜観た)を開店前に返却に行き、帰りに東口のドトールでモーニングセット(ジャーマンドッグとブレンド)の朝食。

  妻と吉祥寺に出かける。娘の属してる「ドラマチック・カンパニー・インハイス」の公演を観るためである。12時に吉祥寺に着き、差し入れ用のおこわご飯などを購入し、ぶらぶら歩きながら、「櫂スタジオ」に12時半頃到着。

  「灰」(作・演出 左観哉子)は3人芝居である。ジ・エンド・オブ・ザ・ワールドの物語である。空間的には世界の果て。舞台はどこかの島である。本土との連絡船はもうない。時間的には世界の終り。

   西の本土から真っ黒な煙があがった

   翌朝、冷たい雨が降って島中を濡らした

   煙と同じ真っ黒な雨、・・・

   それは世界を終らせる雨だと誰かが言った

   雨に打たれたものは、遠からず、身体が腐って死ぬといいました

   島の人は、最初は、笑っていた。そんなことあるもんか、どうせたいしてことないといって、・・・

   だけどあの煙から一年が過ぎた頃、みんながあの煙を忘れ始めた頃に、ひとり、またひとり・・・、島人はバタバタと倒れて行きました

   最初、目から腐るんです

   目は、柔らかいからね、

   じょじょに皮膚が腐って、苦しんで、異臭が放って、・・・

   若い女の子たちは儚んで、岬から身を投げました

   逃げ出す人、自殺する人、島人はそのふたつにわかれました

   そしてついにこのように、島には私たちだけとなりました、・・・

  『灰』が今回の原発事故を踏まえた作品であることは明らかだ。核爆発による世界の終りを描いた作品は多い。ただ、その多くは核爆発=核戦争であった。そして核戦争による世界の終わりの後には、生き残った人々や新種の人類(ミュータント)による世界の再生が待っている。第一幕の終り、第二幕が始まるのだ。しかし、『灰』にはそうした再生がない。世界はただ終るのである。静かに終るのである。ここで語られるのは未来ではなく、過去である。

   月が出る。雲が薄れて、月が、・・・

   思い出話をしよう

   愛し合ったひとたちのように

   遠い日の思い出を

   世界は終ったというのに、どうして私たちは立っているのでしょう、・・・

 男は女を殺した。愛する女の片目が腐り始めたからだ。

   痛い

   痛い?

   目が、目が痛い

   ナギ

   溶けた、あたしの目がとけたあ! いやだ、あたし死ぬんだ、腐って死ぬんだ、殺して、殺して、いやよ腐って死ぬなんていや、あんたが殺して、殺して、・・・!

   ナギ

 この場面は三度現われる。愛し合った者たちの間に起こった悲しい出来事が三度語られる。物語の時間は前には進まず、現在と過去の間を反復する。

   どうして私は生きているのか

   世界は終ったというのに、・・・

   どうして私は生きているか、・・・

 彼らが本当に生きているのかは定かではない。もしかしたら、すでに死んでいて、思念だけが残っているのかもしれない。いや、やはり、彼らは生きているのだろう。打ちのめされて、未来の時間を奪われたまま、生きているのだろう。私の頭の中には、増田常徳の「黒い海」があった。彼も今回の震災をモチーフにして絵を何枚も書いている。暗く、重く、救いのないような絵である。しかし、絵の中の人間は生きている。絶望に打ちのめされているが、生きている。果たして再生があるのかどうか、定かでないが、もし再生があるとすれば、とことん絶望に打ちのめされた、その先にしか、それはないのだろう。安易な再生の物語を拒否する強い(そう、強いのだ)意志がそこには感じられる。『灰』もまた観る者をとことん打ちのめす。かけがえのものを失ってしまった人間の悲しみをこれでもかこれでもかと訴える。観客は、「もうわかった。やめてくれ」とjは言わずに、黙って舞台を観ていた。再生を期待できないことはわかっているが、黙って舞台を観ていた。レクイエムのような役者たちの言葉にじっと耳を傾けていた。芝居が終ったとき、誰もが心からの拍手を送った。  

  芝居の後に、朗読があった。それは一転して、祈りに似ていた。

   わたしたちが、わたしたちにより汚した空気を吸っても、わたしたちが吐く息がきよくさえていることを わたしたちが わたしたちにより汚した水を飲んでも わたしたちのこの声がきよらかに かなしみをみそいでいくことを わたしたちが わたしたちにより汚れた心にふれたとしても わたしのあなたへの想いがいつもうるわしくあるように 愛といつくしみを 愛といつくしみを、・・・わたしのいのりがあなたに届きますように

 それにしてもだ・・・、普通の父親は娘のラブシーンを見る機会はないであろう。私は、今日、三度、娘のラブシーンを見た。それも、おでこにチュとかのかわいらしいものではない。吉祥寺の駅に戻る途中、「はらドーナツ」で一服した。妻も、「三度はきつかったわね」と言った。「うん」と私は答えた。ジ・エンド・オブ・ザ・ワールド。子供期の終り。