オクテック ガレージ ブログ OKU-TEC garage

大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

2015年 シルバーウィーク 酷道と国道418号線の廃線と吊り橋

2015-09-24 04:40:54 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
9月21日 道の駅『どんぐりの里いなぶ』の朝。

多分起きたのは9時を回っていたと思う。
既にとら母と友和子が寅次郎の朝の散歩に行ってくれていた。
この旅はこんなパターンが続いている。

午前11時遅い朝食を食べる。
朝ごはんは昨日の内に買っておいたおにぎりとパン。
キャンプ用のガスストーブだけは持ってきていたのでお湯を沸かしてコーヒーをいれ飲んだ。








連休とあって駐車場は続々と来る車であっという間に満車状態。
バイクも止めるところがなくて、隙間を見つけて止めている状態。
自分の車の後ろにゼファー750が止まっていた。
ごついエンジンガードが目について興味が湧いた。
しばらくしたらライダーが帰ってきたので聞いてみたら、中古で買った時には既に付いていたと教えてくれた。
乗っていたのは女性だった。これだけガッチリしていたらこけても安心だ。








この旅ではよくバイクを見かける。
80%が60才以上で15%が50才代前後。
元気のいい30才前後はあまり見かけない。








またカワサキのZ1000mk2を見た。
やっぱり雰囲気があってかっこいい。
でも今の流行りはBMWなどのアドベンチャー系とかなので、そんな風なことを思う人は少ないのかもしれない。









道の駅の周りを見て回った。
昔は『道の駅って何?』って感じだったのが、最近はお店が盛況で、それ目当てに来る人も多くなったと思う。












『どんぐり工房』というのがあったので入ってみた。
会社にどんぐりの本を書いた人がいるので、話のネタになるかと思ったけど『ドングリは何処?』って感じで
手作りの物が展示されていて、予約がいるけど工作とかの体験もできるみたいだった。


鉄棒をする人形。






かわいい。







道の駅の裏側。
のどかな田舎の風景。









行き先が決まっていないというか、決めてこなかったので、次にどこ行こうか悩んでしまう。
スマホやタブレットで簡単に調べられる時代でも、こんな時は紙の地図の方が分かりやすいと感じる。








南アルプスが南北に走るため、東の静岡に真っ直ぐに行けないのが悩ましいところ。
とりあえず、長野の諏訪湖あたりを目指して走ることにした。


少し走ると今度はZ750FXー1が止まっていた。







カーブか多い道に寅次郎もいつしかドアに手を掛けて踏ん張っていた。
初めて見た仕草。よっぽど揺れたんだと思う。
(とら母撮影 後日追加写真)







国道152号線は町を通るため、ひと気のない国道153号線から国道418号線、その先の国道151号線を
抜けようと話していたら、とら母がその道は『酷道』と言われていると教えてくれた













少し道幅が広くなったところで前方に少し違和感を感じる物が見えた。









アートなんでしょうね。













また一車線の道になった。

『酷道』で有名なのが四国の3桁国道。
あれは人の家の裏庭を通っているみたいな道で干している洗濯物の下を走ったりするほどの道。
それほどではないけれど、離合できない道で前から車が来たら大変。









二車線になった418号線をしばらく走ると、古びた鉄橋が見えた。
JRの飯田線が近くを走っていると、とら母が地図を見て話してくれた。
廃線とかに興味があるので慌ててシャッターを切った。










少し気になったので滝の看板も出ていたので、休憩がてら引き返してみた。











線路跡を見るとそこにあった生活の面影が頭に思い浮かぶので、ちょっと感慨深いものがある。










でも、鉄橋の幅があまりに狭く飯田線の旧線とは思えない。
ちょっと不思議な気がした。












伸び放題の草木の先にトンネルが見える。
やっぱり鉄道が走っていたのは間違いないみたい。











鉄橋の奥に滝があった。










『浄心の滝』
滝の看板に『里道中部線』・・・・と、何か書いてあるのを今ブログを書いていて気付いた。
帰ったら調べてみようと思う。











蛇にまつわることが書いてある。









そんな写真を撮っている自分が、とら母が撮った写真に写り込んでいるのに後から気付いた。
写真を撮る人って自分の写真が少ないことが多い。
ちょっとうれしかったので後日追加しました。









滝を少しいくと集落に差し掛かった。

赤茶けた工場(こうば)のよう。
錆びついて動きそうにない『ガチャのこ』が何とも言えない風に見えた。










工場はまだやっているのだろうかと思いながら通り過ぎたらご覧の通り。









『百貨店』の文字。
繁栄の残り香がそこにまだ残っているかのように思えた。











JR飯田線の平岡駅。
さながらここは駅前通りということになるのだろうか。









国道418号線。左手の川は遠山川というらしい。
少し先に吊り橋が見えた。









一台車が止まっていたので自分も止まってみた。
とら母に見に行こうって誘ったら、『車で待ってる』とつれない返事が返ってきた。
カメラを片手に一人見に行くと以外とすごそう。
戻って友和子と寅次郎を連れて行こううと思った。
一応もう一度聞いてみたら、しぶしぶ着いてきた。

言っていることと裏腹に以外と楽しそうなとら母。

友和子とどんどん先に行く。








寅次郎はグレーチングの網目に足が引っかかって歩きにくそうにしている。







おまけに、柵の高さが微妙で、ここで寅次郎がびっくりしたら橋から落ちてしまいそうな雰囲気。
首輪を一つきつめに締めてなだめながら一歩一歩進んでいく。
ヒヤヒヤした。








後からとら母が撮った写真にそのときに自分が写っていた。
(とら母撮影 後日追加写真)









慌てないように寅次郎に声を掛けながら渡ったのが思い出される。
(とら母撮影 後日追加写真)










ビビりながら見た景色は、それでも綺麗だった。











車に戻り少し進むと吊り橋が見えた。
こうやってみると以外と長い。









北海道ではよくみるキリストの看板。
久しぶりに内地(北海道の人が言う本州のこと)で見た。








道の駅までもう少し。
続きはまた書きます。

ではまた。












2015年 北海道の旅 8月11日 予想外な宗谷ふれあい公園 鹿公園と化したノシャップ公園

2015-09-16 22:31:26 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
8月11日の午後


南稚内駅の近くで洗濯を済ませ、お祭りを楽しんだ後、海沿いの国道238号線を宗谷岬方面に車を走らせる。

普通なら宗谷岬、ちょっとツーな人なら宗谷丘陵を目指すところだけど今日は少し違う。

稚内の市街を抜け少し行った『声問』(稚内空港の手前)を内陸側に曲がる。


牧歌的な景色の中を少し走ると『宗谷ふれあい公園』が見えてきた。








周りを見渡しても広大の敷地に、どこをどう行けばお目当ての公園に行けるかさっぱり分からない。

案内看板を見ると遊具がある場所は山の中腹ほどにある。


下に車を止めて登って行くのが良いのか、上まで上がって下って来るのが良いか、下手に止めると帰りがつらくなりそうなくらい
だだっ広い公園。




ひと気もなく、ただ広大な緑が広がっている。

公園全体の広さは65.3ヘクタール。計算すると東京ドーム14個分ほどになる。








ここでお昼ご飯にしようと適当な場所を探すが、漠然と開けた公園なので、その『適当』な場所が見つからない。

モニュメントのようなものが見えたので取り敢えず行ってみた。



よく見ると向こう側に稚内空港が見える。
その先には宗谷岬。











何の風情も無いコンビニ弁当だけど、それでもこんな所で食べると美味しいし楽しい。








娘の笑顔はたまらない。









晴れた日には宗谷海峡の向こう、ロシアのサハリンが見えるらしい。

『サガレン』はサハリンの昔の言い方。

そういえば昔、サガレンの婆ちゃんからサハリンからの風をサガレンと言うと聞いたような記憶がある。










『谷間の冒険広場ゾーン』と呼ばれる遊具がある所を探す。

こんな山道に入ると途端に元気に先頭を行く寅次郎。
『寅次郎隊長』と呼んでいる。

13才の寅さん、いつまでも元気でいて欲しい。








以外と色んな遊具がある。

高校生くらいのカップルが遊んでいるくらいで余りひと気が感じられない。








結構面白そうな遊具がある。








何やら子供らの歓声が聞こえて来る。











子供らが楽しそうに飛び跳ねて遊んでいる。
初めて見た遊具。
『フワフワドーム』と言うらしい。

友和子も混じって遊びだした。
しばらく見てたら友和子を押し倒す意地悪な子が居る。

それを見て注意するしっかり者の子供もいる。

たまにこんな意地悪な子がいるけと家庭環境がそうさせるのだろうか。










見てて余りに楽しそうなので自分もやってみた。










どんな風なフワフワ感かを表現するのが難しい。

風船のようなフワフワ感でもなく、フランスベッドみたいなスプリングでもなく、見た目ほど沈み込みがある
訳でもなく、反力もない。
でも体操のマットほど固くなくて、沈み込みは20センチくらいで、ほどほどに弾力のある。
う~ん、説明が難しい。


トランポリンほど跳ねたらもっと楽しいだろうけど、それでも楽しい。










子供は遊ぶけど、親はみんな見てるだけ。
でもこっちを見て、笑顔になっている。

一緒にやれば良いのに、恥ずかしいのだろうか。


友和子も一緒に遊ぶとむっちゃ喜ぶ。
やっぱり、一緒に遊ぶべきだと思う。








怖がりだったのに、いつからか怖いもの知らずになって高い所を好むようになった。









こいつはすごかった。
公園の遊具にしては掟破りな遊具。









上下と回転するだけでなく体が左右に倒れる。
まさに『やじろべえ』。
来た時に高校生のカップルがキャッキャ言って遊んでたのが分かる。








高さもあって。ムッチャ楽しい。
とら母が乗り物酔いになるくらいと言っていた。
風変わりな北海道の旅をしたい人は是非行ってみて下さい。
キャンプ場もあるし、雨の日でも遊べるように屋内遊戯場もあります。







散々遊んで、来た道を戻る。
先頭は寅次郎隊長。

来る時に帰りの登りを心配したけど、興奮したのもあって以外と平気だった。







公園の駐車場を出る前に眠ってしまった。
宗谷岬よりも、宗谷丘陵よりもここに来て良かったと思った。







サガレンに戻る途中、ノシャップ公園の前に何やら車が何台も止まっていた。








鹿だった。
それも。一匹や二匹ではない。







ついにノシャップ公園も鹿公園になってしまった。
前に来た時は夜、サガレンの前に一匹か二匹いて大騒ぎしたけど、今は日課のように海まで海水を飲みに来るらしく、
すごい数の鹿がいるらしい。

言わなかったけど、ノシャップ公園で遊んだ時、芝生は鹿の糞だらけだった。








今日もまた稚内温泉童夢に行った。
露天風呂に行ったら柵のすぐ向こうにも鹿がいた。
友和子はすごく喜んだけど。地元の人にはえらい迷惑な話だと思う。



今日も曇り空で夕日は見れなかった。

晩御飯は毎度のセイコーマート。
でもこの筋子は百円そこそこなのに、かなかな美味しいと思う。つい毎回買ってしまう。
北海道に来られる事があったら高い料理だけでなくセイコーマートのおにぎりも是非食べて下さい。








今日はライダーが数名。
どちらかと言えば真面目なタイプのライダー。

ライダーハウスに来て子持ちの家族連れが普通に居てるのに、戸惑ってる風にみえた。
昨日居た博多男児の夫婦なような人達なら話も盛り上がるけど、今日は違う。
せっかくのツーリング、ライダーハウスの空気を損ねないように晩御飯を食べたら、すぐに部屋に戻った。






ではまた

2015年 北海道の旅 8/11 ライダーハウス『サガレン』二日目 稚内の防波堤ドームと日通で送ったCB750F

2015-09-13 05:16:34 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
2015年 北海道の旅
少し続きを書きます。



8月11日 稚内ノシャップ岬、サガレン2日目。
誰も居なくなったライダーハウスにいると、先を急ぐ訳ではないのに何故か取り残された感がするのは自分だけだろうか。


『旅のノート』が目に留まった。
北海道に来だした頃は読み入ったり真面目に書き込んだりしたけど、今はそんな事もしなくなった。

新鮮さが無くなったからか、歳をとって純粋さを失ったからか、いやその両方かもしれない。


自分の周りを見渡して旅先にある日記帳に何かを残していくようなマメな人は思いつかない。


そんな中でここに来る常連ライダーで一人だけ書き込むライダーがいる。
北海道に来始めて間もない頃にここで出会った東京のライダーで、最初の頃はよくここで再会した。
当時、彼女と2台できてたりしていて、夏に揃って再会できるのは楽しかった。

だんだんとタイミングが合わなくなりやがて会うことできなくなった。

少し早い時期に来る事が多くなった彼は日記の最後に一言メッセージを残してくれるようになった。

ここでしか接点がない人なのでちょっと嬉しかった。


今年はお盆明けに来るらしく、また会うことができない。
私も久し振りに書き込んでみた。







写真を撮ったりそんな事をしていたら11時前になっていた。





旅先での行程やスケジュール管理はいつも とら母(嫁)がしてくれている。

今年の道内滞在期間は11日間。
世間的には長い休みかもしれないけど北海道を回るには少し短い。

とら母にこの先のスケジュールを聞いてみた。

今年の目的としてミニSLが走るキャンプ場に行く事と、富良野と美幌の知り合いに会いに行く事。
特に美幌は週末でないとだめで、普通に走ると問題のない行程だけど、途中で遊んだり寄り道すると厳しくなる。



寅次郎の事を考えると少しゆっくりした方がいい様に思えた。

とら母は『・・・ちょっと厳しいかなぁ』と曇った顔をしている。

次の目的地は富良野。一日刻んで向かう予定だったけど、頑張って一日で走れば何とかもう一泊できる。

ちょっと悩んだけど明後日頑張って走ることにして今日は連泊する事にした。



連泊の手続きに行くとサガレンの奥さんから南稚内の駅の辺りで小さなお祭りをやっていると教えられた。

連泊と決まったので先ずは洗濯。
お祭りを見に行く間に洗濯しようと南稚内駅付近のコインランドリーを探して車を走らせた。



サガレンから宗谷岬や稚内市街に行くには前の道を南下していくのが普通だけど、ノシャップ岬を回って
裏の道を抜けると信号もない海沿いの道を走る事ができる。






小さな船から荷揚げをしてたり、カモメか飛んでいるのが見えたり、数キロだけどのどかな風景を楽しめる。

遠くにフェリーが見える。
利尻島か礼文島に行く船がこの先の港から出ている。






防波堤ドームが見えて来た。







ドーム形状をした防波堤で、昔は『いいべや稚内』と称して屋台が列び、買った食材を自分達で炭火焼きして食べることができた。

全盛期は地元の高校生の女の子がたくさんバイトに来ていて、何度が来る内に仲良くなったりした。

今でもその中の一人の子とは年賀状のやり取りだけど繋がっている。
あれから随分たったから、女の子ではなくてもう『女の人』っていう方が正しい。
いまでも元気しているのだろうか。

まだ独り身らしいので是非『じじぃ』を貰ってやってください。
早くしないと干からびて、じじぃが本当のじじいになってしまいます。




防波堤ドームは雨がしのげる事もあって以前はテントが無数に張ってあって、夏の風物詩的な光景だった。

やがて観光客も減り、屋台の規模やお祭りの期間が縮小され、ついにはやらなくなってしまった。






ここのことをネットで調べていくうち、ここでテントを張ってキャンプすのことの是非について某掲示板で議論になっていたことを知った。

いつもの事ながら掲示板での議論って理屈や正論ばかりなんだろうかと思ってしまう。
身元が分からないことをいいことに、『バカか』とか『カス』って言葉がならんでいる。
結局良くしたいとかはなくて、相手を論破することが本題になって現実からかけ離れたオンライン上の空間で言い争っている風に見えてならない。


現地の人達の温情や大らかさで黙認されていたことを面と向かって「良いか悪いか」で議論しあっても答えは閉塞的にしかならない。

中には直接当局にキャンプして良いか問い合わせた人もいたらしく、今のご時世、『良いですよ』なんて言える訳がなく、結局キャンプ禁止の
張り紙が貼られてしまっている。


             





稚内の日通の営業所が見えた。
昔、旅の途中でエンジンが壊れてしまい、ここからバイクを送ったことがある。
確か7万円くらい掛かったと思う。

北海道に来だした頃で歳はまた二十代後半、バイクはホンダのCB750Fだった。
バイクのカスタムブームの最中で、カワサキならZ、スズキならカタナ、ホンダならCB-F、ヤマハなら・・・・・何かあったっけ。
とにかく空冷のリッターバイクがすごい人気だった。

二十歳になって貯金をはたいて買い、毎年夏に向けて色を塗り替えようとか、今年はエンジンをいじろうとか、足回りを強化しようとか、
北海道が晴れ舞台で、他はずっといじっていた。



CBは900Fのエンジンをベースに1000ccまで排気量を上げ、足回りを強化しそれに合わせてフレームを補強した。



『じじぃ』はカワサキのZ750FX-1に乗っていた。
深いブルーの角張ったデザインはかっこよかった。

旅の前半は調子も良かったCBだったが途中からエンジンノイズが増え、やがてシリンダーのフィンからオイルが漏れ出し油圧警告灯が
点灯するようになってしまった。

さすがに油圧の異常はどうしようも無かった。
途方に暮れ、行き場を失った私はそのとき一緒だった『じじぃ』に精神的に助けられ、とにかくサガレンまで戻ってこの先どうするかを
考えようと4L缶入りのオイルを買って補充しながらオホーツクをひたすら北上した。

夜はキャンプする心の余裕も無く、セイコーマート(コンビニ)の軒下で寝させてもらった。

サガレンに戻ってもどうすることもできず、この日通でバイクを引き渡し帰りのフェリーまでの日程をそこで知り合った仲間達と一緒に過ごした。











エンジンが壊れる前までを含め、稚内には延べ二週間近くいた。

最後の日、稚内駅まで『じじぃ』と静岡のSR乗りが送ってくれた。
長い間一緒だった旅仲間との別れは悲しくて、三人して涙した。

夜行列車はお座敷列車だった。隣に居た札幌までママさんバレーの試合で行くという、同じくらいの年代と女性と列車に揺られながら
おしゃべりしたのを覚えている。


大阪に帰ってきてエンジンを開けて原因を調べた。

パワーが上がってカムチェーンの動きが激しくなり、それに耐えきれずにカムチェーンテンショナーが破損。
テンションが効かなくなって、たるんでしまったカムチェーンが暴れてカムチェーンホール、すなわちエンジン内壁を削ってしまい、
最終的に穴が空いてオイルが漏れ出した。
削られたアルミのカスは油圧流路を詰まらせ、その結果油圧低下をもたらせた。




ホンダの技術力は非常に高く、CBもノーマルだと10万キロくらいは保つ。
しかしその高い技術力によって耐久性をぎりぎりまで落とし、その分のコストをデザインなどに回している、そんな風に思った。
だからちょっとの改造でバランスが崩れ、他のどこかに支障がでる。
750ccを823ccまで排気量を上げたらクラッチが滑りだし、強化クラッチを入れたら今度はクラッチハウジングが壊れた。

そんなこともあって当時からCBのカスタムは少なかった。(カスタムするには相応の知識や技術力と思い入れが無いとできなかった)


これがきっかけでホンダ車に魅力を感じなくなった。






CB-Fの系統にCB1100Rと言うバイクがあった。
市販レーサーともいうべきそのバイクは外観こそCB-Fをレーサー風にしたような風だったが、アルミ製のタンクやFRP製のカウル、
限定生産で価格もすごく高価だった。

そのときは贅沢な作りだとしか思わなかったが、エンジン内部の小さな部品一つまで違って、CB-Fを改造するにはこのCB1100Rの
部品を組み込まないとダメだと言うことを知った。


翌年に向けてエンジンを直した。
全く別物だったカムチェーンテンショナーもCB1100Rのものを組み込んだ。




カワサキの空冷Zが人気があったのは多少のことでは壊れない耐久性のあるエンジンがその一つの大きな理由だった。

CB-Fも乗り出しから10年が過ぎ、一区切りということでカワサキの空冷GPz-1100に乗り換えた。


あれから20年ちょっとが経った。
今もガレージにそのCB750Fがある。








愛着とか思い入れとか、そんなおセンチな気持ちはなく、ガレージを広く使いたいこともあって、もらい手があれば手放したいと思っている。
(だれか欲しい人がいませんか? 長年放置しているのと素人がいじったバイクなので相応のメンテナンスと手直しは必要ですが)








ちょっと話が逸れてしまいましたが、後にいろんなことにつながるきっかけとなったのが北海道であり、稚内でした。




旅の話に戻って・・・。

探していたコインランドリーに到着。
最近のコインランドリーは仕上がりを電話(自動音声案内)で知らせてくれるサービスまであって便利になりました。






コインランドリーからお祭り会場までは歩いてすぐ。
旅先で観光地でもない所をぶらり歩くのがすごく好きです。







お祭り会場の隣が南稚内駅。ちょっと寄ってみた。






稚内駅ですら駅こそ大きいけどそれほど賑わいのあるところではなく、まして南稚内駅ともなるとライダーや観光客も来ることが無い駅。

昔ながらの駅の風情がする。
ホームを渡る階段が何とも言えない味わいを出していた。







お祭りの本番は夜からなのか、さほど賑わいは感じられない。








出店がちょっと出ていた。
小さい頃、夜店とかすごくワクワクしたのを覚えている。

名高い大きなお祭りよりも、自分はこういった地元の小さなお祭りの方が好きだったりする。








友和子も食べれるかと思って薄味の塩味の焼き鳥を買って、みんなで食べた。







ふと、友和子が公園を見つけた。

公共の遊具なのか個人の庭なのか一瞬ためらった。







微妙な空気感を感じながら、ちょっとだけ遊ばせてもらった。
いったい誰のものなんだろうか。





しばらくしてコインランドリーから電話が掛かってきた。



長くなったので続きはまた今度にします。
いつもながら長い話でごめんなさい。








2015年 北海道の旅8/11 ライダーハウス『サガレン』二日目の朝 雨で連泊する軟弱ライダーは真のライダー?

2015-09-03 02:27:07 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
少し間が空きましたが2015年の北海道の旅の続きを書きます。

8月11日 朝6時

とら母と友和子はまだ眠っている。
昔は朝早くに起きるなんて絶対無理だったのに、いつからか6時に目が覚めるようになってしまった。
健康的になったというのではなく、歳くったせいだと分かるから悲しい。

時々このブログにも出てくる『じじぃ』もここで同じ時間を過ごしたライダーの一人。彼は昔から朝が早い。
まさに健康な人って感じで羨ましかった。
だからあだ名が『じじぃ』ってなっわけではなく、旅の最中、『風呂に入らないの?』って聞かれて
『昨日入ったからだ今日は体拭くだけでいいや』とか『あまり汗かいてないから今日は入らなくてもいいかな』なんて
二十代なのに年寄り風だったから(お年寄りの皆さんゴメンなさい)そう呼んだ。

誰一人違和感なくそう呼ぶようになり、今では実年齢があだ名に追いつきつつある。

健康だけどあんまり健全ではないのかもしれない。









昨夜話をした福岡男児(博多男児)こと『とくやん』さん夫妻が旅立ったあと、3人組のライダーも出て行った。


仲間でツーリングをしているライダーを見る度に思うことがある。

結婚するまで一人で北海道を旅していた。


日数が多くなりがちな北海道ツーリングでは仲間内で意見が合わなくなることもあるし、途中で別行動になったという話を聞いたことがある。
気の合って一緒に行動するのも珍しくなくて、そういった意味では北海道は一人旅が良いと思った。

反面一人で観光地を回っても寂しいし、陽が傾き始めた辺りからその日の寝床の事が気になりだして、だんだん心細くなる。
ライダーがいっぱい居た時は一人旅もよかったけど、これだけライダーが減ると仲間と来た方が楽しいのかなって、そんなことを考えた。








寅次郎とノシャップ岬まで散歩に出かけた。
天気はやっぱり良くない。








メニューに“うどん”とかあるにもかかわらず、昔は『お客さんはライダーさん? ライダーさんはコレね』。
そう言って他のメニューを選ぶ隙を与えず、高いメニューしか食べさせてくれなかった“曰く付き”の食堂だったお店。
店を切り盛りしていた名物ばあさんが亡くなって普通の店になったらしい。
今では、『その頃に食べておいた方が良かったのに』みたいなことまで言う人がいる。
ある意味、北海道全盛期の良くも悪くも個性的な事の一つだったのかもしれない。


周りは一度行った方がいいと言うけれど、値段が普通に高いのでやっぱり気軽には行けない。








少し先にペンションがある。
昔、“GL先生”が奥さんと子供を連れてレンタカーでここに来たとき、奥さんと娘さんはここに泊まり自分はサガレンで
みんなと一緒に雑魚寝した。

家族がいると北海道ツーリングもままならない。
家族との調和を図って何とかして北海道に来る。そんなライダーも昔はいたけど、今はあまり出会ったことがない。

今年よく見かけたのが軽ワゴン車で一人長期間旅するお年寄り達。すごい人がいたのでまたあとでその話をしたいと思います。


バイクが何台か止まっていた。
昔ならペンションにライダーが泊まるなんて考えられなかった。








少し歩くとノシャップ岬のすぐ手前にノシャップ岬寒流博物館と稚内青少年科学館がある。







地味な施設であまり人が入っている姿を見たことが無い。
ライダーは存在自体気付いてないかもしれない。
たしか稚内の小学生とかが見学に来るとか言っていた記憶がある。

科学館の方には南極越冬隊の資料があった記憶があって、寒流水族館はナマズがいて何かに反応して電気を起こしてランプが
チカチカしたのを覚えている。
それと生きたウニの水槽が手の届くところにあって、時々盗まれるので補充していると言うのを聞いたととがある。








まだ人影も無いノシャップ岬。

初めて来た時はまだここは海だった。










それまでのノシャップ岬は寒流水族館の裏手辺りで(寅次郎が写っている所から50mほど奥)、何もない道路の端っこにノシャップ岬の
碑が立ってただけだった。
そんな所だったけどみんな碑の前にバイクを置いて記念撮影したりして、お宗谷岬とは違う北の果ての岬を味わった。









その碑がそのまま引っこ抜かれ、今はここにある。

引っこ抜いて元の場所に戻そうかと思ったこともあった。








岬も整備され観光バスも来るようになった。
一時は賑わったけど今では訪れる人も減り、記念撮影をしてトイレに寄ったら足早に去っていく。

土産物屋さんにしたら死活問題かもしれないけど、整備したのが悔やまれる。

どこもそうだけど整備されて良くなっと思えた事が少ない。
そんなのは旅行者の勝手な言い分なのかもしれないけど、ここは昔のままが良かったとやっばり思う。


こんな話は四年前に来た時のブログにも書いた気がする。
同じ話ばかりしたり、こんな湿っぽい話するのが一番歳食った証拠かもしれない。



サガレンに戻ると最後のライダーが出発するところだった。
ここの良いところは夜の間、バイクをこの農機具小屋に置かせてもらえること。

寅次郎はいつもここの隅っこで寝させてもらっている。








家に居るときの寅次郎はいつもの私達が居ないところを選んで寝ている。
誰かが近ずくと申し訳なさそうな顔をしてまた人の居ないところに消えていく。

一人(一匹)が好きなのかと思ったりするけど、私達が出掛けようとしたり、旅先で一緒に居れなさそうなことを感じ取ると
途端に哀しそうな目で見てくる。

家族がそばに居るという安心感があっての、そんな振る舞なのかもしれない。




夕べも一人(一匹)で寝さされ、時折見知らぬライダー達が入ってきて寅次郎も落ち着かない。
ちょっとかわいそうになったので車に乗せて、隣でしばらくブログを書くことにした。

農機具小屋よりも落ち着くのか丸まってすぐに眠りについた。







しばらくブログを書いたあと部屋に戻ってみた。
とら母も友和子も起きていた。

いっつも出発は最後の方。
誰も居ないのライダーハウスは置いてけぼりくらったみたいで何故か寂しい気持ちになる。

ひっそりした部屋で自分達だけで朝ご飯を食べた。







ここを知っている人のために、ちょっと懐かしく思えるように写真を撮ってみた。










訪れたライダーが送ってきた写真が飾られている。
お盆とか関係無しにいつもライダーで賑わっていた。

『祭り』の法被(はっぴ)を着たのも勿論ライダー。
人と違うこと、人より目立つことが北海道でヒーローになれる方法みたいなところがあった。
普段はヒーローになれないヤツでも北海道では、みんな一人一人が自分の旅のヒーロー、そんな風に思えた時代の一コマ。









夜は農機具小屋でジンギスカンの宴会。









少し晴れ間が見えてきた。

オロロンラインから上がってきたライダーはこの交差点を曲がってノシャップ岬に向かう。

この窓から行き交うライダーを眺めたりした。





雨の日、出発するライダーと、そそくさと連泊を決める“軟弱”ライダーに別れた。

合羽を着込んで先を急ぐライダーを見て、連泊するライダーに向かって『本物のライダーは雨でも走ってる。それに引き換え雨で
連泊とは何て軟弱者か』と、激を飛ばすライダーも連泊者だったりした。


夜9時や10時になってもノシャップ岬を目指してバイクが走っていくことは珍しくなかった。

本物のライダーはそんなことに気づきもせず、明日の走るルートを語り合っている。

軟弱ライダーはビール片手に『え~この時間でもまだ走ってる~。大変やなあ。こんな時間からどこ泊まるんやろ~。俺は無理やわ~』
なんて、まさに軟弱な言葉を発していた。



でも今になって思うと、そんなすぐに連泊を決めるライダーほど、今でも北海道に来ている気がする。






なかなか乾燥しない乾燥機もここでは有名な事の一つ。








階段を上がったところの廊下。

部屋がライダーであふれかえった時はここで何人も寝たりした。
みんな寝袋だっだから蓑虫(みのむし)の集団みたいだった。









ここでいろんな話をした。

武田鉄矢主演の『刑事物語』のエンディング曲が好きと言ったら“じじい”がこのギターで吉田拓郎の『唇をかみしめて』を
弾き語りしてくれた。
うれしかった。





刑事物語2 りんごの詩 (1983) - 劇場予告編




唇をかみしめて/吉田拓郎









とら母(嫁)とここで出会った。









そんな場所だったので友和子も連れてきた。








思い出がいっぱい詰まった場所。








寅次郎を見に行く。
助手席が寅次郎の席だけど、居なくなると決まって私が座る運転席側で寝ている。
犬は飼い主の匂いがすると安心するというけれど、本当な気がする。






寅次郎も移動が多くて落ち着かなくて疲れているように思える。
今日の出発はどうしようか・・・



ではまた

2015年 北海道の旅 8/10 ライダーハウス『サガレン』と福岡男児“風”なオヤジライダー

2015-08-27 05:22:44 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
8月10日

オロロンラインを北上し、午後4時前にサガレンにたどり着いた。

4年ぶりのサガレン。
久しぶりと言う感じでもなく、やっと来たぞと言った気持ちの高ぶりもない。

ただただ、普通な気持ちで降り立ったって言う感じだった。






受付してくれたのはライダーハウスの大将(オーナー)の奥さんだった。
『大将は?』と聞くと仕事だと教えてくれた。

ここも昔は、下(1F)が食料品や日用品などを扱う商店だった。

ライダーが減り大将が外に働きに出るようになって随分になる。
今では朝5時に出勤するのが普通らしい。

前は大将のお母さんが前面に出てきていたけど、高齢で足腰が弱ってきたということで今は大将の奥さんが切り盛りしている。

何でもはっきり言うタイプのお母さんと違って奥さんはおとなし目な人。
もっと前面に出て“看板姉さん”になってファンを作ればライダーも増えるだろうに・・・なんて思ったりしている。





『今日は何人?』って聞くと、今で(私たちを含め)6人と教えてくれた。
ライダーが3人ということになる。(その後3人増えて合計9人)

『少ないね』って言うと『昨日は2人だったんだよ』って少し寂しそうな感じで返事が返ってきた。









受付をしに中に入ると私たち宛に電報が届いていると教えてくれた。

『誰からだろう?』  『何故に、こんなご時勢に電報?』

最近電報と言ったら冠婚葬祭くらい。予想外な事にちょっと戸惑った。





くまのプーさんのぬいぐるみが付いた電報だった。


『いい旅になるといいですね・・・・・・GL』とあった。




GL(先生)・・・

もう、20年くらい前にここで出逢った岡山のライダーの方で、当時ホンダGL1500で音楽の先生だったので、あだ名が“GL先生”になった。
(勝手にそう呼んでた)
今はサイドカーが付いたGLに乗っている。


このライダーハウスが気に入って、最果てなのにわざわざ泊まりに来るライダーの一人。

何年かに一度しか会うことができないけれど、いまだにつながっている。

ここを気に入って、ここで出会って、また偶然再会して・・・・

北海道のバイク仲間のつながりはこのサガレンが基軸となっているように思える。








外に出る。
行き交うバイクも少ない。

足下のマンホールの蓋が南極観測隊の『タロとジロ』の柄になってると“とら母”から教えられた。

娘と歩くようになり地面と少し近くなった気がする。







道を隔てた向こう側にノシャップ公園があり、ワイヤーロープで滑る遊具とかがあるので早速行ってみることにした。


向こうに見えるのは自衛隊の基地。
球体はレーダー。
たぶんロシアを監視するためだと思う。
最果てなこんなところにこんな施設があるのは、いろんな意味を含んでいたりする。











広い敷地にパークゴルフ場や野球のグランドもあってその一角に公園がある。とにかく広い

グーグルアースで見るとその広さがよく分かる。








広い敷地にポツンと遊具がある。









白と赤の縞模様の建物がノシャップ灯台。










ワイヤーロープを滑車で滑る遊具。










一緒に乗るとすごく喜ぶ。









すごく楽しそうだった。









おとなしい寅次郎が、何故か昔からぶら下がっているものに極端に反応する。
何年かに一度しか見ることのない寅次郎の癖。

野生の本能がそうさせるみたい。









昔の写真を引っ張り出して見た。
寅次郎にこんな癖があるのを知った初めての出来事。
高く飛び上がってタッチする遊具。

飛んでるお尻に“がぶり”っと・・・・

通称:2008年の『がぶり事件』









2011年にも、ここノシャップ公園で“がぶられた”人がいた。









必死になっている姿を見てると、つい笑ってしまう。









友和子も靴を“がぶられた”。










奇妙なニョロニョロ。
ちょっと気味が悪い。







遊び始めると終わりを知らない。








日没までまだ時間があったので近くの温泉に行くことにした。

サガレンから3キロ、稚内温泉「童夢」。
露天風呂から利尻富士を拝むことができる。







北海道に来て天気があまり良くない。
結局この日も曇っていて夕日を見ることができなかった。

サガレンに戻ると2階の窓から大きな声が聞こえる。

外出していたライダーが戻って来たようだった。

それにしても豪快な笑い声。
繊細でナイーブな私はそういったタイプは苦手な方なのでちょっと気がかりだった。


声の主は福岡から来たライダーで奥さんとタンデムで来られていた。

話してみると気さくな人。









どうせなら日本一周をしようということで一ヶ月休みをもらい、奥さんはこのために仕事を辞めたと話してくれた。

豪快なしゃべり方はまさに九州の男、“福岡男児”って感じ。





“生き方”みたいな話になって、自分の子供や奥さんの兄弟がバイクに乗りたいと言いだしたときに、一国の主(あるじ)として
強い口調で『危ないからダメだ』とバイクに乗ることを一切許さなかったと話してくれた。

今時にない『強いお父さん』って感じに思えた。



こんな感じの大人が今の日本に沢山いたら、おかしな事件もなくて、子供も真っ直ぐに育ったくれるんだろうな。
そんな風に感じた。





ちょっと尊敬な眼差しで聞いていた・・・・けど・・・ふと、違和感を覚えた。

何気なく聞いていたけど、よくよく考えてみると周りにはバイクなんて絶対にダメで、でも自分はOK.
おまけに新しくバイクを買って仕事も一ヶ月休んで、奥さんの方に至ってはこのために仕事も辞めて、それでもって
夫婦そろって仲良くバイクで日本一周・・・・。


ひょっとして“福岡男児っぽい”だけのわがままオヤジ?


そんな風に思えてしまったのでちょっといじってみた。




『周りにはダメでも、自分はOKなんですよね』 






その後も豪快(風)な話は続いて
『テレビとか見よりますか? うちにはテレビが無かとです』みたいな話になった。

“さすがテレビなんて低俗なものなんて見ないで本や新聞を見るような一家なのか”

なんて思って聞いていたら・・・・

『テレビがあるとずっと見てしまうので止めにしました』・・・・ですって。


 単なる“テレビっ子”・・・なオヤジ。





『タバコは吸いよりますか? 私は吸いません』って話になった。

“福岡の男はそんな見かけ倒しなものは吸わないのか”と思ったら・・・・・


『4~5年前に止めました』・・・・・って、つい先日まで吸ってらしたのね・・・・。


 “ドクターストップ”

 健康を気にし出したオヤジな話でした。






口調だけ聞いていたら『一本筋の通った強いお父さん』って感じでしたが、よくよく聞くと筋なんて見当たらない。



『嘘つきオヤジですやん』って、ツッコんだらちょっとだけ小さくなった。


でも、なにか許せてしまう楽しい人。


『嘘つきオヤジってブログに書きますよって』って言ったら、また少し小さくなった。




私たち家族連れがライダーハウスに泊まることは、きっとライダーからしたら違和感を感じることだけど
そんなことなく、旅人として話をしてくれた。

楽しい夜のひとときでした。







翌朝6時に目が覚めた。
一階のバイクを置く車庫に寝ている寅次郎の様子を見に行くと福岡の夫婦が出発の準備をしていた。



バイクを見たら新車のハーレーだった。

やっぱり福岡男児“風”のオヤジだった。







このブログの検索方法を教えたけど、あれからずいぶん時間がたったので、もう見ていないかも知れない。
でも約束通りちゃんとありのままを書いたので許してください。
豪快なコメントがあれば嬉しいです。

楽しいひとときをありがとうございました。
来年北海道に来るときはフェリーに乗る前にカップ麺とおにぎりは持参してください。
それとロールマットを積んでると、より旅人“風”に見えるので嘘でもいいので買ってバイクにくくりつけておいてください。

また会えることを願っています。







という感じで、サガレンの一日目が終わりました。

ではまた。












2015年 北海道の旅 オロロンラインを北上 そして稚内のサガレンヘ

2015-08-18 20:01:27 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
留萌の黄金岬を出発しオロロンラインを北上。

天気は曇り。パッとしない天候が続いている。









『宇宙の胃袋』を持つ、とら母(嫁)は、今度は羽幌に海鮮丼が食べれるお店があると言ってきた。






国道沿い、羽幌に入って間もなくひだりてにお店がみつかった。








店内に入ってみる。

値段はまだ安い方だと思う。







お客さんは結構いるけど、さほどまだ混んでいない。






カウンターと座敷が少々。そんなに広い店ではない。
後から急にお客さんが増えてきた。








はぼろ丼の大盛り。
具はカニ、うに、いくら、たこ、甘エビ、つぶ貝、いか、ほたて、白身魚、さば、玉子。
これで1300円。
甘エビが甘くて美味しかった。
(味覚音痴なので丼だと何がなんだか分からなくなるから個人的には刺身で食べたいと思ったりします、)








友和子は生魚はまだあげてないので、浜前取り焼き魚定食(750円)。
八角も脂がのって甘くて美味しかった。








更に北上を続け天塩の道の駅に着いた。








ライダーも見えるがやっぱり多くない。

とら母が小さな女の子を連れたライダーがいたと教えてくれた。

Uターンして見に戻った。





お父さんはかっぷくのいい感じで女の子は小学4か5年生って感じだった。

バイクは私と同じスズキのバンディット1250とマニアック。

断りもなく車内から撮影させてもらった。おやこライダーさんごめんなさい。(この旅ではこんな盗撮がおおいです)









風亭をみて北海道ライダー仲間のGL先生を思い出した。
今年来れなかったGL先生が思い出され少し寂しい気になった。



親子でバイクに乗る姿は、いつか自分もそうなりたいと思う気持ち故にちょっと感慨深いものがあった。

先に道の駅を出ていなくなってしまったと思ったけど、オロロンラインでまた一緒になった。

(また盗撮)







どこからオロロンラインと言うかは知らないけれど、天塩を過ぎた辺りから本当のオロロンラインかと思ったりする。








巨大な風力発電の風車が並ぶオトンルイ風力発電所








道路脇に人集り。
事故か取り締まりかと思ったらライダーが、記念撮影していた。
ここも立派な観光スポットになったみたい。








更に何もなくなって果てしなく直線が続く。









抜海を抜けもうすぐノシャップ岬。


カーブの先に見慣れた景色が見えてきた。

ノシャップ岬の灯台にライダーハウス『サガレン』の建物






この日記は苫小牧発敦賀行きのフェリーの中で書いています。
今、敦賀湾内を航行中で後30分ほどで下船します。

なかなかリアルタイムで更新することかできませんでしたが、お付き合いくださりありがとうございました。
残りは自宅に帰り最後まで書き上げますのでよろしくお願いいたします。




2015年 北海道の旅 留萌の黄金岬の朝

2015-08-15 23:20:42 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
8月10日 朝6時半、黄金岬の朝


とら母(嫁)と友和子はまだ寝ている。
とら母は旅によって早起きの時と、お寝坊さんの時に差がある。
理由は分からないけど私が早起きすると、決まって起きるのが遅くなる。







寅次郎は起きていた。

寅次郎と散歩に出掛けた。







国道から外れているので車が時折通るくらいでまだ静まりかえっている。







昨日ここを通った時に『デザイン灯台 波灯の女』という看板があったので見にいくことにした。







砂利道を少し歩くとテトラポットが並んでいるのが見えた。
どうやらここで作っているみたいだった。








ここで作ってどこかに運ぶのか、ここで作ってここで使うのか分からないけど、大きさ重さからして生コンを持ってきて
ここでここで作った方が効率的なように思えるので現地生産なのかもしれない。








それにしても初めて見るテトラポットの『型』。
とにかく大きい。















1人のライダーがこの波灯を見にやってきた。

灯台の明かりのところがに朝日が写り込むと後光が射し込んで 神々しいように見えるとか何とかと言って
写真を撮っていた。

たしか横浜出身で今は網走の大学に通っていると言っていた。

このあと稚内まで行くらしい。(その後偶然にも稚内の温泉『ドーム』でバイクを見かけた)







私もそんな風に写真を撮ってみたけど、曇って何だかよく分からない写真だと思う。
この旅に出て、曇が多くてまともに夕日を見れていない。







帰りがけさっきのテトラポットを作っている現場でテトラポットを釣り上げているのが見えた。
ちょっと見入ってしまった。







車に戻るとまだ友和子はまったりしている。
車中泊でも平気そうなので安心した。







みんなで岬を散歩する。








黄金岬









遠くは中国






こちらはロシア側だろうか

昔はAMラジオを持ってきて国営モスクワ日本語放送を聞いたりした。
『世界で初めて飛行機のタイヤの代わりに板が付いた』みたいな、聞いていて???って思うような
話が聞こえてきて面白かった。















岬に数件、お店が並んでいる。






二軒並んだお店でソフトクリームの看板が並んでいたので、食べ比べしてみることにした。






ちなみに左側のお店には『天童よしみのオススメ』と書いてあった。







個人的には左のお店の方が美味しく感じた。
さすが天童よしみ。

モニュメントの前で記念撮影







外の気温は28℃。

寅次郎は疲れたのか寝ている。









車内はまた程よい睡魔の風が流れていてる







オロロンラインを稚内に向け走らせた。

ではまた





2015年 北海道の旅 小樽ばあちゃんちから留萌の黄金岬へ オロロンラインを北上

2015-08-14 14:41:47 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
娘と砂浜に座って夕日を見てみたいと思った。

今日の目的地はできたら天文台のある初山別のキャンプ場。
無理ならその手前の留萌の黄金岬。

ばあちゃんとおじさんに別れを告げる。

旅に出ると一晩でも人の温かみに触れると旅立ちづらくなる。

お世話になりました。







山の手にあるばあちゃんの家を出る。







急な坂道を下ると海に出る。という







小樽運河の賑わいはやっぱり少なくなった気がする。







とら母の両親へカニを贈るために市場へ立ち寄ることにした。
日曜日なのでいつもいく近くの市場、鱗友朝市が休みだったので少し東に行った、新南樽市場に来た。





観光地の市場っぽいけど普通に地元の人も買いに来ていて割と安い。
お義父さんが好きな毛ガニを贈った。






昼をすっかり回ってしまい初山別は無理そう。
とにかく北上する。
雲は多いけど天気は上々。






海が見えた。
こうゆう景色がすきなので車を止めた。







オロロンラインを北上する。








走る車も少ない。








風が気持ちいい






睡魔に襲われたのでパーキングに車を止めた。
『白銀のの滝』
少しだけ仮眠させてもらった。






初山別までは行けそうにないので、留萌の温泉で入浴することにした。
『ホテル 神居岩』のお風呂。



今日は留萌の黄金岬で車中泊。
晩御飯はコンビニ弁当。
それはそれで美味しかったりする。
みんなでいっしょなら、それだけでいい。





おやすみなさい。
ではまた。




2015年 北海道の旅 小樽ばあちゃんち 出発の前のひと時 ばあちゃん元気でね

2015-08-12 12:44:02 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
見て下さっているみなさん、ありがとうございます。
子供との遊ぶ旅、そしてブログの更新。
頂いたコメントはちゃんと読ませて頂いています。
返事が出来なくてごめんなさい。
特にStart・Rさん、たくさんコメント頂いているのに返事できなくてごめんなさい。後々、返事書かせていただきます。




今のリアルタイムは8月12日 昼12時半。
稚内のライダーハウス『サガレン』を出て国道40号を下った「道の駅 なかがわ」でこれをアップしてます。


8月9日の日記になります。

小樽ののばあちゃんち。
朝、7時半くらいに起きた。

ばあちゃんはしきりに私たちを起こそうとしている。
それをおじさんがしきりに言って『疲れてるから、まだいいって』って促している。

ばあちゃんは昔から早起きで、起きてこない私たちをしきりに心配していた。
そんな気持ちは消えずに心のどこかにあるみたい。

ばあちゃんの部屋を覗くと表情もなく毛布をたたんでいる。
ばあちゃんの今の現実を物語っているように思えた。





おじさんは、何か仕事をしている。







友和子は寝起き顔で好きなパンを頬張っている。
とら母は朝ごはんの準備。







寅次郎は旅で食が細くなっているのでおやつをあげた。








ばあちゃんと、寅次郎。
まったりとした朝。









友和子を連れて寅次郎の散歩に出かける。






ばあちゃんちは小樽の港から少し山の手に上ったところにある。







友和子が公園を見つけてた。
公園の看板。
夏6時、冬4時。
あまり子供の姿を見かけない。






古びた遊具








一緒に乗ってみた。

キィキィと錆び付いた音。整備や人の手が入っている気配が感じられない。
小樽の運河界隈の賑やかさと裏腹に地方の町の現実がそこにあった。







海が見える広場にきた。







タンポポを見つけた。







何を言いたいのか一瞬迷った看板。
読み間違えたら怖い話し。








そろそろ出発。
慌ただしく身支度して出発の準備をする。
ふと見ると友和子がばあちゃんとまったりしていた。







最初は、友和子もばあちゃんに戸惑っていたけど今はそんな気配も感じられない。
大人は年をとったばあちゃんのぼけた姿ばかりが目に映っているけど、幼い娘にはそんな事は見えない。


『”ぎゅ~”ってしてあげて』って言ってあげた。







『おへそ見せて』って言ったら、いつもは恥ずかしがってやらないのに見せていた。







おじさんがラーメンを作ってくれた。
美味しかった。

ありがとう。




出発前のひと時でした。

ではまた




2015年 北海道の旅 千歳から札幌を抜け前田森林公園で遊んで小樽ばあちゃんちへ

2015-08-11 08:33:32 | 純白の貴公子が行く、2015年北海道の旅 
SLを見損なった公園を後にしてとら母が暮らしていた小樽に車を走らせる。

外の気温は21℃。

車内は程よい睡魔の風が流れていてる。








北海道を走っていてよく目につく看板が二つある。

一つはお米の看板で『キララ397』。
もう一つが出てこない。

え~っと何だっけ・・・。とら母もど忘れ。


あっ!!
発見しました、『道民雑誌クオリティ』でした。
北海道ツーなら分かる話。北海道に来たことのない人は、北海道に来たときに探してみてください。









千歳を抜け札幌に入るころには少し気温が上がって28℃くらいになっていた。
やっぱり街は暑いみたい。


車内の心地よい睡魔と違い、私は激しい睡魔と戦いながら運転している。

限界に来たのでどこかでひと眠りしたくて、札幌の西のはずれにある大きな公園『前田森林公園』に立ち寄った。

とら母に友和子と寅次郎を預けて車内で仮眠するつもりが、娘が『おとうさんも、いこお~』と言っている。

ブログを書くのに夜更かしして、それで仮眠。
この旅の目的を考えたら寝てたらダメだなあとふと思った。





ここには以前駐車場まで来たことがある程度で中がどうなっているのか知らない。
とら母に聞くと小川が流れていると言っていた。






とら母の前情報はあてにならない。
小川ではなく、大きな水池があった。








広い敷地。







向こうの方まで続く水池。








ちょっと歩いてみた。








気温が上がって蒸し暑い。








森林公園と言うほど森林ではなくて緑の多い公園と言った感じ。








眠くても来て良かった気がした。








小樽まであと30キロほど。

見慣れた景色を走る。
ようやく小樽の観光名所に近づく。
人はそんなに多いようには見えない。止まらずにそのまま通り過ぎた。






夕方4時半くらいにばあちゃんの住む団地にたどり着いた。
ここにはばあちゃんと、面倒を見てくれているとら母の叔父さんが住んでいる。






夜、叔父さんがジンギスカンの用意をしてくれていた。
とら母が準備してくれている間、寝てしまった。

ばあちゃんは今年で90歳。膝が悪いので歩くのが大変だけど体は元気。ただちょっとぼけてきている。






記憶が曖昧で私のことだけでなく、とら母のこともよく分かっていない。
説明してもすぐに分からなくなって同じ質問を繰り返す。

私の亡くなったおふくろもそうだったので、驚く事も少なかったけど、身内にしたら悲しくなる
と思う。

人が何も知らないまま生まれてきて言葉を覚え一人で生活ができるようになる。
年月が流れ、やがて一人でできなくなって、何も分からなくなり何もできない昔に戻る。

正常な人の人生の進化。
途中で病気や怪我をしてその流れに乗れない人から比べるといいようにも思える。
でもやっぱり身内には辛いこと。
何より大変なのは一緒に暮らす人。ストレスは相当なもの。

おじさん、ばあちゃんのことお願いします。私が北海道に来て一番お世話になった人だから。






叔父さんが気を利かせてジュースを買っておいてくれた。






寅次郎は疲れて熟睡。

お疲れ様、寅次郎。




ではまた