オクテック ガレージ ブログ OKU-TEC garage

大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

娘と電車でちょっとお出掛け 向日町 公園巡り 後編

2016-09-27 01:40:51 | 日記(家族)
娘と電車でちょっとお出掛け 向日町 公園巡り 前編 の続きになります。



小さい時に自転車が好きで、雑誌で知った自転車屋さんに行きたくて一人で何度も通った思い出のある土地なので、下車してみました。







駅前にゆるキャラ像発見。








「からっキー」
向日町のキャラクターかと思ったら商店街の激辛キャラでした。








ガラス越しに手作りっぽい動物が列んでいました。
どうやら竹屋さんで竹籤で作ってあるみたい。









公園を散策することにしました。

Googleで「近くの公園」と音声入力すると一覧で表示してくれます。
便利になりました。

沢山あるので近いところを適当に選んで歩くのですが、どんな街でも知らない土地を歩くのはちょっぴり楽しかったりします。








駅から300メートルほどの所あった一つ目の公園。

「深田川橋公園」








小山になった滑り台とブランコがあるくらいの小さな公園。



















小学生の数人遊んでいました。
「シーソーが無い」娘が言ったその言葉をたまたま聞いたその小学生たちが、
「ここにはシーソーないなあ」
「シーソーやったら、あの公園にあったなあ」
「あんないしたろか」と、相談し始めました。


「近くにある?」そう言うとその子達が案内してくれるというのです。









付いていくことにしました。







5分くらいでしょうか。少し歩くとシーソーのある公園に辿り付きました。
「修理式ふれあい公園」とありました。


一緒にシーソーに乗ってくれる子供達。









小さな娘に気遣って「そっとしろや」と優しく乗ってくれました。








みんなで楽しそうでした。










「ブランコが無い」
娘が言ったその言葉を聞いた子供達は今度はブランコとシーソーのある公園はどこにあるかと相談し始めました。


また連れて行ってくれることになりました。

一緒に歩いてくれる子の手を握りしめて一緒に歩いていきました。
娘はあまり人見知りしない方です。男の子の方が少し照れていました。








「歩いてどれくらい?」
「5分くらいかなあ」

土地勘もないのでどれくらい離れているかも全く分かりません。





「俺、いっぺん家帰ってから行くわ」

「あの公園やんなあ」

一緒に行く子と用事を済ませてから来てくれる子。

子供らのそんな話し声が町に響いていました。











「寺田東公園」









「あっちの公園やったらブランコと滑り台両方あるで」
いろいろ連れてきてくれてるのに、それでもまだブランコと滑り台が一緒にある公園をまだ探してくれていました。







「蔵ノ町公園」
ガード下の小さな公園。









子供達は靴とばしに夢中になっていました。









午後3時。
娘はまだまだ遊びたそうでしたが、そろそろ帰らないと。
子供達が帰るというので、それに合わせて公園を出ることにしました。

さて今どこに居るのかよくわかりません。
幸いすぐ近くに複々線くらいある線路があったのでJRだとわかりました。









線路の先に向日町駅が見えました。
線路沿いを歩いていると小さな公園がありました。
「JR駅前 ふれあい広場」







遊具もなにもなく、水たまりも干上がってただ形あるだけといった感じ。
風に吹かれてデザイン風車がゆっくり回っていました。







向日町駅。
二人で「パピコ」を半分ずつ。

半分半分が何かいいと思ったりします。









帰りもまた先頭車両。









水無瀬駅あたりで私鉄の阪急電車と併走します。
ちょうど茶色の電車が向こうの方に走っているのが見えました。
横に並ぶと負けるな追い越せとつい思ってしまうのは子供の頃から変わらず。








駅について帰っているととら母と寅次郎が途中まで迎えに来てくれました。








昔なら寅次郎も駅まで平気でしたが、今は無理しないように途中まで。
私の姿を見るとそれでも嬉しそうにしてくれます。
帰りは寅次郎と二人でトボトボ帰ります。








帰ると疲れたのかバタンキュー。






結局、向日町駅前をグルッと回った公園巡りでした。

向日町5公園制覇。
子供も楽しかったようですが、自分も楽しませてもらった気がします。

また次回、違う町を歩いてみようと思います。


いつもながらの長いブログにお付き合い下さりありがとうございました。

ではまた。


娘と電車でちょっとお出掛け 向日町 公園巡り 前編

2016-09-24 02:54:10 | 日記(家族)
線路沿いを散歩したり駅前のスーパーに行く度に「お父さんと電車に乗りたい」と娘からせがまれていました。

犬が電車に乗れないので必然的に電車に乗る事が少なくて、娘と電車に乗ったのは二年ほど前のワンワンワンダーランドに行ったのが最初で最後。
とら母(嫁)とはお出かけの時に何度か乗ったことがあってか自分と乗りたいみたいでした。

けな気に行きたそうにしてるのを見てちょこっとだけ、二人で出掛けることにしました。

「次の土曜日に電車に乗ろうね」そう言うと嬉しそうな顔で「やったー、やったー」と喜んでいました。

それから毎日毎日、電車に乗る話をとら母にしてました。
よっぽど嬉しかったんだと思います。




当日、「もう準備できた~?」と何度も聞いてくる娘。
ワクワク感があふれそうでした。

水筒を持ってあげようかと言っても「自分で持つ」と自分なりに何か思いがあるようでした。









とら母と寅次郎が途中までお見送り。ありがとうね。
寅次郎が一緒じゃないのが心苦しい。








線路沿いの道。
貨物の操車場もあるのでいろんな電車がひっきりなしに通ります。

「EF66」
小学生の頃に見た記憶があるので、結構古い機関車。
近くで見るとでかくて異様な雰囲気がします。








JRの駅まで来たは良いけど、さあどこに行こうか。行くあてが無いのも難しいです。

大阪まで出て梅田のおもちゃ屋でも行ってみようかなんて考えましたが何か違う気がして、それなら京都や嵐山に行って散歩する方が良さそうに
思えたりしました。







改札を抜け上りと下りのホームのどちらかにするか決めないといけません。

「どっちがいい」娘に聞いてみました。

「こっち」

指差したのは「下り」大阪方面行きのホームへ続く階段でした。
分かって言っているのか分かりません。
ひょっとしてとら母と来たことがあって覚えていたからかも知れませんが、とにかく来た電車に乗ることにした。



前にお父さんに連れられ男の子がいました。
同じようにお父さんと電車でお出かけなんだと思って見ていたら、自分も少しは人並みの親になれたんじゃないかと思ってちょっと嬉しくなりました。








自分が小さかった時のことを思い出して先頭車両に連れて行ってあげました。
いくつになっても先頭から見る景色は他と違って見える気がします。









乗った電車が会社方面へ向かう電車だったので、気持ち的に嫌で大阪駅で一旦降りることにしました。
さてこの先どうしようかとまた悩みました。

娘が乗りたいと指さす列車は散歩の時に見かける特急列車ばかり。さすがにそれは無理。
意味は分からないけど促されて乗ったのが上り高槻行きの各駅停車でした。

8駅ほどしか先に行かない中途半端な列車でしたが、まあそれもありかと思って乗り込んでみました。



次の事を考えてた矢先に、次の新大阪で開いた扉の先にあった立ち食いそば屋を見て「ツルツル食べたい」言い出しました。

と言うことで急遽下車。







メニューを見るとどれも美味しそうに見えます。
娘はお気に入りのざるそば、私はベーシックにきつねうどんを注文。

立ち食いそばなのであっと言う間に出来上がりました。

さあ食べようと思った時に気付きました。

「立ち食い」だったんだと。










娘はカウンターに届きません。
台でも有れば良いですが駅の立ち食いそば屋にそんなものはありません。

平静を装いつつも心の中ではアタフタしていました。

結局、しゃがんで食べさせて、立ち上がって自分が食べて。そんでもってまたしゃがんで食べさせて。

店のお姉さんが笑って見てました。










次に来たのが新快速列車でした。
各停の横座りシートと違ってちょっと旅行気分。










どこまで行こうかと考えましたが、自分が小学6年生か中学一年生の頃に自転車が好きで雑誌に載っていた自転車屋を訪ねて何度か足を運んだ向日町に
降りてみることにしました。








サイクルスポーツという自転車の雑誌に載っていた「イワイサイクル」というお店でした。

今お店のHPを立派な店構えになっていましたが、当時はもっと商店といった感じで、店舗の隣の作業場で店の主人がフレームを製作していました。


当時はお金もなくて遠くなるけど電車賃が安い私鉄(阪急電車)で来て、この向日町駅を通り過ぎて2キロほどある道を一人トボトボ歩いて通ったのが
懐かしく思い出されました。









どことなく古めかしいホームの連絡通路。
ノスタルジックな感じがしてとてもよかったです。















少し長くなりそうなので続きはまた。
いつもながらですが長くてすみません。

娘と電車でちょっとお出掛け 向日町 公園巡り 後編はコチラです。


娘が4歳になりました。

2016-09-16 02:50:24 | 日記(家族)
先月のこと。
早いもので娘が4才になりました。
産まれたときはひやりとさせられましたが、その後は大した病気もせずにいてくれています。








寅次郎がいるおかげで毎日公園で遊ぶことが日課です。
ブランコがお気に入りで毎回ここで足止めを食らいます。それも止む無しです。









まだまだ会話が成り立たないときがあって、少し遅れていると思うことがありますが、そんなのもそのうち忘れてしまうような成長のひとつなんだろうなと
思って見ています。








夜はとら母がつくったケーキをみんなで食べました。
「宇宙の胃袋」を持つとら母の子だけあって、最近は「食べ物をせがまないのは食べている時だけ」になってしまいました。








プレゼントを何にしようかと悩みました。
考えすぎるとしんどくなる方なので普段の姿を思い出して二つ買いました。








3歳の誕生日の時はプレゼントをあげても、そうリアクションはなかったような気がしますが、今年はすごくはしゃいでいました。
それも成長の一つなんでしょうか。








女の子ですが、どこにいってもプラレールがあるといつまでも遊んでいるのでそれにしました。








自分も小さいころ、セットとか買ってもらえなかったですが半端なレールと電車が二・三台あって、遊んだのを覚えています。

ちゃんとループができるレールセットが買えるように私もなりました。








うれしそうな娘の横で、私はスイッチを入れるときに電車を押さえているせいで車輪が回らず、モーターに負荷が掛かっているのが気になって仕方が
ありませんでした。









それとスイッチが何気(なにげ)に二段になっているのに気付きました。
スイッチを少し入れるとモーターだけが回転して、入り切るとギアが入って動き出します。
モーターと車輪が直結だと押して遊べないのでミッションが入っているんですね。








もう一つのプレゼントはキックボードです。
近所の少し年上の“お姉ちゃん友達”が持っていて遊びたさそうにしていたと、とら母が言っていたのでこれにしました。








でも、公園に行くとやっぱりブランコで遊びます。
楽しいのは「そのもの」があるからではなく、それで遊んでいるのが楽しそうだからなんだと思います。

娘が一人でキックボードをしても楽しいのは一時だけ。
友達が一緒にしたり、私たちが一緒にしてはじめて面白いんだと思います。

ということで、私たちもしなければなりません。オークションで安いの探します。







千葉に住む、とら母の両親からもプレゼントが届きました。
偶然にもプラレールでした。

ドクターイエローは何故か電池が単2でした。きっとモーターも少し大きいんだと思います。
さすがに速いです。(新幹線だからか?)








地元の私鉄「阪急電車」も入っていました。








子供の笑顔はやっぱり癒されます。






バカ親のたわいもない日記、失礼いたしました。




そろそろ台所のリフォーム まずは不用品の整理 非鉄金属のスクラップ廃棄

2016-09-06 04:06:36 | 自宅の整理
台所をリフォームしようとショールームの展示品だったシステムキッチンを買ったのがもうずいぶんも前のこと。

なかなか手付かずだったけど、そろそろ始めないと墓場まで持って行くことになりそうなのでぼちぼちリスタート。

居住している部屋を台所に変身させるため、家財道具を移動させないと始まらない。

移動させるには移動先を確保しないとこれまた始まらない。


ということで不用品を処分となるわけです。

不燃物として廃棄するものはずいぶん減って、残るは有価物。

ためていたスクラップをまとめて処分しに行くことにしました。


今回が三回目のスクラップ持ち込み。
以前、処分したのがコチラ(14年2月15日)とコチラ(14年2月25日)でした。

あれから少し調べたところ分別をすると高値で引き取ってくれるところがあると知ったので少し遠いですが今回はそちらに持っていくことにしました。



まずは処分品。

親父が昔、学校やホールの放送を手掛けていて、いまほど製品もなく、既製品ではまかなえなかった頃だったので、自らアンプを作って納めたりしていた。
それ用の電源トランスやマッチングトランスが箱いっぱい。










一次側が200Vで二次側が100Vのトランス。

右側ので容量が2KVA。
容量と重さからして工事現場で電源がないときに動力(三相200V)を100Vに落してつかうダウントランスに入っている安価な単巻トランスと違って
これはたぶん複巻トランスだと思います。
オーディオマニアが電源まで凝りだすと、電源を200Vからダウントランスで落して使うらしいですが、そんなときにはこんなのがいいように思えます。









モーター
左側がたぶん3馬力。重いです。

自分も分かる気がしますが、今ほど簡単に物が手に入らない時代に 「何かに・・・」とか 「あれをするときに・・・・」
なんて考えて取っておいたんだと思います。







でも人間、年を取ると能力がガタンと落ちます。
いろんな妄想や構想を抱いていいのは45歳まで(と勝手に思っています)。

そこから先は残った体力で身辺整理するフェーズです。

そのことに気づかなければ残された人間が負の遺産を継ぐという悲しいことになります。


50歳を過ぎたら整理整頓。






不要なパソコン。

使わなくなった古いパソコンなんて何も考えずに捨てる人も多いと思います。
昔は不燃ゴミで捨てれてたのも今は 「 小型家電リサイクル法 」とかいう法律があって自治体では引き取ってくれません。
無料で引き取ってくれるところもありますが送料は必要。

マザーボード、CPU、メモリー、電源、放熱器。分別すればキロ何円で買い取ってくれます。
地味な作業ですが老後の蓄えのために努力します。

ちなみに例えばPentiumなどのCPUは3000 円/Kgだったりします。(調査当時のある業者の持ち込み価格)










タイヤの処分が面倒だったのですがタイヤ付きでもアルミホイールなら値段が付くのはありがたく思えました。
加工後にのこった材料やスキーのストック。テレビアンテナのエレメント。
地道に分別したアルミ。
使わなくなったバイクのフレーム。









詰めるだけ積みました。
たぶん300Kgくらいになったと思います。








一人で行くつもりでしたが娘もつれていくことにしました。
軽トラにチャイルドシートがあまりに似合っていない。







楽しいところに連れてってあげるのでは無いですが、家においていくよりも良いかと。

娘との初めての二人っきりのドライブデート。
軽トラでスクラップ屋さんまでが味気なくてごめんなさい。








まだまだいろいろ話すってまではいかなくて、会話もさほどないまま小一時間ほどで到着。
途中で眠ってしまっていました。







枚方にあるスクラップ業者。
最近どこに行っても思う事が、それまでのスクラップ業者ってガラの悪い人ばかりが居るような印象でしたが、どこの業者もみな丁寧です。






買い取り値は全部で4万円ほどになりました。
次の工作機械の資金にするか、老後の蓄えにします。

付き合わせた娘に帰りがけにコンビニに寄ってお気に入りのリンゴジュースとアンパンマングミを買ってやりました。







昔は自分のパーツが増えるのが楽しく思えましたが、今はガレージや家の中から不要なものが出て行くことが楽しくてスッキリすると快感にさえ
思えてしまいます。

ということで、自宅の整理の話でした。
ではまた。




TIG溶接機用ラックの製作 その4 フォルツァMF10のホイールで作るケーブルハンガーと溶接の守護神になったミニオン

2016-09-01 04:39:02 | TIG溶接機用ラックの製作
TIG溶接機用ラックの製作 その4になります。(その3はコチラ

前回は溶接機をガレージ内で移動できるように電気工事をして、ラックの補助部品としてホンダの250ccのスクーター「フォルツァ」のホイールを
使ってトーチケーブルのハンガーを作ろうと言うところまで話を書きました。
今回はその続きになります。


フォルツァの中でもMF10と言う形式の車両のホイール。細身でエッジの利いた6本ホイールがかっこよく思えます。







っと、こんな事をしていたら、ご近所の工作友達のkagayakiさんが自作CNCフライスでエンブレムを作ってくれました。








全体を白く塗って







そのままペーパーで磨いてやると・・・・かっちょええ“ OKU-TEC garage ”のエンブレムになりました。
ラックが完成したら貼りたいと思います。










さてホイールですが、このままだと大きすて野暮ったさそうなので、半分にカットして2個使えるようにします。
厚味も同様に必要最小限になるようハブの部分も旋盤で切り詰めることにしました。

旋盤への取付ですが、ちゃんとした円筒部が無いのでガッチリとチャックができません。
甘いとチャックが外れて危険なので怖いです。
治具を作ればいいのですがケーブルハンガーとして使うだけなので、気をつけて無理しない程度にちょっとだけ無理します。

時折チャックの状態を確認しながら突っ切って行きます。
でもちょっとビビリながらやってます。









面取りしてこちら側は完了。










ブレーキローターが付く側も切り詰めますが、こちらは深みがあって怖いです。










刃物台をホイールにできるだけ近づけて、突っ切りのブレードもできるだけ出して。
ああ怖い。


「適当なチャックですが、適当にチャックはいけません。」 言葉おかしいですか?









チャックが緩んだら
高価な突っ切りのブレードか割れて・・・・
破片が飛んできたら・・・・・

懐ろにも体にもよく無いのでチョットヒヤヒヤしました。










無事、突っ切れました。








端面を仕上げてホッ。








ローターの取付ネジをラックの取付ネジとして使うのでタップを今一度深く切ります。









半分に使うので割り振りを考えて、コンターマシンで切断します。








ややこしそうに思えましたが、以外とすんなり切れてくれました。
コンターマシン(バンドソー)は鋸刃が比較的ゆっくりと一定方向に回転して切って行くので怖さがなくて良いです。










切断部をベルトグラインダーで整えて完成~。
ケーブルハンガーが2個できました。






30角のアルミフレームにザグリを入れたら丁度良い感じ。






ピカピカにするほど気力がなかったので、見た目が良くなる程度に磨こうとしましたが塗装を磨いてもだめ。
そのまま強引に地肌までサンダーで磨いていこうとしましたが、これがまた思いの外、厚くて丈夫な塗膜。
さすが純正ってな感じでした。

結局剥離剤で塗膜を剥いでちょっとだけ磨いておきました。
凝る人ならミラーフィニッシュにするんでしょうが、この先があるので諦めました。

ラックに仮付けしたらちょっとテンション上がりました。









そんなことしていたらkagayakiさんが今度はアクリル板を削ってまたエンブレムを作ってきてくれました。

アクセントとしてブラケット(アルミフレームの組み立てに使う金具)を黄色く塗ったらミニオンズに見えたと書いたら、ミニオンが入ったエンブレムになっていました。
なかなか、シャレの利く人です。








アクリル板で作ったエンブレムは直貼りよりも照明で照らした方が良いように思えたので手軽にできないかと悩むこと数日。

ネットで見つけたUSBメモリータイプのLEDランプに百均で買ったUSB電源と延長ケーブル。これで照明を作りました。







ラックに付けたブレーカーから取ります。
直接給電させるのでビビリな私は念のためにとヒューズを噛ませようとしましたが、意外と手間だけ掛かりました。








漏電ブレーカーは信頼の三菱電機製。
ボックスは少しでもオシャレにと透明アクリルのフタのやつにして、その中にエンブレムを入れてみました。
ブレーカーの一次側から給電しているので分電盤のブレーカーを入れるとインジケーター代わりに青く光ります。








手元でアルゴン流量を調節できるようにマスフローコントローラー(MFC)の制御ユニットを取り付けました。







これがMFC。
この中に流量制御用のバルブが入っていて自在に流量制御をしてくれます。
N2(窒素)用のMFCですが、ほぼ読み値で使えます。









片割れのホイールは側面に取り付けてアースケーブルを掛けるようにしました。









これで完成かと思っていたある日のこと、用事で行った姉の家にあった“黄色い”物体。
姪っ子がUSJで買ったポップコーンの入れ物でした。

「 要る?」ってきかれたのでありがたくもらってきてその日のうちに落下しないようにプレート作って取り付けました。

ミニオンとミニオンになれるメガネです。








メガネを掛けると誰でもミニオンです。








ということで、溶接の守護神はミニオンになりました。
久しぶりに溶接機を立ち上げましたが、何事も無かったようにアークが立って一安心。

オッサンのするサンデー工作なので時間が掛かりましたがようやく完成です。







追伸
芋大好き寅次郎と39℃の熱出してる娘。






長らくお付き合い下さりありがとうございました。

ではまた。