「東海道を歩く 京都三条~大津編」その2になります。(その1はコチラ)
13時半。
蹴上インクラインを後にし緩やかな上り坂を上っていく。
ここまでの京都の街並みの雰囲気と全く変わって緑が多く道沿いにはあまり民家がありません。
三条通りと呼ばれるこの道も以前は路面電車が走っていたそうです。
この上り坂は日ノ岡峠と呼ばれ、三条大橋から見て旧東海道最初の難所だったそうですが、歩いてみてもさほど急こう配でもなく、私たちでさえ苦も無く
15分ほどで越えれる峠でした。
峠を越えた辺りで、とら母(嫁)が何かを探していました。
後でネットを見て分かったことですが、丁度この場所に京阪電鉄京津線の九条山駅(リンク先:乗り物BOX)がありました。
さらに調べると、とら母が立つこの階段は今は閉鎖されて上がっていけないですが、その先には廃墟となった「レジャープール アクアパーク東山」が
あったということで、それを紹介しているサイトを見つけました。
写真の転載可とありましたので載せさせていただきます。
転載元:蹴上の廃墟「アクアパーク東山」と「全和鳳美術館」 https://syasin.biz/urbex/aquapark/ 提供:古都コトきょーと https://syasin.biz/
(こちらのサイトは今は更新を停止されていていますが、内容が詳細だけでなく写真がなにより美しく見ごたえがあります。ぜひ一度見てみてください。
古都きょーと様、写真の転載許可に感謝します)
グーグルマップのストリートビューで見ると朽ちたウォータースライダーが残っているのが確認できました。
今はGoogleマップのストリートビューでその場所を自宅に居ながらにして見直すことができたり、ネットにある当時の写真と見比べて
当時の状況をよりリアルに感じることができるので、歩き旅の面白みも増す気がします。
で、とら母が探していたのはこの辺りに処刑場だったからで「粟田口処刑場跡」の案内看板を見つけました。
看板によると難所だった日ノ岡峠も交通の要所だったため幾度も掘り下げられ、掘り返した土を麓に敷き、また新たな道に付け替えし
今のなだらかな峠になったと書かれてありました。
さらにこの処刑場では磔(はりつけ)、獄門、火刑が行われていたと書かれてありました。
供養塔の数から処刑された人の数は15,000人ともいわれてるそうです。
ここを訪れた人のブログには"山崎の合戦に敗れ逃走中に農民に殺された明智光秀の首も粟田口刑場に晒された"ともありました。
明治になって急坂自体をなだらかにする工事が京都府により行われたそうで、それを記す「修路碑」がひっそりとありました。
建立は明治10年。
ちなみに上記看板は漢字ばかりでなんて書いてあったか分からなかったのですがネットで調べると大意は次のように書かれてありました。
日岡峠修路碑 碑文の大意
「京都三条大橋から近江国との界に至る東海道は険しい坂道が続き,中でも日岡峠はその最たるものであった。
しかし京都大津間の車馬や旅行者はこの峠を通るほかはなく,人々は難路に苦しんでいた。
よって改修工事を明治8年に起し、ここに完成したのである。
1里19町51間(約6km)のあいだ,高低が平均するようにし,最高地点では1丈1尺(3m強)も低くした。
この工事により通行する者が苦難を免れることができることを期待する。」
かつて難所と言われた日ノ岡峠を私たちが苦も無く登って来れたのは、先人たちの長い年月をかけた街道整備への努力の賜物だっというわけでした。
刑場跡から少し進むと歩道が少し広がった所があって米俵を積んだ台車が置いてありました。
「九条山 車石広場」
"車石"と聞いて思いつくのが北海道の花咲にある奇岩の「根室車石」。
この"車石"は車輪のような球状な「(根室)車石」のことではなく道路に敷く岩の事でした。
険しい峠道で雨が降ると道がぬかるんで通行するのも困難だったため、"くぼみを付けた岩"を二列、道に敷き並べ、牛車の行き来を助けたそうです。
レールの逆バージョンのようなこの溝(轍:わだち)もその後の更なる掘り下げでなくなったため、ここに展示したとありました。
10分ほどお菓子を食べたりして少し休憩したあと、14時過ぎにまた歩き出しました。
ここからは三条通りを逸れた道が旧東海道でした。
旧東海道であったことを説明する看板がありました。
グーグルマップのストリートビューで見てみるとこの案内看板は見当たらず、撮影日が"8月2019年"となっていたので最近になって設置されたみたいです。
道に「旧東海道」がちゃんと表示されてあります。
案内看板の向かいには古い家があり、「150 years house」の看板がありました。
「栄花山荘」 古民家を改修したシェアハウス兼イベントスペースだそうです。
三条通りと違って道幅が非常に狭いです。
緩やかな下り坂が続く道。
峠を下った先に見えるのが山科区です。
旧東海道といっても新しい家も多く、あまり街道だった面影を感じませんでした。
峠を下ってきて山科区に入ると平野になって住宅が立ち並ぶ景色に一変します。
遊歩道のような道なりの公園があり、猫がいっぱいいました。
後で知ったことですが、この公園は旧京阪電鉄京津線だったところだそうです。
「陵ヶ岡みどりの径」と言う名の公園。
大した遊具もないですが、それでも娘はやっぱり一通り遊びたいみたいです。
公園を進むと大通りに出ました。元歩いて来た三条通りでした。
15時過ぎ。
小腹が空いたので休憩がてらコンビニに入りました。
娘はアイス。
私たちはコンビニコーヒーと豚まん。
そういえば潰瘍性大腸炎になってコーヒーも控えてきましたが最近は普通に飲むようになりました。
結構飲みますが今のところ順調(順腸)です。
セブンイレブンのコーヒー&豚まん美味し!!
コンビニから電車が通るのが見えました。JRの湖西線と琵琶湖線になります。大津から琵琶湖を右回りに回る線路と左回りにまわる線路に分かれます。
蹴上インクラインを出たのが13時半で今は15時15分。
三条大橋からは5.6キロで蹴上インクラインからは2.5キロの地点になり、ようやく半分来たくらいです。
長くなったので続きはまた書きます。
ではまた