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大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

歩き旅 東海道を歩いてみた 京都三条~大津編 その2 粟田口峠、日ノ岡峠から山科区御陵まで

2021-02-15 03:54:51 | 歩き旅

「東海道を歩く 京都三条~大津編」その2になります。(その1はコチラ

 

13時半。

蹴上インクラインを後にし緩やかな上り坂を上っていく。

ここまでの京都の街並みの雰囲気と全く変わって緑が多く道沿いにはあまり民家がありません。

三条通りと呼ばれるこの道も以前は路面電車が走っていたそうです。

 

 

 

この上り坂は日ノ岡峠と呼ばれ、三条大橋から見て旧東海道最初の難所だったそうですが、歩いてみてもさほど急こう配でもなく、私たちでさえ苦も無く

15分ほどで越えれる峠でした。

 

 

 

峠を越えた辺りで、とら母(嫁)が何かを探していました。

後でネットを見て分かったことですが、丁度この場所に京阪電鉄京津線の九条山駅(リンク先:乗り物BOX)がありました。

 

 

 

さらに調べると、とら母が立つこの階段は今は閉鎖されて上がっていけないですが、その先には廃墟となった「レジャープール アクアパーク東山」が

あったということで、それを紹介しているサイトを見つけました。

写真の転載可とありましたので載せさせていただきます。

転載元:蹴上の廃墟「アクアパーク東山」と「全和鳳美術館」 https://syasin.biz/urbex/aquapark/ 提供:古都コトきょーと https://syasin.biz/ 

(こちらのサイトは今は更新を停止されていていますが、内容が詳細だけでなく写真がなにより美しく見ごたえがあります。ぜひ一度見てみてください。

古都きょーと様、写真の転載許可に感謝します)

 

 

グーグルマップのストリートビューで見ると朽ちたウォータースライダーが残っているのが確認できました。

今はGoogleマップのストリートビューでその場所を自宅に居ながらにして見直すことができたり、ネットにある当時の写真と見比べて

当時の状況をよりリアルに感じることができるので、歩き旅の面白みも増す気がします。

 

 

 

で、とら母が探していたのはこの辺りに処刑場だったからで「粟田口処刑場跡」の案内看板を見つけました。

看板によると難所だった日ノ岡峠も交通の要所だったため幾度も掘り下げられ、掘り返した土を麓に敷き、また新たな道に付け替えし

今のなだらかな峠になったと書かれてありました。

さらにこの処刑場では磔(はりつけ)、獄門、火刑が行われていたと書かれてありました。

供養塔の数から処刑された人の数は15,000人ともいわれてるそうです。

ここを訪れた人のブログには"山崎の合戦に敗れ逃走中に農民に殺された明智光秀の首も粟田口刑場に晒された"ともありました。

 

 

 

 

明治になって急坂自体をなだらかにする工事が京都府により行われたそうで、それを記す「修路碑」がひっそりとありました。

建立は明治10年。

 

 

ちなみに上記看板は漢字ばかりでなんて書いてあったか分からなかったのですがネットで調べると大意は次のように書かれてありました。

日岡峠修路碑 碑文の大意

「京都三条大橋から近江国との界に至る東海道は険しい坂道が続き,中でも日岡峠はその最たるものであった。

しかし京都大津間の車馬や旅行者はこの峠を通るほかはなく,人々は難路に苦しんでいた。

よって改修工事を明治8年に起し、ここに完成したのである。

1里19町51間(約6km)のあいだ,高低が平均するようにし,最高地点では1丈1尺(3m強)も低くした。

この工事により通行する者が苦難を免れることができることを期待する。」

 

かつて難所と言われた日ノ岡峠を私たちが苦も無く登って来れたのは、先人たちの長い年月をかけた街道整備への努力の賜物だっというわけでした。

 

 

刑場跡から少し進むと歩道が少し広がった所があって米俵を積んだ台車が置いてありました。

「九条山 車石広場」

 

 

 

 

"車石"と聞いて思いつくのが北海道の花咲にある奇岩の「根室車石」。

この"車石"は車輪のような球状な「(根室)車石」のことではなく道路に敷く岩の事でした。

険しい峠道で雨が降ると道がぬかるんで通行するのも困難だったため、"くぼみを付けた岩"を二列、道に敷き並べ、牛車の行き来を助けたそうです。

 

 

 

 

レールの逆バージョンのようなこの溝(轍:わだち)もその後の更なる掘り下げでなくなったため、ここに展示したとありました。

 

 

 

 

10分ほどお菓子を食べたりして少し休憩したあと、14時過ぎにまた歩き出しました。

ここからは三条通りを逸れた道が旧東海道でした。

 

 

 

旧東海道であったことを説明する看板がありました。

 

 

 

 

 

 

グーグルマップのストリートビューで見てみるとこの案内看板は見当たらず、撮影日が"8月2019年"となっていたので最近になって設置されたみたいです。

道に「旧東海道」がちゃんと表示されてあります。

 

 

 

案内看板の向かいには古い家があり、「150 years house」の看板がありました。

「栄花山荘」 古民家を改修したシェアハウス兼イベントスペースだそうです。

 

 

三条通りと違って道幅が非常に狭いです。

 

 

 

緩やかな下り坂が続く道。

峠を下った先に見えるのが山科区です。

旧東海道といっても新しい家も多く、あまり街道だった面影を感じませんでした。

 

 

 

 

 

峠を下ってきて山科区に入ると平野になって住宅が立ち並ぶ景色に一変します。

遊歩道のような道なりの公園があり、猫がいっぱいいました。

 

 

 

 

後で知ったことですが、この公園は旧京阪電鉄京津線だったところだそうです。

「陵ヶ岡みどりの径」と言う名の公園。

 

 

 

大した遊具もないですが、それでも娘はやっぱり一通り遊びたいみたいです。

 

 

 

公園を進むと大通りに出ました。元歩いて来た三条通りでした。

15時過ぎ。

小腹が空いたので休憩がてらコンビニに入りました。

娘はアイス。

 

 

 

 

私たちはコンビニコーヒーと豚まん。

そういえば潰瘍性大腸炎になってコーヒーも控えてきましたが最近は普通に飲むようになりました。

結構飲みますが今のところ順調(順腸)です。

セブンイレブンのコーヒー&豚まん美味し!!

 

 

 

 

コンビニから電車が通るのが見えました。JRの湖西線と琵琶湖線になります。大津から琵琶湖を右回りに回る線路と左回りにまわる線路に分かれます。

 

 

 

 

 

蹴上インクラインを出たのが13時半で今は15時15分。

三条大橋からは5.6キロで蹴上インクラインからは2.5キロの地点になり、ようやく半分来たくらいです。

 

長くなったので続きはまた書きます。

ではまた

 

 

 


歩き旅 東海道を歩いてみた 京都三条~大津編 その1 三条大橋から蹴上インクラインまで 

2021-02-14 03:55:33 | 歩き旅

少し前の話になりますが今年の正月休みに歩いた話を記念と記録のために書き残こすことにしました。よろしくお付き合いください。

 

 

 

前回歩いたのが昨年の11月の事。京都山崎駅を出発して西国街道を通るルートを自宅までの20キロを歩いて帰ってきました。

それからしばらくして正月休みに入り、とら母(嫁)とまた歩こうかという話になりました。

で、コースをどこにするかになったわけですが、これを決めるのって意外と難しく、なかなかルートが見つかりません

まずは距離。

前回実際に歩いたのが22キロで、さすがに20キロ超えは長すぎました。なので今回は欲張らず15キロくらいにすることにしました。

 

次にコースですが、自宅をゴールにしてしまうとルートがどうしても限られ、知った道ばかりになって面白みに欠ける気がしました。

じゃあということで、家に帰ってくるのではなく何処かの駅から何処かの駅までにして、全然知らない土地を歩けるようにしました。

 

 

 

歩き始めの駅については、そこまで行くのに時間が掛かりすぎると歩く時間が減るので、できるだけ効率よく行けれる所ということで、

必然的に東海道線(京都線)になりました。

 

地図と路線図を眺めながら乗り継ぎが少なくて、行ったことがないところ・・・何となく滋賀あたりがいいように思えました。

そのことをとら母に伝えたところ前回の西国街道つながりで「中山道は?」と言ってきました。なにやら草津は中山道だけでなく東海道もあるとのことでした。

 

 

 

中山道に東海道。

どっちもいいけど、どっちの方がいい?

街道のどの部分を歩く?

色んなルートを考えましたが最終的に東海道を端から順番に歩くことにしました。

ということで歩き旅の第三弾は京都三条から大津までの10キロコースを歩くことにしました。

 

 

 

 

1月5日

10時過ぎに家を出発。

阪急電車に乗って11時過ぎに終点河原町に到着。

 

 

 

 

鴨川に架かる四条大橋まではほんの少し。

向こう側に見える橋が三条大橋です。

 

 

 

 

夏になると川沿いのお店が川の上まで店を広げる"納涼床"が有名なところ。

 

 

 

娘はまだ8才。

ハトや雀がいるだけでうれしそうにします。

 

 

 

夜になるとアベックがメジャーで測ったくらい等間隔で座る光景が見れたり、風情ある風景が楽しめるこの川べりも、平安時代から江戸時代までは処刑場。

さらし首の場所だったそうです。

娘に処刑場やさらし首の話をしても意味が理解できず、ネットでさらし首を検索してようやく理解してくれました。

 

 

 

 

江戸を出発して伊勢参りをして京都・大阪まで旅する滑稽本「東海道中膝栗毛」の主人公の弥次さん喜多さんの銅像。

 

 

 

お昼だったので少し腹ごしらえ。

途中何かお店があったら入ろうということでコンビニでおにぎりを買って弥次喜多の像の横で頂きました。

"いくら娘"は毎度のいくら入りのおにぎり。

 

 

 

三条大橋の擬宝珠(ぎぼし:橋の欄干の柱の上の飾り)に刀傷があると看板に書いてあったので探してみました。

池田屋騒動の時に付いた新選組の刀傷だそうです。(中央あたりの黒くなった所)

こんな"歩き"でもしない限り知らなかったことだと思います。きっといろんなところで見過ごしていることがあるんだと思います。

 

 

 

東海道は江戸日本橋を起点にしているので"逆打ち"になるのでしょうか。

12時11分 三条大橋からスタートします。

 

 

 

三条通りの白川橋。

気付かなかったのですがこの橋の袂に「史跡三条白川橋道標」という京都市内の現存最古の道しるべがあったそうです。

 

 

 

この白川をも少し進むとよくドラマの撮影が行われるスポットがあるそうです。

有名な欄干の無い石作りの細い橋「白川一本橋」もその橋の向こう側にあります。

 

 

 

坂本龍馬   妻お龍「結婚式場」跡。

この建物で結婚式を挙げたかのかと思ったのですが、実際は建物は無関係で碑があるだけ。

歴史好きでもなく、にわかウォーカーな私なので碑だけしか残ってないと寂しく思ってしまいました。

余談ですが現建物の前は東山ユースホステルだったそうです。

ユースホステルっていまではあまり聞かないですが自分が子供のころは旅人が泊まる宿と言えばユースでした。

格安で夕食後にミーティングがあってみんなが集って話をしたりゲームをしたり。それが旅の楽しみの一つだった時代でした。

 

ちなみに坂本龍馬とお龍は日本で初めて新婚旅行をした夫婦だそうです。

 

 

 

娘がトイレに行きたいというのでグーグルマップで公園を検索。

コロナの影響でこの界隈のコンビニではトイレの利用ができない状況でした。

東海道を逸れてトイレの公園を目指すと大きな鳥居がありました。

平安神宮の鳥居でした。

 

 

 

鳥居の近くにあった「岡崎公園」。

公園と聞いてはしゃぐ娘。

市電の中は観光・情報発信スポットということでしたがコロナの影響でか閉まってました。

 

 

 

公園と言ってもブランコと小さな子供が乗る遊具が少しあるくらい。

 

 

 

 

それでも一通り遊ばないと気が済まないみたいです。

 

 

 

公園の脇にあった街燈はガス燈?

 

 

 

 

公園を後にし再び東海道に戻って東に進みます。

13時過ぎ。

寄り道してここで約2キロ。

ときおり古い家があって見ていて飽きないです。

 

 

 

 

古いレンガ造りの建物は「関西電力 蹴上発電所」。

関西地方で流れる関電のテレビCMで、佐々木蔵之介さんの"パワーウィズハート"でおなじみらしいですが、日記を書くのに調べるまで知りませんでした。

日本最初の水力発電所らしいです。

 

 

 

 

発電所を過ぎてすぐのところで突然、目の前に軌道跡のようなものが目に留まりました。

 

 

 

 

坂道になっていてよく見えなかったので、進行方向とは違いましたがちょっと進んでみたら線路がありました。

 

 

 

 

線路の幅が異様に広いです。「三十石船と蹴上インクライン」と書かれた看板があったのですが"インクライン"の意味が分からず理解不能。

 

 

 

 

 

"インクライン"(傾斜鉄道)は産業用のケーブルカーということらしいです。(ケーブルカーは旅客営業用の名称だそうです)

昔、京都にとって琵琶湖の水を引くことは夢だったそうで、水路を作って大津から湖水を引いたのが「琵琶湖疏水」(明治23年)。

その疏水を物資の運搬(水運)として利用するのにここは急斜面で船では行き来ができなかったので、船ごと台車にのせて往来させたのが

「蹴上インクライン」ということでした。(明治24年運航開始)

 

 

 

 

スマホでこのQRコードを読み取るとインクラインの風景をVR体験できますので、興味がある人は見てみてください。

(追記 こちらからPCで直接見れるみたいです https://www.biwakososui-vr.com/3dcgvr/jp/vr/incline.html

 

 

 

京都上下水道局のHPから引用した水路の断面図。

この地(図中左端)が急斜面(1/15 高低差約36メートル)なのが分かるかと思います。

京都上下水道局 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/index.html

京都上下水道局 琵琶湖疏水のご紹介 https://www.city.kyoto.lg.jp/suido/page/0000007153.html

疏水について参考資料 疏水百選一覧 http://www.inakajin.or.jp/Portals/0/pdf/sosui/sosui_hyakusen.pdf

 

 

 

"インクライン運転の仕組み"看板から

台車を巻き上げる電動機の出力は35馬力だそうです。興味のある人はじっくり読んでください。

 

 

 

 

頂上付近

あっちが琵琶湖側になります。

 

 

歩いているときは"何のこっちゃ"な感じで理解できなくて、こうやって日記を書いてようやく蹴上インクラインのことが分かりました。

 

 

 

13時30分

出発して1時間半でまだ3キロ。全行程の1/3。

 

つづきはまた。

ではでは。


HID キセノンヘッドライト ガレージ整理

2021-02-02 01:58:53 | ガレージ整理

ガレージで作業する際に工具が入っているツールキャビネットを開けると、使う出番のない工具がたくさん入っていてる。

小さなラジオペンチから大きなモンキーレンチやパイプレンチ、サイズが被った六角レンチやスパナ、メガネレンチが何本も入っている。

ベアリングを打ち込んだり引き抜いたりする工具なんて、かさばる癖にモーターを分解するときくらいしか出番はないし、そもそもそんな機会はめったにない。

かといって無いと作業ができないので使用頻度が少なくても捨てるに捨てれない。

 

ごちゃついていると使いたいときに取りにくいし、片付けるのもやりにくく、何とかしたいとずっと思ってきた。

 

若い間は後先考えずに、「要るか?」と聞かれたら使う予定もないのに貰ってきたり、使えそうと思ったらスクラップからでも貰ってきた。

当時は「あんなことしよう、こんなもの作ろう」って考えるだけで楽しくて、使いもしない工具や機械に囲まれることが幸せだったりした。

 

時間は流れ、実際にそれらを生かせたのは数パーセントにも満たなくて、今はもっとシンプルに小奇麗な工具を必要最低限だけ置いて、

整然としたガレージにしていけたらと思っている。

 

コロナ禍になって在宅勤務が導入され、通勤時間と言うものが無くなって昼休みも家で過ごせる。必然的にガレージにいる時間が増えたので

合間をぬってガレージの整理をすることにしました。

 

とりあえず部品を入れたコンテナケースを棚から下ろしてみたらHIDの部材がいくつか出てきた。

今やヘッドライトと言ったらLEDだけど、HIDがはやり始めたときはその劇的な明るさにはすごく惹かれるものがありました。

バイク用のHIDは余り無く、多くの人は車用を流用・改造して使っていました。

 

 

 

 

HIDをバイクに転用するときに問題となったのはハイ・ローの切り替え。

HIDのランプ(バーナー)はハロゲンランプのように複数の発光部(フィラメント)を持てないために、車ではロービームをHIDにして、

パッシングやハイビームは別のライトにハロゲンランプを入れて別々のライトで使い分けていました。

バイクのヘッドライトと言えば丸目一灯や角目一灯といった具合に真ん中に一灯あるだけなので、初期のころはロー側に光軸が合うように

バーナーに細工をして使っていました。ハイビームが使えませんでしたがそれでもハロゲンよりも明るくてよかったでした。

 

その後バイク用にバーナーが前後にスライドするものが現れてハイ・ロー切り替えれるようになりましたが、故障もそれなりにあったり、

Amazonなんてない時代なのでそもそも高価で買えませんでした。

 

しばらくすると車でも一つのライトでハイ・ローが切り替えれるものが出てきました。

これはヘッドライトの中にソレノイドが付いていて遮蔽板を動かしてハイとローを切り替えるというもので、メーカーが純正採用しているだけあって

信頼性は高いものでした。

ハイとローを切り替えられるものを「バイキセノン」(どっかのメーカーの商標みたい)といい、自分はそれをバイクのヘッドライトに

移植することを考えました。

バイクのライトに収まるようにリフレクターがあまり大きくない車種のものを選んで買いあさりました。

 

 

結局は改造もすることもなく月日が流れ、バイクに乗ることも減ってやがてAmazonでバイク用のLEDが2~3千円で買えるようになってしまいました。

時間が追い越していったというか、時代に乗り遅れたというのでしょうか。

 

さてこのまま捨ててしまうか、だめもとでオークションにでも出してみようか。

そんなことを考えている今日この頃です。

まだ他にも似たようなものがあるので、また出てきたら紹介したいと思います。

 

ではまた