先週の初めの事。
その日は午後からすごく疲労感があった。だるいというよりもつらい的な感じ。
帰宅して悪寒がしたので体温を測ったら少し熱があった。
最初は37度台前半だったのが、夜半には37度台後半になって、翌日には38度台になった。
熱以外は咳も鼻水もなく、あるとすれば少し便がゆるい程度。
コロナの症状で味覚がとか言われるけど食欲もあって不通にご飯は食べれてた。
でもこのご時世なんでコロナだったら嫌だなって思った。
熱が下がらないので解熱剤を飲もうと思ったらロキソニンしかない。
潰瘍性大腸炎なのでロキソニンは飲まない方がいい。
アセトアミノフェンを買ってきてもらって2錠(400mmg)飲んだ・・・けど効かなかった。
熱が下がらないので夕方になって近所のお医者さんに行った。
コロナが流行りだして二回目の病院。
前回はとら母(嫁)だった。
その時もコロナを疑ったけど結局は、腎炎か何かだった。
この病院。駐車場に小屋が建ててあってそこで診てくれる。
病院内には入れないシステム。
自作感がいっぱいの診察小屋。中はビニールシートで医師と患者が分離されてて、丸くあいた穴から診察してくれる。
足元はメッシュが敷き詰められていて地面から少し浮いている。恐らく水で流せられるためにかと思った。先生が一人の小さな病院だけどここの病院もコロナが流行りだしてから
診察が続けられるようにとよく頑張っている。
酸素飽和度を調べてもらって99%と出てお医者さんも少しホッとしていた。
PCR検査はこちらから何も言わず「調べましょう」って感じですぐやってくれた。
ネットでは結果がでるまで2~4時間とあったけど「15分で結果が出ます」と言っていた。
結果は陰性だった。
会計は病院ではなく隣の薬局がやってくれて薬と一緒に陰性証明書ということで判定結果の写真をくれた。
じゃあ原因は?っとなったけど分からず整腸剤と下痢止め、ツムラの葛根湯と柴苓湯、それとアセトアミノフェンの用量の多いものをもらって帰ってきた。
医者もらったアセトアミノフェン500mmgを1錠飲んだけどやっぱり効かなかった。
夜、熱はさらに上がり39度台になって下痢も悪化した。
飲んだらすぐトイレ。
口と肛門をホースでつないだくらいな的なスピード感。
俺の胃や腸はどこ行ってん。
アセトアミノフェンは2錠(1000mmg)までOKということだったので、2錠飲んだ。
汗がたんまり出て37度台まで下がった。
おお~さすが処方薬。量で熱を押し切った~・・・・そう思ったけどすぐに戻った。
戻った? 違うか。発熱した。
ついに40度になった。
下痢と発熱。トイレに座てってるのもつらい。
この頃から「しぶり腹」的な感じがしてきた。
しぶり腹:出しても出しても便意をもよおす症状。
肛門が過緊張? 過敏?になって粘液やホンのわずかな便にもかかわらず、肛門から下痢信号を脳に送る。
「下痢でお腹急降下!!」ってCMのキャッチコピーじゃないけど、急激な下痢の際に肛門がピクピクして危険信号を送るアレが、しぶり腹になると連続送信される。
寝ててもたまったもんじゃない。
トイレに行っても出るのは粘便が一滴とか、時には何も出ないときもある。
絞り出してトイレから帰ってきてもすぐに下痢信号が送られる。
どうせ出ないから行っても仕方がないって思ってても、脳の指令には逆らえずトイレを我慢することができない。
もうトイレから帰ってくる元気もなく途中で死んでた。
潰瘍性大腸炎になって便の日記をつけている。
簡単な内容だけどアプリを入れて、便の状態や量、便潜血、回数を残している。
最初は4~5回/日だったのが徐々に増えてピークは11回/日になった。
ウォシュレットなので最後に軽く水気を取るだけなのに肛門まわりがヒリヒリしてくる。
一人寂しく肛門の周りにオロナインを塗った。
そうそう、オロナインはたっぷり塗るのがミソ。よく効くんよね。
熱はその後、解熱剤を飲まなくても徐々に下がっていってくれた。残されたのは下痢さん。
このころ、コロナよりも潰瘍性大腸炎の"再燃"が頭をよぎるようになった。
潰瘍性大腸炎が悪化した時にこのしぶり腹を経験した。
潰瘍性大腸炎の特効薬といわれる「5-アミノサリチル酸製剤(5-ASA製剤)」にアレルギー反応を示した私は、あと残された薬は少ない。
再燃したらどうしようって思った。
潰瘍性大腸炎になって欠かさないことのもう一つに、毎日ビヒダスヨーグルト(ビフィズス菌入りだから)にオリゴ糖とポン菓子の"こめはぜ"を入れたものを食べてる。
"こめはぜ"は私の特効薬。イソマルトオリゴ糖が含まれてるためか血便がこのお菓子のおかげで止まった。
再燃は考えてもどうしようもないので、ヨーグルトを食べることに努めた。"こめはぜ"もできるだけ食べるようにして量を増やした。
やがて水分を摂っても"お腹急降下"しなくなってきた。
熱が下がってから数えて二日ほどが経ち、便に形が見え始めた。いや形じゃないな、魚釣りの練り餌くらい。
やっと俺の胃と腸が帰ってきてくれた感じ。どこ行っとってん。
発熱から丁度一週間。便も軟便になってきたけど念のため潰瘍性大腸炎の主治医のいる大学病院に行くことにした。
予約外の診察だったのでだいぶ待った。
診察前に血液検査をしてきてくださいというので行ってきた。
結果が出るまで1時間は掛かる。
採血する人(看護師さん)が血管を見て「何かスポーツしてます? いい腕してますね。かっこいいなあ」って言われた。
潰瘍性大腸炎になってもう一つ(もう三つ目か)やってることがある。
この病気になったとき一気に8キロくらい痩せた。
せっかく痩せたので怪我の功名ではないけど体重が戻らないようにしようと思った。
おっさんがデブったら目も当てられんです。
痩せたおかげで8.5くらいあった尿酸値も7以下に落ちて悪玉コレステロールも標準値になって善玉コレステロールが増えた。
運動っていっても大したことしてなくて、ランニングと懸垂をするくらい。でもこの懸垂ってのが割と効いてて血管が浮いて見える。
そういえば前回の採血の時にも同じことを言われたけど、後から考えたら同じ看護師さんだった気がする。
大学病院なので採血する椅子がズラッと十席くらい並んでいて順番に採血されるだけに、この偶然ってどうよって思った。
その看護師さんもコロナでジムも行けずって嘆いていた。
大学病院って町医者と違って来なくちゃならない患者しか来ないのでコロナでも患者は減ってなさそうで忙しいのは変わりないみたい。
かっこいいいって言われたの初めてかも。
いくつになってもそう言われるのってうれしいな。
でも言ってくれたの中年男性の看護師さんでした。
やっぱ素敵な女性とは無縁です。残念
一時間ほどして血液検査の結果を聞いた。
CRF(C反応性蛋白)が高いことからウイルス性のものと思われますって言われた。
潰瘍性大腸炎の再燃とかはないですか?って聞いたところ、
そう短期間で改善はしないので違うと思います。調べるとしたらCT撮って腸が腫れてるか見るというのもありますが、おそらく間違いないかと。
で、念のためCTも撮ったけど小腸も大腸も腫れてませんでした。
ということで今回の発熱と下痢はウイルス性腸炎だったみたいです。
つらい先週の出来事でした。
ではまた
今日は潰瘍性大腸炎の定期の内視鏡検査の日。
潰瘍性大腸炎になって今日は年一回の大腸内視鏡検査の日。
この病院で2回目、通算4回目くらいなので、だいぶ慣れた。
この病院ては、十畳ほどの部屋で皆な2リットルのポカリスエットみたいな腸管洗浄剤を飲む。
今日はおばちゃんが3人におじさんが私を含め3人。
前回はオジサン連中が「こんだけ飲まれへんわ」と、ボヤいていたが、今日の男性陣は静かにひたすら飲んている。
一方、おばちゃん達の方はと言うと、どこにでも居そうなよく喋るおばちゃんが、初めてと思しきおばちゃんに色々とアドバイスしている。
合ってるような間違ってるようなアドバイス・・・。
検査が本番なのに、洗浄剤を飲むのがメインのような空気感が漂う。
飲み始めて2時間が経過。
やっぱり健康が一番てす。
いつもはiPad miniからモバイル投稿していましたが今日はandroidスマホに変えたのでテスト投稿してみました。
画像の選択とかはiPadよりはやりやすいけどやっぱりWindowsのフォルダーシステムが一番分かりやすいです。
追記
検査結果は良好な腸の状態でした。
鎮静剤にボーとしながら帰ってきて、速攻いつものササミの照り焼き味付けと玉子焼きとご飯をかっ込み、娘のスティックパンを全部食べてしまいました。
潰瘍性大腸炎を患って約半年。
特効薬と言われている基本薬のメサラジン(5-ASA)がアレルギーで使えず、代わりに処方されたのがレミケードという生物学的製剤。
レミケードは本来腫瘍をやっつけるはずの「TNFα」(腫瘍壊死因子)が大量に産生してしまい大腸を攻撃してしまうのを強く抑制する薬で、中等症から重症患者向けの薬。
二か月に一度、二時間をかけて投与するもので、処方されてからひと月半経つもののスキッと血便が止まることもなかったある日のこと、たまたま食べた
オリゴ糖入りのポン菓子を食べた直後から血便も止まり太くて形が出だした。それから約一ケ月が過ぎた先週(5月9日)、定期の大腸の内視鏡検査を受けてきました。
その日、腸の洗浄剤を飲む部屋には6人ぐらいの患者が居ました。
一人30歳代と思われる男性がいましたがそれ以外はみな70~80歳代のお年寄り。
たいていがポリープが見つかったあとの定期検査でしたが中に一人だけ同じ潰瘍性大腸炎のおばあさんが居ました。
25歳が発症のピークとされている潰瘍性大腸炎に70歳くらいの高齢の方が罹られるというのは意外でした。
週が明けて今週(5月15日)
今週、検査結果とレミケードの点滴で受診。
検査の結果はやはり良好で寛解と告げられました。
(気色良いものでもないので画像サイズは小さめで)
この病気になってネット色々と調べました。
ブックマークも相当増えましたし、「かい」と文字を入力したら「潰瘍性大腸炎」と漢字変換できるように文字登録したりと、どっぷりとこの病気の患者になってしまいました。
SNSを見ていても皆さん治らない病気なだけに、わらにもすがる気で改善する方法を模索しているのを見かけました。
自分もその一人で、良い食材やサプリメントがあれば試したりしました。
でも結局は変わらずというのが現実でした。
前にも書きましたがこの病気になる前から健康を気にして運動の他に、毎日ヤクルト400、リンゴ1個。朝夕お酢を大さじ1杯、その他サプリメントなんかを飲み、
この病気になってからはビフィズス菌のサプリメントやビフィズス菌入りのヨーグルトを毎日摂って来ました。
でもだからといって症状が大きく好転することもなく横ばい状態。
それがたまたま食べたオリゴ糖入りのポン菓子が効いた・・・・・。
一喜一憂しながら暮らす患者。
何が効くか人それぞれだとしみじみと感じてしまいます。
レミケードもその瞬間から効くと実感した人もいるそうです。
自分はそうは感じませんでしたが結果が良好なので効いているのかもしれません。
アレルギーが出て使えない人もいるようで、自分もいつ再燃(再発)するかわかりません。
焼肉や唐揚げ、カレーにラーメン、餃子にコロッケ。ピザやコーヒーや菓子パンとは無縁な生活。
医者からは食事の制限は受けていませんが、患者の何割かはやはり自主的に制限されています。
寛解状態となると不思議とこの病気を患っているのを忘れてしまうのがこの病気の悪いところで、つい気が緩んで再燃・・・。
自分もそうならないようにしたいと思います。
ではでは
潰瘍性大腸炎になって少し生活が変わったのですが、以前から健康には少し気をつけてきました。
食事は薄味でソースや醤油、マヨネーズは少なめ。砂糖は低カロリー甘味料で1日1個のリンゴ。山芋も一欠片。
酢を大さじ一杯にヤクルト400(ヤクルトレディーが配達してくれるやつ)。
何も運動しないと太るので、僅かですが週2回5キロをランニング。
こんな生活を続けていますが健康診断では「総コレステロール高」「LDL(悪玉コレステロール)高」「尿酸値高」と基準値越え。
この病気になったときにも主治医からコレステロールが高くて「薬を飲むか運動をするか」と指摘を受けました。
コレステロールについてはLDLを下げるためDHA/EPAのサプリメントを飲んでいますが効いていて現状なのか、効いていないのか。
尿酸値については職場で痛風になる人が割と居て、水を飲むのが良いというので毎日3リットルの水を持っていって飲んだりしますが徐々に数値はあがって8オーバー。(基準は7.0)
アンセリンと言うのが効くと聞いて飲んだらこれは効果があって1くらいさがりましたが、それでも7オーバー。
潰瘍性大腸炎になって良くなる方法を探しました。
食事については主治医から特に制限されていませんが調べると一般的には腸に負担が掛かからない低脂肪、低残渣とありました。
肉などの脂肪は腸の煽動運動を刺激し、脂肪の消化吸収に必要な胆汁酸が腸管に刺激を与え、下痢や腹痛の原因となり易いとありました。
また魚以外の動物性脂肪に含まれる多価不飽和脂肪酸は炎症にかかわる白血球を刺激するとあり、基本的に牛肉や豚肉は避けるべきとありました。
これで焼肉やピザとサヨナラです。
香辛料やアルコールも腸に刺激を与えるといことでカレーともサヨナラ。炭酸飲料もコーヒーもサヨナラ。
食物繊維は健康な人にはデトックスで良いですが食物繊維でも水に溶けるタイプの繊維(水溶性の食物繊維)は良くて、溶けないタイプの繊維(不溶性の食物繊維)の
レンコン、たけのこ、ごぼう、山菜、もやしなど固い不溶性繊維質はダメで、海藻類、きのこ類もよろしくないとありました。
腹持ちの良いそばも腸に滞在する時間が長いと言うことから避けた方がいいということで“山菜そば”は天敵になりました。
逆に良い食事は
ご飯にうどん、パン。白身魚に鶏のササミ。皮のないカボチャに人参に豆腐。バナナにリンゴにヨーグルト。
当初とら母(嫁)も本を買って献立を考えてくれました。
治らない以上、今の自分にとってできることは限られています。
いろいろ食べる物を模索しましたが結局はこんな食事に落ち着きました。
自分には色んな物を工夫して(工夫して貰って)食べるよりも、同じ物でも安定して食べるほうが性に合っているので今はこんなのを毎日食べています。
朝は食パン一枚に卵焼き、リンゴ半分(残り半分は夜に)にヨーグルト。
ヨーグルトは200グラム以上のヨーグルトが望ましいという医師の説を見たのでそれを参考に。
大腸の善玉菌のほとんどが乳酸菌ではなくビフィズス菌なので森永の「ビヒダス BB536」脂肪ゼロのプレーンヨーグルト。
昼夜はササミをメインに夜は焼き魚や煮魚が加わった内容。
大腸に炎症があるとそれだけでカロリーを消費するらしく、修復するにもカロリーが必要で、この病気になると痩せるのは単に食欲がなく下痢をするからだけではないようです。
私がこんな脂っけのないおかずの影響で焼肉の回数も減り、とら母がたまらず焼肉が食べたいというので焼肉をすることにしました。
といっても私の肉は“ササミ”。
はじめてササミ焼肉しましたが、脂っ気が無いのに更に脂が抜けてパサパサ。煙なんて全然出ないクリーンな焼肉でした。
焼肉のタレなんて御法度なので塩麹を付けて食べましたが中々美味しかったです。
おやつはバナナかヨーグルト。
プリンと和菓子もいいのでおやつはお団子。
薬については基本薬である5-ASA(5-アミノサリチル酸)製剤(リアルダ、ペンタサ)は効き目があるけどアレルギーで使えないので、ステロイド系の注腸薬(レクタブル注腸フォーム)を
処方されていましたが長期的には使えないので、1月からレミケードという点滴を打つことになりました。
この病気の原因の一つに過剰な免疫機能による自己細胞の攻撃(自己免疫疾患)というのがあって、レミケード(抗TNFα抗体)はこれを抑制する作用がある薬です。
点滴は初回(0週)その後2週間後、4週間後、それ以降は8週(二ヶ月)おきに一生投与が必要です。
大学病院なので点滴を投与するのも「化学療法センター」とよばれる点滴の人ばかりの病室で行われます。
2時間を掛けて投与します。点滴のスピードをコントロールするための器具に通されていて、見ていると数秒おきに2滴、滴下されていました。
レミケードは薬代が高いと聞いていましたが実際に自動精算機でその金額を見たとき桁の多さにちょっとびっくりしました。
3割負担で10万円。
難病認定の認定が下りれば月々の支払い上限が2万円になるけど、まだ申請途中。
0週と2週目の月は支払いが20万円でした。
認定されるまで3ヶ月かかると言われていて、主治医からは「大丈夫ですよ」と言われたけど考えるとぞっとしました。
大腸癌の予防にも適度の運動が良いと言われていてこの病気にも同様に良いとされています。
昨年12月の年の瀬、退院して仕事も休みだったのですぐに体を動かしたくなってウオーキングからはじめることにしました。
体力的には回復していたけど、途中で便意を催したときのことが心配でトイレの場所を考えながらコースを決めました。
この病気になった人はみな外出時には同じように考えるようです。
気にせずに運動できるようにとエアロバイクを買いました。(主治医にも自転車を漕ぐのが良いと言われたのもあって)
こいつはテレビを見ながらでもできるので運動嫌いな私にもいいです。
その後ボチボチとランニングも再開し週に一度40分ほど漕くようになりました。
いろんなサイトで情報を集めました。
治療についても食べ物についても。特に食べ物については自分で出来ることなのでよく見ました。
あるメーカーのビフィズス菌が効果があったというので少し高かった(といっても2500円/月ほど)ですが、試しましたが効果はありませんでした。
野菜ジュースが良いとか言う人もいて、こればかりは人それぞれなんだと思いました。
ある日、買い物に出掛けた際にとら母と娘がお菓子を選んでいたとき、自分にも食べれるものがないか探して一つ“ポン菓子”を買って帰りました。
食べたいと言うよりも自分も一緒に選びたいというのが本音でした。なので買って帰ってもしばらく食べずにいました。
レミケードも3回(第4週)打った頃のこと。
下血量は多くないものの横ばい状態が続いていて、その効果にすこし心配な気持ちがありました。
横でとら母がお菓子を食べているのを見て自分もポン菓子を出してきて食べることにしました。
米と砂糖で出来ているからと言う理由で買ったお菓子ですが、食べたその日の夜の便に変化がありました。
それまで赤味(血)が混じった軟便だったのが、黄土色したしっかりと形のある便になったのです。
次の日もまた次の日も。赤味もなく。
原材料名を見たら“イソマルトオリゴ糖”とありました。
ビフィズス菌は腸内環境を整える善玉菌で、オリゴ糖はそのビフィズス菌のエサになるものでした。
国産米使用につられ買っただけなので予想外のことでした。
それ以来、おやつではなくプレバイオテクスとして毎日ポン菓子(坂金製菓こめはぜ)を食べています。
(プロバイオテクスは健康に好影響を与えるビフィズス菌などを言い、プレバイオテクスは善玉菌を増やし悪玉菌を減らすオリゴ糖や食物繊維などの食品成分を言うそうです)
激しい下痢と血便に食べるに食べれない状況で入院し半月で4キロほど体重が落ちました。
退院して食事も摂れるようになり体重が戻るかと思ったのですが、実際は逆でこの食生活のせいによるものか更に半月で4キロ落ち、
元々78キロあった体重が今は70~71キロを推移しています。
ウエストは84センチくらいだったのが74センチくらいになってズボンだけでなくパンツもユルユル。
怪我の功名ではないですが下がらなかった悪玉コレステロール(LDL)や総コレステロール値、尿酸値も標準値になり大腸以外は健康になりました。
この病気の原因の一つに食の欧米化説があります。
今私の食事は自分達が小さかった頃かその少し前の頃の物のように思えます。
日本人古来の食事が良いのは腸内環境が良いからなのかなと思ったりします。
そういう意味でも食の欧米化説も一理あるかと思います。
出掛けることも出来るようになったのですが困るのが食事。
外食となるとうどん屋か定食屋さんになるので出先にそれがあるか調べてから出るようになりました。無ければお弁当。
これからGWがやってきて車中泊でもできれば旅に出たいですが、少し慎重になってしまいます。
3月の初旬、難病認定の認定を無事受けれて支払いも楽になりました。こればかりは日本の医療制度に感謝です。
ということで少し痩せましたが半分病人・半分健康で暮らしています。
今はキッチンリフォームの続きを再開し頑張っています。
次回はこんな暗い話では無く、そんな話を書きたいと思います。
ありがとうございました。
おしり洗浄が不調になって半年くらい経ちます。
最初は時々だったのが、それが頻繁になって。
でもあれこれ試しているうちに電源を入れなおすと少し復活してくれて、でもやっぱりそれもやがてダメになって。
動作的には便座に座るとバルブが開いて通水されるのが、動作音ははすれど通水されない状況になって。やがて水漏れも起きて最後は単なるウォシュレットではなく「ウォームレット」(暖房便座)になってしまった。
痔持ち(今となっては治っていた)な自分にとって必需品なウォシュレット。意外と結構なお値段なのでちゃんと調べてから買おうとしたんですがイマイチ種類が多く絞り込めず。
幸い携帯用(と言っても専用ノズルをペットボトルに取り付けるだけの簡単なやつ)があったので、気付けば半年が経過。
そんな折に、潰瘍性大腸炎になって何十回もトイレに駆け込む事になり、ペットボトルにお湯を注ぐ気力もなくなり、寒い夜中に冷えた水でお尻洗浄。
いよいよ買い換えなければと思っていたら入院。嗚呼無情
病院でのウォシュレットにありがたみを再確認し、退院したら先ずはウォシュレットを買い換えなければと病院のベッドで一人涙したクリスマスの夜。
で退院。
寅次郎とさよならし、年賀状も作ったので改めて機種選定。
ウォシュレットといえばTOTOの登録商標。パナソニック製もあるけど好みの問題で私はTOTO派。
TOTOの中でもホームセンター向け商品とかあって分かりにくい。
アプリコットシリーズでもこれだけあって、便器のタイプによって機種が細分化されてて前回はここで力尽きて購入に至らず。
念入り洗浄派にとって「貯湯式」はお湯が途中で冷たくなるので却下。
「瞬間式」は必然的にTOTOの中でも上位機種であるアプリコットシリーズになる。
多機能になるとお値段に跳ね返るので、使わない温風乾燥や勝手に蓋が開いたりする機構は除外して、リモコンでじゃ~っと水が流せる機能は便利なので、結果下から2番目の「アプリコットF1A」となった。
でもって今度は便器によって機種の末尾が変わって・・・ああ、面倒くさい。
で、末尾が「AMlの「TCF4713AM」となりました。
カカクコムで値段を見たら同じ「アプリコットF1A」シリーズなのに価格の差が大きい。
本体は同じ(ウォシュレット品番)なのに付属品の価格差以上にセット価格が違う。
ということで、本体と付属品を別々に買いました。
ウォシュレット本体の交換そのものは至って簡単。
その前に水漏れで水垢がついた便器のお掃除が先。
百均で買ったダイヤモンド砥粒がついた小さなスポンジでお掃除。病んでる最中に寒いトイレでシコシコお掃除。
水道の継ぎ手はワンタッチコネクタなので簡単かと思いきや、何故か継ぎ手の仕様が変わっててワンタッチで交換ならず。
便利なリモコン便器洗浄は別梱包にモーターユニットとかが入ってます。
リモコンそのものは本体に同梱で、リモコン便器洗浄のボタンだけ別梱包に入ってます。
水洗タンクに付いているリモコン便器洗浄用のモーターユニット。
きっとそのまま使えるのではとおもっていましたがTOTOに確認すると別物だと。
開けたついでにタンクの中もきれいにお掃除。
一応外観比較。
上が今までのもの。下が新しい物。
壊れたウォシュレットの出力電圧でも測っておけば良かったですが、そこはまだ病人。
たぶんいけると思うけど深く考えるのは止めにしてさっさと交換。
病院のトイレに付いていた2連のトイレットペーパーホルダ-。
トイレットペーパーに使用量も増えた体になってしまったので、それも購入。
振動ドリルで穴あけ。
自分もそうでしたがタイルが割れるのを嫌って目地に穴をあけがちですが、目地には基本的にモルタルが入っていない(タイルの裏にモルタルを一山のせて貼り付けているので
目地付近までモルタルが行き渡ってない)のでタイルに穴あけが基本。
穴あけたらお掃除も必須。プシュプシュっと吹いてあげてください。
新しいウォシュレットは便座を開けたら数秒間LEDが点灯しました。
自分的には便の状態を見たいから“ウエルカム”で点くのではなくリモコンで点灯してほしかった。
古いタイプのリモコンがボタンも大きく使いやすかったのでそのまま残し、反対の壁に新しいリモコンを取付。
ダブルリモコンにトリプルトイレットペーパー。
便の状態の写真を撮るのに使うLED式ペンライも置けて便利。
潰瘍性大腸炎になってトイレは大切な空間になったので、電気ストーブも置いて少し快適になりました。
病気の方は血便は止まないけれど、こんな事はできるので、半分病人、半分普通・・・・です。
ではでは
下痢や血便、発熱がメサラジン(5-ASA製)のアレルギーによる疑いが強くなって服用を中止し熱だけはとりあえず治まった。
潰瘍性大腸炎の基本薬が使えないのはこの先の事を考えると残念でならなかった。
代わりに処方されたのはステロイド(ステロネマ注腸)だった。
ステロイド=「副作用が怖い」
よく知らないけどイメージはあまりよくない。
主治医に聞くと「腸に限定的なのでそれほど強くはない」と言っていた。
他に選択肢がないのでそれ以上考えることもなく受け入れることにした。
レモンにストローが突き刺さったような容器に液体の薬が入っていて、お尻に突っ込んでギュッと握って薬を腸に入れる。
注腸したらベッドでゴロゴロ寝返りをうって腸の中で薬を広げる。
液体なので漏れたりすることもあったり、ベットでゴロゴロもいつでもできるわけでもなくて使い勝手があまり良くないらしい。
次の日、新しい薬に変わった。
「レクタブル注腸フォーム」 つい先日(2017年12月7日)日本で発売されたばかりの新薬。
フォーム(ムース状)なので垂れてこずゴロゴロも不要。
漫然と続けられないため6週間だったか、それを目安に使用を見極めるという。
以前は重症となってステロイドが効かない場合はすぐに腸の全摘出となったという文献の記述を見つけた。
いまは治療法も増えてきて
・免疫調整薬
・抗TNFα抗体製剤)
・白血球除去療法
研究中のものでは
糞便移植
生薬
自分もこの先のことを考えると、より多くの治療方法が出てきてほしいと願うばかり。
年の瀬もいよいよ迫り、入院患者も自宅で正月を迎えるため病棟も少しひっそりしはじめた。
私も今後についての話になった。
この病院は救急病院ではない。そのため一旦退院すると年末年始体調が悪くなっても対応できず、主治医も予想外のアレルギー反応にもしもの時の対応を気に
してくれていた。
そこで、とら母の通っている大学病院の話になった。
偶然にも主治医の母校でもあり、救急病院でもあるため年末年始はそちらで対応してもらったらと提案された。
短い期間だったがそれでも慣れた病院から知らない病院に転院はすこしためらいがあった。でもこれも選択肢があるわけでもなく、そうすることにした。
いきなり急患で運ばれるよりも一度でも外来で診て貰っておいた方が良いと言うことで、この病院を退院したその日に次の病院で初診を受けることになった。
あわただしく物事が過ぎる。
退院の前日に入浴を許可された。
10日ほどろくに食事もしてなくて体から脂分が抜けたせいか4日ほど風呂に入って無かった割にギトギト感はなかった。
それでも二回体を洗った。
12月26日
朝食を済まし退院した。
次の病院の予約時間まで1時間ほど余裕があったので一度家に帰ることにした。
家に帰ると寅次郎がいつものように横たわっていた。
こちらを見ている寅次郎。
少し見ない間に一段とやつれたように思えた。
体を撫でてやるとタオルケットを掛けていたのにも関わらず体がすごく冷たいように感じた。
いつものように担いで勝手口の出たところまで連れて行き朝のトイレを済ませた。
膀胱を圧迫すると見たことも無いくらい白く濁ったオシッコが出た。
用を済まして次の病院へ行くことにした。
新しい先生は前の病院の主治医の息子さんだった。
若い先生だったが大学病院なので治験は豊富そうに思えた。
診察の結果入院はせずに通院で診て貰うことになった。
家に帰ると疲れたのか寅次郎の横で夕方まで寝てしまった。
食事を済ませ、寅次郎を担いでまた外にトイレに連れて行った。
オシッコはでなかった。
抱きかかえて家に入ろうとしたとき寅次郎の舌が口から垂れ下がったままなのに気付いた。
瞳孔も開いたままのように見えた。
慌ててとら母を呼んだ。
もうダメかもしれない。とら母にそう言った。
そうこうしている間に舌は元に戻って意識も少しあるように思えた。
動物病院に電話して連れて行くことにした。
慌てて支度をして病院に向かった。診察時間ギリギリの8時頃だった。
診察台に乗せて先生が聴診器を当てたときにはもう心臓が止まっていた。
それでも体が少し動いているように見えたので「まだ生きてるのでは」と言って何度も診てもらったがやっぱり寅次郎の心臓は止まったままだった。
夜、最期くらいきれいにして送ってやりたかったのでシャンプーをしてあげた。
もう体を振って水を切ってくれない寅次郎は乾かすのも大変だった。
翌日、以前お世話になった動物霊園に電話をした。
大阪でも北摂の山の中にある霊園で、折しもこの日寒波が襲い雪で帰れなくなるから今日は止めておいた方が良いと言われた。
遺体が痛まないように出来ればドライアイスで冷やすことを勧められ慌ててドライアイス屋さんを探すことになった。
ネットで検索すると出てくるのは「全国発送」「迅速発送」というのばかり。明日ではなく今必要なのにネット広告はそんなのばかり。
こういったときタウンページが役立つことを思い出し、ネット版タウンページで製氷業で検索し隣町にドライアイス屋を見つけ何とか入手することが出来た。
翌日、天気は晴れて雪もなく無事霊園に着くことが出来た
寿命を全うした別れなので泣かないと誓ったのに泣いてしまった。
楽しいことがたくさんあって、最期は介護をして別れの時の心の準備もできたので、落ち込むことはなかった。
ただやせ細った体にしてしまったことは悔やまれた。
ごめんよ、寅次郎。
犬も一緒に入れる墓地の話を聞いてみた。いずれ自分たちも死んでいく。
娘に墓守をさせることに少しためらいがある。でも墓に入るならみんな一緒がいい。
自宅に戻り、慌てて年賀状を作った。
寅次郎が居た最後の年。いつもは旅の思い出を題材にするけど、今年は寅次郎の事を思いながら作った。
つづく
2日ほど声枯れが続きそのあと咳が出だしたので風邪かと思っていたら、熱が出て激しい下痢と血便に何度も襲われた。
落ち着いていた潰瘍性大腸炎が再燃したと思って病院に行ったものの、主治医からは潰瘍性大腸炎によるものでは無いと言われた。
ただそれまで直腸型だったものがS状結腸の方まで約30センチほど潰瘍が広がっていると言われた。
抗菌製剤(クラビット錠)を処方して貰ったものの、その後も症状は変わらず週末を迎える前にもう一度病院に行くことにした。
食べると下痢で3時間くらいはトイレから出られない
ろくに食べることも出来ない日が続くと、食べ物の動きが分かりやすくなって口にしてからだいたい9時間くらいで便意をもよおすことが分かった。
普通なら胃と小腸で消化するのが9時間くらいと言われているので、腸は素通り状態なのがよく分かる。
電車や病院で下痢に襲われないように食事の時間を調整していった。
12月22日(金)
主治医の診察日ではなかったけど院内でほかの検査をしているとのことで、終わったら診てくれることになった。
この日は午後からとら母の手術結果を二人で聞きに行かなければならず時間が気がかりでならなかった。
時計を見ながら待合室の長椅子で待った。
看護師さんに事情を話したが、血液検査をしたとしても結果がでるまで1時間くらいは掛かるので難しいのではと言わた。
とら母に電話をして自分が行けなくても大丈夫かとら母の行っている病院に聞いてもらうよう連絡した。
しばらくして主治医の先生がやって来て腸の出血状態を診てもらうが、さほどひどくはないと言われた。
「だいぶやつれたな」主治医からそう言われ、年の瀬でもあるし念のため一週間ほど入院しないかとすすめられた。
急な話に少し戸惑った。
寝たきりの寅次郎のことが真っ先に浮かんだ。
年賀状も作らないといけないし仕事もすでに一週間休んでいる。
と言ってもこればかりはどうしょうもなく入院する事になった。
とら母にまた電話をして、入院する事を告げた。
大阪駅から数百メートルの所にある病院。
窓際のベッドからビル群が見える。
向かいの建物はどこかのオフィスが入っている。
営業だろうか、ディスクが列んだフロアでスーツ姿の社員が働いているのが見える。
普通に仕事ができるという事のありがたみを思い知らされる。
入院している間、毎日とら母と娘が病院に来てくれた。
こんな時、子供の笑顔に助けられる。
症状は変わらないままだったので腸を休めると言うことで絶食となった。
水分は点滴で補い、栄養はドリンクで摂った。コーヒー風味とあったけどキャラメル味みたいだった。これを朝と晩に二回。
もうお腹が空くとか言う感覚が無くなってしまった。
体重計に乗ったら78Kgあったのが74Kgになっていた。
「この体重計って着ている服とかの分を差っ引いてますか?」看護師さんに聞いたけど、「そのままです」と言われた。
鏡を見て、やつれているのが自分でも分かった。
入院してからそれまで服用していた「リアルダ」から「ペンタサ錠」に減量し、腸の奥まで届くようにと「ペンタサ座薬」から液体の「ペンタサ注腸」になった。
どちらも特効薬と言われたメサラジンと言われる5-ASA製剤の薬だったが、また急に39℃の熱が出た。
これによって主治医はメサラジンのアレルギーの疑いが強いと判断し、その日からメサラジンは中止となった。
特効薬と言われ潰瘍性大腸炎の基本薬が使えなくなり、この先どうなるのかと心配になった。
12月25日
世間はクリスマス。
娘は欲しかった黒いネコのぬいぐるみをもらった。
嬉しそうに病院にまで連れてきた。
薬を止めて熱も下がり食事も摂れるようになってきた。
食事に添えられたカードもクリスマスだった。
本当なら予約していたクリスマスケーキを家で食べてるはずだったのに、年を食うとDNAもおかしくなってきて、いつどうなるかわかったものじゃない。
夜、病院から見える夜景がきれいだった。
梅田スカイビル
街もクリスマス色していた。
つづく
間が空いてしまってすみません。
潰瘍性大腸炎と分かったものの薬(リアルダ、ペンタサ注腸)を服用したらその日のうちに血便が止まり、おまけに便まで太くなって思いのほか快調で、
難病患者になったという自覚はほとんどありませんでした。
病院でもらった冊子を読んだ後、病気について少し調べてみました
潰瘍性大腸炎(指定難病97)は大腸の粘膜がただれたり潰瘍ができる大腸の炎症性疾患で、症状は激しい下痢や腹痛、血便や下血、粘血便が繰り返し何度も襲ってくる病気で、酷くなると
1日に何十回とトイレに駆け込まないといけなくなる。
原因は不明で、食生活の欧米化、ストレス、自己免疫不全などと言われていて現在のところ完治する内科的治療はなく、薬によって腸の炎症を抑えて、その状態を維持(寛解)することが主な治療。
症状が悪化(再燃)し活動期が長いと癌になる確率が上がり、薬の効果がない場合は大腸そのものを全摘出する外科的治療を行う。
症状が治まっていても完治出来ないため「完治」ではなく「寛解」と言い、同様にまた発症しても「再発」と呼ばず「再燃」という。この病気にならなかったらきっと知らなかったと思う。
発症については主に二十代が高く、近年では五十代での発症も増えてきているらしい。
著名人でこの病気なのが安倍首相で中学生の頃に発症し2007年に総理を辞職したはこの病気が悪化したためと言っている。
安倍首相はアサコールという薬(2009年12月発売)が劇的に効いたらしく、特効薬と呼ばれたと聞いたことがあります。
このアサコールをはじめ私が服用したリアルダやペンタサも5-アミノサリチル酸製剤(5-ASA製剤)という薬の商品名で、炎症を抑える作用があり今はこの病気の基本薬となっています。
なので私にとっても5-ASA(ゴアサ)製剤は特効薬だったというわけです。
一週間後の再診の日。(12月13日)
血便も何事も無く快調に過ごしてきたので主治医との話も先ずは血液検査の結果から。
以前から高めだったコレステロール。
主治医からは薬を飲むか運動をするかどちらかと言われ、薬を一生飲み続けることに抵抗があって「薬はちょっと・・・」。
そう言うと、では運動するようにと膝に優しい自転車を勧められました。
こんな感じで診察は無難に終わり難病認定に必要な診断書を依頼し一ヶ月分の薬を処方してもらいました。
すぐ近所の薬局に寄ると30分待ちと言われ近所をぶらっと散歩。
知らない土地は何となくワクワクします。
薬局に戻って代金を聞いてびっくり。
「1万円になります」
前回は10日分ほどだったので気付かなかったですが新薬なので、むっちゃ高いです。
帰りの電車で「難病」というのを少し実感しながら帰ってきました。
実はそのころから声が枯れていて、最初は風邪によるものかなと簡単に思っていました。
声枯れが二・三日続いてそのあと咳が出始めました。
自分では「とうとう風邪をひいたな」そんな風に思ってマスクをして普通に仕事をしていました。
その週末いきなり39℃の熱が出ました。
風邪の熱にしてはだるさや辛さが少し違うよう思え、どちらかというと体が発熱しているかのようでした。
熱と同時に激しい下痢と血便が襲ってきました。
繰り返す下痢に苦しめられました。
食べることも出来なくなり、とら母がおかゆやうどんなど消化の良いものを作ってくれました。
でも食べると下痢便意が襲ってきてまたトイレに。
食べたものを出し尽くしても下痢便意が止むことはありませんでした。
トイレに入って一滴の血便を絞り出すのに20~30分かかり、それでようやく布団に戻っても途端に下痢便意が襲ってきてまたトイレに。
際限なく襲ってくる下痢便意。
最後は何も出ないのに下痢便意が襲って来ます。
布団に入って襲ってくる下痢便意に「どうせトイレに行っても何もでないや」とトイレに行くことを止めるべく便意と戦いましたが、人間の体はすごい物で
下痢便意があるととても寝てはいられませんでした。
症状が治まるのに3時間くらい掛かりそのほとんどをトイレで過ごしました。
この症状特有の1日何十回とトイレに駆け込むという症状を身をもって知りました。
かなしいかな数ヶ月前からウォシュレットが不調でそれまで旅行の時に使う携帯用のお尻洗い(ペットボトルにノズルを付けるだけの単純なもの)を使っていたのですが、ここに来て
頻繁のトイレに駆け込むのにお湯を入れている余裕も無く冷たい水でお尻洗浄するしかありませんでした。
こんな事なら早くウォシュレットを買い換えとけばと後悔しました。
寒いトイレに我慢が出来ず電気ストーブを持ち込んで堪え忍びました。
主治医の診察は火曜日。
土曜から発熱して地獄のような週末でした。
医者にこの症状を何て説明しようと寒いトイレのなかでネット検索しました。
「しぶり腹」
初めて聞く名前でしたがちゃんとありました。
この病気になっていろんな言葉を知ることが出来ました。
やがて食べると下痢便意をもよおすので体が食べ物を要求しなくなってきました。
体に貯め込んだ脂肪をエネルギー源としているみたいでした。
週が明ける頃、体温は37℃台にさがり、それが平熱のような錯覚になり、ほとんど食べれないこともあって下痢便意の周期も延びてくれました。
火曜日(12月19日)、電車に乗って頑張って病院に行きました。
途中で下痢便意に襲われたらどうしようと心配になりました。
これが度を過ぎると、いわゆる「パニック障害」になるんだろうなと思いました。
主治医は簡易的な内視鏡で見てくれましたが、酷い出血はなく潰瘍性大腸炎の症状では無くウイルス性か病原菌による腸炎を疑っていました。
前日食べた物が何だったかとか聞かれ「自分で作ったお好み焼きです」と答えましたが、もちろんそんものではなりにくく主治医も「考えにくいなあ」と言いました。
取りあえず可能性は低いけどと言われて抗生物質を処方しその日は帰宅しました。
1日たっても症状は変わらず仕事にも行ける状態ではありませんでした。
翌木曜日は午後からとら母(嫁)の病気の結果を二人で聞きに行く日だったので午前中にもう一度病院に行くことにしました。
午前中しか時間が無い中、主治医の診察日ではなかったので少し待たなければならず、時間にも追われて落ち着くことが出来ませんでした。
主治医が都合を付けて診てくれる事になったのですが、検査とかした場合午前中では終わらないと、看護師さんも心配そうに気に掛けてくれて、結局とら母の病院へは
一人で行って貰うことにして、主治医の手が空くのを長椅子で待つことにしました。
続く