最近のことの続きになります。
下痢や血便、発熱がメサラジン(5-ASA製)のアレルギーによる疑いが強くなって服用を中止し熱だけはとりあえず治まった。
潰瘍性大腸炎の基本薬が使えないのはこの先の事を考えると残念でならなかった。
代わりに処方されたのはステロイド(ステロネマ注腸)だった。
ステロイド=「副作用が怖い」
よく知らないけどイメージはあまりよくない。
主治医に聞くと「腸に限定的なのでそれほど強くはない」と言っていた。
他に選択肢がないのでそれ以上考えることもなく受け入れることにした。
レモンにストローが突き刺さったような容器に液体の薬が入っていて、お尻に突っ込んでギュッと握って薬を腸に入れる。
注腸したらベッドでゴロゴロ寝返りをうって腸の中で薬を広げる。
液体なので漏れたりすることもあったり、ベットでゴロゴロもいつでもできるわけでもなくて使い勝手があまり良くないらしい。
次の日、新しい薬に変わった。
「レクタブル注腸フォーム」 つい先日(2017年12月7日)日本で発売されたばかりの新薬。
フォーム(ムース状)なので垂れてこずゴロゴロも不要。
漫然と続けられないため6週間だったか、それを目安に使用を見極めるという。
以前は重症となってステロイドが効かない場合はすぐに腸の全摘出となったという文献の記述を見つけた。
いまは治療法も増えてきて
・免疫調整薬
・抗TNFα抗体製剤)
・白血球除去療法
研究中のものでは
糞便移植
生薬
自分もこの先のことを考えると、より多くの治療方法が出てきてほしいと願うばかり。
年の瀬もいよいよ迫り、入院患者も自宅で正月を迎えるため病棟も少しひっそりしはじめた。
私も今後についての話になった。
この病院は救急病院ではない。そのため一旦退院すると年末年始体調が悪くなっても対応できず、主治医も予想外のアレルギー反応にもしもの時の対応を気に
してくれていた。
そこで、とら母の通っている大学病院の話になった。
偶然にも主治医の母校でもあり、救急病院でもあるため年末年始はそちらで対応してもらったらと提案された。
短い期間だったがそれでも慣れた病院から知らない病院に転院はすこしためらいがあった。でもこれも選択肢があるわけでもなく、そうすることにした。
いきなり急患で運ばれるよりも一度でも外来で診て貰っておいた方が良いと言うことで、この病院を退院したその日に次の病院で初診を受けることになった。
あわただしく物事が過ぎる。
退院の前日に入浴を許可された。
10日ほどろくに食事もしてなくて体から脂分が抜けたせいか4日ほど風呂に入って無かった割にギトギト感はなかった。
それでも二回体を洗った。
12月26日
朝食を済まし退院した。
次の病院の予約時間まで1時間ほど余裕があったので一度家に帰ることにした。
家に帰ると寅次郎がいつものように横たわっていた。
こちらを見ている寅次郎。
少し見ない間に一段とやつれたように思えた。
体を撫でてやるとタオルケットを掛けていたのにも関わらず体がすごく冷たいように感じた。
いつものように担いで勝手口の出たところまで連れて行き朝のトイレを済ませた。
膀胱を圧迫すると見たことも無いくらい白く濁ったオシッコが出た。
用を済まして次の病院へ行くことにした。
新しい先生は前の病院の主治医の息子さんだった。
若い先生だったが大学病院なので治験は豊富そうに思えた。
診察の結果入院はせずに通院で診て貰うことになった。
家に帰ると疲れたのか寅次郎の横で夕方まで寝てしまった。
食事を済ませ、寅次郎を担いでまた外にトイレに連れて行った。
オシッコはでなかった。
抱きかかえて家に入ろうとしたとき寅次郎の舌が口から垂れ下がったままなのに気付いた。
瞳孔も開いたままのように見えた。
慌ててとら母を呼んだ。
もうダメかもしれない。とら母にそう言った。
そうこうしている間に舌は元に戻って意識も少しあるように思えた。
動物病院に電話して連れて行くことにした。
慌てて支度をして病院に向かった。診察時間ギリギリの8時頃だった。
診察台に乗せて先生が聴診器を当てたときにはもう心臓が止まっていた。
それでも体が少し動いているように見えたので「まだ生きてるのでは」と言って何度も診てもらったがやっぱり寅次郎の心臓は止まったままだった。
夜、最期くらいきれいにして送ってやりたかったのでシャンプーをしてあげた。
もう体を振って水を切ってくれない寅次郎は乾かすのも大変だった。
翌日、以前お世話になった動物霊園に電話をした。
大阪でも北摂の山の中にある霊園で、折しもこの日寒波が襲い雪で帰れなくなるから今日は止めておいた方が良いと言われた。
遺体が痛まないように出来ればドライアイスで冷やすことを勧められ慌ててドライアイス屋さんを探すことになった。
ネットで検索すると出てくるのは「全国発送」「迅速発送」というのばかり。明日ではなく今必要なのにネット広告はそんなのばかり。
こういったときタウンページが役立つことを思い出し、ネット版タウンページで製氷業で検索し隣町にドライアイス屋を見つけ何とか入手することが出来た。
翌日、天気は晴れて雪もなく無事霊園に着くことが出来た
寿命を全うした別れなので泣かないと誓ったのに泣いてしまった。
楽しいことがたくさんあって、最期は介護をして別れの時の心の準備もできたので、落ち込むことはなかった。
ただやせ細った体にしてしまったことは悔やまれた。
ごめんよ、寅次郎。
犬も一緒に入れる墓地の話を聞いてみた。いずれ自分たちも死んでいく。
娘に墓守をさせることに少しためらいがある。でも墓に入るならみんな一緒がいい。
自宅に戻り、慌てて年賀状を作った。
寅次郎が居た最後の年。いつもは旅の思い出を題材にするけど、今年は寅次郎の事を思いながら作った。
つづく
下痢や血便、発熱がメサラジン(5-ASA製)のアレルギーによる疑いが強くなって服用を中止し熱だけはとりあえず治まった。
潰瘍性大腸炎の基本薬が使えないのはこの先の事を考えると残念でならなかった。
代わりに処方されたのはステロイド(ステロネマ注腸)だった。
ステロイド=「副作用が怖い」
よく知らないけどイメージはあまりよくない。
主治医に聞くと「腸に限定的なのでそれほど強くはない」と言っていた。
他に選択肢がないのでそれ以上考えることもなく受け入れることにした。
レモンにストローが突き刺さったような容器に液体の薬が入っていて、お尻に突っ込んでギュッと握って薬を腸に入れる。
注腸したらベッドでゴロゴロ寝返りをうって腸の中で薬を広げる。
液体なので漏れたりすることもあったり、ベットでゴロゴロもいつでもできるわけでもなくて使い勝手があまり良くないらしい。
次の日、新しい薬に変わった。
「レクタブル注腸フォーム」 つい先日(2017年12月7日)日本で発売されたばかりの新薬。
フォーム(ムース状)なので垂れてこずゴロゴロも不要。
漫然と続けられないため6週間だったか、それを目安に使用を見極めるという。
以前は重症となってステロイドが効かない場合はすぐに腸の全摘出となったという文献の記述を見つけた。
いまは治療法も増えてきて
・免疫調整薬
・抗TNFα抗体製剤)
・白血球除去療法
研究中のものでは
糞便移植
生薬
自分もこの先のことを考えると、より多くの治療方法が出てきてほしいと願うばかり。
年の瀬もいよいよ迫り、入院患者も自宅で正月を迎えるため病棟も少しひっそりしはじめた。
私も今後についての話になった。
この病院は救急病院ではない。そのため一旦退院すると年末年始体調が悪くなっても対応できず、主治医も予想外のアレルギー反応にもしもの時の対応を気に
してくれていた。
そこで、とら母の通っている大学病院の話になった。
偶然にも主治医の母校でもあり、救急病院でもあるため年末年始はそちらで対応してもらったらと提案された。
短い期間だったがそれでも慣れた病院から知らない病院に転院はすこしためらいがあった。でもこれも選択肢があるわけでもなく、そうすることにした。
いきなり急患で運ばれるよりも一度でも外来で診て貰っておいた方が良いと言うことで、この病院を退院したその日に次の病院で初診を受けることになった。
あわただしく物事が過ぎる。
退院の前日に入浴を許可された。
10日ほどろくに食事もしてなくて体から脂分が抜けたせいか4日ほど風呂に入って無かった割にギトギト感はなかった。
それでも二回体を洗った。
12月26日
朝食を済まし退院した。
次の病院の予約時間まで1時間ほど余裕があったので一度家に帰ることにした。
家に帰ると寅次郎がいつものように横たわっていた。
こちらを見ている寅次郎。
少し見ない間に一段とやつれたように思えた。
体を撫でてやるとタオルケットを掛けていたのにも関わらず体がすごく冷たいように感じた。
いつものように担いで勝手口の出たところまで連れて行き朝のトイレを済ませた。
膀胱を圧迫すると見たことも無いくらい白く濁ったオシッコが出た。
用を済まして次の病院へ行くことにした。
新しい先生は前の病院の主治医の息子さんだった。
若い先生だったが大学病院なので治験は豊富そうに思えた。
診察の結果入院はせずに通院で診て貰うことになった。
家に帰ると疲れたのか寅次郎の横で夕方まで寝てしまった。
食事を済ませ、寅次郎を担いでまた外にトイレに連れて行った。
オシッコはでなかった。
抱きかかえて家に入ろうとしたとき寅次郎の舌が口から垂れ下がったままなのに気付いた。
瞳孔も開いたままのように見えた。
慌ててとら母を呼んだ。
もうダメかもしれない。とら母にそう言った。
そうこうしている間に舌は元に戻って意識も少しあるように思えた。
動物病院に電話して連れて行くことにした。
慌てて支度をして病院に向かった。診察時間ギリギリの8時頃だった。
診察台に乗せて先生が聴診器を当てたときにはもう心臓が止まっていた。
それでも体が少し動いているように見えたので「まだ生きてるのでは」と言って何度も診てもらったがやっぱり寅次郎の心臓は止まったままだった。
夜、最期くらいきれいにして送ってやりたかったのでシャンプーをしてあげた。
もう体を振って水を切ってくれない寅次郎は乾かすのも大変だった。
翌日、以前お世話になった動物霊園に電話をした。
大阪でも北摂の山の中にある霊園で、折しもこの日寒波が襲い雪で帰れなくなるから今日は止めておいた方が良いと言われた。
遺体が痛まないように出来ればドライアイスで冷やすことを勧められ慌ててドライアイス屋さんを探すことになった。
ネットで検索すると出てくるのは「全国発送」「迅速発送」というのばかり。明日ではなく今必要なのにネット広告はそんなのばかり。
こういったときタウンページが役立つことを思い出し、ネット版タウンページで製氷業で検索し隣町にドライアイス屋を見つけ何とか入手することが出来た。
翌日、天気は晴れて雪もなく無事霊園に着くことが出来た
寿命を全うした別れなので泣かないと誓ったのに泣いてしまった。
楽しいことがたくさんあって、最期は介護をして別れの時の心の準備もできたので、落ち込むことはなかった。
ただやせ細った体にしてしまったことは悔やまれた。
ごめんよ、寅次郎。
犬も一緒に入れる墓地の話を聞いてみた。いずれ自分たちも死んでいく。
娘に墓守をさせることに少しためらいがある。でも墓に入るならみんな一緒がいい。
自宅に戻り、慌てて年賀状を作った。
寅次郎が居た最後の年。いつもは旅の思い出を題材にするけど、今年は寅次郎の事を思いながら作った。
つづく