少し前の事。
娘がある日突然『アンパンマン列車に乗りたい!』言ってきた。
とら母に理由を聞くと、『めばえ』(幼児向け雑誌)にそれが載っていたそうで、それからというもの、
朝起きたら『アンパンマン列車、乗りたい!』、
ご飯食べようとしたら『アンパンマン列車、乗りたい!』、
風呂に入ったら『アンパンマン列車、乗りたい』って言うようになった。
まだあまり言葉も上手に話せない娘が必死になって話しかけてくるのを見て、連れて行ってあげたくなった。
と言うことで先週末の三連休にアンパンマン列車が走る四国へ行った時の話になります。
北海道に車中泊で旅して以来、車で寝るのと温泉に入ることばかり言うようになった娘。
少しでも喜ぶようにと三連休の前日の金曜日の夜から家を出る事にした。
本当なら15時くらいで会社を上がり、準備をして18時くらいに出発するつもりが、職場でつまらんことを言うヤツの対応に
追われ、会社を出たのが20時。
結局家を出たのは22時半を回っていた。
名神吹田ICから高速に乗り、数キロも走らない吹田SAで晩ご飯を食べることにした。
職場でのつまらんヤツの事が頭から離れず、高速に乗る前にセルフスタンドで給油した際に、給油口の扉どころか、燃料キャップも
閉めないでここまで来てしまった。
我ながら一つのことしか考えられなくなってしまっと実感する。
こんな風に『老化』を顕著に感じることが増えたのは悲しい。
高速のレストランの『ご飯大盛り』はいつ見ても豪快なくらい『大盛り』なのには感動すら覚えてしまう。
惜しみなく、そして何のためらいも無く大盛りによそってくれるお店のおじさん、おばさん、ありがとう。
白飯が好きな娘。
白飯さえあれば他は何も無くて良いくらい、ご飯だけをせがんでくる。
嗚呼、炭水化物娘
ツリーが早々と飾ってあった。
もう、そんな時期なんだと思った。
時間は23時半を回っている。
SAを出ようと車を走らせたらバイク駐車スペースに何台かバイクが見えた。
暗くて手ぶれがひどい写真で分かりにくいけど、『ハイスピード系』のリッターバイクが何台か駐まっていた。
ライダーはみんなオッサン。
ここんところ、バイク乗りはみんなオッサンか、ジジイばかり。
寒い中、ガッツあるおっさん達だった。
午前0時半。とら母も友和子も後部座席で寝ている。
明石海峡大橋を通過。
午前2時。『淡路島南PA』
本当なら四国に上陸していたかったけど睡魔に負けてここで車中泊。
ミニバンと違って室内高が低く車中泊のためにベットを準備するのに、毎回荷物を整理ないとならないのがネックな車。
スッと寝床に入れる車が羨ましい。
一夜明け、いつものように朝起きるのが遅く、自分が車から降りたのは10時を回っていた。
PAで遅い朝ご飯を食べる。
ここでも豪快な『ご飯の大盛り』にありつけた。ありがとうございます。
とら母が名前に釣られて買った『鳴門金時芋ソフト』
美味しくないわけではないけど微妙な感じ。
『別に芋なくてもええやん』ってな感じ。
昼12時過ぎに出発。
5分ほどで大鳴門橋にさしかかる。
余談ですが・・・
『原付鎖国』と言う聞き慣れない言葉。
淡路島でのことでした。
淡路島は高速で本州と四国につながっていて、他の交通手段は船だけ。
本州と淡路島を結ぶフェリーが廃止になってから原付バイクの行き来ができなくなって、そう呼ばれるようになったらしい。
誰が付けたかそのネーミングは失礼ながら、うまい表現だと思ってしまった。
でも今は新造船が就航してから本州と淡路島は原付鎖国は解かれた。
でも四国に渡る方法は・・・・無いみたい
関西圏から程よい距離にあって、走りやすく景色も良いところなのに交通ルートが限られているせいでもったい無い気がする淡路島。
アンパンマン列車は徳島駅を15時に発車する。
1時間半ほど時間があったので、徳島の眉山公園に行ってみることにした。
徳島市街の中心地に隣接する標高280mの山。山と言うより丘陵地にような感じでその山頂が公園になっている。
山頂へはアクセスにはロープウエイもある。
山頂の展望台。
徳島の中心地を一望できる。
車で上がって来る人にロープウェイで上がって来る人。
中には歩いて上がって来る人もいた。
ぱっと見、灯台かと思った構造物。
『眉山山頂LED万華鏡』と書いてあった。
下から覗くようになっている。
特段美しいわけでもなく、LEDである必要性も感じない。
液晶テレビで万華鏡の映像を流しているみたいにしか見えなかった。
山頂には放送用かと思われるアンテナ塔があったりして、そのせいかこの万華鏡も何かの工業用の施設にしか見えず、存在自体を
気付いた人が少なかった。
山頂に向かう時に、いきなりリードを付けていない犬がぞろぞろと出てきちょっとびっくりした。
よく見ると首輪も付けていない。
久しぶりに野犬を見た。
気になったので帰りがけに探してみた。
するとさっきと同じ場所にまた居た。
成犬のメスが1匹と、あどけなさが残る生後4~5ヶ月くらいの子犬が6匹くらい居た。
凶暴性は感じられない。
人に寄ってくるまではいかないけど、それほど警戒心も無いように思えた。
捨て犬がここで子供を産んだように思えた。
ふと、もらってきたばかりな寅次郎の事を思い出した。
あどけない仕草て日なたぼっこをしている子犬をみたら、ちゃんと生きていけるのか心配になったけど、かたわらに餌が入ってた様な器があったので、
誰かが餌をあげてくれてるみたい。
ちょっと安心した。
3時少し前に徳島駅に戻って来た。
寅次郎は電車に乗れないからここで、とら母と友和子とお別れ。
犬も普通に電車に乗れたら寅次郎ともっと色んな所に行ってみたい。
ここから先はとら母と友和子のアンパンマン列車の旅。
列車の外装が『あんぱんまん』な他の列車と違い、この列車にはプレイルームがあって列車の中で遊ぶことが出来る。
単にシートや天井がアンパンマンな列車に乗って車窓をながめるよりも、子供は楽しめる。
楽しそうなだけに一緒に乗れなかったのがちょっと残念な気がした。
お父さんというのはそんな存在なのかも知れない。
一方、私と寅次郎は高速に乗り終着駅の阿波池田駅を目指す。
大井川鐵道の『きかんしゃトーマス』の時は、ゆっくり走るSLが相手だったけど、それでも山道で思うようには走れず追いつけなかった。
今回は高速道路。だけど相手は在来線を普通に走る特急なので状況的にはあまり代わりはしない。
慌てていくのもなんなんで制限速度プラス10キロくらいで走った。
平坦な真っ直ぐな道。
助手席はベニヤ板を敷いてフラットにした寅次郎専用の特等席。
肘掛けが枕代わり。
終着駅の阿波池田の最寄りのICの井川池田ICで高速を下りた。
高速が空いていたおかげで先回りができたので、どこか列車が見えそうな所を探してみた。
吉野川と山に挟まれた田舎町のため、線路と道が併走していない。
生活道路のような道を線路を探しながら車を走らせた。
何とか辿り付いたと思ったら線路をまたぐ陸橋で、これでは列車の天井しか見えない。
引き返そうとしたらそれまで無かった墓地が出てきて、先を進むとだんだんと道幅が狭くなりやがて車が通れない道になった。
迷ってしまった。
狭い道をバックでさがるしかない。ちょっと焦った。
ようやく踏切が見つかった。
阿波池田駅まで2キロの場所だった。
今、どの辺りまで来ているか分からない。
ネットで停車駅の時刻を調べる。
列車通過まで約10分程だと分かった。
背景に余計な物が写り込まないようにと踏切の回りをウロウロしながら撮影場所を探した。
遠くの踏切が鳴っていないか耳を澄ませた。
踏切の場所まで伝えられないので、電話でカメラの向きだけ伝えた。
遠くから踏切の鳴る音が聞こえてきた。
『特急剣山7号』
大井川鐵道の『きかんしゃトーマス』と違って速度が速い。
目の前をあっと言う間に過ぎていく。
あっけなく過ぎ去って行ってしまった。
今回の旅のメインイベントが一瞬で終わった。
あっと言う間だけど、それでもここで列車を撮るという目的ができ、それに熱中できて楽しい思いが出来た。
年を取るとやりたい気持ちはあるけど、行動力や気力が落ちてきてきて何も出来ない自分を感じることが多くなる。
でも目的が見つかると、薄れ掛けた『やる気』がちょっとだけ復活する。
この先の人生は、他人をきっかけにしてでもアクティビティーを上げていかないとだめだと思ったりする。
嗚呼、来年50才。
そういった意味では『アンパンマン列車に乗せてあげた』というよりも『アンパンマン列車を見る旅で楽しませてもらった』というのが
オッサン的には正解な気がする。
夕方5時半
到着駅の阿波池田駅についた。
初めて来た駅。
こんな事が無いと訪れる事も無かった町。
そう思うと、まだ行ったことが無い町が五万とあって、日本はまだまだ広いと思うのと同時に、ここに来たことも感慨深い物をかんじてしまう。
夜になり温泉を探した。
近くに大きな温泉施設があったものの行ってみたら『土日は宿泊客のみ』という悲しい扱い。
少し行ったところにあった小さな旅館『白地温泉 小西旅館』の小さなお風呂に入った。
無味無色の温泉はパッと見、普通のお湯に見えた。
晩ご飯。
辺りには何も無いのでネットを頼りに見つけたレストランに入った。
『ちょっとおしゃれなレストラン』と書かれていたけど、店内は落ち着いた音楽が流れていてその通りだった。
味はとりわけ美味しいという感じではなく、おそらく食材とかが良いんだと思った。
ただ、ご飯大盛りは『プラス200円』は高速道路のレストランの大盛りを知っているだけに、霞んで見えた。
寝床を探して車を走らせてたら見覚えのある景色に思えた。
とら母も同じ事を口にした。
昔来た時のことを思い出しながら川の畔まで来たら、やっぱり2009年のシルバーウイークにバイクで来たことがあった場所だった。
火葬場の近くで真っ暗。
車中泊している人も遠くに一台いるくらい。
でもうるさい小僧や装備充実で一晩中空調を効かせたキャンピングカーも居なくて快適。
上の方に見えるオレンジの光は高速道路のトンネルの入り口の明かり。
追伸
家に帰って踏切で撮った写真をとら母に見たら友和子が写ってると教えてくれた。(白と黒の横縞柄の服を着てた。)
ちょっと嬉しかった。
続きは次回に。
ではまた。
娘がある日突然『アンパンマン列車に乗りたい!』言ってきた。
とら母に理由を聞くと、『めばえ』(幼児向け雑誌)にそれが載っていたそうで、それからというもの、
朝起きたら『アンパンマン列車、乗りたい!』、
ご飯食べようとしたら『アンパンマン列車、乗りたい!』、
風呂に入ったら『アンパンマン列車、乗りたい』って言うようになった。
まだあまり言葉も上手に話せない娘が必死になって話しかけてくるのを見て、連れて行ってあげたくなった。
と言うことで先週末の三連休にアンパンマン列車が走る四国へ行った時の話になります。
北海道に車中泊で旅して以来、車で寝るのと温泉に入ることばかり言うようになった娘。
少しでも喜ぶようにと三連休の前日の金曜日の夜から家を出る事にした。
本当なら15時くらいで会社を上がり、準備をして18時くらいに出発するつもりが、職場でつまらんことを言うヤツの対応に
追われ、会社を出たのが20時。
結局家を出たのは22時半を回っていた。
名神吹田ICから高速に乗り、数キロも走らない吹田SAで晩ご飯を食べることにした。
職場でのつまらんヤツの事が頭から離れず、高速に乗る前にセルフスタンドで給油した際に、給油口の扉どころか、燃料キャップも
閉めないでここまで来てしまった。
我ながら一つのことしか考えられなくなってしまっと実感する。
こんな風に『老化』を顕著に感じることが増えたのは悲しい。
高速のレストランの『ご飯大盛り』はいつ見ても豪快なくらい『大盛り』なのには感動すら覚えてしまう。
惜しみなく、そして何のためらいも無く大盛りによそってくれるお店のおじさん、おばさん、ありがとう。
白飯が好きな娘。
白飯さえあれば他は何も無くて良いくらい、ご飯だけをせがんでくる。
嗚呼、炭水化物娘
ツリーが早々と飾ってあった。
もう、そんな時期なんだと思った。
時間は23時半を回っている。
SAを出ようと車を走らせたらバイク駐車スペースに何台かバイクが見えた。
暗くて手ぶれがひどい写真で分かりにくいけど、『ハイスピード系』のリッターバイクが何台か駐まっていた。
ライダーはみんなオッサン。
ここんところ、バイク乗りはみんなオッサンか、ジジイばかり。
寒い中、ガッツあるおっさん達だった。
午前0時半。とら母も友和子も後部座席で寝ている。
明石海峡大橋を通過。
午前2時。『淡路島南PA』
本当なら四国に上陸していたかったけど睡魔に負けてここで車中泊。
ミニバンと違って室内高が低く車中泊のためにベットを準備するのに、毎回荷物を整理ないとならないのがネックな車。
スッと寝床に入れる車が羨ましい。
一夜明け、いつものように朝起きるのが遅く、自分が車から降りたのは10時を回っていた。
PAで遅い朝ご飯を食べる。
ここでも豪快な『ご飯の大盛り』にありつけた。ありがとうございます。
とら母が名前に釣られて買った『鳴門金時芋ソフト』
美味しくないわけではないけど微妙な感じ。
『別に芋なくてもええやん』ってな感じ。
昼12時過ぎに出発。
5分ほどで大鳴門橋にさしかかる。
余談ですが・・・
『原付鎖国』と言う聞き慣れない言葉。
淡路島でのことでした。
淡路島は高速で本州と四国につながっていて、他の交通手段は船だけ。
本州と淡路島を結ぶフェリーが廃止になってから原付バイクの行き来ができなくなって、そう呼ばれるようになったらしい。
誰が付けたかそのネーミングは失礼ながら、うまい表現だと思ってしまった。
でも今は新造船が就航してから本州と淡路島は原付鎖国は解かれた。
でも四国に渡る方法は・・・・無いみたい
関西圏から程よい距離にあって、走りやすく景色も良いところなのに交通ルートが限られているせいでもったい無い気がする淡路島。
アンパンマン列車は徳島駅を15時に発車する。
1時間半ほど時間があったので、徳島の眉山公園に行ってみることにした。
徳島市街の中心地に隣接する標高280mの山。山と言うより丘陵地にような感じでその山頂が公園になっている。
山頂へはアクセスにはロープウエイもある。
山頂の展望台。
徳島の中心地を一望できる。
車で上がって来る人にロープウェイで上がって来る人。
中には歩いて上がって来る人もいた。
ぱっと見、灯台かと思った構造物。
『眉山山頂LED万華鏡』と書いてあった。
下から覗くようになっている。
特段美しいわけでもなく、LEDである必要性も感じない。
液晶テレビで万華鏡の映像を流しているみたいにしか見えなかった。
山頂には放送用かと思われるアンテナ塔があったりして、そのせいかこの万華鏡も何かの工業用の施設にしか見えず、存在自体を
気付いた人が少なかった。
山頂に向かう時に、いきなりリードを付けていない犬がぞろぞろと出てきちょっとびっくりした。
よく見ると首輪も付けていない。
久しぶりに野犬を見た。
気になったので帰りがけに探してみた。
するとさっきと同じ場所にまた居た。
成犬のメスが1匹と、あどけなさが残る生後4~5ヶ月くらいの子犬が6匹くらい居た。
凶暴性は感じられない。
人に寄ってくるまではいかないけど、それほど警戒心も無いように思えた。
捨て犬がここで子供を産んだように思えた。
ふと、もらってきたばかりな寅次郎の事を思い出した。
あどけない仕草て日なたぼっこをしている子犬をみたら、ちゃんと生きていけるのか心配になったけど、かたわらに餌が入ってた様な器があったので、
誰かが餌をあげてくれてるみたい。
ちょっと安心した。
3時少し前に徳島駅に戻って来た。
寅次郎は電車に乗れないからここで、とら母と友和子とお別れ。
犬も普通に電車に乗れたら寅次郎ともっと色んな所に行ってみたい。
ここから先はとら母と友和子のアンパンマン列車の旅。
列車の外装が『あんぱんまん』な他の列車と違い、この列車にはプレイルームがあって列車の中で遊ぶことが出来る。
単にシートや天井がアンパンマンな列車に乗って車窓をながめるよりも、子供は楽しめる。
楽しそうなだけに一緒に乗れなかったのがちょっと残念な気がした。
お父さんというのはそんな存在なのかも知れない。
一方、私と寅次郎は高速に乗り終着駅の阿波池田駅を目指す。
大井川鐵道の『きかんしゃトーマス』の時は、ゆっくり走るSLが相手だったけど、それでも山道で思うようには走れず追いつけなかった。
今回は高速道路。だけど相手は在来線を普通に走る特急なので状況的にはあまり代わりはしない。
慌てていくのもなんなんで制限速度プラス10キロくらいで走った。
平坦な真っ直ぐな道。
助手席はベニヤ板を敷いてフラットにした寅次郎専用の特等席。
肘掛けが枕代わり。
終着駅の阿波池田の最寄りのICの井川池田ICで高速を下りた。
高速が空いていたおかげで先回りができたので、どこか列車が見えそうな所を探してみた。
吉野川と山に挟まれた田舎町のため、線路と道が併走していない。
生活道路のような道を線路を探しながら車を走らせた。
何とか辿り付いたと思ったら線路をまたぐ陸橋で、これでは列車の天井しか見えない。
引き返そうとしたらそれまで無かった墓地が出てきて、先を進むとだんだんと道幅が狭くなりやがて車が通れない道になった。
迷ってしまった。
狭い道をバックでさがるしかない。ちょっと焦った。
ようやく踏切が見つかった。
阿波池田駅まで2キロの場所だった。
今、どの辺りまで来ているか分からない。
ネットで停車駅の時刻を調べる。
列車通過まで約10分程だと分かった。
背景に余計な物が写り込まないようにと踏切の回りをウロウロしながら撮影場所を探した。
遠くの踏切が鳴っていないか耳を澄ませた。
踏切の場所まで伝えられないので、電話でカメラの向きだけ伝えた。
遠くから踏切の鳴る音が聞こえてきた。
『特急剣山7号』
大井川鐵道の『きかんしゃトーマス』と違って速度が速い。
目の前をあっと言う間に過ぎていく。
あっけなく過ぎ去って行ってしまった。
今回の旅のメインイベントが一瞬で終わった。
あっと言う間だけど、それでもここで列車を撮るという目的ができ、それに熱中できて楽しい思いが出来た。
年を取るとやりたい気持ちはあるけど、行動力や気力が落ちてきてきて何も出来ない自分を感じることが多くなる。
でも目的が見つかると、薄れ掛けた『やる気』がちょっとだけ復活する。
この先の人生は、他人をきっかけにしてでもアクティビティーを上げていかないとだめだと思ったりする。
嗚呼、来年50才。
そういった意味では『アンパンマン列車に乗せてあげた』というよりも『アンパンマン列車を見る旅で楽しませてもらった』というのが
オッサン的には正解な気がする。
夕方5時半
到着駅の阿波池田駅についた。
初めて来た駅。
こんな事が無いと訪れる事も無かった町。
そう思うと、まだ行ったことが無い町が五万とあって、日本はまだまだ広いと思うのと同時に、ここに来たことも感慨深い物をかんじてしまう。
夜になり温泉を探した。
近くに大きな温泉施設があったものの行ってみたら『土日は宿泊客のみ』という悲しい扱い。
少し行ったところにあった小さな旅館『白地温泉 小西旅館』の小さなお風呂に入った。
無味無色の温泉はパッと見、普通のお湯に見えた。
晩ご飯。
辺りには何も無いのでネットを頼りに見つけたレストランに入った。
『ちょっとおしゃれなレストラン』と書かれていたけど、店内は落ち着いた音楽が流れていてその通りだった。
味はとりわけ美味しいという感じではなく、おそらく食材とかが良いんだと思った。
ただ、ご飯大盛りは『プラス200円』は高速道路のレストランの大盛りを知っているだけに、霞んで見えた。
寝床を探して車を走らせてたら見覚えのある景色に思えた。
とら母も同じ事を口にした。
昔来た時のことを思い出しながら川の畔まで来たら、やっぱり2009年のシルバーウイークにバイクで来たことがあった場所だった。
火葬場の近くで真っ暗。
車中泊している人も遠くに一台いるくらい。
でもうるさい小僧や装備充実で一晩中空調を効かせたキャンピングカーも居なくて快適。
上の方に見えるオレンジの光は高速道路のトンネルの入り口の明かり。
追伸
家に帰って踏切で撮った写真をとら母に見たら友和子が写ってると教えてくれた。(白と黒の横縞柄の服を着てた。)
ちょっと嬉しかった。
続きは次回に。
ではまた。