オクテック ガレージ ブログ OKU-TEC garage

大した人生ではないけれど,それでも読み返せば思い出されるあのときのこと.消えないように,そして生きた証になるように

歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その3(茨木市~自宅)最終章

2020-12-30 01:43:13 | 歩き旅

28日、29日が在宅勤務で明日からようやく正月休み。

今年は暦の関係でか年末ぎりぎりまで仕事に思えてしまいます。

歩き旅の続きを書きあげたいと思います。もう少しお付き合いください。

 

「歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その2」の続ききなります。

 

時刻は6時20分。陽はどっぷりと暮れてしまいました。

安威川に架かる千歳橋。

阪急茨木駅までもう少し。

 

「端っこ歩いたらアカン!!」 

子供って不思議と地面の模様や色を選んで歩きます。歩道の端っこを歩く娘を見てハラハラしてつい声をあげてしまいます。

 

 

 

 

6時40分。阪急茨木駅を通過

 

 

 

山崎駅を出て約15キロ。

晩御飯をどこで食べようか、何を食べようかなんて話しながら歩いてました。

 

 

地面の色を選んで歩く娘。

一番のムードメーカー。よく頑張ってくれてると思います。

 

 

 

 

なかなか気の利いた食べ物屋さんを知らないので結局、国道171号線を歩いているときに見かけた「王将の看板」に誘発されて

王将で食べることにし、阪急電車から逸れ少し北に進みました。

 

見慣れた風景。

この先にはお気に入りの公園があるので、喜ぶ顔が見たくて黙って歩いて行きました。

立命館大学横の「岩倉公園」。

公園巡りと称して探して見つけ、その後よくヴェクスターに乗せて遊びに来ました。

 

 

 

幼稚園の頃、よく来ました。

そのころ、届かなかった遊具。

小学生くらいの女の子がこれで遊んでいるのを見て「お姉ちゃんだなあ」と思って自分の娘の幼さを実感していたのですが、今では娘がその年頃。

そう思うと、微妙な気持ちになります。

 

 

 

一緒にいる以上、楽しませてあげたいと思うわけですが、どうしてやるのが一番なのか。迷うことの多い父親でございます。

 

 

 

頭上を横切る高架はJRの貨物線。

ひときは高いところを走っていて結構あちこちで見かけるものの、地図でも細い線でしかか描かれてなくてなじみのない路線です。

JR京都線と並行して走っていて、茨木市を大きく弧を描きながら摂津市の新幹線鳥飼基地の隣にあるJR貨物 大阪貨物ターミナル駅まで続いています。

実際にここを貨物列車が走っているのを見たことがありません。

 

 

茨木市にも王将はありましたが、食べてからまた歩くとおもうと足が重くなるので、少し遠回りして地元の王将まで足を運びました。

 

 

 

8時半前、ようやく夕食にありつけました。

 

 

 

 

ラーメンだけなら専門店の方がおいしいですが、看板の6ケで220円の大きな餃子はやっぱりおいしいです。

疲れた体に王将のボリュームある料理は、たまりません。

 

 

10時前、無事家にたどり着きました。

娘はケロッとしていて、とら母は普通。一番体に来ていたのは私でした。

 

歩いた総距離21.69キロ 時間:9時間39分(一時停止43分) 歩数:33463歩   アプリ:アディダスランニング

 

 

長い話にお付き合いくださりありがとうございました。

今回は帰ってくることを考えて、どこかの駅から自宅までというルートで歩きましたが、それだとルートが限られるため次は、

どこかの駅からどこかの駅といった感じにして全く知らない土地を歩いてみようかと思います。

 

ではまた

 


歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その2(高槻市~茨木市)

2020-12-28 03:05:07 | 歩き旅

歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その1 の続きになります。

 

JR山崎駅から4キロほど来た線路沿いの道。

 

 

 

 

 

住宅地から離れた線路沿いの道。

フェンスに絡まった茎にポツリポツリとかわいらしく咲く赤い花。

 

 

 

 

「レンズ」というアプリ。カメラで撮影すると勝手に検索してくれます。

「便利になったなあ」なんて話しながら散策。

 

 

 

公園を発見。

 

 

 

何かを読むとら母(嫁)。

空を見上げる娘。何を見ていたんだろうか・・・・。

 

 

 

街道沿いとあってか寺や神社があちこちにあります。

 

 

 

 

のどかな景色と不釣りな高い高架道は名神・新名神高速道へ通ずる高槻ジャンクションへの道。

 

 

 

「冒険してみよう」って話しながら少し高いところを歩いてみたりしました。

冒険とよべるものではありませんが女の子が一人で行けないところを一緒に歩いてみたり。

単調に歩くよりも楽しかったりするんじゃないかと、いろいろ考えながらお父さんは歩きました。

 

 

 

コンビニで少し休憩。

娘は駄菓子。私たちはあんまんに肉まん。うまし!!

西国街道は江戸時代に栄えた街道らしく、昔の人もこうやって茶店で一休みしたのかもしれません。

 

 

 

JR高槻駅前。

道を挟んで見えるのは高槻病院。

娘が生まれたとき気胸と分かり、運び込まれたのがこの病院でした。

生まれてくる娘を迎えに行くためにと、この日のために初めてトヨタのディーラーで新車で買ったプリウスα。

でも、娘が初めて乗った車は救急車でした。

当時の日記がコチラになります。

 

「おぎゃー」と勢い良く泣きすぎたからでしょうか。

クラスで一番大きな娘。生まれたときは大きめでしたが、それでも赤ん坊なのでちっちゃいかったです。

新生児集中治療室(NICU)での治療、そして退院し家に迎い入れた時のこと。寅次郎(犬)が元気だったこと。その時の日記を読むと思い出します。

 

 

 

私たちはなかなか子宝に恵まれませんでした。

不妊治療の病院もここ高槻でした。

とら母(嫁)が病院で診てもらっている間、私と寅次郎が時間をつぶした神社がこの坂を上ったところにありました。

寅次郎は吠えたことがありませんでした。いつも無口で私のそばにいてくれて、私を支えてくれました。

何もねだらない良い犬でした。

 

 

 

芥川商店街

地元の商店街は寂れてしまいましたが、ここの商店街はまだ少し活気がありました。

 

 

 

 

商店街を抜けるとまた古い街道っぽい雰囲気になりました。

 

 

 

 

時刻は4時半をまわり、日が傾き始めてきました。

 

 

 

JR山崎駅を出発しておおよそ10キロ。

駄菓子屋があったので入ってみました。

お店の中には何脚かイスが置いてあって子供たちがおしゃべりできるようになっていましたが、それもコロナの影響でできないとお店の人が嘆いていました。

 

 

 

国道171号線。

通称"イナイチ"。京都の東寺から神戸まで通ずる主要国道です。

 

 

 

公園を見つけて走っていく娘。

 

 

 

「公園って好き?」

そう聞くと「うん」と返ってきます。

でもやっぱり友達がいない公園は寂しそうに見えてしまいます。

 

 

 

 

国道171号線沿いにある明治の工場。

チョコっと見えている茶色の看板の裏側が電車から見える巨大板チョコの看板になります。

 

 

 

 

チョコの製造工程が見学できる「明治なるほどファクトリー大阪」

ここもコロナで一般の見学は休止中みたいです。

 

 

 

 

JR山崎駅を出発しておおよそ13キロ。

時刻は5時半を回ってしまいました。

右手に見えるのは阪急電車。

 

 

 

すっかり日も暮れて少し疲労感が漂ってきました。

団地横の小さな公園に少し立ち寄ることにしました。

「富田町二丁目さざんか児童遊園」

 

 

 

 

阪急総持寺駅。

そろそろ打ち切って乗って帰ったほうがいいのなんて軟弱なことを考えたのは私だけだと思います。

娘は単調なのに少し飽きたくらいで元気。とら母は意外と普通。腰痛がこたえて一番イケてないのは私でした。

 

 

 

JR山崎駅を出発しておおよそ14キロ。

地元の駅まであと3駅。少し家に近づいた気がしました。

 

 

少し長くなったのでまた続きを書きます。

ではまた


歩き旅 京都JR山崎駅から歩いて帰ってみた。西国街道を歩く その1

2020-12-20 03:01:10 | 歩き旅

ちょうど一年前、知らない町を歩いてみようってことで、大阪城を出発して家までの16キロを歩いて帰ってきました。

かっこ良い言い方をするならば「町歩き」とか「歩き旅」というのでしょうか。

これが思いのほか楽しくて、また春になったら歩いてみようって言ってたのですがコロナで延期。

それでもいつか行けたらとグーグルマップを眺めてルートを考えていました。

次行くとしたら、距離は欲張って少し伸ばしてみたい。

歩く時間を考えると出発地点まではスッと行きたい。

主要道路はできれば避けたい。

そんな風なことを思いながらルートを思案してきました。

 

11月の終わり。また寒くもない良い気候だったので、行こうってことになりました。

歩き旅の第二弾は大阪と京都の県境にある京都のJR山崎から自宅まで歩いて帰るコース。

グーグルマップでのルート検索では距離が約19キロとなっていました。

 

 

 

 

 

 

10時半すぎに家を出発。

朝9時くらいに出発したいって言っててもいつもこんな感じでグダグダな出発。

 

 

 

 

 

 

親の趣味に付き合わされている娘の楽しみといえば道中にある公園に立ち寄って遊ぶこと。

家を出て5分少々。小さな公園に早速寄り道。

ここでスルーすると、こんな歩きに付いてきてくれなくなりそうなので邪見にせず拾っていきます。

 

 

 

 

 

私は娘と手をつなぐのが好きです。

もう少しお姉ちゃんになると手をつなぐのも不自然になって、なのでこうやって手をつないで歩くのも今のうちなんだろうなと思います。

それまではつないでいたいです。

 

 

 

 

 

 

11時前、最寄りの駅に到着。

目的地の山崎までは路線は同じ。

 

 

 

 

 

 

また身長が伸びたみたい。

私の子供のころもそうでしたが電車の吊革に届くかどうかが成長の一つの目安だった気がします。

 

 

 

 

 

 

電車の窓から見える明治大阪工場にあるチョコの巨大な看板。(出入口の扉に写ってる板チョコがそれです)

 

 

 

 

 

 

多分初めて降り立つ山崎駅。

大阪方面から来る車両がカーブを描いてやってくる。

いい撮影ポイントなのか撮り鉄が数名カメラを構えていた。

 

 

 

 

 

 

大阪と京都の県境

 

 

 

 

 

 

地下道には多くの鉄道写真が飾られていた。

 

 

 

 

 

 

 

古い駅舎を見ると

「国鉄」「いい日旅立ち」

そんな言葉がすぐに頭に出てきます。

 

 

 

 

 

古びたローカル色が強い駅なのに、駅前にはなぜか大勢の年配者のツアー客がいました。

 

11時半、山崎駅を出発。

 

 

 

 

 

 

駅前にある「離宮八幡宮」

創建は859年(貞観元年)。1100年余の歴史ある神社・・・ということを後で知りました。

 

 

 

 

 

 

 

荏胡麻(えごま)油発祥地らしく、この神社は油の神様だそうです。

離宮八幡宮の神馬。

今回何故か写真を撮ると言い出しました。

「カメラ女子」

 

 

 

 

 

 

撮影者:娘

 

 

 

 

少し進むとまた社寺がありました。

関大明神社(せきだいみょうじんじゃ)

 

 

 

 

 

室町時代中ごろに建立されたとあり、有形文化財とのことですが歴史ある神社も今はだれも管理していないそうです。

 

 

撮影者:娘

 

 

 

 

「西国街道」の標識が立ってありました。

西国街道は京都(東寺口)からここ大山崎を通り、大阪市内を経ないで西国(下関、九州まで)へ至る街道で江戸時代の幹線道路だったそうです。

 

 

 

 

 

この土地には関所「山崎関」があったとのことで、この「関」が関大明神社の名前の由来だそうです。

大阪府と京都府の境界を示す標識のよこにある「従是東山城国」の石標。

"従是"は"これより"と読むそうです。

 

 

 

 

 

道沿いの建物はどれも古く、街道らしさが残っています。

 

 

 

 

 

線路の先に見える茶色の建物がウイスキーで有名な「サントリー山崎蒸留所」です。

正直「山崎」といえばサントリーしか思いつかないほどこの土地のことを知りませんでした。

 

 

 

 

 

昼を回りお腹が空いきたので、どこかでご飯をたべることにしました。

何が食べたいと娘に聞くとうどんと言うのでGoogleで検索して一番近くにあったうどん屋さんに行くことにしました。

 

「かぎ卯」。

その時は知らなかったのですが創業は大正元年と歴史のあるうどん屋さんでした。 

 

 

 

 

 

みそうどん、美味しかったです。

 

 

 

 

 

うどん屋さんからすぐのところにある「水無瀬川緑地公園」に立ち寄りました。

ここは娘がもっと小さなころにとら母(嫁)が連れてきたことがある公園でした。

 

 

 

 

 

幼稚園ぐらいのころに来たんだと思います。

その頃なら遊具があるだけで喜んでくれてた娘も、今は友達がいないと楽しみ切れていないように思えます。

 

 

 

 

 

成長はうれしいことですが、娘の社会が広がる度に親の存在が少しずつ減ることになるので少し寂しい気がします。

 

 

 

 

 

1時半。

まだ山崎駅から1キロほどしか来ていないないのにこの時間で、この先の道中が少し心配になります。

 

公園から西国街道へ戻る途中で見つけた銭湯。

「昭和湯」

昔ながらの銭湯らしいです。車中泊の旅の途中なら是非立ち寄ってみたくなる銭湯でした。

 

 

 

 

 

 

西国街道を何気に歩いていてふと気づいたエブリバン。

車内には鉄オタが喜びそうな鉄道グッズが装備されていました。

 

 

 

 

「史跡 桜井駅跡 100m」の案内標識がありました。

線路から近い道を歩いてきたので昔の鉄道駅跡があるのかと立ち寄ったのですが・・・

 

 

 

 

 

 

結局何がどうなのかわからずじまいでした。

後で調べたらこの場合の「駅」は鉄道の駅ではなく大化の改新以降、幹線道路に中央と地方の情報を伝達するために馬を配置した役所のことを言うらしく

30里(16km)ごとに設けられていたそうです。

(歩き始めて3キロほど)

 

 

 

 

古い農機具が展示してありました。

あまり下調べしてこなかったので、歴史に疎い私たちはこういったものにばかり目が行ってしまいます。

 

 

 

 

歩き始めて4キロほど。

JRの古いガードをくぐり線路の北側の街道を歩きます。

 

サイクリストをよく見かけました。

さっき食べたうどん屋のおばちゃんと出しなに話した際に、歩いて家まで帰るというと、この辺りは自転車の人が多いと教えてくれて、びっくりしていました。

 

 

 

 

日向ぼっこしている犬。

この辺りは住宅地からも離れ、前は線路、後ろは山の、のんびりしたところでした。

 

 

 

 

「梶原一里塚跡」 ・・・と言っても、この日記を書いてるときに調べて知りました。

そもそも「一里塚」の意味すら知りませんでした。

(一里塚:江戸時代初期に主要な街道に1里(約3.927キロ)ごとに築かれた塚。榎(えのき)・松などが植えられ、旅人のための里程標となった。) 

 

 

 

 

長くなったので、続きはまたあとで書きたいと思います。