温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

大塩温泉 河原の湯 (60年ぶりに姿を現した幻の湯)

2011年11月09日 | 福島県
2011年7月下旬に発生した「平成23年7月新潟・福島豪雨」において、福島県会津地方の只見川流域は甚大な被害に見舞われました。只見川の場合は、単に雨によって川の水位が上がっただけでなく、水力発電用のダムによる放水が氾濫に拍車をかけてしまったことが特徴的でした。只見川にはいくつものダムが連なっていますが、このうち上流部に位置する電源開発(J-POWER)管理の奥只見・大鳥・田子倉など各ダムが豪雨により決壊の危機に瀕したため緊急放水を実施。これより下流に位置する滝ダムや東北電力管理の本名ダム・上田ダム・宮下ダムなども放水を行いましたが、上流域のダムの放水量があまりに多かったために下流の古い小規模ダムではそれらを受け止めることができず、川の水位が急上昇してしまう大氾濫となってしまいました。これにより東北電力の各ダムや発電施設が水没や損壊など致命的なダメージを受けたばかりでなく、流域の民家でも床上浸水や全半壊などの被害が発生、国道やJR只見線の橋梁・路盤も流出してしまい、11月8日現在でも只見線は会津宮下より西側が不通となっています。上流のダムの放水により下流域が被害を蒙る構図は、現在タイで発生している大洪水に似ていますね。ダム放水による災害なので、これを人災を捉える意見も多数ありますが、一方でもし放水が遅れてダムが決壊したら被害はこれでは済まされなかったという見解もあり、また原発事故による電力供給不足に伴い水力発電への依存度が急激に高まり、梅雨時期の降雨をいっぱいダムに溜めこんで夏の電力需要に応えようとしていたところへ、想定外の豪雨が襲ってきたことも今回の大氾濫の原因となっているようです。この会津の水害にせよ、浜通りの原発にせよ、両方とも首都圏への電力供給が絡んでいるという共通項を有しています。会津の血を25%引き、かつ首都圏で生活する私にとって、福島県内で起きている諸々の災害は、単に「お気の毒」という言葉では済まされず、非常に複雑な心境であります。



豪雨被害により機能不全に陥り、現在では湛水できずにただ放水するだけの本名ダム。

 
ダム直下の只見線第六只見川橋梁は本名ダム緊急放水の影響をダイレクトに蒙って流失してしまいました。ダラリと下がったレールが生々しいですね。橋付近の集落も冠水や土砂流出などの被害に見舞われ、いまだにブルーシートに覆われたままの爪痕が残っています。


こちらは路盤とともにトラス右側の橋桁も流されてしまった第五只見川橋梁。レールだけが宙ぶらりんのまま残っていました。普段は川が緩やかに流れる箇所ですから、ここまで川岸が抉られる氾濫が起きてしまったなんて信じられません。


ワーレントラスの第七只見川橋梁は上路式、つまりトラスの上に線路を敷くスタイルゆえ、川が大幅に増水するとトラスの下部が冠水しやすく、今回はその弱点が見事に露呈しちゃって、濁流の水圧をモロに受けて流出してしまったわけです。この橋梁はトラス部分のみならず、5連あるプレートガーダの一つも流れていますね。

 
橋の反対側には、水害とは無縁であるような紅葉景色が広がっているのですが…。
なお上の第七只見川橋梁の写真は平行して架けられている町道の橋の上から撮影したのですが、町道の橋は中路アーチであるため、増水した川の影響を受けずに済みました。この第七只見川橋梁の下流に架かる上路アーチの国道252号二本木橋も、やはり上路式ゆえに橋梁下部が水圧の直撃を受けて流出、現在でも通行止が続いており、この画像を撮った町道への迂回措置がとられています。



町道を迂回しながら大塩温泉の「民宿たつみ荘」に到着。まずはオーナーの三瓶さんご夫婦に挨拶し、コーヒーをいただきながら被害の様子を伺いました。建物は1階の腰のあたりまですっかり浸水し、家財道具や民宿営業に必要な諸々が流されてしまい、屋内は物品や漂着物が散乱して惨憺たる状況。建物の基礎も抉られてしまって、家屋全壊と判定されてしまったんだとか。隣の共同浴場も濁流の泥で埋まってしまったものの、自衛隊が3日間かけて懸命に泥掻きをしてくれたお蔭で、なんとか元通りの姿に戻れたんだそうです。

今年夏にアイスランドから帰国した時点で、私は大塩温泉一帯が氾濫被害に遭った情報を耳にしていたのですが、河岸の高台に建つこの「たつみ荘」が床上浸水していたことを知ったのは、情報社会とは縁遠い黒部の「仙人温泉小屋」に宿泊した時のことでした。たまたま豪雨が話題の俎上に上がった際、小屋のご主人である高橋さんが見せてくださったのが、インクジェットでA4用紙にプリントアウトされている、床上浸水した「たつみ荘」の画像でした。私も何度か大塩温泉に足を運んでおり(当ブログでも共同浴場季節限定露天風呂を記事にしています)、この場所が川面からどのくらい高いか知っていたので、まさかここが浸水するなんて夢想だにせず、画像を見ながら暫し呆然としてしまいました。仙人温泉の高橋さんと「たつみ荘」の三瓶さんは渓流遊びを共にした兄弟分なんだそうでして、会津から遠く離れた黒部の裏剱で「たつみ荘」の画像が見られたのはこうした縁によるものです。


お話を伺った後は、建物の裏手に回って川の方へ向かいます。春の雪解け時期のみに湧出する露天風呂は、氾濫時にすっかり濁流に飲み込まれてしまいましたが、浴槽は流出することなく、一部欠損のみで何とか生き残ってくれました。手前側には土嚢が積まれています。奥さん曰く、氾濫した川水が引いてから数日間は、このお風呂の温泉が湧出したそうです。


川へ下りてから「たつみ荘」を見上げると、抉られた基礎部分は応急的な盛り土が行われ、その上をブルーシートで保護していました。痛々しい光景です。

 
只見川の岸まで下りてきました。普段ここはダム湖の底ですが、本名ダムの放水・損壊により湖水がすべて流れ去ったため、いまから60年前にダムの底へ沈んでいった旧大塩集落が姿を現したのであります。岩の下にもぐっているコンクリの枡は、かつての井戸の跡でしょうか。


水害により流されて斜面に横たわっていた東北電力の境界杭が虚しげでした。


このコンクリの擁壁も60年前の集落風景のひとつを構成していたものでしょう。

  
最も注目すべきは湛水前の旧大塩温泉共同浴場で使われていた浴槽が、60年という歳月を経ていながら、そのままの姿を保っていたことです。完全に水没し、空気に触れることが無かったため、腐食することなく残っていたんですね。しかも温泉の湧出も続いていたことは驚きです。


旧共同浴場から現共同浴場を見上げてみました。現湯屋の屋根にはブルーシートが掛かっていました。排湯は以前同様川へ垂れ流されていますが、川の水位が思いっきり下がってしまったため、まるで滝のように落ち、いつもは湖の底となっている斜面を赤茶色に染めていました。

 
木の湯口からは源泉が投入されています。この湯口も昔のままなのでしょうか。ダム湖の底で60年も枯れることなく湧き続けていただなんてこの上なく神秘的であり、そのお湯に直接触れることができて感慨無量です。湯口の横でも炭酸を含んだお湯がブクブク絶え間なく湧き続けていました。この周りは再出現した際に、有志の方々が作業してくださったのでしょう。

 
浴槽の底からも気泡とともに間断なくお湯が湧きあがっていました。
浴槽は二つに分かれ、川側浴槽の温度は36.9℃とちょっとぬるめ、炭酸の影響によりpH6.4という弱酸性を示していました。


一方の山側浴槽は温度がもっと低く、今時季の入浴には適さない27.8℃でした。夏に入ると気持ちよさそうですが、来年の夏には再び水没してしまうので、こちら側に入る機会は無さそうです。

 
湯あみしながら自分撮りしてみました。60年ぶりに現れた幻のお湯に入れるなんて奇跡です。タイムマシーンで時空間をワープしたかのような錯覚に陥りました。


入浴すると気泡がびっしり付着。お湯は黄土色に混濁。湯口を嗅ぐと弱い金気臭が感じられ、出汁味+塩味+微金気味、そして強い炭酸味が特徴的です。湯口付近で湧出しているお湯を掬って口に含むと、まさに天然のソーダ水ならぬソーダ湯で、口腔内でシュワシュワ弾けます。この炭酸感は口のみならず全身で感じられ、お湯から上がろうとすると、泡が肌で弾けてシュワシュワが体感できました。また、お湯の温度は40℃未満ですが、炭酸ガスの温浴効果が強いためか、湯上りはいつまで経っても汗が引かず、長い間全身ポカポカし続けました。

河原の湯を動画で撮ってみました。手ブレが多くてごめんなさい。


本名ダムの修復完了後は湛水が始まり、ここは再び水没してダム湖の底へと戻っていきます。ちなみに来年初夏には修復が終わる見込みとのこと。冬は豪雪に閉ざされてしまうので、このお風呂に入れるのは今、もしくは来春の雪解け後の短期間しかありません。



福島県大沼郡金山町大字大塩字休場3106-2  地図
たつみ荘のブログ
入浴希望の際はたつみ荘に必ず声をかけてください。
なお川が増水したら忽ち水没して入浴不可となります。

コメント (4)
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