

紀伊半島に湧出する温泉の中で最も高温の源泉を有する湯の峰温泉は、言わずと知れた世界遺産にも登録された悠久の歴史を擁する温泉地であり、昔も今も熊野詣をする人々を癒し続けているわけですが、私は当地へ2度訪問しているにもかかわらず、湯の峰温泉の肝心要である「つぼ湯」には入ったことがありませんでした。2度とも連休中だったため、貸切利用の「つぼ湯」は1時間半から2時間近い待ち時間が発生しており、せっかちな性分の私はその時間を待つことができなかったからです。でも今回(2013年12月)は平日に訪れることができたため、温泉街は日中だと言うのに人影はまばらで、公衆浴場の番台にて「つぼ湯」の入浴を申し出ると、待ち時間無しですぐ利用することができました。受付では料金の支払と引き換えに番号札を受け取ります。


沸騰状態に近い高温のお湯がボコボコ湧いている湯の峰温泉名物の「湯筒」。普段なら誰かしらがタマゴや野菜などをボイルしているものですが、平日の夕方で観光客の姿も殆ど見られなかったからか、この時は何も茹でられていませんでした。


「湯筒」の対岸にあるお寺の脇でも、朦々と湯気を上げつつ湯枡を象牙色に染めながら、高温の源泉が湧いております。寺院と湯煙が同じ画角におさまる光景って、いかにも日本らしい組み合わせであり、和の情景として意外にマッチするものですね。


まずは「つぼ湯」の湯屋と待合所を、紅葉とからめて撮影してみました。穿った見方をすれば、観光客に阿っているような、少々お誂え向きな感は否めませんが、それでもなかなかフォトジェニックじゃありませんか。なお湯小屋の上に建つ小さな待合所は、先客がお風呂から上がるのを待つためのものですが、今回は先客がいませんから、ここで待機することなく、ダイレクトに湯小屋へと向かいました。


石段を下りて、狭い谷に挟まれた小川の畔に佇む湯小屋へ。


入室の際には、戸口の左脇にある金具に、公衆浴場の受付で受け取った番号札をかけておきます。戸を開けて中に入ると、更に下る石段が続いており、その一番底に「つぼ湯」の小さな湯船が白濁のお湯を湛えていました。これが熊野詣の湯垢離場である、古式ゆかしきお風呂なんですね。入浴スペースは実にコンパクトであり、脱衣室なんてものはありませんが、岩の上には編み籠が3つ用意されており、画像に写っているように着替え用のスノコも敷かれていますので、どなたでも不便を感じること無く利用できるでしょう。


湯船を板で囲っただけの至ってシンプルな浴室。内部にシャワーなんて現代的なものはありませんので、桶でお湯を汲んで掛け湯することになります。桶と腰掛けは2人分用意されていますが、掛け湯できる空間は必要最低限しか確保されていませんので、複数人で利用する場合は譲り合いながら掛け湯した方が良さそうです。なお石鹸等は使用不可です。
名は体を表すという言葉通り、天然の岩を積み上げられて造られた湯船の形状はまさにツボ状態で、1人ならゆったり、詰めて2人入るの程度の大きさしかありません。底には玉砂利が敷かれており、その砂利の下からお湯が湧出(つまり足元湧出)しているのですが、湧出温度が高いために入浴には熱すぎることもあるらしく、傍にはかき混ぜ棒が備え付けられている他、加水用のバルブも取り付けられているので、これらで適宜温度調整してから入浴します。なお私の利用時には体感で44℃ほどでしたから、何もせずそのまま湯浴みすることができました。


大和塀のような湯小屋の囲いにはウインチが取り付けられていますので、こいつをグルグル回したら塀が開閉するのかもしれませんね(尤も利用客は操作できませんが)。
コバルトブルーを帯びた美しい灰白色に濁る湯船のお湯からは、(非火山地域にもかかわらず)火山地帯の噴気孔のような刺激を伴う硫黄臭が放たれており、他の温泉で得られるような硫黄由来のタマゴ味とはやや異なる、茹で卵の卵黄と卵白をミックスさせたような独特な硫黄的味覚とかなり薄めの塩味、そして粉っぽい味とほろ苦味が感じられました。浴感としてはキシキシ感の中に弱ツルスベが混在していると表現すれば良いかも思います。紀伊半島で温泉めぐりをしていると、無色透明でぬるいのお湯が多いので、この湯の峰温泉のように、個性が強くて湯加減の熱いお湯に浸かれると身も心もシャキッとリフレッシュできて嬉しいですね。
語り継がれている伝説によれば、今から600年前に訳あって常陸の国を追われた小栗判官が、三河方面へ向かう途中に現在の横浜市戸塚辺りで潜伏していたら、あろうことか盗賊に毒を盛られて体調を崩してしまうのですが、照手姫(※1)の手を借りて藤沢の遊行寺(※2)へ逃げ込むと、その後遊行上人や照手姫などの援助によって熊野詣をすることになり、湯の峰温泉で湯治をしていたら、なんと病が癒えて全快してしまったんだそうです。それだけこのお湯は霊験あらたかなんですね。
(※1)相模湖近くにある美女谷温泉の名前の由来となっている人物
(※2)箱根駅伝でお馴染みの時宗総本山
神奈川県民である私は、江戸に所在する会社で白眼視を浴びながら平日休暇を取得し、社員としては角番力士のような境遇で熊野の湯の峰温泉へとやってきたのですが、この「つぼ湯」に浸かっていたら、現神奈川県からこの地へやってきた小栗判官の伝説と己の境遇が僅かに重なるような気がしてならず、制限時間の30分ギリギリまで目一杯湯垢離をして、周囲から浴びた冷たい視線による心の傷を懸命に癒やして心身の回復を図ったのですが、これって単なる自業自得を伝説に無理やり当てはめて牽強付会に言い訳しただけにすぎず、熱めの風呂に肩まで長い時間浸かっていたら、回復どころかすっかり湯あたりしてしまい、フラフラになりながら這々の体でこの晩の宿へと帰っていったのでした。霊験にあやかるどころか罰に当たったのかもしれません。あぁ情けない。
含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉
和歌山県田辺市本宮町湯の峰
0735-42-0074(湯の峰温泉公衆浴場)
つぼ湯紹介ページ(熊野本宮観光協会公式サイト内)
6:00~21:30
770円(2014年4月以降)(公衆浴場料金を含む)(1組30分まで)
備品類なし(石鹸など使用不可)
私の好み:★★★