パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

魚をさばく

2008年06月30日 | 衣・食・住
6月30日(月)曇り
娘がグリーーーン(だから、カタカナで呼ぶのやめて!)のCDを買ってきた。
で、付録のDVDを見て叫ぶ。
「○近川だ~~っ!」
なんと、我が家のすぐ近くの川やら公園やら橋やらが映っていた。
東京に住んでいると、こういうことがよくあるので、楽しい。

週末に義弟一家が来宅した時のこと。
メインの料理として、魚の塩竈焼きにトライしたかった。
そんなワタクシの思いが通じたのか、近くの魚屋さんで、大きな鯛の安売りが!
大きくて綺麗な鯛である。安い!
夫は「刺身で食べたい」と言いたげだが、妻は「塩竈蒸し」に燃えているので聞く耳持たず。
で、調理を始める。
鯛って、鱗がすごいのねえ~と、感心してる場合ではない。
こんな時のために、鱗とりの一つくらい買っておくべきだったと思うも後の祭り。
しょうがないので、包丁で地道にこさぐ。
あれ?こさぐって、方言?
こそげ落とすが標準語?
大きい鯛なので(しつこく強調)鱗も大きく頑丈。
で、夫に助けを求めるも「調理したら食べられなくなるからいやだ」と拒否。
そういえば、実家の義弟Aも、お正月に大きなブリをもらって、綺麗にさばいて
お刺身にこしらえ、自分は一つも口にしなかった。
調理すると、生きていた時の形が思い出されるらしく、夫も弟も義父までもが
食べられなくなるらしい・・・
そういう繊細というか、軟弱ということとは、一番かけ離れている人達だと思っていたのに・・・
そして、義弟Bも「美味しい美味しい」と絶賛してくれ、バクバク鯛を食べながら、
「俺も、だめ!調理したら、食えなくなる」
私は、食用として、割り切れれば、魚をさばくのも、食べるのも、平気!
そりゃ、大きな鯖あたりから、だんだん内蔵もグロテスク度が高まってはくるが、
それでも、上手におろせたという自己満足度のほうが高い。
しかし、同じ魚でも、メダカの死骸には触れない。
メダカが死んでしまった時も、どうしても触れなかった。
娘と、半分本気で大ゲンカである。
「あなたのメダカなんだから、あなたがちゃんと取り出して、
下の花壇のところにでも埋めてあげなよっ!」
と、けんか腰で言う、私は、手にいりこを持ってて、だし用に頭をちぎり、内蔵を取っている。
いりこは平気で、めだかはだめなのである。
イワシの手開きなんて、考え方によっては、めちゃ残酷な気もするが、
これまた平気で、「イワシの蒲焼き丼」を夢想しながら楽しく腹をかっさばく。
自分でも、理解に苦しむ感覚である。
コメント
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