パパと呼ばないで

再婚した時、パパと呼ばないでくれと懇願した夫(←おとうさんと呼んで欲しい)を、娘(27)「おやじ」と呼ぶ。良かったのか?

喧嘩

2019年02月04日 | 本・マンガ・テレビ・映画
2月4日(月)晴れ

愚痴やら聞くのはやめようと思ったことをつい最近書いたばかりだが、
ある意味「相談」というのもこれに近いとは思う。
そして、いつの世も、この「悩み相談室」というのは無くならないということから、世の人々はまあまあ相談事を聞くのが好きだと思われる。
昔のラジオの「身の上相談」に始まり、テレビでは「みのもんたさん」の相談コーナーが人気だった。
このころは、何が楽しくて人の相談を聞いてるんだろ?と思っていた。
それも不倫だ借金だ暴力だと、聞いていて気持ちのいいものではなかった記憶。
そういうのっておばさんたち特有の世界じゃないの?
いいえ!若者は若者で悩み多いわけで。
ラジオでは当時兵藤ゆきさんが悩み相談のカリスマ的存在だった。
何かの番組で彼女が言ってた言葉を思い出す。
「相談してくる子は、たいてい自分で答えを出している。あるいはどうしたいかという考えは持っている。
だからあたしはその子の背中を押してあげるだけ。」っていうようなことを。
その言葉は結構ストンと響いた。
だから、新聞やテレビの相談室を聞いていて「いやいや、その答えは違うやろ。この相談者はそんなこと言って欲しくて相談してるんじゃないと思うわぁ〜」と、相談者側からの目線になってる。

朝日新聞の土曜版に「悩みのるつぼ」というコーナーがあり、楽しみにしている(楽しんでいいのか?)
回答者が四人おられるのだが、(岡田斗司夫、上野千鶴子、美輪明宏、姜尚中 敬称略)
女性問題の上野千鶴子さん、死が出てくると姜尚中氏、もっとスピリチュアルな世界になると美輪明宏さん。
ちょっと難解だけど家族間の問題では岡田氏の答えは秀逸!と、それぞれの得意分野でのお答えが楽しい。
しかし、楽しさで言えば、こちらの相談室に勝るものをワタクシは知らない。
ほぼ日の「明るい家族相談室」
まあ、タイトルで明るいって言ってますからね〜
おヒマな方は是非読んでいただきたい。
あと、少しだけ疲れてたり、悩んでたりしてる方も読んでいただきたい。
笑っちゃうから。
今日、いくつかまとめ読みして、何度も吹き出してしまった。
中でもこれが一番好きだったかな〜
夫婦でケンカのマナーが違う
ケンカの仕方ってのは育ってきた環境で大きく違うと思う。
我が実家では、結構父の独壇場というか、短気な父が一人で興奮してちゃぶ台ひっくり返す勢いで、母が黙って言い負かされてる図。
子供心にすっごく嫌だった。
言われっぱなしの母にも腹立った。なぜ言い返さない!?なぜ自分の考えを言わない?と。
我が夫は穏やかな人だ。おそらく義実家で夫婦喧嘩とかなかったのだろう。
兄弟仲もいいし、ましてや夫と義弟たちは結構年の差があり、「にいちゃんは怖かった」と言われている。
夫に楯突く人はいなかったようだ。
よって、彼は喧嘩をすることなく大きくなった。
そして・・・妻から罵られても哀しい目をするだけで、それでは喧嘩にならん!ともっともっと妻から挑発され、
今、やっと少し喧嘩ができるようになった。
喧嘩をしないご夫婦が実在すると聞いた時(pさんご夫婦然り、三浦友和夫妻然り)ワタクシは心底驚いた。
そうか!夫が、夫のような性格と環境で育った妻を娶ったら、おそらく喧嘩をしない夫婦になった。
しかし、哀しいかな彼の娶った妻は闘争心むき出しで歯向かう妻だった。
そして、一方的というのを好まない対戦型の妻だった。
これはもうしょうがないことなのだよ。君も闘うしか道はない。
で、今に至る。

今日の一枚は、昨日のランチ。
カツを巻いてみました。少々色味が地味ですが。
今年も一年また仲良く喧嘩しながらも縁起の良い一年になりますように。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お遊戯会

2019年02月03日 | おでかけ
2月3日(日)晴れ

昨日は姪っ子Bのお遊戯会。
遠路はるばる出かける。
娘も、婚約者Yさんを連れてくる。
気の毒に・・・
何が楽しくて、彼女の従妹のお遊戯会に・・・と同情する。
が、優しい彼氏はせっかくの休日の朝早くから、ニコニコと参加してくれる。
お正月に初めて会った姪っ子達は嬉しそうである。
おぢ(←我が夫)の立場危うし。
あなたっ!もうこうなったら、モノでつる作戦でいくしか勝ち目はないわよ。

この姪っ子の通う幼稚園、結構な大所帯で、大きなホールを借り切って、3回に分けての公演である。
年少さんの、音程も何もあったもんじゃない叫ぶような合唱が、年中さん、年長さんへと、だんだんメロディが生まれていくあたりに成長を感じる。
親御さんはなおさらの感慨だろう。
年長さんを「2年後はあんなにおねいちゃんになるものだろうか?」と羨望の目で眺めていたことを思い出す。

久しぶりに見るちっちゃい子達の歌やダンス、劇の可愛い事ったら。
年二回の苦行であるA夫人の夫の趣味の演劇公演鑑賞の百倍楽しかったわ。
姪っ子Bの出る演目はピーターパン。
彼女はティンカーベル。
かわゆい。
ちょこちょこ走る回るたびに、手にしている鈴が鳴って可愛さに拍車をかける。
可愛かったわ〜と余韻に浸っていると、終わりの言葉を言う三人の園児が舞台に出てきて・・・
娘「あれっ!?Bちゃんじゃない?」
バタバタ慌ててアイフォン手にするおぢ。
後から義弟Bの嫁Yさんが「サプライズでした〜〜〜」
教えててよぉ〜まぢでびっくりしたから!!!
そう言えば彼女のラインに「最後の最後までお楽しみください」ってあったのは伏線だったのかっ!

みんなでぞろぞろ中華屋さんに入ってお食事会。
子供らとゲーセン行ったりファミレスでお茶したりしてから解散。
楽しい休日でありました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

思い出したこと

2019年02月01日 | おもいで
2月1日(金)晴れ

昨日、ブログ書きながら昔のこと色々思い出していた。
そして、大して好きでもなかった先生なのに妙に覚えていることとかあって、先生というのは良くも悪しくも柔らかい脳に影響を与えるんだなあと。
で、ここで改めて先生のことを思い出してみると・・・
大して影響を受けた先生はいないというのが結論。なんじゃそりゃ。
でも、昨日も思ったことだけど、先生の好き嫌い関係なく、それでも影響力はある人なんだから聖職なのだと思う。
心して「なりたい」と思って欲しいし、そういう人に「なって」欲しい。

小学校からの幼馴染かこちゃんは、小学五年の担任O先生が、転校生の結花ちゃんの名前を褒めちぎった。
「花を結ぶと書いて・・・云々」(←なんか綺麗な話だったが失念)
15年後、かこちゃんは自分の娘に結花ちゃんと名付けた。
ワタクシ、同じクラスだったのにその話が全く記憶にない。
O先生といえば、同じ学年に息子がいて、さらには年子の双子の弟がいて、O先生はガリガリなのに、この息子たちはものすごく大きくて、そっくりで、まるで三つ子みたいだねと言ったら、
O先生の近所に住む子が「先生の奥さんにそっくりなんだよ。おばさんだけど四つ子みたいだよ。」と言ったことしか覚えてない。

中二の時の社会のN田先生。
「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を授業の始まる前に唱和させるようなめんどくさい先生だったが、なんの拍子にか「うちの奥さんは夜寝る前にマダムジュジュを塗って・・・」と言ったのがミョーにおかしくていまだに覚えている。
思い出しついでに今度マツキヨでマダムジュジュ買って、「これだけ塗り」とやらをしてみようと思った次第。
ああ、14歳の頃のつるっつるぴっかぴかのお肌が、かっさかさしわっしわのお肌になるなんて、月日は残酷。

高校生になってからも、大して好きな先生もおらず、ただただ変な先生の変な話だけ思い出して、ああ早く帰省して先生の悪口大会を開催したい!
今年の目標は、「会いたい人に会う」

思い出ついでに・・・
20歳ごろの話。
悪友A美と大晦日に夜遊びした。当時流行ってたカラオケとディスコがごっちゃになったような居酒屋で。
二つくらい年下な男の子グループがいて、話をすると、我が県屈指の進学校出身のお友達グループ。
その中の一人がKuwata bandの「バンバンバン」を歌った。
すごく上手だったが、それ以上に
♪BAN BAN BAN
One day wearin' so many wears
So many chapeaux
And so many ties♪
の英語の歌詞が流れるように上手だった。歌もうまい上に英語もうまいのね〜と思った。
聞くに、その子は浪人生で、いやいやこの時期に遊んでて大丈夫か?と思ったが、頭良い子ならでは反骨精神だったり破天荒だったりなのかとも思った。
年が明け、このまま初詣行こうぜ〜〜〜とすぐ近くにある神社へぞろぞろと行った。
その子がおみくじを引いた。
大凶だった。
初めて見た。なんかちょっとだけ神様を信じた。

明日は姪っ子のお遊戯会。
自分の、色々不満だったり不本意だったりしたお遊戯会を思い出し、
結構花形的な、親の鼻高々的だった娘のお遊戯会を思い出し、人生ってうまくできてるわと、また神様の采配に感心したりする。
明日のティンカーベルが、楽しい思い出になって欲しいと思うおばちゃんである。

今日の一枚は・・・
生まれて初めて新幹線に乗って、東京へ家族旅行。
東京タワーのエレベーターの中で、赤鬼のようにデカイガイジンさんに「カワイイネ」と声を掛けられ固まるn5歳。
ガイジンさんが苦手になったのはそれからかもしれぬ。と、本日は終始思い出に浸っております。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする