2011年8月20日(土)、八戸市埋蔵文化財センター・是川縄文館(八戸市大字是川字横山1)に行って来ました。是川縄文館は、是川遺跡や風張1遺跡などを通して、八戸の優れた縄文文化を発信する私設・機関として、2011(平成23)年7月10日に開館しました。
「是川遺跡」は、中居遺跡(縄文時代晩期、弥生前期 3000年前~2200年前)、一王寺遺跡(縄文時代前期・中期 5500年前~4000年前)、堀田遺跡(縄文時代中期・後期・晩期末、弥生前期 4000年前~2200年前)の3つの遺跡の総称で、総面積24万5千㎡(うち国史跡指定約3万㎡)。八戸市縄文学習館(分館)は中居遺跡の中にあります。
(上)分館としてリニューアルした縄文学習館の常設展示室にある「是川遺跡」立体模型。
2011年8月20日(土)、是川縄文館開館記念企画展「八戸の埋蔵文化財」(7/10~9/25)が行われていました。また、企画展考古学講座3も行われていました。
是川遺跡と泉山兄弟:是川遺跡は、木造町の亀ケ岡遺跡と共に縄文時代晩期の重要な遺跡と知られるようになるが、泉山兄弟の最大の功績は是川地区から遺物の持ち出しを禁じ、保存に努めたことにある。亀ケ岡遺跡の遺物はほとんどが散逸してしまっているが、是川遺跡は、ほとんど現地に保存されている。
1957年、是川遺跡は国史跡に指定、1962年には、遺物633点が国の重要文化財に指定された。その時に泉山兄弟は、一切のコレクションを八戸市へ寄贈。八戸市は、収蔵するための「是川考古館」を建設した。斐次郎(あやじろう)は岩次郎の死後もその遺志を受け継いだ。岩次郎は、義弟の斐次郎と共に八戸市特別功労者、東奥賞、青森県褒賞などを受賞。また斐次郎は文化庁長官賞も受賞した。
(上)兄、泉山岩次郎(1876~1963)は、八戸市新井田生まれ。婿として泉山家に入り、泉山銀行、八戸銀行の取締役、セメント会社などの重役を務めていた。
弟、泉山斐次郎(あやじろう、1888~1982年)は、八戸市吹上生まれ。岩次郎の妻の妹と結婚し義弟に。分家し、中居でリンゴ園を経営していた。
1920年、広大な岩次郎の屋敷の庭から、続々と縄文土器が出てきたことが事の始まりだった。ただごとではないと、発掘を続け、約120点の土器が出土した。
以上、企画集団ぷりずむ発行「隔月刊・あおもり草子」(2005年2月1日発行、通巻158号)’是川遺跡メモ’より
http://korekawa-jomon.jp/ [八戸市埋蔵文化財センター・是川縄文館]
http://www.korekawa-jomon.jp/books/docs/Holiday11web.pdf [”是川遺跡は三遺跡の総称”ほか]