(つづき)
都さんは、02年、1月3日に88歳で人生を終えました。
彼女の息子さんとショットバーで出会ってから15年以上…
初めて都さんにお会いしたのは、彼のお宅でした。
出会ったときにただならぬオーラ??を感じる人っていますよね?
「うわぁ~~!この人はすごい!!」って。
彼女はまさにそうでした。ものすごく美しくて、透明でした。
お話をさせていただいたのは、全部あわせてもほんとに短い時間だったのです。
言葉を交わさなくても、彼女とお会いして、まさに「お姿を拝む」だけで私は満たされたものです。
あまりにも素敵で近寄りがたいのです。
「おばあちゃん」なんて、絶対呼べません。
もちろん、都さんのそれまでの人生については、ある程度のことを息子さんから聞いていました。中でもいちばん印象に残ったのは、富士山にふもとから歩いて登頂したという話。私は富士山登頂は2回していますが、2回とも5合目からです…とっほほ。
それから、都さん自身からきいた言葉では
「歳をとると、毎朝目覚めたとき、天井をみながら、あらまあ今日もまだ生きてるのね…と思うのよ」
まだお元気だった頃です。
言葉というよりも、そう語る都さんの明晰さ、深さに感銘を受けました。
会話というより、存在そのものが荘厳で美しくて、なお女性で、愛おしかった都さん。当時70代でありながらほんとにキュートな女性でした。
彼女が病の床に伏してからいちどだけ彼女のところに訪れました。
文字どおり「寝たきり」という状態で、自分で自分の身体が動かせないのです。
言葉も話せません。
それなのに、力強く私の手を握りしめて、
私にありったけのパワーを下さいました。
その秘密はどこにあったのでしょうか?
わかりません。
初めから魂が澄んだ美しい人だったのか、それとも、人生紆余曲折の間に、フィルターで濾過されるようにして、こんな澄んだ清らかな女性になったのか…
どうして私はこの人に会うとこんなに幸せで満ち足りた気持ちになるのか
私だけじゃなくて、たくさんの人が彼女の周りに集まってきました。
都さんが亡くなったという知らせを受けたのは、帰省している時で、
そういう日が来る前に、まだまだお会いしたかったのに…最後のお別れすらもできない…と、ぼう然となりました。
それからずいぶん経って、息子さんから都さんのアルバムが送られてきました。
プライベートな、限られた人への形見分けのようなもので、彼が母、都さんを撮った何千枚の中から、病との共存の日々をまとめたものです。亡くなる直前まで、いえ、この世の人でなくなってもなお、都さんの表情は豊かにキュートに、力強く、優しく、写真の中からもたくさんのパワーを発信し続けていました。
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
どうやったらなれるのか、わかりません。でも、こんな人に出会えて、私は老いる覚悟や、勇気や、ある意味では楽しみや希望を貰うことができました。
今日の画像は、都さんの息子さんから頂いたアルバムの中で、私が都さんのところに最後に訪れたときの写真を「寝たきりダンス」というタイトルにして掲載してくださったものです。
都さんは、02年、1月3日に88歳で人生を終えました。
彼女の息子さんとショットバーで出会ってから15年以上…
初めて都さんにお会いしたのは、彼のお宅でした。
出会ったときにただならぬオーラ??を感じる人っていますよね?
「うわぁ~~!この人はすごい!!」って。
彼女はまさにそうでした。ものすごく美しくて、透明でした。
お話をさせていただいたのは、全部あわせてもほんとに短い時間だったのです。
言葉を交わさなくても、彼女とお会いして、まさに「お姿を拝む」だけで私は満たされたものです。
あまりにも素敵で近寄りがたいのです。
「おばあちゃん」なんて、絶対呼べません。
もちろん、都さんのそれまでの人生については、ある程度のことを息子さんから聞いていました。中でもいちばん印象に残ったのは、富士山にふもとから歩いて登頂したという話。私は富士山登頂は2回していますが、2回とも5合目からです…とっほほ。
それから、都さん自身からきいた言葉では
「歳をとると、毎朝目覚めたとき、天井をみながら、あらまあ今日もまだ生きてるのね…と思うのよ」
まだお元気だった頃です。
言葉というよりも、そう語る都さんの明晰さ、深さに感銘を受けました。
会話というより、存在そのものが荘厳で美しくて、なお女性で、愛おしかった都さん。当時70代でありながらほんとにキュートな女性でした。
彼女が病の床に伏してからいちどだけ彼女のところに訪れました。
文字どおり「寝たきり」という状態で、自分で自分の身体が動かせないのです。
言葉も話せません。
それなのに、力強く私の手を握りしめて、
私にありったけのパワーを下さいました。
その秘密はどこにあったのでしょうか?
わかりません。
初めから魂が澄んだ美しい人だったのか、それとも、人生紆余曲折の間に、フィルターで濾過されるようにして、こんな澄んだ清らかな女性になったのか…
どうして私はこの人に会うとこんなに幸せで満ち足りた気持ちになるのか
私だけじゃなくて、たくさんの人が彼女の周りに集まってきました。
都さんが亡くなったという知らせを受けたのは、帰省している時で、
そういう日が来る前に、まだまだお会いしたかったのに…最後のお別れすらもできない…と、ぼう然となりました。
それからずいぶん経って、息子さんから都さんのアルバムが送られてきました。
プライベートな、限られた人への形見分けのようなもので、彼が母、都さんを撮った何千枚の中から、病との共存の日々をまとめたものです。亡くなる直前まで、いえ、この世の人でなくなってもなお、都さんの表情は豊かにキュートに、力強く、優しく、写真の中からもたくさんのパワーを発信し続けていました。
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
どうやったらなれるのか、わかりません。でも、こんな人に出会えて、私は老いる覚悟や、勇気や、ある意味では楽しみや希望を貰うことができました。
今日の画像は、都さんの息子さんから頂いたアルバムの中で、私が都さんのところに最後に訪れたときの写真を「寝たきりダンス」というタイトルにして掲載してくださったものです。