WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

養父

2004-12-17 | 人生妙なり
昨日もちょっと書きましたが、私の母は、私の実父と離婚して、間もなく7歳年下の若いオトコと結婚しました。それが私の養父であります。
(今どきの7歳下はどってことないけど、当時はかなり画期的!?だったと思う)
養父と私の年齢差は17歳。 私が11歳のときでした。
28歳で11歳の女の子の戸籍上の父親になった養父。
彼は、私に決して父親ヅラをしませんでした。
かといって兄貴ヅラもしませんでした。
何歩も後ろに下がって、「後見人」みたいな感じで、私の「教育」に関しては一切口出しをしませんでした。
これが「多感な」私にとっては、よかったんだと思います。
私は実質「父親」がいないぶん、母親だけをターゲットに「反抗期」に衝突しまくっていたのですが、母と私の間に養父が割って入ることもありませんでした。

母と私は、私の「成績不振」でいつも喧嘩になっていたような気がします。
人に負けることが大嫌いだった努力家の母親は、私が音楽に進むからといって勉強をおろそかにすることが許せなかったのです。
だた一度だけ、「お母さんが泣いとったぞ…」と、ボソッと養父が言ったことがありました。「娘の教育」に踏み込んできた、たった一度の出来事だったと思います。

それから月日は流れて、養父と母の間に生まれた妹が大学を卒業するときに、
妹の卒業演奏会を見にいきがてら、家族で、たぶん一生に一度の豪勢な関西旅行をしました。京都、滋賀、伊勢、温泉豪遊旅行。
そのときに、滋賀のホテルのバーで、養父とふたりだけで飲みました。
母や妹について、他愛もない話をしましたが、内容は覚えていません。
だた、バーで父と飲む…っていうのが、初めてだったので、なんとなくうきうき嬉しかった。
ちょっと照れくさかったかも…

養父はほんとうにいい人なのです。
よくぞ、反抗期のイガ栗のようにとんがりまくった私にブチ切れずに、
何歩も引いてて見守り続けてくれたと思います。
父親と心でみとめて感謝しながら、他人よりももっと他人…という、妙な距離感の養父。

養父は、母親をとても愛しているんだろうなあ…と思います。
あんなに言いたい放題、我が儘で勝手気ままな母親なのですが、養父にとってはかけがえのない人なんだろうな…
妹がある日、親子3人でカラオケスナックに行ったとき、話の流れで
「お母さんが死んだら悲しい」という話題を父は涙ぐみながら語ったそうです…
なんて羨ましい母!!
私達娘にとっては、ほんとにこうるさくて、絶対一緒に住まないほうがよくて、
母子の距離を保つのに気を使いまくる母親なのに( ̄_ ̄|||)

養父のおかげで、母も、私達娘も幸せなんだと思います。

私が離婚して、Takを連れて養父の姓に戻ったとき、「跡継ぎができた」と喜んだ父。全然血の繋がってないTakを「跡継ぎ」だなんて思ってくれるんだ…

でも、この先、も~~しかしたら、Takにも養父が現れるかもしれないよ。
そんなことになったらお父さんの跡は継げなくなるけど、私がお父さんをどんなに好きだったか、
「養父」ってどんなに大きな存在だったかを、きっちりTakに伝えたいと思います。
跡を継ぐって…思いを受け継いでいくってことだもんね。

…でっ!! その養父の妻である私の母親のことを書かずにこのハナシを終えるワケにはいきまへん! やっぱり連載ってことで… 
             =つづく=
Comments (4)
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