WIND AND SOUND

日々雑感 季節の風と音… by TAKAMI

母の人生

2004-12-29 | 人生妙なり
さて、今日はいよいよ真打ち「母登場」であります。
年末なので、これを書き上げなくては、年が越せません(^_^;)

私の母は、今でこそ働くことをやめて、卓球三昧の日々を送っておりますが、
58歳で、妹が大学を卒業したのを期に自営の喫茶店を人手に渡すまで、ひとことでいって「働きまくる」人生を送ってきた人です。

最初の夫とは社交ダンスで知り合い、全日本優勝を期に脱サラして借金でダンス教室を開いて、ダンス教師として働きまくってその返済がやっと終わったところで、離婚。
ゼロから仕切り直しで、再婚したものの、2番目の夫は若かったので、金食い虫の私を音大に進学させるために、生保、内職、化粧品販売、事務、喫茶…ありとあらゆることをやっていたようでした。
私の大学進学にいよいよお金がかかる時になって、またもや母は喫茶店を開店するために借金。

今、自分がその頃の母の年令になってみて、あのパワーはいったいどこから出てきてたのか、改めて「スゴイ人だ」と思います。

母の名言のひとつ
「借金も財産や。信用があるからお金を貸して貰えるんや。」
「見栄をはることは、生きる目的。見栄を張って生きるためにお金を稼ぐんや。」
そういって、借金をしては、それを働きまくって返済するという生活がずっと続いていました。
商売人魂ってこういうのでしょうか?

母にしてみれば、娘を音大に進学させるのも「見栄」の一部だったかもと思います。
彼女にとって「見栄」というのは、半端なうすっぺらいものではなかったのだな。
自分が憧れてもかなわなかった音楽への道を、すべて娘に託したのでした。
家事はすべて祖母がしていました。
その祖母が、私が大学に入った年に「癌かもしれない」ってことになったとき、私は大学を断念することも覚悟しなければと思いました。
家事をする人がいなくなったら、母は働けなくなる、そしたら私の学費は捻出できない…という、
いつもいつもすべてがギリギリの状態でした。

母は、「清貧」ということばは嫌いだったのだと思います。
自分が子供の頃、母子家庭で貧乏で、とても悔しい思いをしてきたと思うので。
もう少し「必死」で働かずに質素に地味に暮らす選択もできたはずだと思います。
母の友人は、華々しい人たちで、…まあ、平たくいうとお金持ち。
彼女たちと対等に?付き合って、一緒に食事をしたり旅行したりするために
「働きまくる」ことは彼女にとって全く自然な行為だったようです。
「無理」とか「「背伸び」ではなかったのだと思います。
商売人魂の権化のような母は、「付き合い」をとっても重んじるので、
たとえば毎年お正月には、お友達が女将さんをやってる県内一の料亭の5万円のおせちを「おつき合い」で注文します。
(私はそれを食べに今年も帰省する)
妹の会社主催のファッションディナーショー?のチケットをまとめて購入してお友達に配ったり…

ようやく仕事から退いて、突然母が習い始めたのは、ピアノと声楽でした。
それから「卓球」。これは、高校の部活からですが、今や尋常なハマりかたじゃありません。
年に何度も日本各地の大会に出かけていきます。
独りで遠征に行くこともあります。
負けず嫌いの母にとっては、「老後の愉しみ」の域を超えて、「卓球=人生」のようにみえます。
働きまくってきた母は、今、最高に充実した老後を送っているようにみえます。
ちがうちがう、「老後」じゃないわ、アレは。
「余生」でもないし…「現役」そのものかも。
彼女の心は全く老いてはいません。
彼女はゼロから自分の手ですべてを切り開いて、今、その人生の果実を味わっている時なんだと思います。
スバラシイ…

傍には黙って見守る優しい夫がいるし…。これがまたうらやまし~~~

そんなワケで、私はほんとに心から、母は凄い人だと思っています。


しか~し! 彼女の娘達の教育に関しては、異義ありまくりなのであります!
これを書かずに年は越せないってもんよ!!
乞う御期待。

    つづく






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