私は讃岐弁が得意です。東京に引っ越して、人生の半分以上を過ごしていますが、
讃岐弁は、いつでも話せます。
「ちっとたんねるけど、讃岐の方言しっとんな」
(共通語訳:ちょっとお伺いしますが、讃岐の方言ご存じですか)
という本があります。02年に出版されました。
藤本誠さんというグラフィックデザイナーの方が、「讃岐の方言グラフィックデザイン展」という個展を開き、これを本にまとめたものです。
讃岐人にとって、全国の香川出身の人にとって、心が熱くなる、とっても素敵な本だと思います。私はこれを高松の本屋で初めて手に取って読んだとき、涙を流してひーひー笑いました。もうこうなったら、他人の目どころではありません。
なんだか、亡くなったばーちゃんが出てきて語ってくれたような、うれしさ、懐かしさがこみあげてきて、心の底から大笑いしてしまったのです。
「方言」って、地域では排他的、閉鎖的、都会ではコンプレックス…と、ネガティブな面もあることは事実ですが、郷里の言葉で郷里の人と話すのは、個人的には大好きです。私の根っこはここなんだと、普段は意識していなくても、強い思いが心の底にあるような気がします。
「志をはたして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」(高野辰之 作詞)
これも大好きな歌。実際に「帰る」のかどうかは別として、故郷は帰るところ、いつも私の帰りを待っていてくれるところ…という思いがあります。
大学生になって上京する前夜、私は実家の仏壇に手を合わせて、「いってきます。この家で暮らすのは今日が最後。家族を守ってください。」とお祈り?しました。
その故郷に帰るかどうするか、今、考え込んでいるところ。人生最大の岐路といったところかな。もう2年近く考えていますが、そろそろタイムリミット。
離婚を決意するときにも、「人生最大の岐路」と思ったものでした。
「最大の岐路」は、まったく次から次へとやってくるものです(-_-;)
志ははたしていません。実家に住むつもりもありません。
「ちっとたんねるけど、おたしゃ~どおしたらえんかいのう…」
讃岐弁は、いつでも話せます。
「ちっとたんねるけど、讃岐の方言しっとんな」
(共通語訳:ちょっとお伺いしますが、讃岐の方言ご存じですか)
という本があります。02年に出版されました。
藤本誠さんというグラフィックデザイナーの方が、「讃岐の方言グラフィックデザイン展」という個展を開き、これを本にまとめたものです。
讃岐人にとって、全国の香川出身の人にとって、心が熱くなる、とっても素敵な本だと思います。私はこれを高松の本屋で初めて手に取って読んだとき、涙を流してひーひー笑いました。もうこうなったら、他人の目どころではありません。
なんだか、亡くなったばーちゃんが出てきて語ってくれたような、うれしさ、懐かしさがこみあげてきて、心の底から大笑いしてしまったのです。
「方言」って、地域では排他的、閉鎖的、都会ではコンプレックス…と、ネガティブな面もあることは事実ですが、郷里の言葉で郷里の人と話すのは、個人的には大好きです。私の根っこはここなんだと、普段は意識していなくても、強い思いが心の底にあるような気がします。
「志をはたして いつの日にか帰らん 山は青き故郷 水は清き故郷」(高野辰之 作詞)
これも大好きな歌。実際に「帰る」のかどうかは別として、故郷は帰るところ、いつも私の帰りを待っていてくれるところ…という思いがあります。
大学生になって上京する前夜、私は実家の仏壇に手を合わせて、「いってきます。この家で暮らすのは今日が最後。家族を守ってください。」とお祈り?しました。
その故郷に帰るかどうするか、今、考え込んでいるところ。人生最大の岐路といったところかな。もう2年近く考えていますが、そろそろタイムリミット。
離婚を決意するときにも、「人生最大の岐路」と思ったものでした。
「最大の岐路」は、まったく次から次へとやってくるものです(-_-;)
志ははたしていません。実家に住むつもりもありません。
「ちっとたんねるけど、おたしゃ~どおしたらえんかいのう…」