紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

山登り歴

2004-10-03 20:43:26 | 8・山と旅の思い出
プロフィールに、「山を始めて40年」と書いた。けれど、40年間ずっと登り続けていたわけではない。
登っている時は、どどっと数年間登り続け、ある時期ぴたっとやめている時もあった。ほとんど登っていなかったのは、25歳頃から35歳までの10年間。子どもが生まれたり、小さかったりで、あまり行くことができなかった。

初めて子どもだけで山に登ったのは、中学生の時である。その頃、クラスの友だちと山に行くのがはやっていた。ディズニーランドみたいな楽しい遊び場もなかったし、あまり娯楽もなかった時代なので、大勢のグループで遊びに行こうというと、奥多摩や高尾の山だった。

いろいろな人と、始終山に出かけていた。誰とどの山に登ったのかも忘れてしまったが、今でも忘れられない山がある。
馬頭刈山。中2の夏休みに登って、あやうく遭難しかけた。

一緒に登ったのは、ホッテン松葉君、沼田君、塚本君、守屋君、秦さん、藤沼さん、私の7人。ホッテン君がリーダーだった。
沼田君と塚本君は、ハンドボール部で体力があるので、あっという間に登っていき、その日、とうとう会うことがなかった。後から登ったのは、ホッテン君、守屋君と女子3人。馬頭刈尾根までいったのだけど、頂上まで登って、下りで道をまちがえた。

気がついた時は、ものすごい崖を下っていた。道がちがうと思ったけれど、その時までにかなりおりてしまっていた。何とかそのまま下れないかと、みんなでおり続けた。そのうち、とうとう私は、崖から足を滑らせて、落ちてしまった。大したケガはなかったけど、ズボンはやぶれた。

その時に、ホッテン君は、「もう一度尾根までもどろう。」といった。えーっと思ったけど、しかたなくまた崖を登っていった。
そんなこんなで、山のふもとに着いたのは、8時頃だったろうか。相当にくたびれた1日だった。かなり大変な目にあったのにもかかわらず、山登りが楽しかったと思った最初で、それ以後、とぎれとぎれに、今でも山に登り続けている。

◆もぐもぐさんのmogutrekker 山遊記 「山行き、次回は400回」 にトラックバック

(写真は中学の頃奥多摩にいった時のもの。本文とは別の時のです)