紅蓮(ぐれん)のポケット

子どもの本の作家・三輪裕子のふつうの毎日
2015年夏。三宅島で農業を始め、東京と行ったり、来たりの生活になる

コロラド川下り・11

2005-12-01 11:30:30 | 8・山と旅の思い出
■旅の終わり

コロラド川下りも、終わりに近づいてきた。
明日はもう終わりという日。

パンプキンスプリングという所で上陸した。
温泉というほど熱くはないが、あたたかいスプリング。
みんなで入った。後ろを流れるのがコロラド川。



その日は、キャニオンの終わりの地点を通過した。そこからは、ライフジャケットははずしてもよいということだった。

最後の夜は、3人のリバーランナーへの感謝を込めて、夜の集い。ラップで、感謝の言葉を述べるのだけど、娘と息子にはその役が回ってきたけど、英語がどうもね~という、私と良流娯さんは、ただの観客だった。
クヤシイ!


翌朝は、上陸地点まで急ぐということで、起きて支度をすると、すぐにボートを出した。
ボートの上で、朝食。
だんだんと、両岸の山が低くなり、空が広くなる。
もうキャニオン下りは終わりなのだと、それを見て思った。



途中で上陸。そこでボートを付け、その後はモーターボートで、最終地点のピースフェリーまで運ばれる。
ボートを片づけるのを、みんなで手伝う。
たったの5日間だったけれど、生活を共にしたリバーランナーとはそこでお別れだ。
みんなで、最後の記念写真を撮る。

 

モーターボートには、他のツアー客も乗っていて、ああ、旅は終わったと思った。
だんだんとモーターボートが近づいてくる。

濃密な時間を過ごした旅の終わりは、いつももの悲しい。

昼頃上陸。
そこは、実にラスベガスまで、少しの所だったのだけど、半日かけてバスで、グランドキャニオンに戻った。
そして、翌日、また一日かけて、ラスベガスまで行って、そこから日本に帰るのだ。


何か無駄のようだけど、グランドキャニオンに戻って、しみじみ余韻を味わった。
6日前にそこにいたというのに、その時ははるか昔だという気がした。
充実した、何かがぎゅっと詰まった6日間だったのだと思った。




グランドキャニオンは、上から見るのと、下から見るのでは、全くちがっていた。
上は平らな大地なのに、下からみると、ただ山の連なりなのだ。それは、谷底におりて、初めてわかることだった。

◆コロラド川下り ・10・11